第8話

 ✿―✿―✿—✿―✿


 桜の枝は先ほどの出来事など知らなかったかのように、ユラユラと静かに揺れていた。

 枝が揺れる度に、淡い桜色の花弁が地に舞い落ちる。すぐ側には真司と雛菊が居たはずなのに、いつの間にか二人の姿は消え、今いる場所には菖蒲一人だった。

 一人残ってしまった菖蒲は桜を見上げポツリと呟いた。


「桜、か……」


 一枚の花弁が頬を撫でるように菖蒲の横を通り過ぎた。

 長い睫毛を伏せる菖蒲。その表情は儚げで、菖蒲自身が今にも消えてしまいそうだった。

 しかし、それも一瞬のこと。

 菖蒲は桜の幹に触れ、フッと自傷気味に笑った。


「今は、昔に黄昏ている暇ではなかったな。声が届くとよいのじゃが……」


 そう呟くと、菖蒲はゆっくりと瞳を閉じた。



 ――その頃。


 真司は風が止むと恐る恐る目を開き、その光景に言葉を失い唖然となった。


「……え?」


 真司が立っていた場所は自分の知っている場所ではなく、全然知らない場所だったのだ。

 大きな桜の木はいつの間にか消え、変わりに目の前には大きな屋敷が建っていた。

 真司はその屋敷の庭にポツンと立っていたのだ。


「ここは――」


 どこ?と口に出す前に、真司は慌てて周辺を見回した。

 菖蒲の姿も手を放していないはずの雛菊でさえも、いつの間にかその姿は消えているのだ。

 真司は慌てて二人の名を呼ぶ。


「菖蒲さん! 雛菊さん!」


 いくら真司が二人の名前を呼んでも返事は帰ってこなかった。

 真司はギュッと拳を握り「二人を探さないと!」と、呟く。そして、屋敷の家主に見つからぬように、庭を出て正門らしき門を通った。

 が、真司はその光景に再び驚いたのだった。驚くしかなかったのだ。

 なにせ目の前には、自分が先程いた広い庭に繋がっていたのだから。


「えっ!?」


 バッと後ろを振り返ると、もう一度前を見る真司。


(ど、どうなってるの!?)


 真司にはこの光景が理解出来ないでいた。

 まるで、迷路に迷い込んでしまったかのようだった。


「と、とりあえず、進んでみよう!」


 真司は意を決して門をくぐる。案の定、再び同じ庭に出てしまったが、真司は更にその庭の中を歩き先へ先へと進んだ。

 すると、また門が見えてきた。

 真司は内心嫌な予感がしていたが、それは気のせいだと思い込み先を進む。そして、門の前まで来ると目の前の光景にまた言葉を失い立ちつくしていた。


「……また……さっきの庭……」


 ここまで来ると、何度先に進んでも、いくら歩いても無駄だろうとわかる。無限ループというやつだ。

 真司はどうすればここから出ることが出来るのか、菖蒲達を探しに行けるのか模索するが、自分には〝見える〟こと以外には何の力も無いので、いくら考えてもそれは無意味に終わってしまった。

 その時、庭の方から声が聞こえてきた。


「……八郎さん?」


 真司は慌てて振り返る。庭から現れたのは色白で小柄な女性だった。

 顔色は悪いが、凛とした瞳に背筋が彼女の美しさを引き出していた。

 まるで、崖に咲いている一輪の白百合のようだった。

 女性は首を傾げ、肩から落ちかけている羽織を掛け直す。


「気のせいかしら?」

「あっ、あの!」


 真司は現れた女性にここがどこだか話しかけたが、真司の声は聞こえなかったのか女性は真司に背を向け屋敷に戻って行った。

 真司はもう一度女性に声を掛ける。


「あの、すみません!」

「…………」


 もう一度呼びかけても、結局、女性には声が届かず女性はそのまま庭が見える自分の部屋へと戻ってしまった。

 気づいてもらえず、少し落ち込み気味になる真司。

 すると今度は、門から砂利を踏む足音が聞こえてきた。

 その音は少しずつこちらに向かっているのだとわかり真司は振り返る。門から現れたのは、見知らぬ男性だった。

 男性は萌葱色もえぎいろの着物を着、雨よけの合羽かっぱ菅笠すげがさを持ち、背中には大きな木箱を背負っている。真司は、今度はその男性に声を掛けようと口を開いたが、男性は真司の姿に気付かずそのまま素通りしてしまった。

 しかもそれは真司の横ではなく、真司の身体を通って行ったのだ。


「えっ!?」


 真司は驚きの表情で自分の身体と身体を通り抜け屋敷に入る男性を交互に見る。


「へっ!? えっ!? いっ、今、あの人……」


(通り抜けた、よね!?)


 真司は慌てて自分の身体に触る。

 もしかしたら、自分の身体は可笑しいのかもしれない。そう思い自分でも触ってみるがなんの問題もなく普通に身体に触ることができ異常も感じられなかった。

 菖蒲や雛菊は何処にいる? ここはどこ? 自分の身体にいったい何が起きたんだ?

 そんなことを考えても、今の真司にはわからず終いだった。

 何をどうすればいいのかわからなかったのだ。


 すると、突然辺りの景色が変わった。

 それはまるで映像が変わるように景色が変化したのだ。景色は外から室内へと切り替わり、部屋の中には先程真司が出会った女性と男性が居た。

 女性は臥せっているのか、布団の中で横になっている。


「八郎さん、やっと来てくれたのね……」

「お待たせして申し訳ありません。雛菊様」

「え? 雛菊、様……?」


 真司は男性の口から出た名前に驚き『雛菊』と呼ばれる女性を見た。

 真司が出会った雛菊は二人いる。初めて出会った『雛菊』と菖蒲と一緒の時に出会った『雛菊』だ。


「この人が、霊の雛菊さん……?」


 初めて会った時のことは記憶があやふやで雛菊の姿はあまり覚えていないが、もしこれが霊の雛菊なら……真司は考えることが沢山あり、どうすればいいのかも分からなかった。

 真司は、ふと『ここに菖蒲がいたら菖蒲はどうするだろうか?』『何を言うだろうか?』と、考える。


「菖蒲さんなら……きっと、この状況に意味があるって言うかもしれない」


 そう小さく呟くと、モヤのかかっていた頭の中が急に晴れたような気分になった。


「そうだよ……きっと、これには意味があるんだ」


 真司は自分の姿が二人に認知されないことに疑問を持つ。


「こんなに近くにいても二人が僕のことに気づかないのもおかしい。それに、あの人は、さっき僕の身体をすり抜けた……。男の人が、えっと……八郎さんっていうんだよね? それで、あの女の人が雛菊さん」


 手を顎に当て何かを考える真司。その考えは自然と口から溢れていた。

 その真司の様は、まるで探偵のようにも見える。


「最初、僕の知っている雛菊さんは『あの人を探して』って言ってたよね。この人が霊の雛菊さんなら……そうすると、これって――」


(――彼女の記憶?)


 確かではない推測だが、そう思った方が納得出来た。

 暫し考えている真司は、もう少し、このまま二人の様子を見ることに決めた。

 どっちみち、ここからは出られない。出る方法がわからない。なら、意味があるかもしれないこの光景を見るのもいいかもしれないと真司は思ったのだ。


「……よし。このまま様子を見てみよう」


 一人で納得し頷く真司。

 だが、真司は知らなかった。気づかなかった。

 ポケットに入れてある菖蒲から貰った鈴が淡く光っていることに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る