第32話~玲央と冬馬
「あくまで僕の意見だけど、もし僕がこの物語に存在するとしたら主人公のケツを引っ叩いてるね」
「ケツを引っ叩くって……」
「まあ、手助けするっていう意味ね。それが本人の心に届かないとしても」
一瞬、笹森と目が合う。
そして間もなく、そろそろ長居しちゃったし店出ようか、という純の提案で席を立った。
「まあ、今日は良かった。冬馬とまた話すことが出来て。何か安心したらトイレ行きたくなってきたから二人は先行ってて」
分かった。と答えて笹森と店を出ると、辺りは既に橙に染まって夕刻の音が訪れていた。
外に出た笹森は一度大きく体を伸ばす動作をすると、いつもの落ち着いた口調で言った。
「久しぶりに水城君と話せてよかったよ」
「俺も、久しぶりにまともな会話したから楽しかった」
実は今日の昼に一年生の女の子と話していて、まともじゃないと言えば失礼すぎるが、純や笹森と普通に会話できたのがこの上なく嬉しかった。
「てか、水城君。背中にゴミついてるよ?」
「あ、本当?」
「とってあげる」との笹森の提案で背を向ける。と同時に、「パン!」という音が道路に響くと共に冬馬のお尻に激痛が走った。
「痛っ! いきなり何すんのさ」
「いきなりも何も、さっき言った事をしただけさ」
さっき言った事? と冬馬は首を傾げる。店の外に出てからは会話が出来てよかったとしか言っていな……いはずと考えるのも束の間、喫茶店で小説の話をしていたのを思い出す。
「水城君の書いた物語に出てくる主人公、あれ、君だろ?」
笹森が口に出した言葉に息を詰まらせる。
「水城君が気づいていないのか、目を背けているのか、どっちかは知らないけど、僕には分かる」
「なんで……」
「綾乃に聞いた。って言えば察しが付くでしょ」
ドクンと心臓が跳ね上がる。この男は……笹森玲央は確実に自分の裏の事情を知っている。
「まっ、だからって何をする訳でもないけど、一つだけ言っておきたいことがあるんだ」
つばを飲み込む一時の間に、橙色の景色を背景に映された二人の間を
「冬馬。僕は君が思っているほど優しくはないよ」
突然様変わりした笹森の真剣な表情に、心の内がぞわっと震え上がる。
確証は無いが、今冬馬が考えていることも、今の現状の全ても、笹森には全てお見通しなんだろう。何故かはわからないが、そんな気がした。
「ちょっと電車間に合わないから、先に帰ってるよ。笹森君、申し訳ないけど純にもそう言っておいて」
「おっけー。それと僕の事もこれからは名前で呼んでよ」
「わかった。ばいばい玲央、また明日学校で」
喫茶店の前で純を待つ玲央に手を振って青葉駅までの帰路を歩く。
(……全部。何もかも敵わないな)
先ほど玲央が口に出した言葉を、もう一度自分の口から言ってみる。
「水城君の書いた物語に出てくる主人公、あれ、君だろ?」
まさにその通りだ。あの人に恋をしている自分を主人公に模って無意識に手が動いていた。ただ、絶対に適う筈がない夢物語を認めたくなくて、本当は自分の本当の心に気づいていたけど一生懸命に目を背けていた。
それにバッドエンドルートを何回も手掛けてしまうのは紛れもない自分のせいだ。彼女に恋をしていた過去の純粋な自分を否定したくなくて、でも結局は諦めてしまう自分が心の中に存在していて、物語は後者の弱い自分を手に取ってしまう。
(でも、もうどうすることもできないじゃないか……)
いや、純や玲央の言う通り、何もしていないだけか。
目的の駅について、半分自暴自棄になりかけた心をしっかりしろ。と叱って改札をくぐり抜ける。
間もなく列車が発車します。というアナウンスがホームに鳴り響く中、駆け足で向かった冬馬はなんとか出発時刻ギリギリの電車に乗り込んだ。
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