【三題噺】海・告白・静かな関係

イナカヤマドリ

海・告白・静かな関係

 一目見た時から素敵な人だと思っていた。

 一番はじめに彼をみたのは内定者が集まる、顔合わせの回だった。

 半年先の新生活に不安を感じながらも、心には人生のステージを登るのに高揚感を感じていた。企業のたくさん入ったエントランスで案内を確認し、エレベーターへ向かう中、私は周りの人がもしかしたら、同期になるかもしれない人だと考えると、どうしてもそわそわしてしまっていた。

 そわそわしているうちに、エレベーターが到着し、中に入ると、一斉に5、6人中に乗ったみんな顔を合わせることなく、エレベーターの電子版を見つめうえにあがる。

 目当ての階に到着すると、皆一斉に降りていく、私も遅れないようについていく。

「これ君のじゃない?」

 先に降りていた男の人が、カードケースを渡してきた。それは紛れもなく私の定期入れであった。

 そわそわしているうちに落としていたみたいだった。

「ありがとうございます」

 視線を定期入れから、あげ声の主の顔を見つめる。

 その時の衝撃は忘れられない。本当に電撃が走ったようなものだった。あるいは、深く鮮やかな海に落っこちるような感覚であった。運命の出会いとは後から気づくものとは誰が言った言葉だろう。そんなことはない。私はその時、その場で運命だと思ったのだから。

端正な顔立ちであった。髪をあげ、キリッとした眉、左目の下には泣きぼくろ。

「じゃあ、僕は先に行くので。」

 静かに会釈をして歩いていく彼から目を話せなくなっていたのだ。


 気づけば、2年目に終わりを告げていた。毎日目の前の仕事に追われ、気づけば自分のことはあとまわし、あんなに希望に満ちていた過去の私を、返して欲しい。2年も経ったのに、憧れの彼との進展だって何もない。

「疲れたあ」

 思わずにこぼしながら、伸びをする。

「お疲れ様。期末だからって、流石に詰め込みすぎだよね。」

 となりのデスクに座る知美が声をかけてくる、入社後2人とも同じ部署で仕事をしてきた戦友であり、ライバルでもある。

「課長、仕事はできるけど、真面目というか、頑張りすぎるというか、巻き込まれる側の気持ちにもなってほしいわ。」

知美は頭をデスクの上に載っけて、うなだれる。


 知美と雑談をしているとひとりの男性が、声をかけてきた。

「すみません。小田課長はいらっしゃいますか?」

僥倖。あるいは天からの送りかもしれない。

 キリッとした眉に、あげた前髪、2年前にはしていなかったメガネをかけた彼だった。

「課長はもうかえりましたよー。私たちもいまからかえるところです。」

 投げやりに、知美が答えた。その間、私は彼の顔を見つめることしかできない。いつもこうなのだ、気づけば、黙りこくってしまう。

「そうですか。じゃあ、明日にします。僕ももう帰ろうかな。」

 少し、困った顔をしながら、つぶやいている彼は、少し憂いを帯びていて、とても素敵。どうして、こんなに素敵なのだろうと、顔を見つめていると、目があってしまう。

 目があってしまいました。どうしましょう。今日の格好は変じゃないかしら、髪型も変じゃないかしら。今日の朝はゆっくりしてしまったから、準備に時間をかけられなかったのに。

 自分でも顔が熱くなっているのを感じて、目をそらしてしまう。いつもこうなのだ、あれ以降に言葉を交わすことなんかもない上に、目を合わされることでさえ、恥ずかしくてできない。

 ちらりと知美が彼の顔見てから、こちらを見た。

「矢島くん。もしよかったら、この後ご飯でも行かない?年度末の打ち上げってことで。」

 知美はこちらを見て、ニヤリとする。

「いいですね。ちょうどおなかが空く時間ですし、年度末ですし。」

 にこりと笑い、準備してきますと彼は自分の席に戻っていった。

「知美、なんていうことをするの。私、恥ずかしくて死んでしまうわ。」

「大げさよ。いい加減、関係を進展させたいでしょう。恥ずかしくて死ぬなんてことにないから安心なさい。」

「でも・・・」

「毎日のように隣で見ていて、もどかしいのよ。こっちの身にもなりなさい。由紀子だって会話さえしない関係は終わりにしたいでしょ。」

 知美はニカっと笑い、その後少し悪い顔をしていた。


 大衆居酒屋だけあって、賑やかであった。仕事終わりのスーツの社会人。他にも大学生が、がやがや、わいわいと話しており、活気のある様子であった、私たち以外は。

「早川さんおそいですね。」

 矢島くんが話題を振ってくれる。小さく頷くことはできたが、会話にはならなかった。

 ここにくるまでに、知美は財布を忘れて後行って、一度会社に戻ったのだ。

 一緒に戻ると言ったのに、店の予約をしちゃったから先に入っててなどと言って、私たちを2人きりにしたのだ。


「それに、予約2名で入ってたし、早川さん間違えたんですかね。」

 問いかけるように、聞いてくれる。優しくて、2人きりなのが嬉しすぎて、泣きそうになる。だけど、言葉が出ない。静かな関係が続く。

「そういえば坂口さんと話をするのはあれ以来ですね。」

 笑顔で、話しかけ続けてくれる。本当に彼は優しい。赤面して顔をあげられない。

「内定者が集まった時のエレベーターのところで、少しだけ話したの覚えていますか。」

 覚えていてくれた。あんな小さな出来事を。忘れたことなんてない、私にとっては運命の出会いだったのだから。

「あの時実は緊張してたんですよ。これから同期になるかもしれない人に、嫌われたらどうしようって。」

 矢島くんもそんな気持ちだったんだ。同じように緊張していたのね。

「でも、坂口さんに定期入れ返した時に、めっちゃ緊張していたのをみて、よかったみんなの同じなんだと思ったんですよね。」

 恥ずかしい。そんなに変だったかな。嫌われたかな。

「めちゃくちゃ緊張してんただろうなって、話終わってから思ったんです。それなのに、ちゃんとお礼を言えてすごいなって。それに、坂口さんあんまりお話する機会ないですけど、めちゃくちゃ仕事できるって聞きました。」

 私のことを気にしてくれたの。すごく嬉しい。嬉しいけど、恥ずかしい。沸騰してしまいそう。

「あの時はどういたしまして。いうの忘れていたので、この機会に言っとここうかなって。」

 嬉しい。心が暖かな風吹かれているような気持ち。こんな気持ちはじめて。打ち明けてしまおう。そうしよう。もう沸騰しそうなくらい赤くなってしまっているのだもの。きっと恋心を抱いているのだってバレているに違いないわ。告白してしまおう。そっちの方が楽だわ。


「矢島くん。あのね、私ね、好きなの。」


 突然現れた、店員さんが、ジョッキをふたつおいていく。

「ビールお持ちしました。」

 少し驚いた顔をしながら、彼は答える。

「そうなんだ。よかった。やっぱり、仕事終わりはビールだよね。よかった坂口さんが、飲める人で。」

「違うの。違うのよ、矢島くん。私が好きなのは・・・」

「焼き鳥盛り合わせです。お待ちしてすみません。」

今度は焼き鳥をおいてくいく。

「焼き鳥も好きなの?よかった。結構こういうの苦手な女性っているじゃん。よかった。」

 安堵の顔をする彼。あたふたと落ち着きがなく、顔が赤い彼女。

「違うのよ、私が好きなのは・・・」

 もごもごとどもっていると、またもや店員がやってくる。

「すみません、使った串はこちらにお願いします。」

串入れを置いていく。

 何度もタイミングを外された彼女は下を向き、震えている。

「坂口さん大丈夫。どうしたの?やっぱり、苦手なものとかあった?」


テーブルに手をつき立ち上がりながら、彼女やけグソ気味にいうのであった。

「もう、私が好きなのは矢島くんあなたなのよ」

 周りもその大声に、注目を集める。一瞬静かになり、その時だけ時間が止まって静かになったみたいだった。


 店内には少し古い、ラブソングだけが静かに流れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【三題噺】海・告白・静かな関係 イナカヤマドリ @inakayamadori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ