性善説

浦木 佐々

第1話

 この団地で猫は飼えないと言う。

 また、一度飼われた猫は野良としては生きていけないとも。

「捨ててきなさい」と無慈悲に告げた叔母さんの表情は切実そうで、また違った角度から見ると随分と煩わし気だった。

 僕と友人は子猫をお気に入りのポシェットに入れ街を歩いた。僕たちを追い立てるように吹いた空っ風が風車をカラカラと回す。その楽し気な音につられた子猫がポシェットから不思議そうな顔を覗かせた。

「生きていけないって、どういうことだろう」

 子猫を慈しむように柔らかくポシェットの紐を握る友人が呟いた。

 僕は何も言い返せずに、彼の夕日に照らされた横顔を眺めた。友人は何も言わず、ただ互いに生きていけないという言葉が持つ残酷な響きを了解している事だけは理解していた。少なくとも、僕たちの間にはそういった類いの空気感が渦巻いている。

 宛てもない僕らは無意識に人通りの多い道を選んで歩いていた。

 時折、ポシェットから飛び出すまあるい頭に気付き撫でる人が居た。その度、子猫は気持ち良さそうに目を細めた。

「この子を飼って貰えないでしょうか」

 そんな人の中に優しそうな女性を見つけた友人が無遠慮に叫んだ。女性は切実そうな友人を一瞥すると、躊躇いがちに「ごめんなさい」とだけ残して去って行った。

 それから友人は頑なに子猫を撫でさせようとはしなかった。

 気付けば人通りの少ない道に居た。吹く風はより強く、僕らの背中を押した。その道を進み続けると広い墓地に着いた。

「穴を掘って」

 辺りに人影がないことを確認すると友人は無機質な声で僕に告げた。僕は素手で柔らかそうな地面を掘る。掘り返された土は雨の匂いがした。

 何時の間にか友人は花屋から借りてきたという水桶を持って僕の後ろに立っていた。友人は「もういいよ」とだけ言い、近くの蛇口で水桶の中身を充した。

 僕は手を洗う事も忘れて、その背中を眺めてていた。

 友人が満杯の水桶を重そうに運んでくると僕の掘った穴の横に置いた。

 そして、僕を真っ直ぐに見据えて「撫でる?」とポシェットを差し出した。僕が無言のままで居ると「解った」と友人はポシェットのボタンを強引に締めた。

 みゃあ、と子猫が鳴いた。

 完全に陽が落ちていた。

「仕方がないよ、生きていけないんだから」

 この日一番の空っ風が爆発音とともに墓地を駆け抜けた。

 蛇口辺りで置き去りにされていた水桶が倒れた。

 目の前の水桶も表面が波打っていた。

 雨の匂いがした。

「手、汚れているよ」と彼が言った。

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性善説 浦木 佐々 @urakisassa

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