忘れたくない

 昼過ぎ。

 現在、学校では午後の授業中だ。

 愛梨は学校へ行っており、病室内にいるのは絵梨だけだと美優から聞いている。


 幸介は病室の扉をノックし、中へ入った。


「こんにちは」

「あ、幸介君。来てくれたんだ」


 幸介が挨拶をすると、絵梨は嬉しそうに微笑んだ。


 絵梨はベッドで上体を起こし、枕元に背中をもたれている。


 彼女は持っていた本に栞を挟み、そばの棚に置いた。小説でも読んでいたらしい。


 彼女は頭から左頬にかけて包帯が巻かれており、相変わらず痛々しい姿だ。


「そりゃ来るよ。絵梨さんのこと好きだし?」

「えっ、そんな……からかわないで」


 絵梨は赤くなった頬を両手で抑えて狼狽える。本当に大人の割に可愛いと思う。


「あっ。幸介君、学校は?」

「今日はちょっと眠くて」

「何それ。ちゃんと行かないと駄目だぞ」


 絵梨は「めっ」と叱ってきた。


「いいよ。どうせ落ちこぼれだから」

「ぷっ。それ愛梨に聞いた! でもあの子もちょっとやばいと思わない?」

「まあね。愛梨はこの前の数学のテストで赤点取ってたし」

「なぬー!? 愛梨のやつ隠してたな!」

「あははっ。隠してたんだ」


 幸介は笑ってしまった。


 やはり絵梨と話していると楽しい。愛梨と同じで明るくて気が合う。だから何となくタメ口で話してしまう。


 幸介は絵梨のそばに近付くと、彼女の頬に手を伸ばした。


 絵梨は少し頬を赤らめて戸惑っている。


「絵梨さん、助けてあげられなくてごめんね」


 絵梨の頬を優しく摩りながらそう言うと、彼女は驚いたように目を見開く。


「何で幸介君が謝るの……?」

「『救済者』だから」

「へ……?」


 彼女はきょとんとなって幸介を見る。


「えっと……『救済者』って、幸介君が?」

「信じられない?」

「うん、全然」

「だよね」


 信じやすい彼女がすぐに信じないのも当然だろう。何も知らない人間からすれば突拍子も無さ過ぎる。


 直後、部屋の扉がガラガラと開いた。


「コウスケ、入ってもいい?」

「ああ」


 部屋へ入ってきたのは赤髪の少女、リア・スターリング。


 しばらく廊下で待たせていたのだが、待ち切れなかったらしい。


 リアはゆっくり近付いてくると、幸介の隣に並んだ。


「……その子は?」


 絵梨は戸惑いながら尋ねた。


「初めまして。私はリアといいます。コウスケの……生涯の親友です」


 リアは軽く会釈をしてそう言った。


「へー。幸介君、外国人の友達がいるんだ。恋人ではないの?」

「ち、違いますよ。私がこんな奴と恋人なわけないじゃないですか」

「こんな奴!? 親友なのに!?」


 思わずリアに訊き返す。


「何? 文句あるの?」

「お前こそダメ王女だろが!」

「だ、ダメ王女って言うな!」


 リアは突然ムキになって言い返してきた。

 相変わらず彼女は王女っぽくない。


「何? 王女なの?」

「そうそう。見えないでしょ?」

「うん」


 幸介が同意を求めると、絵梨は頷く。


 リアは「やっぱり見えないんだ……」と肩を落とした。


「どこの国の王女様なの?」

「まあ、誰も知らないような小さな国だよ」


 絵梨が笑顔で尋ねてきたが、面倒なのでそう答えた。


 ちなみにランパール王国はエルドラードを滅ぼしたため、現在はかなりの大国となっている。


「ふーん。でも王女様と友達だなんて凄いね」


 それを聞いたリアは「ふふん」と勝ち誇ったように微笑む。


「そんな大したもんじゃないよ」

「あんたが言うな!」

「あははっ」


 絵梨はお腹を抱えて楽しそうに笑う。

 しかし顔の怪我が痛々しいので、とにかくそれを治すのが先だ。


「絵梨さん、ちょっと動かないでね」

「……? うん」

「リア、頼む」

「わかった」


 リアは右腕を伸ばし、絵梨の左目の辺りに触れた。そして意識を集中させる。


 リアの右手に光が発生。それが広がっていき、絵梨の全身が光に覆われた。


 数十秒後、絵梨の右頬辺りの傷が綺麗に塞がっていた。もちろん体の怪我も全て治っている。


「治ったわ」


 リアがそう言って手を離す。


「よし。絵梨さん、包帯を取るよ」

「……うん」


 幸介は絵梨の顔に巻かれた包帯を外していく。全て外すと、彼女の綺麗な顔が現れた。


「え……? 左目も見える……」

「絵梨さん、鏡は持ってる?」


 幸介が尋ねると、絵梨は慌ててそばの棚に置いてあった鞄から手のひらサイズの鏡を取り出した。


 鏡を見た絵梨は驚愕し、目を見開いた。


「うそ……治ってる……?」

「はい。もう大丈夫ですよ」


 リアがそう言って微笑む。


「何で……? だって……医者は治らないって……もう、見えることは……ないって……」


 絵梨の目から大粒の涙が零れた。

 彼女は明るく振る舞ってはいたが、やはり不安だったのだろう。


 美優の目が見えるようになったときのことを思い出した。


 絵梨はひとしきり泣いた後、涙を拭いながら言う。


「そう言えば……動画を見たことある。事故で怪我をした子供を治してた」

「ええ、そうです」

「本当に、そんな力があったんだ……何か、夢みたい……」


 絵梨が嬉しそうに「ありがとう」とお礼を言うと、リアは「いえ」と微笑む。


 彼女の言う通り、リアの回復魔術は必要な人にとっては夢のような能力だ。この世界では最も価値があると言ってもいい。


「そっか……幸介君にも、不思議な力があるのね」

「ああ」


 絵梨が何かに気付いたように言うので、幸介はそう答えた。


「あなたが、『救済者』なのね。そして彼女はあなたの仲間」

「そうだ」


 しばらくの間、沈黙が訪れた。

 絵梨は目元に残っていた涙を拭う。


「絵梨さん、『救済者』に会ってみたいって言ってたよね」

「……うん」

「感想は?」

「えっと……感動で泣きそう?」

「ぷっ。何それ」


 思わず吹き出した。

 リアも隣で「ふふっ」と笑っている。


「うーん。私が二十歳若かったら、幸介君と恋人になりたかったな」

「今からでも全然いいけど? Gカップの恋人なんて最高じゃん」

「サイテー! おっぱい目当てなんだ!」


 絵梨は幸介に人差し指を向け、冗談ぽく怒る。


「いやー、大人のお付き合いに憧れる年頃と言うか」

「大人の付き合いってそんなんばっかりじゃないから!」

「えっ、違うの? まじかよ」

「あっ、がっかりしてる! 酷い!」

「絵梨さん、こいつはこういう奴なんです。恋人になるなんてやめといた方がいいですよ」

「うるせー。バカ王女」

「バカ王女って言うな!」


 リアがぷんすかと怒り始めたのを見て、絵梨はまた「あははっ」と笑った。


 包帯を取った彼女の綺麗な笑顔を見ると、本当に治すことが出来て良かったと思う。


「あ、幸介君、そんな目的で愛梨に手を出したら駄目だからね!」

「くっ、駄目なのか」

「出そうとしてたの!?」


 絵梨はむっとしながら幸介を見る。

 彼女の娘である愛梨はFカップ。亮太目視でもそうだし、愛梨本人もそう言っていた。つくづく母親似だ。


「嘘だよ。そんなことしたらぶっ飛ばされるし」

「えっ、もしかして亮太君が!?」

「それは言えない」

「何で!? 教えてよ!」


 やはり彼女は娘の恋愛について興味があるらしい。


 しばらくほのぼのと談笑していると、幸介のスマホが鳴った。


 ポケットから取り出して画面を見る。

 美優からメッセージだ。


『授業が終わって愛梨さんが学校を出ました。夕菜さんも一緒みたいです』


 彼女たちはすぐに病院に来る可能性が高い。数十分以内には来るだろう。そろそろこの時間も切り上げないといけない。


「ねえ、絵梨さん。俺が何故ここへ来たかわかる?」

「私の怪我を治すためにこの子を連れて来てくれたんでしょ?」

「そう。それともう一つ」


 幸介がそう言って絵梨の目を見ると、彼女は察したらしい。


「そっか。私の記憶を消しに来たんだね」

「ああ」


 絵梨は俯き、しばらくの間黙り込む。


「私、忘れたくない」


 彼女はぽつりとそう言った。


「忘れるのは、あなたの恋人のことと今日のことだけだよ」


 幸介がそう言うと、絵梨は少しの間黙り込む。

 今日のことというのは、幸介がこの病室に入ってきてからのこと全てだ。


「もうあの人には会わないから……大丈夫だから!」


 絵梨は必死に訴えてきた。

 記憶を失くしたくないらしい。


「そのことに関してはあなたは信用出来ない。俺はもうあなたの傷付く姿を見たくないし、愛梨を泣かせたくない」


 幸介がそう言うと、絵梨はまた黙り込んで幸介を見る。


 彼女が一度小沢と別れた後にまただらだらと微妙な関係が続いたことは、亮太から聞いている。


 暴力を振るうような恋人でも、何故か寄りを戻す女性が世の中にはいる。少しでもそんな可能性があるなら潰しておきたい。


 小沢の方の絵梨に関する記憶は消えているが、二人が会う可能性があれば不安は残る。


「じゃあ今日のことは……? それも駄目なの……?」

「わかるでしょう」

「誰にも言わないから。お願い……」

「駄目だ」


 またしばらく沈黙が訪れた。

 そばのリアも黙って二人を見守っている。


「ごめんね。もうすぐ愛梨が来るから、時間がないんだ」


 幸介は絵梨の肩を押し、ベッドに寝かせた。


 愛梨たちが来る前に終わらせて部屋を出なければならない。


「……会えて嬉しかった」


 絵梨は諦めたのか、幸介の目を見ながらそう言った。


 彼女が『救済者』に会いたがっていたから名乗った。すぐに記憶を消してしまうとしても、彼女の喜ぶ顔を見てみたかった。


 幸介は能力を使った。

 絵梨は意識を失い、ふっと目を閉じた。


 そしてフラフラと倒れる幸介をリアが抱き留める。


 リアは回復魔術を幸介に使った。

 幸介の全身が光りに覆われ、能力の副作用で消耗した体が回復していく。


 体が完全に回復すると、リアから離れた。


「ありがとう。リア」

「何とかならないの? あんたの能力」

「そんなこと言われてもな」


 幸介はポケットから自分のとは別のスマホを取り出した。絵梨のスマホだ。それを彼女の枕元に置いた。


 小沢の電話番号やメールアドレス、履歴、住所、写真などは全て消去してある。


「行こう。もう一人治して欲しい奴がいるんだ」

「はいはい」


 幸介とリアは病室を出た。



 幸介は記憶の『部分消去』を使うと、体力を著しく消耗し、目眩や倦怠感が訪れる。使えばその場に倒れ、丸一日は目を覚まさない。


 しかし、その問題はリアが居れば解決する。


 今日アメリカから戻った巧海は、すぐにリアを連れて幸介のマンションへやってきた。


 リアは幸介に回復魔術を使い、幸介は目を覚ました。

 幸介は拘束していた亮太に能力を使い、昨晩の公園での記憶を消した。

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