後悔するかもしれません

……

……



 奈津はショートの茶髪にぱっちりとした大きな目が印象的な女の子だ。


「私、女優になりたい!」


 ある日そう言った奈津は、テレビドラマを見て、見よう見まねで演技をするようになった。


「幸ちゃんは主役ね。私はヒロイン役をやるから」

「えぇ……やだよ。秋人にでもやって貰えよ」

「キスシーンとかもあるんだけどなあ」

「主役をやればいいんだな」


 俺はしょっちゅう彼女の演技の練習に付き合わされた。


 キスシーンは本当にやるわけではなく、フリだけだったので少しがっかりした。


「お姉ちゃんはライバルの役ね!」

「何で私まで!?」


 ときどき、沙也加まで巻き込んで演技の練習をした。



 ある日、奈津の家で二人でテレビを見ているときだった。


「幸ちゃん、見て見て。凄く綺麗」

「ああ。本当だな」


 奈津が指差しているのは、テレビの画面の中の黒髪の女性。ドラマなどでよく目にする彼女は有名な女優で、奈津も彼女のファンらしい。


『どうやってお相手の方と知り合ったんですか?』

『交際がスタートしたきっかけは?』

『ご両親の方にはどのように挨拶されたんですか?』

『お相手のどんなところが好きなんですか?』


 彼女は記者会見の中、質問攻めに遭っている。どうやら突然の婚約発表、そしてもうすぐ結婚するため、女優を引退するらしい。


『いつも優しくて、私を大切にしてくれているところです』


 女性はパシャパシャと写真を撮られ、キラキラと輝いて見える。


 奈津も画面に釘付けになっており、「わあー」と感嘆の声を上げた。


 婚約と引退報告会見が続き、最後に『指輪を見せてください』と言われた女性は、左手の甲をこちらに向けた。薬指の婚約指輪がキラキラと光っている。


 そしてまたパシャパシャと鳴り止まないカメラの音。


 記者会見の番組が終わると、それまで画面に釘付けになっていた奈津はこちらを向いて言う。


「私もこの人みたいになりたい」

「ふーん。まあ頑張れ」


 そんなに簡単には人気女優にはなれないと思うが、奈津の夢なら叶って欲しいと思った。それに男共に人気のあるこいつなら、もしかしたらなれるかも、とか思ってしまう。


「それでね、幸ちゃんと結婚して、こんな感じで電撃引退するの!」


 奈津はにっこりと屈託のない笑顔を向けてきた。


「マジ? 何か俺の責任重大過ぎない?」


 要するに未来の奈津が画面の中の女優。『お相手の一般人男性』が俺ってことだ。何となくいい男じゃないといけないような責任感がある。


「だから可愛い婚約指輪をちょうだい」


 また奈津はにっこりと笑う。可愛い。


「荷が重いなあ」

「ピンクのやつね」

「へいへい」


……

……



 目を覚まし、頬に手を当てると、少し濡れていた。また眠っている間に泣いてしまっていたらしい。もう癖みたいなものだ。


 隣の可愛い妹はいつも通り眠ったまま。彼女はだいたい幸介より先には起きない。涙を見られなくて済むので好都合ではある。


 近くに置いてあったスマホで時間を見ると、まだ午前四時。起きるには早い時間だ。


 美優を起こさないようにベッドから降り、部屋を出る。


 すぐ近くの扉を開け、沙也加の部屋へ入った。


 ベッドには沙也加が横たわって眠っていた。


 幸介はベッドの空いたスペースへ腰を下ろし、その後沙也加と向かい合うような体勢で横たわった。


「ん……幸介……」


 沙也加は僅かに目を開け、幸介の姿を確認すると、もそもそとしがみついてきた。


 彼女の頭をそっと撫でる。


 そのまま、幸介は再び眠りに就いた。



※※※



 連日、相変わらず記憶喪失者が増え続け、テレビでは毎日事件の発生報道が流れている。


 犯罪者や不良少年の中には身寄りのない者や家族との縁を切っている者も多く、各地の病院には記憶喪失者たちが確実に増えていった。


 あれから、本当に幸介はカレンにサンドイッチを作ってきた。


 カレンは嬉しそうにそれを受け取り、美味しそうに食べていた。


 夕菜も一切れだけ貰って食べたが、普通に美味しかった。


 カレンは弁当も持参しており、休み時間に早弁もしていた。幸介の言う通り、彼女は食いしん坊らしい。弁当は秋人の母親や家政婦の手作りのものだそうだ。


 放課後は何度か幸介や亮太、愛梨たちと一緒に『虹色園』へ遊びに行くこともあった。


 亮太が施設へ行くと、彼のことをお気に入りの五歳児の鈴はとても喜んでいた。亮太はまた馬乗りにされ、泣きそうになっていた。


 玲菜はすでに子供たちと一緒に剣の訓練を始めた。剣の訓練以外には、缶蹴りやドッジボールなどをして遊ぶこともあるらしい。彼女はすぐにみんなと仲良くなったようで、楽しそうにしている。



 そして、土曜日の午後。


 夕菜は玲菜と一緒に『虹色園』へやってきた。


 玲菜は子供たちと剣の訓練。夕菜は特に用事はないが、暇だったので玲菜に付き添いだ。幸介が来ていれば会いたかったという気持ちもある。


 施設のリビングには、好きなように遊ぶ子供たちがいた。


「あ、玲菜ちゃん!」

「こんにちは!」


 玲菜は近付いてきた子供たちにわいわいと歓迎されていた。


 ソファには茶髪に金メッシュの少年がスマホを弄りながらグラスのお茶を飲んでいる。グラスを置いた彼はこちらに振り向く。


「あれっ、夕菜さんじゃないっスか。どうもっス」

「うん。和也君こんにちは」

「玲菜ちゃん頑張ってますよ。みんなとも仲良くしてますし。ていうかちょっと人気者です」

「そう。良かった」


 さすが可愛い妹だと思いながら隣を見ると、そこには唯と睨み合う玲菜の姿があった。


「む……あんたまた来たの?」

「もちろん。剣で強くなるんだから」

「ふん。せいぜい頑張ることね」


 彼女たちは仲良くしているのか疑問なところだ。


「和也君は最近どう? 剣道部とここの掛け持ちでしょ?」


 夕菜は肩に掛けていた小さな鞄を置き、和也の隣に腰掛ける。


「まあちょっと大変ですけど、ちゃんと両立してますよ。幸介さんとの約束ですし」

「ふーん。頑張ってるんだ」

「はい。まあ剣道部は堂本さんもいますしむしろ結構こっちに来てます。子供たちに教えるのも楽しいですし、時給も貰えるんで」

「そっか」

「もちろん秋人さんが来るときは向こうに出ますけど」


 何だかんだで彼に都合の良い環境になっているらしい。それも幸介がわざわざ試合をした理由なのだろう。彼は剣道部では部長のはずなのだが、若干適当だ。


「今日は幸介さんと一緒じゃないんスか?」

「うん。連絡せずに勝手に来たから」


 今からメールでもすれば彼は来るだろうか。少し会いたいとは思う。


 そこへやって来たのは、青みがかったミディアムヘアの大人の女性。柴崎家の使用人である留美だ。


「こんにちは。夕菜ちゃん、玲菜ちゃん」


 彼女は弟の巧海や、秋人の母親である小夜と交代でここへ来て、子供たちの面倒を見ているらしい。


「留美さん、こんにちは」

「こんにちはー」


 夕菜に続き、玲菜はにこっと笑顔を向ける。


「何か飲みます?」

「あ、じゃあウーロン茶をお願いします」

「玲菜はオレンジジュースがいい」

「はーい」


 留美は笑顔で答え、ぱたぱたとダイニングへ飲み物を取りに行った。


「ふん。オレンジジュースなんてやっぱりお子様ね。そんなんじゃ幸介さんと結婚なんて出来ないわよ」

「えっ、そうなの? 留美さん、やっぱりウーロン茶にする!」

「はいはい」


 留美は振り返って、にっこりと微笑む。


 唯の適当な嘘に騙される玲菜が微笑ましくなった。


 唯は玲菜と張り合ってはいるが、口調や発言などところどころ子供っぽくない。いつもトマトジュースを飲んでいることもそうだ。


 留美は三人分グラスにウーロン茶を入れ、ストローを挿してリビングへ持ってきてくれた。一つは彼女が飲むようだ。


「玲菜ちゃん、剣は楽しい?」

「うん」


 留美がグラスをテーブルへ置きながら尋ねると、玲菜は笑顔で答える。


「あ、留美さん。そう言えば幸介さんってあの道場で剣を習ってたんスよね? 誰に習ってたんスか?」


 和也がグラスのお茶を口へ運びながら、思い出したように尋ねた。


「沙也加ちゃんのお父さんですよ。でも幸介君のお父さんも強かったから、たまに教えてましたね」

「へー。習ってた中だと秋人さんが一番強かったんスよね?」

「そうそう。巧海なんか年上なのにぼろぼろにやられてましたよ」


 留美はクスクスと笑う。


「幸介さんはどうだったんスか? 今はめちゃ強いですけど」

「昔は幸介君も秋人君に毎回やられてたイメージですね」

「そうなんスか。じゃあ秋人さんってめちゃ強いんスね」

「そうですね」


 留美はまたにこっと微笑んだ。


 彼らの昔の話には興味がある。幸介のことを少しでも知りたいと思う。


「ていうか最近巧海さん見ないっスね」

「巧海は今はアメリカへ行ってますから」

「えっ、アメリカっスか?」

「はい」

「何で急に?」

「んー、まあちょっと用事がありまして」

「ふーん。そうなんスか」


 和也は適当に聞き流しているが、夕菜は少し気に掛かった。


 アメリカは以前カレンがいた場所だ。急に用事があるというのはそのことに関係あるのではないだろうか。


 彼女は以前は幸介と家族ぐるみの付き合いをしていて、最近までアメリカに居た。しかし出身はどこかの辺境の国。


 少し前に、夕菜が「カレンの生まれた国ってどこなの?」と尋ねたが、「誰も知らないような国よ」と濁された。


 彼女は秋人の義理の妹なので、近所に住む幸介と家族ぐるみの付き合いをしていたのかもしれないとも考えた。しかしそれだと「捨てられた」云々の理由がわからなくなるし、バレーボールを知らないなんてこともないと思う。


 小さく溜め息をつく。こんなことを考えるのは彼のことが気になっているからだ。他のクラスメイトたちは、何も気にせずにカレンと接している。


「よし。じゃあみんな、そろそろ行くか」

「「「はーい」」」


 和也は子供たちを引き連れ、玄関へと向かった。道場で剣の訓練を始めるらしい。


「え、唯ちゃんも来るの?」


 リビングを出る際、玲菜は少し嫌そうに尋ねた。


「あんたのショボい剣でも見ててあげるわよ」

「むー。来なくていいから!」


 やはり唯は剣にさほど興味はなく、訓練にも参加しないようだ。


 玲菜と唯もぎゃあぎゃあと騒ぎながら、和也に付いて行った。


「夕菜ちゃんはどうします?」

「えっと、ここで玲菜を待っててもいいですか?」

「はい。全然いいですよ」


 留美はそう答え、にっこりと微笑む。


 しばらく玲菜を待ちながら、ゆっくりと過ごすことにした。


 留美はスナック菓子を器に入れて持って来てくれた。


 残っていた鈴がソファにポンと腰掛け、それを食べ始めた。


「あの、留美さん」

「はい」

「今日は幸介君は来ないんですかね?」


 夕菜はお茶を飲みながら何食わぬ顔で尋ねた。


「今日は多分来ないと思いますよ」

「そうですか」


 少し残念な気持ちになった。


「幸介君のこと、好きなんですか?」


 留美が隣にポンと腰を下ろした。にこにこと笑顔をこちらに向けている。


「あ、いえ……気になっては、います……」


 俯きながら答える。若干頬が熱い。


「そうなんですか。モテますからね、幸介君」

「やっぱりそうなんですか」

「はい。みんな彼のこと大好きですから。玲菜ちゃんも好きみたいですし」


 留美はにこにこと笑顔を向けた。


 彼が好かれているのは見ていればわかる。子供たちも、いつも嬉しそうに彼に接している。


「あの、このことは玲菜には……」

「言いませんよ。でも姉妹でライバルなんて、まるで……」


 楽しそうに話していた留美は、ハッと口を噤んだ。


「あっ……いえ、何でもないです」


 少し前にもこんなことがあった。彼女は口を滑らせやすい人なのかもしれない。


「あの、留美さん。前に幸介君と仲の良い女の子の話をしてましたよね?」

「え、はい……」

「確か、なっちゃんって名前の……」


 留美は少し戸惑ったようだが、気持ちを落ち着けるかのようにお茶のストローを口に含ませた。


「えっと、そのことを忘れて貰うことは……」

「え、何でですか?」

「あ、いえ、別に……」


 何やら言いづらそうな様子だ。


「あの、私、幸介君のことをもう少し知りたくて……」


 いつもなら人が言いたくなさそうなことを深くは訊かない。こんなに他人のことを知りたいと思ったのは初めてだと思う。


「そうなんですか……でも幸介君のことは、知れば知るほど後悔するかもしれませんよ」

「……何故ですか?」


 恐る恐る尋ねる。


「幸介君のことを知ると、距離を感じてしまうと思います……夕菜ちゃんが思っているより、彼はあまりにも遠くにいますから……」


 以前、美優に聞いたようなセリフだ。彼女は住む世界が違うと言っていた。やはりまだ夕菜は彼のことを全然知らないらしい。


 しかし彼への興味を消すことは出来ないし、余計に知りたくもなる。


「何でもいいので教えて貰えませんか……? 幸介君のこと」


 迷惑だったかな、と思ったが、とりあえず留美の次の言葉を待つ。


「……じゃあ、幸介君が今いる場所を教えましょうか?」


 留美は少し困ったように微笑んだ。


「どこかに出かけてるんですか?」

「はい。そこへ行けば、ほんの少しだけ、彼のことがわかるかもしれないです」


 ほんの少しだけだとしても彼のことを知りたいが、彼女の躊躇うような言い方が若干気になる。


「どこにいるんですか……?」


 彼に会いに行くかどうかはともかく、彼が現在何をしているのかを聞こうと思った。


「近くの墓地です」


 留美が答えたのは、意外な場所だった。


「……そんなところで、何を?」


 留美はソファに背中を預け、少し俯く。


「多分……好きな女の子にプロポーズ、です」

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