ほんの少しだけ?

 夕菜が施設を出て、留美に聞いた通りに住宅地を十五分程歩くと、石段を登った先にその場所はあった。


 周りを木々が囲んでいるだだっ広い敷地。一面に大小様々な墓石が並んでいる。


 少し離れたところに、一つの墓石の前に腰を下ろしている黒髪の少年の後ろ姿を見つけた。


 何となく声を掛けるのが躊躇われたので、静かに彼の背中へ近付いていく。


 残り十メートル程の距離まで近付くと、何やら話し声が聴こえてきた。


 思わず近くにあった墓石に身を隠す。墓石は高さ二メートルはある大きなものなので、夕菜の体はすっぽりと隠れた。


 耳を済ますが、聴こえてくるのは幸介の声だけだ。


 恐る恐る覗く。


 彼はあぐらをかいて座り、墓石に語り掛けていた。


「あ、そうそう。沙也加がもうめちゃくちゃ人気女優なんだ。お前といっぱい練習したから、演技が上手くなったんだろうな……何かお母さん世代にも人気があるし、小学生の女の子も沙也加のことを好きだって言ってたんだ。俺の教室に来たときなんか、男たちが大騒ぎだったよ」


 何となく出て行くことが出来ず、幸介が話す声を夕菜は黙って聞き続ける。


「秋人も相変わらずだよ。成績はいつもトップでスポーツ万能で、やっぱり女にもモテまくってるんだ。この前も登校途中に女の子に手紙なんか貰ってたし、ほんとムカつく奴。でも、全然特定の恋人は作らないんだ……」


 幸介は少しの間黙って俯いていた。


 彼はしばらくしてまた顔を上げると、ぽつぽつと話し始めた。


「カレンのことは前にも話したよな。あいつ、同じ学校に編入してきたんだ。いきなり思いっきり殴られたよ。めちゃ痛かったし……俺が勝手にこっちに帰ってきたから怒ってたんだ。でももう許してくれた。今は学校に友達も出来たみたいで、楽しそうにしてるよ」


 まるで久しぶりに会った友人に近況を話しているかのようだ。


「俺も何人か友達が出来たんだ。亮太と愛梨と夕菜っていうんだけど、みんないいやつなんだ。亮太たちは施設にも遊びに来てくれて、子供たちも嬉しそうにしてる。子供たちは、あの道場で一生懸命剣を習ってるんだ」


 またしばらく沈黙が訪れた。聴こえるのは風の音だけ。まだ彼の会話は続く。


「夕菜は俺が昼飯がなくて困ってるときに、弁当をくれようとしたんだ。卵焼きを一つ貰ったけど、美味しかった……夕菜のお母さんも美人で優しくて、妹の玲菜も可愛いんだ。家族思いでいい子なんだ。二人とも、沙也加のこと大好きなんだって」


 夕菜や家族のことを話しているので、何となく照れ臭い。


「この前、夕菜のお母さんの誕生日を一緒に祝ったんだ。玲菜も一緒にプレゼントを買いに行って、俺もお母さんに花束をあげたら喜んでくれたんだ……お母さんが『また来てね』って言ってくれて、嬉しかったんだ……」


 何となく聞いていられなくなってきた。この場を離れた方がいいかもしれない。


「玲菜は、お前と同じことを言うんだ。俺と、結婚するって……」


 幸介は膝を抱え、静かに俯いた。


「ほんとは、みんな守りたいんだ……お前のことも、守りたかったんだ……」


 彼は弱々しく嘆く。


「奈津……会いたい……」


 彼は絞り出すような声で言う。


「……声が、聞きたい……お前の笑った顔が、見たい…………」


 悲しげな声で願う。


「なあ、奈津……あのときは、あと何年あるんだ、なんて……思ったけど……俺、あと一年で結婚出来る年になるんだ……そしたら……」


 いつの間にか、夕菜の頬は涙で濡れていた。


 音を立てないよう、静かにその場を離れる。歩く足取りは重い。


 留美の言う通り、本当に知らない方が良かったかもしれない。


 彼が大切な人を亡くしたこと。その悲しみが風化していないこと。その人の死を受け入れられていないこと。今でもその人を大切に想っていること。


 彼が最後に言おうとした言葉はプロポーズの言葉だ。亡くなった人へのプロポーズだ。


 彼が身につけていた婚約指輪のネックレスは、小学生の子供が買ったようなおもちゃの指輪だった。間違いなくその子に渡すはずだったものだ。


 美優の言葉を思い出す。彼の好きな人が、沙也加なのではないかと訊いたときの答えだ。


『……だったら、まだいいんですけどね』


 美優は寂しそうな表情でそう言った。


 彼の好きな人はもうこの世にいない人だった。美優の言った言葉の意味がわかった。


 美優は彼のことを好きだと言った。亡くなった人を想い続ける、彼のことを。


 美優はどんな気持ちで彼と一緒にいて、彼と接しているのだろうか。彼の方もどんな気持ちで日々過ごしているのか想像もつかない。


 彼はいつもクラスメイトたちに明るく振る舞っている。それは夕菜が以前感じたように、やはり演技のようなものなのだと思う。心の内を隠すためだけではなく、クラスメイトと壁を作り、深く関わらないための演技だ。


 彼は亮太や愛梨、そして夕菜のことを友達だと言っていたが、本当は友人などを作る気がなかったのかもしれない。


 何があったのかは分からないが、彼は自分が大切な人を守れなかったと思っている。守れないから大切な人を作りたくない。だから深く関わらない。深く関わると大切なものになってしまうから。彼が優しいから。



 夕菜は俯きながら、とぼとぼと石段を降りた。



「あれ、佐原さん?」


 石段を下の方まで降りると、突然声を掛けられた。


 顔を上げると、そこにいたのは沙也加と秋人だった。二人は驚いたような表情でこちらを見ている。


「沙也加さん……秋人君……」


 夕菜は思わずまだ残る涙の跡を手で拭う。


「夕菜ちゃん、何でここに?」

「場所は、留美さんに聞いて……事情は、聞いてないですけど……」

「そっか。幸介は、まだ話してる?」

「……はい」


 沙也加が少し微笑みながら尋ねてきたが、夕菜は笑うことが出来なかった。


 夕菜が泣いていたことに気付いたらしく、二人は少し困ったような表情でこちらを見ている。夕菜が彼の話を聞いてしまったことを、二人は察したのだと思う。


「じゃあもう少し散歩しよっか」

「ああ、いいけど」

「夕菜ちゃんも来る?」

「あ……はい」


 思わずそう答えた。


 沙也加が道なりに歩き始め、夕菜と秋人は静かについて行く。


 のどかな住宅地をゆっくりと歩いていると、沙也加が振り向いた。


「夕菜ちゃん、色々ありがとね」

「えっ、何がですか……?」

「幸介とも、施設の子供たちとも仲良くしてくれて」

「いえ、それは好きでやってることなので……」

「そっか」


 沙也加はにこっと微笑んだ。


「あの……あれって、誰の……お墓なんですか……?」


 恐る恐る尋ねた。


 彼が話していた相手のことがどうしても気になってしまった。


 少し間が空いた後、沙也加が口を開く。


「あれは幸介の恋人で……私の妹。平峰奈津のお墓なの」

「……」


 沙也加の亡くなった妹である奈津は、幸介の恋人だった。


 以前、幸介は沙也加と姉弟みたいなものだと言っていた。彼が沙也加の妹である奈津と、本気で結婚するつもりだったからだろう。


「奈津はね、幸介のことが大好きだったの。もちろん幸介も。二人はいつも一緒に居て、将来もずっと一緒にいるつもりだったと思う」


 思わず俯く。


 秋人も俯いたまま、静かに歩いている。


「で、玲菜ちゃんはね、奈津に少し似てるの」

「……そう、だったんですか」

「うん」


 彼は玲菜に恋人の面影を重ねていたのかもしれない。それを悪いことだとは思わないし、責めるつもりもない。


「……どうして、亡くなったんですか?」


 沙也加は黙り込んだ。


 秋人も黙ったまま歩き続けている。


 事故? 病気? もしかすると言いたくないことなのかもしれない。そう思い、尋ねてしまったことを少し後悔した。


「私の、せいなの……」

「え……?」


 思わず訊き返す。


「私が、幸介の言うことを聞かなかったせいで、奈津が死んだの……」


 沙也加は表情なく答える。


 夕菜が尋ねたこととは違う見解の答えだった。どんな事情かは分からないが、重過ぎる答えだ。


「……だからね……私はもう、幸介には逆らわないの」


 沙也加は立ち止まり、両手で顔を覆う。


「沙也加さん……」


 それ以上、掛ける言葉が見つからない。何があったのか見当もつかない。でも、もう何も訊けない。


「違う……沙也加さんのせいじゃないよ」

「でも、幸介はもう……未来を見てない。私が、奈津の未来も、幸介の未来も奪ったの……」


 秋人が宥めるが、沙也加がすすり泣く。


「……沙也加さんのせいじゃないよ。それを言うなら俺のせいだ……」


 秋人は沙也加をゆっくりと抱き寄せ、頭を優しく撫でると、沙也加は秋人の胸に顔を埋め、声を押し殺す。


 駄目だ。もうこれ以上は本当に聞いていられない。彼らの中に自分は居てはいけないのだ。


「秋人君。私、帰るね……」

「……ああ。ごめんね」


 沙也加から少し離れ、秋人は申し訳なさそうに微笑んだ。沙也加は俯いたまま。表情は見えない。


「うん……」


 夕菜は静かにその場を後にした。


 今日、施設を訪れたときとは、比べ物にならないくらい気分が暗く、重い。


 とぼとぼと歩きながら、留美が言ったことを思い出す。


『そこへ行けば、ほんの少しだけ、彼のことがわかるかもしれないです』


(これが……ほんの少しだけ……?)


 もう、彼のことを気軽に知りたいとは言えない。出てきたのは、知るのが怖いという気持ちだ。


 彼はあまりにも遠くにいる。住む世界が違う。


 彼女たちの言葉が、頭から離れない。

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