大好きだった少女

……

……



 とある小さな公園。


 私がまだ七、八歳くらいのときだ。


「真っ白の猫ちゃんだー。可愛い!」

「おー本当だ。てかてっぺんの毛、ちょっと金色じゃん」


 目の前にはまだ幼い少年と少女。同い年か少し下くらいかもしれない。


 少年は細身で黒髪に黒い瞳。少女はショートの茶髪でぱっちりとした大きな目が印象的だ。


「ほんとだー。綺麗」


 少女は満面の笑みで私の頭を撫でる。


 私もそれが心地良かったので、ごろごろと彼女に擦り寄った。


「でも何でこいつ全然逃げないの?」


 少年も不思議そうな表情で私を撫でる。


 私は変身の魔術だけは得意で、何故か今は猫に変身するのがマイブームだ。


 今日も猫に変身し、うろうろと散歩をしていた。そしてこの公園に差し掛かったところで、二人に出会った。


 私は彼らの悪意のない笑顔に、何となく懐いた。


「幸ちゃん、この猫ちゃん飼おう!」

「マジ? でも誰かの飼い猫じゃないの? めちゃ人懐っこいじゃん」

「そっかあ。そうだよね」


 少女はしゅんと残念そうな表情になった。

 

「じゃあとにかく明日ご飯でも持って来てみるか?」

「うん!」



 次の日、私はまた二人に会いに公園へやって来た。


 しばらくはゲートを開くことができないので元の世界へ帰れないし、何故か彼らに興味が出たのだ。


「はいっ。猫ちゃん、これ食べて」


 公園へやってきた少女は、一つのコッペパンを私の目の前に差し出した。お昼の給食を残したらしい。


 私はそれをむしゃむしゃと食べた。


「猫ってパンとか食うんだな」

「猫ちゃん、牛乳も飲む?」


 少女がにこっと私に微笑みかける。


 本物の猫の食事についてはよく知らないが、私は猫の姿でも人間の食べ物なら大体食べられる。


「どうやって飲ませるの? お皿とかないし」

「抱っこして直接飲ませよう! 猫ちゃん、おいでー」


 私は素直に少女に近付いた。


 彼女は私を抱きかかえてベンチへ腰かけ、ちびちびと少しずつ牛乳を私の口に流し込んだ。


「奈津、俺にもちょっとやらせて」

「うん。ゆっくりだよ、幸ちゃん」

「わかってるよ」


 今度は少年の方が私を抱く。そして少女に言われた通り、優しくゆっくりと牛乳を飲ませてくれた。


 その温もりがとても心地良く、私は毎日猫に変身して公園へ行った。


 二人も毎日食べ物を持って来てくれた。


 ある日、二人はとても綺麗な少女と一緒に公園へ来た。


「見て、お姉ちゃん。この猫ちゃん毎日ここに来るの」


 二人と一緒に来たのは、少女の姉だった。


 少女が私の頭を撫でると、それに習って彼女の姉も私を優しく撫でてくれた。


「可愛いー。パンだけじゃなくて、何かご飯を持ってきてあげよっか?」


 少女の姉は笑顔で言う。


「待て沙也加。お前の飯なんか食わせたら、この猫死ぬかもしれないぞ」

「殴るわよ!?」


 黒髪の少年と綺麗な少女はよく喧嘩をしていたが、私には三人共、とても仲が良さそうに見えた。



 数日後。


 いつものように猫に変身したまま、私はうろうろと街中を散歩していた。


 しばらく歩き、工事中の建物のそばを通りかかったときのことだ。


 ふと、前方に少女の姿が目に入った。少年の姿は見えず、彼女は一人のようだ。公園に行く途中なのかもしれない。


 彼女は何やら必死な表情でこちらへ走ってきた。


「猫ちゃん、危ない!」


 少女は駆け寄ってくると、私の上に覆い被さった。


 直後、ガラガラと何かが倒れてくる音が聞こえた。


 彼女の懐から抜け出し、恐る恐る状況を確認する。


 目の前には頭から血を流し、倒れたままピクリとも動かない少女。手足にも傷が見られ、血が滲みでている。


 そばには鉄の板や棒が散らばり、円柱状のものがカラカラと転がっている。


 私の不注意のせいで少女が大怪我をしてしまったのだ。場合によっては、彼女は死んでしまうかもしれない。


 私は急いで変身を解いて元の姿に戻った。


「本当にごめんね。私のせいで」


 そう言って、倒れたままの少女に手を添えた。


 私は回復魔術を使えない。魔術で彼女の怪我を治してあげることはできない。


 何とかしようと必死に考え、思い出したのは、昔、森の中で小さな子供を抱えて倒れていた女性に、母親が自分の血を飲ませていたことだ。その後、女性は息を吹き返していた。


 私は風系の弱い魔術を右手にナイフのように発生させ、左手の親指を少しだけ切った。親指から血が出てきて、ぽたっと落ちた。


 末っ子で落ちこぼれの私も一応ブラッディマリー家の娘だ。私にも魔女の血が流れている。


 母親からはあまり他人に血をあげては駄目だと言われているけど、この子は私に優しくしてくれたし、もう私にとって大切な友達だ。


「お願い、治って」


 私は少女を仰向けに寝かせると、願いを込めながら、親指から流れる血を少女の口の中へと流し込んだ。


 数十秒後。


「……ぅ」


 少女は意識を取り戻した。そして、ゆっくりと目を開ける。


「あれ……? 私、猫ちゃんを庇って……」


 頭の怪我も負傷していた手足も綺麗に塞がっており、彼女は無事なようだ。


「良かった。怪我は治ったみたいね」

「……えっと、あなたは?」


 少女は体を起こし、怪訝な表情で尋ねてきた。


「私はユイリス。魔女なの」

「え? 魔女?」

「うん。ずっと猫に変身してたの」


 彼女が驚くのも当然だ。この世界には、どうやら魔術というものがないらしいのだ。


「うそっ……」

「本当だよ。いつも優しくしてくれてありがとう。でも、私のことは誰にも言わないで」


 一応口止めしておいた。魔女や魔術の存在は、この世界の人々にはあまり知られない方がいいと思った。


「うん。わかった」


 少女はにこっと笑顔で答えた。


「それともう一つ」

「何?」

「私、牛乳よりトマトジュースの方が好きなの」



……

……



 目を覚ました唯はゆっくりと体を起こした。どうやらリビングのソファで居眠りをしてしまっていたらしい。


 周りにはいつものように子供たちがわいわいとボードゲームなどで遊んでいる。


 ぼーっとしながら、三年ほど前のことを思い返す。


 エルドラードとの戦いの最中、ある日、最前線で戦闘に出た幸介は敵に銃で撃たれ、重傷を負ったことがある。


 リアが魔術で治療し、怪我は完全に治ったのだが、彼はしばらく目を覚まさなかった。


 何時間も経った後、彼は目を覚ました。そして同時に、失っていた記憶を取り戻していた。


『ぐああああ! 奈津! 奈津……!』


 彼が最初に叫んだのは、あの少女の名前だった。


『沙也加! 沙也加はどこだ!? 秋人は……!?』


 彼は目から涙を溢れさせ、尋常ではない様子だった。そばにいたみんながとても心配したのを覚えている。


 後で、幼馴染みである奈津という少女が亡くなったことを聞いた。



 当時の記憶と、先ほど見た夢を照らし合わせる。


「そういうことか……」


 ポツリと呟く。


 あの少女の名前は奈津。そして彼女がいつも一緒にいた少年は、自分が最も慕っている人だった。


 そして理解した。あの少女が亡くなっていること。彼がこの世界で、誰のために何をしようとしているのかを。


 彼は母親の復讐のために国さえ滅ぼした男だ。今回も必ずやり遂げる。


(あの子、もういないんだ……)


 彼女の笑顔を思い出し、涙が流れる。


 先程、彼と一緒に施設へきた玲菜という名前の少女。彼女の笑顔に似ていたのは、自分が大好きだった少女の笑顔だった。

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