あり得ないじゃん

「幸介さん、またその女を連れて来たんですね。それにそこのべったりとくっついている子供はなんなんですか?」


 夕菜たちの目の前には、腕を組み、むすっとした表情で威嚇する黒髪の女子小学生の姿があった。


 玲菜を迎えに行った後、三人で施設へやって来たのだが、家の中に入ろうと玄関を開けた先に彼女が立っていたのだ。


「……唯。何か黒いオーラが見えるぞ」

「こうすけ。この子、誰?」


 玲菜が幸介にしがみついたまま、彼を見上げて尋ねる。


「この子は唯。で、こっちは玲菜だ」


 幸介がそれぞれを紹介すると、唯は何かに気付いたようにむっと顔を顰めた。


「玲菜? 確か先日、和也さんとその子の話をしてましたよね? 幸介さんとデートに行くとか何とか」

「そうだよ。こうすけは玲菜の恋人なんだから」


 玲菜はさらに強く彼にしがみつき、唯と敵対する姿勢を見せた。二人の小学生の間にばちばちと火花が見える。


 唯はクスっと笑った。


「ふっ。幸介さんがあんたみたいな子供と恋人なわけないじゃん。あんたはそこらへんの小僧と恋人ごっこでもしていればいいのよ」


 そう言う彼女も玲菜と一つしか年が違わない子供だ。しかし唯はまるであざ笑うかのように玲菜を見下ろしている。


「こらこら、何てこと言うんだ。玲菜が泣くだろが」

「うえーん」

「ほら」

「幸介さん目を覚ましてください。それは嘘泣きです!」


 唯は玲菜をビシッと指差して指摘すると、玲菜はうっすらと涙を浮かべながら、すがるように彼を見上げる。


「玲菜、いつの間にそんな技を……」


 夕菜から見ても嘘泣きなので唖然となった。


「唯、一旦落ち着け。とりあえず中へ入ろう」

「じゃあ落ち着くので抱っこしてください……」


 唯は甘えるように、上目遣いで彼を見る。


「いいよ。おいで」

「……はい」


 唯が頬を赤く染めながらゆっくりと近付いてくると、幸介はひょいと彼女を抱きかかえた。


 先日と同じく、唯は顔を真っ赤にして借りて来た猫のように大人しくなった。相変わらず彼は子供に甘い。


「お前一人しかいないの?」

「今はそうです……」


 彼は唯を抱えたまま靴を脱ぎ、リビングへと向かった。


「私たちも入ろっか」

「むぅ。こうすけ、玲菜も抱っこ」


 やはり妹は対抗した。彼女は素早く靴を脱ぎ、二人の後を追いかけて行く。


 二人の子供のパワーについていけず、夕菜は「はあ」と溜め息を吐きながら後からリビングへ入った。


「唯、お茶を入れて来て」

「はーい」


 幸介が唯を下ろすと、彼女は素直に返事をして、とことことキッチンの方へ歩いて行った。彼女の頬がほんのりと赤く染まっており、満足げに緩んでいるのが見える。



 唯が離れた隙に玲菜はランドセルを放り出し、「玲菜も抱っこ」と彼に上目遣いでねだっている。幸介は「しょうがないな」と彼女を抱きかかえ、ソファに座った。


 玲菜はすでに小学三年生なので、普段ならそんなことを言わない。彼に会えたこの機会に目一杯甘えようとしているのかもしれない。唯に対しての対抗意識もあるようだ。


 幸介に抱きかかえられた玲菜は嬉しそうに頬を赤く染めている。


「ねえ、何なのあんた。モテモテじゃん」


 夕菜は持っていた鞄を適当に置き、幸介の右隣にぽんと腰を下ろした。


「そう?」

「だって、あんたを巡ってこの子たちが争ってるし」

「マジか? 玲菜」


 幸介が僅かに玲菜を体から離して彼女の顔を覗き込む。


「うん。玲菜が勝つからね」

「おっ、可愛いなあ。頑張れ」

「うん」


 彼が「よしよし」と玲菜の頭を撫でると、玲菜は嬉しそうに微笑んだ。


 唯と玲菜の対立が起こる予感はしていたのだが、何だかんだで二人とも彼に甘えており、そんな光景を見ていると少し羨ましく思った。


 夕菜はこの争いには割って入れない。大人げないというのもあるし、そもそも彼女たちのように素直になれない。


 嬉しそうに笑う妹を見ていると、幸介がその視線に気付いた。


「何? お前も抱っこして欲しいの?」

「うん」


 幸介が笑顔を向けて尋ねてきたので、思わずそう答えた。彼は夕菜の答えが予想外だったのか「え?」ときょとんとしている。


「あ、えっとね……」


(何言ってんの私!? 彼に抱っこしてもらう!? あり得ないじゃん!)


 顔が熱くなった。口走ってしまったことを少し後悔した。しかしこうなったらいっそのこと、このまま彼女たちに便乗してみてもいいかもしれない。


「……」


 夕菜は躊躇いながらも彼の肩に顔を近付けた。


 もう少しで触れそうになったところで、後ろから唯の声が飛んできた。


「ちょっとあんた! 何また幸介さんにべたべたしてるのよ!?」


 ピタッと思い留まり、声の方へ振り返る。


 唯は近付いてくると、お茶を三人分とトマトジュースを一缶乗せたお盆をテーブルに置いた。


「玲菜はこうすけの恋人だからいいもん」

「違うって言ってるでしょ!?」


 唯は夕菜と幸介の間に無理矢理割り込んでソファに腰を下ろすと、「はい」と彼にお茶のグラスを渡した。


「おー、サンキュー」


 幸介が唯の頭を撫でると、彼女は嬉しそうに微笑む。


 玲菜は「むぅ」と唯を睨んだが、すぐに何か思い出したような表情になった。


「あ、そう言えば、お父さんが玲菜とこうすけの結婚を認めてくれるって」

「「へ……?」」


 幸介と唯が唖然と玲菜を見る。


「……マジ?」

「うん」


 幸介が訊き返すと、玲菜がにこっと笑う。


「何で? 夕菜、何か知ってる?」

「あんたが玲菜のこと助けてくれたからそうなったのよ……」

「そ、そうか」


 どうやら彼も戸惑っているらしい。小学生の親からの結婚の承諾だ。彼にとっても予想外なのだろう。


「何言ってるんですか!? そんなの私が認めませんよ!」

「まあまあ。ちょっと落ち着けって」

「落ち着いてられません!」


 抗議する唯を幸介が宥めるが、彼女は当然引く気配がないようだ。


「唯、大人しくしてたら今度何でも一つ言うことを聞いてやろう」

「えっ……!? ほんとですか?」

「ああ」

「そ、それなら今日のところは大人しくしておきます」


 唯はちょこんと座り直し、頬を赤く染めて俯いた。そして頬を両手で抑え、ぶつぶつと小声で言い始めた。


「や、やったあ……これで既成事実でも作ってしまえば……何なら書類にハンコも押してもらえばこの子のお父さんなんか関係なく……」


 小学生の口から恐ろしい発言が聞こえたような気がした。


「なあ唯、みんなはまだ帰って来ないの?」

「えっ、そ、そうですね。まだみんなどこかで遊んでるんだと思います。あと、巧海さんが保育園に鈴を迎えに行ってるみたいです。さっきメールが来ました」


 巧海は留美の弟で、留美と同じく柴崎家の使用人らしい。


「みんなって?」


 玲菜が尋ねた。


「ここにはお前と同じくらいの年の子供たちが暮らしてるんだ。全部で七人かな」

「えー! 楽しそう!」


 玲菜はきらきらと瞳を輝かせた。


 先日、子供たちは夕菜から見ても楽しそうに見えた。虐待をされていたらしい彼らは、ここで暮らすことが出来て本当に良かったと思う。


「だろ? で、外にある道場でみんな剣を習ってるんだ」

「そうなの!? じゃあ玲菜も来ていい?」

「ああ。いつでも来ていいぞ。俺もよく来るし」

「やったあ」


 玲菜は嬉しそうにしているが、唯は「え、マジ?」と嫌そうに玲菜を見る。


 玲菜は相変わらず剣に興味があるようだ。沙也加に憧れているらしい。


 先日、子供たちは和也から剣を教わっており、彼が来ない日にもそれぞれ自主練などをしているそうだ。


 ちなみに唯は剣には興味がないらしい。彼女の言動は子供にしては変に大人っぽいと思う。

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