本気で貰いに来たら

 夕菜はベッドにうつ伏せになって寝転がりながら、また幸介のことを考えていた。


「はあ……」


 静かな部屋を眺めながら、溜め息が漏れる。


(あいつには好きな人がいる……?)


 もちろん、彼が軽口で言うような愛情表現とは違う、本当の想い人だろう。その相手が自分である可能性はほぼない。


「沙也加さんには勝てない」と、美優が言っていた。そして、さらに沙也加とは別に、彼には好きな相手がいるのだ。


 それを聞いて、思いのほかショックを受けている自分に気づいた。


 夕菜が気落ちするくらいだ。自分以上に彼のことを想っているはずの美優は、どんな気持ちなのだろうと思う。


 一つの物が思い浮かぶ。

 それは、彼がいつも身に着けているらしい婚約指輪のネックレス。秋人が言う通り、好きな女の子に渡すものに違いない。

 ただ、それを普段から身に着けている理由は分からない。


 それに、彼に好きな相手がいるということ以外にも、美優は散々気になることを言っていた。


 そのうちの一つが、「彼とは住む世界が違う」ということ。

 どういう意味なのかは分からないが、美優の言う通り、自分はまだ彼について知らないことが多いのかもしれない。


「お姉ちゃん、ご飯だよー」


 自分を呼ぶ玲菜の声が聞こえる。


「はーい」


 部屋を出て、階段を降り、ダイニングの扉を開ける。


 そのままテーブルの席につくと、「いただきます」と言って食べ始めた。


 父親はまだ帰ってきておらず、今日も玲菜と母親の三人での夕食だ。おかずは玲菜の好きなハンバーグ。


「お姉ちゃん、こうすけに会いたい」


 会話の途中、隣で食べていた玲菜が突然そんなことを言った。


 ここにももう一人、彼に好意を抱いている女の子がいることを思い出した。


「あー、幸介君もあんたに会いたいって言ってたわよ」

「ほんと?」

「うん。だから今度会わせてあげるわ」

「やった」


 玲菜はにっこりと笑顔になった。嬉しそうに笑う妹は、子供ながらに本当に彼のことを好きなのだろう。


 そんな玲菜に、母親が微笑みながら尋ねる。


「ねえ、玲菜は何でそんなに幸介君のことが好きなの?」

「あ、それ私も気になってたわ」


 夕菜が剣道の試合を見に行ったとき、何故か幸介と一緒にいた玲菜はすでに彼に懐いており、その後はずっと仲良さそうにしていた。


「だって、こうすけは玲菜のこと、助けてくれたんだもん」

「「え……?」」


 笑顔で言う玲菜を見て、母親と同時に驚く。


「えっと、幸介君が助けてくれたって、どういうこと?」


 夕菜がご飯を口に入れるのを止めて訊き返す。


「玲菜が車にひかれそうになって、そしたらこうすけが走って来て、助けてくれたの」

「え!? そうだったの!?」


 そんな話は、彼からも一言も聞いていなかった。

 母親も唖然としている。


「うん。こうすけが来てくれなかったら、ほんとに危なかった」


 あの日、玲菜が信号を見ずにぼーっとしながら道路を横断しようとしたところへ、スピードを出した車が走ってきた。そこへ彼が走ってきて、玲菜を抱えて飛び退けたらしい。


 まるでどこかのヒーローみたいだ。


「怪我はなかったのよね……!?」


 母親が焦りながら尋ねる。


「うん。大丈夫だったよ」

「そう……それなら、本当に良かったわ」


 飛び退けた後も、彼が玲菜を抱えて地面を転がったので、彼女はかすり傷一つなかったそうだ。


「……玲菜、ちゃんと気をつけなきゃ駄目じゃない」

「うん……こうすけにも、そう言われた」


 夕菜が静かに言うと、玲菜は少ししょんぼりとしながら答えた。


「幸介君にお礼言わないと……」

「そうね……私が明日学校で言っとくわ」


 今の今まで知らなかったとは言え、彼に礼の一つも言っていないことに、若干申し訳ない気持ちがある。

 母親も先日、何も知らずに彼と過ごしていたため、同じ気持ちだろう。


「玲菜はちゃんとお礼言ったの?」


 母親が尋ねる。


「ちゃんと言ったよ。そしたら、『可愛い女の子の味方だから気にすんな』って」


 玲菜は食べる箸を止め、少し頬を赤く染めながら答えた。


 何事もなかったように済ます彼の一言が、とても優しく感じた。


(ていうか、何であいつはさりげなく口説いてんの!? 小学生を!)


 彼にはそんなつもりはないのかもしれないが、何故かそう聞こえる。


「ヤバいわよ、夕菜。玲菜が本気かもしれないわ」

「うん……そうね」


 母親が冷やかしてきたので、適当に流す。


 その後もくだらない会話を続け、夕菜が食べ終える頃、玄関の扉が開く音が聞こえた。


「ただいま」


 父親の声だ。今日は普段よりは帰ってくるのが早い。


 母親がダイニングの扉を開け、玄関へ出迎えに行った。


 しばらくすると、父親がネクタイを緩めながらダイニングに入って来た。その後に母親も続く。


「お父さん、お帰りなさい」


 夕菜に続いて、玲菜も「お帰りなさい!」と、嬉しそうに言う。


「おう、ただいま」


 父親の名前は佐原健流。無精ひげを生やした渋い中年男だ。警視庁の警部で、仕事が忙しいため普段は帰宅するのが遅い。


「今日は早かったのね」

「ああ。そりゃたまにはな」


 父親は夕菜にそう答えると、上着を脱ぎ、リビングに移動してぐったりとソファに腰掛ける。


「夕菜、食べ終わったのならお風呂入っちゃって」


 母親に言われ、「はーい」と答えて風呂場へ向かう。


 入浴中、また彼のことを考えた。


 そういえば、美優が父親のことを尋ねてきたことを思い出した。


 風呂から出ると寝間着に着替え、ドライヤーで髪を乾かす。


 リビングへ行くと、ソファで父親と玲菜が仲良く並び、テレビを見ていた。

 父親は早く帰宅したからか、缶ビールを飲みながら、普段よりゆっくりと過ごしている。


「ねえ、お父さん、奥山君っていう高校生の男の子なんて知らないわよね?」


 父親は「奥山? んー」と少し考えるような素振りを見せ、


「そんな子は知らないけど、その子がどうしたんだ?」


 やはり彼のことを知らないらしい。


「いや……知らないなら別にいいんだけど」


 そこへ母親が、作ったおつまみを乗せた小皿を持って近付いてきた。


「夕菜の気になる子なのよね」

「何!?」


 微笑みながら茶化すように言う母親と驚愕する父親を見て、夕菜は頭を抑える。


「違うよ! こうすけは玲菜の恋人だから」

「は!?」


 父親は、今度は玲菜に驚愕の目を向ける。


「玲菜もその子のことが好きみたいなの」


 母親はそう言いながら、持っていた小皿をテーブルに置く。


「待て待て! さすがに玲菜にはまだ早いだろ!」

「だよねー。でも、玲菜はその子と結婚するんだって」

「ま、まじか……」


 母親の言葉を聞いて、父親は愕然とした表情で再び玲菜を見る。

 玲菜は頬を赤く染めながら、「うん」とにっこり笑った。


「まあまあ。いいじゃない? 何か可愛いし」

「どこの馬の骨かわからんようなやつに娘はやれん!」


 テンプレのようなセリフを吐く父、健流。

 母親もどことなく呆れている。


「この前ちょっとだけうちに来たけど、いい子だったわよ」

「うちに来たのか!?」

「うん。私の誕生日だって聞いてプレゼントを持ってきてくれたの」


 若干興奮気味の父親に対して、母親はほのぼのと笑顔で答える。


「なんだそりゃ! いつの間にそんなことに……!」


 父親からすればそう思うのもわかる。知らないうちに小学生の娘に恋人らしい男ができ、家にきて母親とも親しくなっているのだ。


「それに、彼は命懸けで玲菜を助けてくれたのよ」


 母親は玲菜が彼に命を救われたことを話した。


「そう、だったのか……」

「うん。私もさっき聞いたんだけどね。だから、玲菜が好きになるのも仕方がないわ」


 母親がそう言ってまた微笑むと、それを聞いた父親の表情が悩ましげなものに変わる。


「……わかった。もし、そいつが本気で玲菜を貰いに来たら……認める」

「は!? 何言ってんの!?」


 夕菜は思わず父親に訊き返す。

 玲菜は「やったー」と嬉しそうにしている。


「玲菜の命を助けてくれたんだ……仕方がない」

「いや、そうだけど……」


 父親はうっすらと涙を浮かべている。

 玲菜の命が助かったからか、もしくは娘が嫁に行く父親の心境なのか、今回はおそらく後者だと思う。


「ぷっ。玲菜はまだ小学生なんだから、そんなに真面目に考えなくていいわよ」


 父親の言動が可笑しいのか、夕菜の隣で母親がクスクスと笑う。


「そ、そうか……とにかく、今度うちに来ることがあったら俺にも教えてくれ。礼を言いたい」

「わかったわよ……」


 夕菜はそう答えたが、何となく腑に落ちない。


「で、夕菜は何でお父さんに彼のことを訊いたの?」

「え、いや、別に……もう部屋に行くわ」


 尋ねてきた母親にそう答え、リビングを出た。


 階段を上がって奥にある自室に入り、ベッドに倒れ込む。


 先程の父親の言葉には驚いた。


 確かに父親の気持ちも分かる。彼は玲菜の命を助けてくれたのだ。母親も彼の人柄を信頼しているし、玲菜も彼に好意を持っている。


「私も、あいつに助けられたのに……」


 そんな言葉が、自然と出る。


 しかし、彼が自分を助けてくれた経緯は何となく言いづらいし、今の時点でそんなことを両親に言っても意味はない。

 

 彼には、多分、好きな相手がいるのだ。


 何も知らない妹のことを、羨ましく思った。

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