第3章
あなたのことは聞いてるわよ
児童養護施設『虹色園』。それは、児童虐待による記憶喪失事件の被害者たちの子供が集められた施設だ。
施設の運営者、柴崎小夜は、夕食の後、食べ終えた食器や調理器具を片付けていた。
洋服の上からはエプロンをつけ、明るい髪は邪魔にならないように後ろに束ねている。
子供たちはリビングでテレビを見たりボードゲームをしたりと好きなように遊んでおり、楽しげな声が聞こえる。
夕食の前、唯と鈴以外の子供達は、幸介の後輩である和也から道場で剣を教わっていた。汗をかいているはずなので、全員風呂に入らせないといけない。今は二人の男の子が入浴中だ。
「小夜さん、ジュース飲んでいい?」
一人の女の子がやってきて尋ねた。
子供たちは以前は小夜にも心を開いてくれなかったが、今では随分と懐いてくれている。
「いいわよ。でも飲み過ぎたら駄目だからね」
「はーい」
女の子が冷蔵庫からオレンジジュースを取り出し、二つのグラスに注いでリビングへ持っていく。しかしすぐにまた戻ってきた。
「唯ちゃんもジュース飲みたいって」
「そう。いつものトマトジュース?」
「うん。何で唯ちゃんはトマトジュースばかり飲むんだろ。まずいのに」
少女は顔を顰めながら言う。
「さあ、好きなんだって。でもオレンジジュースよりは身体にいいわよ、多分」
少女は嫌そうに「じゃあ今度飲む……」と言って、トマトジュースを一缶持って戻っていった。
直後、インターホンが鳴った。
ダイニングを出て玄関まで歩き、扉を開ける。
そこには小柄で、長い銀髪をワンサイドテールにした碧眼の美少女が立っていた。
白のパーカーにデニムのショートパンツというラフな格好をしており、パーカーのポケットに両手を突っ込んでいる。
彼女は異世界から来たのだとすぐに分かった。
「こんばんわ。ここはコウスケの家?」
銀髪碧眼の少女はいきなりそう尋ねてきた。
元々の幸介の家はここの隣にあり、すでに空き地になっている。住所を元に訪ねてきたのだとしたら間違えることもあるだろう。
「ここは幸介の家ではないけど……あなたは彼の知り合いなの?」
「そう。コウスケはどこ?」
「今はここには居ないわよ」
小夜がそう答えると、少女は黙ってこちらを見る。彼女は先程から表情が変わらず、感情が読み取りづらい。
そこへ、唯が缶のトマトジュースを持ったまま廊下へ出て来た。
「げっ……」
少女を見た唯はげんなりとした表情になった。
「ユイリス……どうやらここで間違いないみたいね」
「久しぶり、カレン。もう来ちゃったんだ」
唯は玄関へ近付いてきて、うんざりとしたようにそう言った。
「あなたが、カレン……?」
小夜は銀髪の少女を見ながら呟く。
彼女のことは、ある程度幸介から聞いている。
「ユイリス、何故子供の姿に?」
「だって子供の方が幸介さんが優しいし、甘えさせてくれるんだもん。っていうか、あんたこそよく私だってわかったわね」
カレンが尋ねると、唯はしれっと答えた。
「私には弱いけど索敵能力があるから、あなただと分かる」
「そうだったわね」
何故か分からないが、二人の雰囲気が若干険悪な気がする。
唯の本名はユイリス・ブラッディマリー。彼女は異世界から来た魔女の一族の女の子で、幸介とは異世界での仲間だ。
彼女は魔女の血を狙う者に捕まり、無理やり血を抜かれそうだったところを幸介に助けられたことがあるらしい。そのため彼のことを慕っている。何でもブラッディマリー家の血は特別なものなのだそうだ。
彼女は特殊な魔術で常に子供の姿で過ごしている。そのことは小夜以外には秘密にしており、他の子供たちと同じ記憶喪失事件の被害者の娘だということになっている。
小夜は以前から彼女の正体を知っていた。本当の彼女は長い金髪の高校生くらいの少女だ。
三年程前、ユイリスは当時行方不明だと思われていた幸介の遣いだと言って、柴崎家に手紙を持ってきたことがある。「手紙は小夜さんに渡せ」と言われていたらしく、小夜が彼女から手紙を受け取った。
ユイリスは異世界のレムリナというところから来たと言っており、それを最初は信じられなかったが、幸介の手紙と彼女の変身能力を見てそれを信じた。
当時、柴崎家には沙也加が一緒に暮らしていたので、すぐに彼女に幸介の手紙を見せた。そのときの、彼女が大粒の涙を流して泣きじゃくる姿は今でも覚えている。
手紙には、彼の近況やまだ帰れないこと、最近まで記憶を失くしていたこと、そして、沙也加に女優になるようにと書かれていた。
手紙の最後の方には「沙也加の不味い飯は懐かしいけど、ちょっとくらい上達しろよ」と書かれていたので、彼女はムッとなっていた。
それでも余程幸介からの手紙と彼が生存していたことが嬉しかったらしく、彼女は何度も手紙を読み返していた。
その後、沙也加はすぐに芸能事務所へ入り、料理の練習もするようになった。
ユイリスはすぐには帰ることが出来ないと言うので、約一ヶ月間、彼女は柴崎家で過ごした。
「とりあえず入って。二階の部屋で話しましょう」
カレンを招き入れると、彼女は「わかった」と答えて玄関内へ入ってきた。
「唯、あなたはお茶を入れてきて」
「はーい」
唯はダイニングの扉を開け、とことこと入っていった。
小夜はカレンを連れて廊下を歩き、階段へと向かう。子供たちが居るリビングは素通りし、階段を上がって二階の一つの部屋へ入った。
部屋は六畳程の洋室で、ベッドとテーブルが一つずつ置いてある。
カレンをテーブルのそばの座布団に座らせ、自分も向かいに座った。
「私は柴崎小夜。この施設の運営者で、幸介は息子の友人なの。彼のことはだいたい知ってるわ。もちろん向こうの世界にいた頃のこともね」
軽く自己紹介をした。
「私はカレン・ウォルコット。コウスケとはレムリナでずっと一緒に戦ってきた」
カレンは澄ました表情でそう言った。やはり彼女が幸介がよく話していた少女だ。
「あなたのことは幸介から聞いてるわよ。可愛くて、頼りになる女の子だって」
「そう」
カレンは少し嬉しそうに微笑む。
幸介は異世界にいた頃、当初暮らしていた街を別の大国に襲撃された。その結果、街は壊滅。彼を住まわせてくれていた、母親代わりだった女性も亡くなった。
幸介はその後、約三年かけて大国を滅ぼした。
それに最も貢献した、彼の右腕だった少女の名前がカレン・ウォルコットだ。
しかし幸介は彼女には何も言わず、手紙だけを残してこちらの世界へ帰って来てしまったらしい。
「ねえ、あなたも何か特別な能力があるの?」
「うん。まあ、一応」
「どんなの? ちょっと見せてよ」
彼女たちが持つ不思議な能力には純粋に興味がある。
「でも知らない人に簡単に能力を見せるなと、以前コウスケに言われたの」
「幸介や唯の能力のことも知ってるから、隠さなくても大丈夫よ」
カレンは少し考えると、「わかった」と答え、右手を前に出した。
手のひらに銀色の光が発生。そしてすぐに十枚程の米ドル札が現れた。
「わっ、凄い! 何これ?」
「『物質召喚』。イメージが出来れば、離れたところから物を取り出せるの」
「えー、めちゃくちゃ便利じゃない! 何でも出せるの?」
「うん。そんなに大きくなければだけど」
「いいなー! 手ぶらで旅行とか行けるし」
これだけでも、幸介が彼女を右腕に置いていた理由が分かる。
カレンの能力に感動していると、唯が扉を開けて部屋へ入ってきた。グラスに入れたお茶を二つと、新しいトマトジュースを一缶お盆に乗せて持っている。
彼女はお盆をテーブルに置くと、トマトジュースを持ってベッドの上にポンっと腰掛けた。
「っていうかカレン、何でここが分かったの?」
唯はジュースの缶を開けながら尋ねる。
「ユキノさんの家でこの場所を示す書類を見たことがあったから、それを覚えてた」
「へー、さすがね。ここ数ヶ月間どこにいたの?」
「アメリカのニューヨークってところよ。あなたのせいでそこに飛ばされたから」
「いや、それ私のせいじゃないじゃん」
唯は呆れたように言う。
四ヶ月程前、異世界で唯一の『門番』の能力者だった唯は、幸介が手紙で残した指示より早く、こっそりとゲートを開けてこちらの世界へ来ようとした。
それを嗅ぎつけて止めようとしたカレン、そして一緒にいた王女は、閉じる直前にゲートへ入ってしまった。その結果、唯は日本に来られたが、カレンと王女は何故かアメリカへ飛ばされた。
カレンは何とか日本にやって来たが、王女はまだアメリカにいるそうだ。
「あなたはコウスケの指示より早くこの世界へ来ようとした。だからあなたのせい」
カレンの表情はあまり変わらないが、少し怒っているように見える。
「だって幸介さんに会いたかったんだもん! 遅くなるならともかく、早く来たんだからいいじゃん。今は普通に子供として暮らしてるだけだし」
「それだと私が来れなくなる。『
「別に、私一人で十分だもん」
唯はぷいっと顔を逸らした。
何やら喧嘩のようになっているが、小夜は二人の会話を聞いているだけで楽しかった。彼女たちのことや幸介のこと、異世界のことを色々と知ることが出来たからだ。
「その王女様は一人で大丈夫なの?」
小夜が尋ねる。
「うん。リアなら大丈夫だと思う」
カレンが言う通り心配はないのだろう。その王女も特殊な能力を持っているので、一人でも無事に過ごすことが出来るのだと思う。
小夜はあることを思い付いた。
「えっと、とにかくカレンは幸介に会いたいのね?」
「……うん。会いたい」
カレンは澄ました表情のままそう答えた。
「じゃあ幸介が通ってる学校に、あなたも行ってみる?」
小夜が笑顔で尋ねると、それを横で聞いていた唯が「えっ……!?」と驚いた。
「学校? 私が?」
「そうよ」
小夜はそう答えて微笑む。
「行きたい。コウスケと同じクラスに入れる?」
「んー。出来なくもないけど、あなたって確か幸介の一つ年下よね? 勉強は得意?」
「数学なら結構出来る。コウスケやユキノさんに教えて貰ったから。それ以外もあるなら、教えて貰えば出来ると思う」
それを聞いた小夜は、少し考えて言う。
「じゃあいいわよ。彼と同い年ってことにして、同じクラスに入れるようにしてあげるわ。後でちょっとテストするけどね」
「ほんと?」
「ええ」
「ありがとう。学校行くの、初めてなの」
カレンは嬉しそうに微笑んだ。
彼女は学校へ行ったことはないが、学校へ通っていた王女にどんなところかをよく聞いていたらしい。
「ずるい! 私も幸介さんと同じ学校に行きたいです!」
話を聞いていた唯がベッドから立ち上がって言う。
「あなたは駄目よ。見た目が子供だし、戸籍上も小学生だから」
「高校生にもなれますよ!」
元々唯は高校生くらいの年齢なので、確かに小学生に変身するよりは簡単だろう。
「でも、あなたは全然勉強が出来ないじゃない」
「うっ……」
唯は勉強全般が苦手だ。異世界の魔女一族であるブラッディマリー家の中でも、彼女は落ちこぼれらしい。
「それに、子供のまま過ごした方が幸介が甘えさせてくれるわよ」
それを聞いた唯は、視線を上に向けながら何かを想像し始める。
「……やっぱりこのままいます」
彼女は納得したらしく、頬を赤らめながらまたベッドに腰掛けた。
「カレン、あなたは私の家で暮らせばいいわ。秋人が勉強を教えてくれるから」
「アキト?」
「私の息子よ。で、幸介の友達」
「そう。わかった」
彼女が突然クラスメイトとして現れたときの幸介の驚いた顔を想像すると、可笑しくて笑みがこぼれる。
「小夜さん、何か顔がにやけてますよ」
「そ、そう? まあそんなこともあるわよね!」
「……」
唯が呆れたように半眼でこちらを見る。
「……っていうか、カレン、私の正体はまだ幸介さんには言わないでよ?」
唯がそんなことを言う理由は、当然、正体がバレると今より甘えられないからだろう。それに、一人で勝手にこの世界に来ようとしたことを、彼に怒られると思ったのかもしれない。
「いいけど、必要だと判断したら言うから」
「まあ、今はそれでいいよ」
どうやら二人の話が落ち着いたようだ。
「よし。じゃあとりあえず二人で話してて。子供たちを寝かせたら戻ってくるから。カレンの着替えも持ってきてあげるわ」
そう言って立ち上がる。
「うん。ありがとう」
「今日は三人で寝ましょう! まだあなたたちの話を聞きたいから」
小夜は笑顔でそう言い残し、部屋を出た。
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