五年前、異世界。王国

「幸介君、学校が終わるまで美優と一緒にどこかで待ってて」


 食堂でご飯を食べさせてくれた後、ユキノはそう言って授業に行ってしまった。


 食堂のテーブル席に残されたのは、幸介とミユの二人きり。会ったばかりで目の不自由な娘を任せるとは、随分信用されていると思う。


「どうする? 散歩でも行くか?」

「はい。行きたいです」

「よし。じゃあ行こう」


 とりあえず授業が終わるまで、近くを散歩することにした。



 杖は校内の邪魔にならないところに置いておいた。


 そして、右腕にしがみついてきたミユと二人で校門を出る。


 そのままぶらぶらと街中を見てまわった。


 街はそれなりに発展しており、色々な建物や店があった。大通りを歩く人々も多く、ときには馬車も走っていた。


 歩きながら目に映るものを適当に話すと、ミユは嬉しそうにそれを聞いた。


「何か飯屋がいっぱいあるな。今度食おう」

「はい。でもお母さんのご飯も美味しいですよ」

「マジ? そりゃ楽しみだな」


 今日から彼女たちと暮らすので、ユキノの料理も毎日食べられるはずだ。


「あ、釣り竿を持ったおっさんがいる。どこかで釣りが出来るのか」

「魚を釣るやつですね。どこかの川で釣れるみたいです」

「よし、今度行こう」

「はい。私も行きたいです」


 ミユには幸介が話す景色が見えていないが、彼女は普段外を歩くことが少ないからかずっと楽しそうにしていた。


 大通りを外れて少し歩くと、木々が生い茂っている場所に出た。大きな公園のような場所だ。


 木々の中には舗装された小道があり、その小道に沿って両側に一定間隔で何かの木が植えられている。左方の木の向こうには幅十メートル程の川が流れており、川沿いの土手には青々とした草が生い茂っている。少し先には川の向かい側に渡る木造の橋も見える。


「ちょっと休憩するか?」

「はい」


 ミユと並んで土手に腰を降ろした。


 川の向かい側を見ると、こちら側と同じような緑の土手がある。その向こうには木々が生い茂っている。


「なあミユ」

「はい」

「お前、もうなるべく一人で外を歩くなよ。これからは俺が一緒に歩いてやるから」


 目が見えない状態で外を歩くのはやはり危険だ。帰れなくなる可能性もある。


「ほ、ほんとですか……?」

「ああ」


 ミユが嬉しそうに訊き返してきたので、幸介は頷く。


「……ありがとうございます。私も、これからはお兄ちゃんと一緒がいいです。それに、やっぱり一人で外を歩くのは難しかったので」

「そうか。ならいい」


 最初に一人で歩きたかったと言っていたので少し心配していたのだが、ミユの言葉を聞いて安心した。


 幸介は頭の後ろに両手を組み、土手に寝そべった。先程食事をしたばかりだし、若干歩き疲れていたこともあって少し眠くなってきた。


「あの、寝転がってます?」


 ミユが笑顔を向けて尋ねてきた。


「ああ。お前も寝るなら腕枕でもしてやろうか?」

「は、はい」


 右腕を伸ばしてやると、ミユはゆっくりと幸介の腕に頭を乗せて寝転んだ。


 そのまま青い空を眺めていると、不意にミユがしがみついてきた。彼女は嬉しそうに頬を赤く染めて微笑んでいる。


「そんなに嬉しいのか?」

「はい。いつもは、昼間は一人で過ごしているので」

「ふーん」

「あの……これからずっと一緒に居てくれるんですか?」

「ああ。そう言ったろ」

「はい」


 ミユはまた嬉しそうに微笑んだ。今まで一人で過ごしていたのが余程寂しかったのだろう。


「……でも、まさかお母さんがあんなことを言い出すなんて思いませんでした」

「ありがたいと思ってるよ」

「私もです」


 何となく左手でミユの頭を撫でてやると、彼女は頬を赤く染めた。


 しばらくの間、そのままゆっくりと過ごした。


 二人でのんびりと過ごしている間、ミユが知っている範囲でこの世界のことを教えてくれた。



 今自分たちがいるレムリナと呼ばれる大陸には三つの国がある。


 大陸の北半分程を占めるエルドラード王国。南東に広大な領地を持つバレンタイン王国。南西にあり、三国で一番領地が狭い国がここ、ランパール王国。


 以前は小国が多数存在していたが、徐々に統合されていき、今では三つの大国にまとまった。ここ数年間はこの勢力図はほとんど変わっていない。


 それぞれの国にはそれぞれの文化や特色がある。


 ランパール王国の王、つまりリアの父親は賢王と呼ばれており、心優しく、人民のことを大切に思っている。


 そんな彼が治めるランパール王国は三国で一番平和だと言われており、特に首都であるリヴァーレイクは住民が平均的に豊かなこともあり、犯罪などが極端に少ない。


 ランパール王国の東に位置するバレンタイン王国は友好的な国であり、ランパール王国とも親交がある。


 そして危険だと言われているのが、北で圧倒的な領地を持つエルドラード王国。多くの小国を武力で滅ぼし、大陸一の領土を持つ大国となった。ランパールの国王もエルドラード王国のことを警戒している。


 もし戦争などになった場合、主力になるのは国が抱える魔術師たちだ。もちろん剣や槍を扱う兵もいるが、魔術師の方が圧倒的に強い。


 そして、魔術師を養成するのが魔術学校であり、リヴァーレイク魔術学園はランパール王国でトップの魔術師養成学校だ。



 幸介には記憶はなかったが、恐らく自分がこの世界の住人ではないことは何となく気づいていた。


 自分が今まで魔術に関わっていないことは分かるし、街の建物の外観も今まで過ごしてきた場所のものよりも古いような気がする。ダンボールなどの自分が知っている物がこの世界にはなかったりする。


 他にも、以前住んでいた世界にはもっと便利な物が多くあったような気がした。



※※※



 幸介と美優は、授業が終わる頃に学校へ戻ってきた。街中や公園などを二人で散歩をして過ごしていたらしい。


 美優は相変わらず幸介の腕にしがみついており、その立ち位置に満足しているようだ。嬉しそうな彼女の表情を見ると、彼に任せて本当に良かったと思う。


 二人で過ごしているうちに大分仲良くなったらしく、美優は幸介から一時も離れずにべったりだ。幸介の方も美優に対して面倒臭がったり邪険にする様子もない。


 そんな二人の姿を見て、雪乃はとても嬉しく思った。


 雪乃には美優に対して負い目があった。


 雪乃が何か悪いわけではない。美優が生まれつき目が不自由だったことは、本当にただの神様の気まぐれだとしか言いようがない。


 それでも、我が子に他人と同じ生活をさせてあげられないことが、そして他の子供達と同じように外で自由に遊ばせてあげられないことが、とても悔しかった。


 美優はそのことについて一度も雪乃に文句を言ってくることはなかった。いつも笑顔を向けてくれていた。


 そんな彼女も、朝、雪乃が仕事のために家を出るときには、寂しそうな表情に見えた。


 それも当然だ。自分が学校へ行っている間、彼女は誰もいない家の中で、何も見えないままで、一人で過ごしているのだ。


 街中の子供たちを見て美優を仲間に入れて貰おうと思ったことや、誰かに家政婦でも頼もうかと考えたこともある。


 しかし子供たちには虐められるかもしれないし、こんなわけの分からない異世界の、知り合いでもない家政婦を信用出来ない。


 だから、寂しい思いをさせることと引き換えに、彼女が傷付かない安全な方法を選んだ。


 彼女に申し訳なく思いながらも、生活するためには雪乃は働くしかなかった。何も分からないこの世界で生きていくために、自分にできることを精一杯やるしかなかった。


 美優も何となくそれを理解しているのだと思う。毎朝、精一杯の笑顔で雪乃を送り出してくれた。


 今日、家に居るはずの彼女が学校に来たと聞いたときは本当に驚いた。すぐに職員室から出て、彼女が待っている校門のところまで走った。


 彼女の無事な姿を確認してほっと安心したが、やはり家に一人で居ることが寂しかったのだとわかった。


 昔は彼女が幼く、雪乃の授業も多くはなかったので、仕事の合間にも頻繁に家へ帰っていた。


 しかし、最近は授業やそれ以外の雑務も忙しくなり、授業が全て終わるまで帰れない日も多かった。


 長い時間一人で過ごすようになると、その分寂しかったのだと思う。


「途中で会ったこの人たちがここまで連れてきてくれたんです」


 美優を無事に連れてきてくれた子供たちに感謝した。


 一人はリア王女だ。雪乃を呼びに来た守衛の一人が彼女に頼まれたと言っていた。


 彼女は住んでいる城から学校が若干遠いこともあるせいか、遅刻の常習者だ。授業がすでに始まっていたが、彼女がこの時間に登校してきても不思議ではない。


 しかしもう一人の、美優の隣に座っている病院着のような格好の少年を見て、本当に驚いた。少年には「彼」の面影があった。


 名前を訊くと、少年は「幸介」と答えた。


 思わず言葉を失った。


(信じられない……! こんな日が来るなんて……!)


 驚愕で体が震えた。


 なぜ彼がここにいるのだろうか。彼は向こうの世界にいるはずなのだ。


(もうゲートは閉じているはずなのに、なぜ……?)


「オクヤマ先生、彼を知っているんですか?」


 動揺していた雪乃にリアが尋ねてきた。


 彼のことは知っている。しかし素直にイエスと答えることは出来ない。

 

 リアの質問には「知らない」と答えた。

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