第2章
五年前、異世界。出会い
五年前――。
気がつくと、全く知らない土地に自分はいた。
大通りには人々が歩き、馬車が走っている。
左右には中世ヨーロッパ風の建物が並んでおり、自分がいる大通りの中央には、大きな噴水がある。
大通りのずっと先には、高台に城のようなものが見える。
そして、わからないのはその場所だけではない。
記憶を失くしていた。
何故自分がここにいるのか、自分が何者なのかすらわからない。
ただ、その場所にいた。
近くの建物のガラスに映る自分の姿を見ると、黒髪に黒い瞳の、まだ小学生くらいの少年だった。
何故か、病院着のような、パジャマのような格好をしており、運動靴を履いていた。
周りを見渡しながら考えてみたが、自分には生活するための最低限の常識などはありそうだ。
目に映る人が何をしているのかは理解できるし、建物の中で人が暮らしていることもわかる。そこら辺にある物をどう使うのかもわかる。
自分自身のことで何か思い出せないかと思考を巡らす。
しかし、急激な頭痛が襲った。
結局何も思い出すことはなく、思い出そうとすると、その都度頭痛がやってきた。
ただ、何か悲しいことがあったような気がした。
何もわからなかったが、とりあえず情報を得ようと思い、大通りを城とは逆の方へ歩いた。
しばらく歩いていくと、少し先に一人の黒髪の少女の姿が目についた。
多分、自分より年下の子供だ。
その少女は、目が見えないのか、杖をついておぼつかない足取りで歩いていた。
そして、よそ見をしながら歩く大人の男とぶつかった。
「あっ」
声を上げ、転んだ少女が手をつく。
ぶつかった大人の男は、少女を特に気に掛けることもなく、そのまま行ってしまった。
思わず少女に駆け寄る。
「大丈夫か?」
「あ、はい。ありがとうございます」
見上げた少女の瞳は、やはり閉じたままだ。
「目が、見えないのか?」
「……はい」
「じゃあ送ってってやるよ。どこに行くんだ?」
「えっ、でも、ご迷惑では? お時間も取らせますし」
彼女は幼い割には、丁寧な話し方をしていた。
「……俺は、大丈夫だよ」
正直、自分が何者かもわからないし、行くところもない。何もすることがないし、何もできない。
しかし、目の前の少女が行きたい場所に付き添うくらいは、できると思った。
「さあ行くぞ」
「えっと……じゃあお願いします」
立ち上がった少女の足取りはやはりおぼつかない。
「腕につかまるか?」
「……いいんですか?」
「ああ」
「すみません」
少女は少し頬を赤らめながら、右腕を掴んできた。
「で、どこに行くんだ?」
「……あの、実は、行きたいところがないんです。ただ、自分一人で、外を歩いてみたくて」
「……なるほどな。でも、その後家には帰れるのか?」
「いえ。遠くに行くと帰れないです。でも、何とか学校まで行くことが出来れば、お母さんがいるので」
「お母さんが学校にいるのか?」
「はい。お母さん、教師をしているんです。でも、人に聞けば学校まで行けるかもと思ったのですが、そんなに甘くはなくて……」
少女は母親と二人で暮らしており、普段母親が仕事へ行っている間は、彼女は自宅で一人で過ごしているそうだ。
いつもは大人しく自宅にいるが、今日は好奇心で外へ出てきてしまったらしい。
しかし、人に道を聞こうにも、そもそも声を掛けて尋ねるのも困難なのだろう。
「そうか。じゃあその学校に向かうか?」
「……お兄ちゃんが良ければ、お願いします」
「ああ」
何となく、彼女より自分の方が年上だと感じたのだろう。
そして、右腕にしがみつく彼女を連れて歩き出す。
「で、何て学校なんだ?」
「リヴァーレイク魔術学校です」
「は?」
思わず立ち止まる。
魔術と聞こえたような気がする。
「えっと……リヴァーレイク魔術学校です」
聞き間違いではなかった。
「魔術学校?」
「はい。魔術を学べる学校です」
自分には記憶はないが、今まで生きてきた中で、魔術というものに関わったことがないということは何となくわかる。
「魔術を学べるのか?」
「はい。才能がある人だけらしいですが」
「まじかよ」
確かに、マントを羽織った何となく魔術師のような格好をしている人がちらほら通りを歩いている。
また歩きながら、さらにきょろきょろと周りを見回してみた。
少し離れたところに、転んだ子供に駆け寄る赤い髪の少女の姿があった。
赤髪の少女は、子供の膝に手を当て、怪我を魔術のようなもので治している。
(本当に魔術があった……!?)
赤髪の少女は子供の怪我を治し終えると、「やばい! めちゃくちゃ遅刻だ〜!」と叫びながら走り去っていく。
子供も赤髪の少女の背中に向かって「ありがとー!」と言うと、何処かへ行ってしまった。
「おい、お前、ちょっと待ってろ」
「えっ、は、はい」
「そこを動くなよ! すぐ戻って来るから!」
黒髪の少女にそう告げ、走って赤髪の少女を追う。
赤髪の少女はかなり足が速かったが、本気で走るとすぐに追いついた。
走りながら彼女の背中に声を掛ける。
「おい! ちょっと待て!」
「えっ!?」
赤髪の少女は走るスピードを緩めて振り返る。
「ちょっと待ってくれ!」
「何!? 私急いでるの!」
「いいから止まってくれ!」
赤髪の少女は渋々立ち止まった。
「何? 早く行かないとやばいのよ!」
赤髪の少女は腰に手を当て、むすっとしながら言う。
見た目は同い年か少し上くらいだと思う。
「魔術で治して欲しい子がいるんだ」
「……そう。怪我?」
「いや、怪我……ではないと思うけど。とりあえず来て欲しいんだ。すぐそこだから頼むよ」
「……わかったわよ」
彼女が話の分かる子で良かったと思う。
赤髪の少女を連れて走り、元来た道を戻る。
しばらく走ると、黒髪の少女は先程別れた場所から動かずに立っていた。
「はあ……はあ……お待たせ」
「いえ、良かったです。戻ってきてくれて」
黒髪の少女は笑顔を向ける。
「そりゃ戻ってくるだろ」
「面倒臭くなって放り出されたのかもと」
「そんなことしないっつーの」
「そうですか……」
黒髪の少女は嬉しそうに微笑む。
そこへ、赤髪の少女が小走りでやってきた。
「なあ、この子の目を治してくれ」
「「……!」」
無言になる二人の少女。
赤髪の少女は、困ったように黒髪の少女を見る。
「……もしかして、無理なのか?」
「ごめんなさい。多分……先天性のものは、無理だと思う」
赤髪の少女は申し訳なさそうに言う。
「でも、一応やってみるわ……」
赤髪の少女は、黒髪の少女の目に手をかざす。
黒髪の少女の目が、光に覆われる。
そうやって一分程経過した後、赤髪の少女は諦めたように手を降ろした。
「……やっぱり無理だった……ごめん、私の力不足で」
赤髪の少女は俯きながら言う。
「……いえ、大丈夫ですよ。わかっていましたから。実は何度か回復魔術をやってみてもらったことがあるんです」
「そう、なのか……」
自分の考えが浅はかだったと気付いた。
「でも、お兄ちゃんの気持ちは嬉しいですよ。そちらの方もありがとうございます。わざわざお手間を取らせてしまってすみません」
「……いえ、いいわよ。どうせ遅刻だったし」
赤髪の少女は、溜め息をつきながら言う。
「もしかして、お前……何てとこだっけ? 何とか魔術学校の生徒じゃないのか?」
「リヴァーレイク魔術学校ですよ」
「そう、それ!」
「え、ええ。そうだけど……」
赤髪の少女は引き気味に答える。
「やっぱり! で、多分そこに行こうとしてて、遅刻してるんだよな?」
「うん。まあ」
「じゃあそこに連れてってくれ。この子の母親がそこにいるんだ」
「えっ、そうなの?」
赤髪の少女は、驚いたように黒髪の少女を見る。
「はい。その学校で教師をしているんです」
「へー。何て先生?」
「ユキノ・オクヤマです」
「えっ!? あのオクヤマ先生!? 数学の?」
驚愕する赤髪の少女に、黒髪の少女は「はい」と答える。
「知ってるのか?」
「知ってるも何も、学校内では知らない人はいないわよ。彼女はこの国唯一の高等数学の教師だもん」
「高等数学? 魔術学校で?」
よくわからないが、数学が魔術ではないことはわかる。
「魔術以外の授業もあるのよ。特に数学は国の発展のために重要視されてるの」
「ふーん」
「で、オクヤマ先生はこの国に数学をもたらした人物でもあるのよ」
「マジ?」
何か大きな話になってきた気がする。
「とりあえず行きましょうか。どうせ遅刻だけど、出来れば早く着きたいの」
赤髪の少女が学校へ向かおうと背を向ける。
「そうだな。お前もそれでいいよな?」
黒髪の少女に尋ねる。
「はい。あの……」
何かを言いたそうにもじもじする黒髪の少女。
「ん? 腕に掴まるか?」
「は、はい」
黒髪の少女は嬉しそうに微笑む。
彼女は頬を赤らめながら、右腕にしがみついてきた。
そして赤髪の少女と並んで歩き出す。
「杖は、俺が持ってやるよ」
「はい。ありがとうございます」
少女から杖を受け取り、彼女の歩幅に合わせて歩く。
その光景を見て、赤髪の少女は優しく微笑む。
「私はリア。あなたたちの名前は?」
赤髪の少女が尋ねてきた。
「私はミユ・オクヤマです」
「ミユね。よろしく。で、あなたは?」
今度はこちらに笑顔を向ける。
「えっと……俺は……」
自分の名前を考える。
「お兄ちゃん……?」
「何? 早く言いなさいよ」
考えこむ。自分のことは分からないが、何となく名前だけは思い出せそうだ。
「……こう、すけ。俺の名前は、幸介だ」
何とか自分の名前を絞り出すことが出来た。
「コウスケ? 変な名前ね」
「ほっとけ」
(せっかく思い出したのに……)
「えっと、私はお兄ちゃんって呼びますね」
「ああ。まあ、それでいいよ」
頬を赤らめながら微笑むミユが可愛いので、好きなように呼ばせることにした。
「ていうか、あなた何か格好も変ね」
「……やっぱり?」
薄々気づいていたが、リアに言われて再確認した。
右腕にしがみついたミユを連れ、リアと一緒に魔術学校へと向かった。
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