子供たち
沙也加の実家を秋人の母親が買い取り、一年程前に増築して以来運営されている児童養護施設『虹色園』。その実態は、記憶喪失事件の被害者たちの子供が集められている施設だ。
理由は全員が児童虐待。
彼らは両親やそれに値する大人から暴力を振るわれ、肉体的な被害を受けていた。
記憶喪失の被害者の子供を集めたと言っても、もちろん全てではない。
親戚に預けられた者や他の施設に預けられた者もいる。しかし可能な範囲では、なるべく優先して子供達を引き取っていた。
虐待をしていた大人の記憶を消した場合、子供の視界か、もしくはしばらくすると意識を取り戻す大人の視界を美優が見続け、なるべく早く名前や住所を特定する。
電話番号やチャットのID、もしくはちょっとした手掛かりを見つけるだけでもいい。
手掛かりさえあれば、あとは秋人の母親である小夜が何とかしてくれる。特に電話番号なら彼女が直接連絡を取ればいいので話は早い。
施設に来た子供達は最初の頃は幸介や小夜にも怯え、心を開かなかったが、徐々に信頼を得たのか次第に懐くようになった。
ただ一人、唯だけは何故か最初から幸介に懐いていた。
「ねえ、幸介さん。さっきの二人の女とは、よく一緒にいるんですか?」
隣を歩く唯が幸介を見上げて尋ねてきた。何やら不服げな表情だ。
唯は年齢の割に話し方が大人びている。彼女と一歳しか違わない玲菜を想像してみるとそれが分かりやすい。
「今日はあいつらが無理矢理付いてきたんだよ」
「でもこの前も夕菜さんと仲良さそうでしたよね」
唯の隣を歩く和也が言う。
剣道部との試合があった日のことだろう。
あのとき体育館では、夕菜が憤慨していたはずだ。仲が良さそうに見えたのが不思議だ。
「まあ、悪くはないかもな。あの後彼女の家に遊びに行ったし」
「えっ。幸介さん、女の子の家に行ったんですか!?」
「ああ。買い物に付き合ったついでにな」
唯が驚いたように訊き返してきたので、そう答えた。
それを聞いた唯は何やら唖然となっている。
「っていうか、それって恋人っぽくないっスか?」
また和也が割り込んで尋ねてきた。
「ほう。俺が玲菜と恋人になったことに気付くなんてお前中々鋭いな」
「えっ……!?」
唯が愕然とした表情で幸介を見上げる。
「いや、もちろん玲菜ちゃんじゃなくて夕菜さんのことなんスけど」
「なら違うな」
「おかしいでしょ!? 普通どっちかっていうと夕菜さんでしょ!?」
「ちょ、ちょっと待ってください! 幸介さん、恋人ってどういうことですか!?」
和也がもっともな指摘をし、唯が焦った様子で幸介の服の裾を引っ張ってきた。
「え? いや冗談だって」
「冗談!? 本当ですね!?」
「……おう」
「……じゃあ、いいです」
何やら必死な唯。
頭を撫でてやると、彼女は頬を赤く染めた。
道場は何年も使われていないにも拘らず、外から見ても綺麗な状態だった。小夜が買い取ると同時に改装し、さらに時々業者に依頼して手入れをしてくれているとのことだ。
中へ入ると広めの玄関を上がる。
廊下を歩いた先の引き戸を開く。
そこにあったのは一般の剣道場よりは小さめの訓練スペース。一つの余計な物も置かれていない床はぴかぴかと光っている。左方は壁の代わりに一面が引き戸になっており、開けた先には縁側がある。昔とほとんど変わっていない。
「和也、あとは頼む。今後はここを好きに使ってくれていいから。竹刀などの道具類は奥の用具入れに全て置いてあるはずだ」
「……分かりました。あの、幸介さんはあまり来ないんスか?」
「俺は色々忙しいからな。たまには来るけど」
「はあ。そうなんスか」
和也はそれ以上は訊いてこなかった。
彼もある程度適当に他人と接するタイプだ。何となく訊くのが面倒臭いのだろう。
「唯はここに入ったことはあるのか?」
幸介が尋ねる。
「はい。たまにみんなと隠れんぼをしたりしますし。ドッジボールをするのにも都合がいいですね」
「……道場でそんなことをしてたのか」
「あ、でも使った後はちゃんとモップがけしてますよ」
「そうか。まあいいけど」
直後、背後でガラガラと玄関の引き戸を開ける音が聞こえた。
振り向くと、そこにはいたのは夕菜だ。
「夕菜、お前も来たのか」
「うん」
「あー! 幸介さん、この人の家に行ってたんですね!?」
唯が突然夕菜を指差して言うので、夕菜は「へ?」と戸惑っている。
「幸介さんとどういう関係ですか!?」
「え、いや……クラスメイトだけど」
唯が腕を組んで威圧すると、夕菜はそれに気圧されて戸惑っている。
「ちょっと、唯」
「幸介さんは黙っててください!」
「はい」
幸介も唯の勢いに押され、素直に黙る。
「幸介さんを家に連れ込んで、変なこととかしてないでしょうね!?」
「へ、変なことって何よ!?」
「いちゃいちゃと乳繰り合ってたんじゃないかってことですよ!」
「……! そ、そんなことしてないわよ! いちゃいちゃしてたのは私の妹で……」
「は!?」
「そういえば幸介さん、夕菜さんの妹の玲菜ちゃんとデートに行くとかって言ってましたよね?」
「お前このタイミングで何言うの」
修羅場のようなところへさらに爆弾を落とす和也に、幸介が突っ込む。
「で、デート……?」
唯は驚愕しながら幸介を見上げる。
「も、もしかしてちゅうとかしちゃったんですか……? わ、私だってまだなのに……!」
「いや、してないっつの」
「ほんとですか!?」
「ほんとでしょうね!?」
唯に続き夕菜も詰め寄ってきた。
「当たり前だろが」
夕菜の家に行ったときには、彼女は部屋に一人でいる時間があったので、その間のことを心配しているのだろう。
「でも、何か玲菜を抱きかかえてべたべたしてたじゃん」
「玲菜はまだ八歳の女の子なんだから甘えてきてもいいだろ? 可愛いし」
「いや、まあ、そうだけど……」
夕菜は納得せざるを得ないというように答えた。
「そうですか。じゃあ私も九歳なので存分に甘えてもいいってことですね?」
「唯、お前甘えたいのか?」
「え? は、はい……」
先程とは打って変わって、控えめに答える唯。ほんのりと頬が赤く染まっている。
「しょうがねえな。抱っこしてやるよ」
「えっ……」
幸介は唯の脇に手を入れて抱え、ひょいっと持ち上げる。そして赤ん坊を抱えるように唯のお尻を腕に乗せた。
「……」
唯は幸介にしがみつき、顔を真っ赤にして、借りてきた猫のように大人しくなった。
夕菜と和也は呆れたように半眼で二人を見る。
「そろそろ戻ろう。亮太と愛梨も待ってるだろうし」
「うん」
「そうっスね」
幸介は唯を抱きかかえたまま道場を出た。
夕菜と和也も後から続く。
亮太たちがいる本宅へ向かった。
※※※
夕菜たちが本宅へ戻り、リビングの扉を開けると、壮絶な光景が目に入った。
亮太は一番幼い少女に馬乗りにされ、泣きそうになりながら動き回っている。
背中に乗る少女は楽しそうにはしゃいでいる。彼女の年齢は五歳で、
「あ、幸介! 助けてくれ! この子が全然離してくれないんだ!」
「りょうた! もっとはやく!」
「ひ~ん……」
亮太の目から涙が零れた。
奥を見やると、テレビの前のソファには子供たちの中に混じり、愛梨が腰掛けている。
彼らはレーシングゲームで盛り上がっているらしく、その目は真剣そのものだ。
大きなテレビの画面では、ちょうどゴリラのキャラがゴールしたところだった。
「よーし! これで十連勝!」
「う~。お姉ちゃん強過ぎるよぉ」
「くっそお……今度こそ勝つから!」
「はっはっは! やってみなさい!」
本気で泣き出す亮太と、血走った目で画面を見る愛梨。
夕菜がその光景にドン引きしながらダイニングの方に目を移すと、留美がテーブルの一席に座り、悠々と紅茶を飲んでいた。
彼女は紅茶を飲み終えると、思い出したように「あっ洗濯物干さなきゃ~」と言って部屋を出て行ってしまった。
「こ、幸介。限界だ……もう帰ろう」
「……ああ」
亮太が涙目で訴えてきたので、思わずそう答えた。
「えっ……幸介さん、もう帰っちゃうんですか?」
抱きかかえられたままの唯が、幸介の顔を覗き込む。赤く染まったままの顔は寂しそうだ。
「いや、もうちょっといればいいか」
「やったぁ」
唯は再び嬉しそうにしがみつく。
亮太のほうを見ると、彼は愕然とした表情になっており、背中の鈴は嬉しそうにしている。
「あんた本当に子供に甘いのね」
「ん、まあいいだろ。小さい女の子だし」
「うん。いいと思う」
先日、母親へのプレゼントを買いに行ったときも、その後家に来てからも、幸介はとことん玲菜に甘かった。
夕菜は何だかんだ言いつつも、彼のそういうところを好ましく思う。
「お前ら、何か飲み物でもいる?」
「うん。ウーロン茶ある?」
「俺も欲しいっス」
「よし。唯、お前がいれてこい」
幸介が唯を降ろすと、唯は笑顔で「はーい」と言ってお茶を用意しに行った。
「あの子可愛いっスね」
「ああ。つーか俺らもゲームやるか? 愛梨を倒してやろう」
「あ、俺もあれ結構得意っスよ」
「俺もだ。昔秋人の家でやりこんでたからな」
幸介と和也がテレビ前の子供達の方へ歩いていくので、夕菜も後に付いて行く。
ソファは愛梨と子供たちでいっぱいだったので、三人は床に腰を下ろした。
テレビの画面を見ると、愛梨のゴリラのキャラが一着でゴールしていた。十一連勝目だ。
「俺に任せろ。そこのゴリラ女を倒してやる」
「あ、こうすけ、倒して! このお姉ちゃん強過ぎるんだよー!」
「ちょっと幸介君!? ゴリラ女っていう言い方は何か不快なんだけど!?」
愛梨がコントローラーを片手に喚く。
そこへ唯が三人分のお茶とトマトジュースを一缶、お盆に乗せて運んできた。そして倒さないようにそっとテーブルに置いた。
「サンキュー、唯」
幸介に続いて夕菜と和也も「ありがとう」とお礼を言い、それに唯は「はい」と笑顔で答えた。
トマトジュースはどうやら唯の好物らしく、彼女が飲むそうだ。子供にしては珍しい好物だと思う。
「……」
唯は無言で幸介のそばにちょこんと腰を下ろす。そのまま寝そべり、少し照れながらあぐらをかいている幸介にしがみついて、彼の太ももに頭を乗せた。
幸介は唯の頭を少し撫でると、再び画面を見る。
「ねえ、何かその子も幸介君のことめちゃ好きっぽいじゃん」
愛梨が唯に視線を移しながら言う。
「マジか唯」
「え? は、はい……」
「よし! 唯の愛の力で勝つ!」
「は、はい。頑張ってください……」
唯は頬を赤らめながらそう言った。
彼が玲菜に向けていたのと同じような愛情表現をしているのを見て、唯のことを羨ましく思った。
それに妹の玲菜もそうだが、子供は本当に素直だと思う。
「幸介君、夕菜が……」
「愛梨、やめて」
「……」
愛梨が何かを言い出そうとしたので、すぐに止めた。彼女はちょっと油断すると何を言うかわからないので怖い。
ゲームの画面を見る。
夕菜はこのゲームをやったことがないので、とりあえず見学しておくことにした。
幸介は背中にトゲの付いた怪獣のキャラを選択した。
レースが始まり、幸介と愛梨は真剣にコントローラーを動かす。
しばらくすると、怪獣のキャラが一着でゴールしていた。
「っしゃあ!」
「こうすけ、すごーい!」
「くっ……幸介君、中々やるね」
「ゴリラ女を退治したぞ!」
「やったあ!」
「ゴリラ女はやめて! しかも何か私が悪者っぽい!?」
子供達からわいわいと称賛される彼を見て、夕菜は微笑ましく感じた。
「でもいい勝負だったじゃん! 次は負けないよ」
「あ、次は俺の番っスよ!」
「ねえねえ、私も混ぜて」
和也が参戦しようとしたところへ、留美もやってきた。洗濯物を干し終えたらしい。
彼女もこのゲームが好きなのか、笑顔で幸介の隣に腰を下ろす。
その後、みんなで交代しながら、ゲームを続けた。
途中、亮太がよろよろと近くへやってきた。
五歳児の鈴はどうしたのだろうと辺りを見回す。
「鈴なら疲れたみたいだから寝かせましたよ」
留美が察してそう言った。
彼女は何度かこの場を離れていたので、そのときに鈴を寝かせたらしい。
亮太は疲れたのか、ゲームに参加する余裕もないほどぐったりと床に横になっていた。
結局、一番ゲームで勝っていたのは留美だった。
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