みんなに優しいから

 外が暗くなってきたので、幸介たちは施設を出て帰宅することにした。


 子供達が見送りに外へ出てきてくれた。


 目を覚ました五歳児の鈴も、たたたっと玄関の外まで出てきた。


「りょうた、またきてね」


 鈴が手を後ろに組み、上目遣いで言う。


「うっ、鈴……可愛い……」

「あんた何泣いてんの?」


 亮太が涙を浮かべると、愛梨が呆れたように亮太を見る。


「うっせー。可愛いんだよ! 鈴が!」

「いや、まあ可愛いけど」

「鈴……絶対また来るからな!」

「うん」

「大袈裟過ぎだって」


 亮太は涙を流して鈴との別れを惜しんでいる。どうやら彼は鈴に馬乗りにされてひーひー言っていたにも拘らず、情が湧いたらしい。


「幸介さん、次はいつ来ますか?」


 唯が幸介の手を掴んで尋ねてきた。


「まあなるべく早く来るよ」

「ほんとですか?」

「ああ。唯にも会いたいし?」

「は、はい。じゃあ、待ってます……」


 唯は頬を赤らめて俯く。

 こちらも名残惜しそうだ。


「じゃあ留美さん、あとお願いします」

「うん、大丈夫だよ。君たちもまた来てね」


 留美が笑顔で小さく手を振る。



「じゃあまたな。今度から和也の言うことをちゃんと聞くんだぞ」

「「「はーい」」」


 笑顔で手を振る子供たちに手を振り返す。


 彼らに見送られながら、幸介たちは施設をあとにした。



 五人は駅へと歩く。


「いやー、みんな可愛かったね! ね、夕菜」

「うん」

「つーかお前、ゲームで子供たちに連勝しまくるなんて容赦なさ過ぎだろ」

「勝負は非情なものなのよ」


 亮太が非難すると、愛梨は何故か得意げに答えた。


 亮太は呆れたような視線を彼女へ向けた。


「てか幸介君。あの唯って子、めちゃ幸介君のこと好きっぽいじゃん」


 愛梨が振り返り、後ろを歩いていた幸介に言う。


「そう?」

「うん。凄く」

「あー、でも俺には玲菜がいるからなあ」

「……」


 幸介が顎に手を置いて真剣な表情で言うと、無言になる愛梨。


「いや、冗談なんだけど」

「だ、だよねー」


 愛梨が「ははっ」と笑う。


「ちょっとあんた。毎回びっくりするのよ!」

「夕菜さん、この人半分くらい本気っスよ」

「お前は黙ってろ」

「幸介、小さい女の子の可愛さは俺には分かるぞ。つーか今日分かった」


 和也は相変わらずフォローをする気がないくわ亮太は「うんうん」と理解を示した。


「ねえ。てか、さ……」

「ん?」

「あの子たちって、虐待、されてたの……?」


 夕菜が恐る恐る尋ねると、全員が黙り込んだ。


 幸介が子供達と話しているのを聞いて、彼らも何となく察していたのだろう。


「ああ……その通りだ」


 簡単に説明をした。


 子供達が理不尽な暴力を振るわれたり、ろくにご飯を食べさせて貰えなかったり、真冬に冷水のシャワーをかけられたりといった内容だ。


 それを聞いた夕菜たちは言葉を失っている。それ程、彼らには衝撃的だったのだと思う。


「だから、あいつらは元々俺や留美さんにも心を開かなかった。今はかなり懐いてくれてるけどな」

「……マジっスか」


 和也が沈んだ声音で呟いた。


 察してはいても、言葉にされればまた理解の程が変わるのだろう。


「普通の優しい両親を持つ者にとってはピンと来ないかもしれないけど、実際に虐待を受けている子供たちの肉体的被害と精神的な重圧は想像を絶する」


 聞いていた四人はまた黙り込んでいる。


「……くそ……許せねえよ。あんな小さい子にまで……」

「そんな親がいるなんて信じられないっスよ……」


 拳を握りしめながら亮太と和也が呟く。

 本気で心を痛める彼らは、優しい少年たちだと思う。


「ほんとに、何でそんなことが出来るんだろな」


 幸介は虐待を受けた過去があるわけではない。美優の能力で何度も虐待の現場を目撃したことがあり、その被害者である子供達の目線で、大人の暴力を目の当たりにしてきた。


 子供達の両親や義理の親、もしくは母親の恋人である男。


 そのときに見た顔を思い出すと未だに怒りが沸く。日常的に子供達が受けていた暴力を想像し、もっと早く発見してやりたかったと悔やまれる。


 もちろんその大人たちに対しては、目を合わせた瞬間に記憶を消した。


「ね、ねえ。幸介君……」

「ん?」

「……いや、やっぱり、何でもない」


 神妙な面持ちで何かを言いかけ、途中でやめる愛梨。


 少し気になったが、今はとりあえず聞き流しておいた。


「まあまた適当に遊びに行ってやってくれ。暇なときでいいから」


「うん、分かった!」と愛梨は笑顔で答えた。


「俺も行くよ。鈴に会いたいし」

「私も。今度は玲菜も連れて行くね」

「俺も剣を教えるとき以外は優しくしますよ!」

「いや、剣を教えるときも優しくしろ」


 思わず突っ込んだが、彼らの言葉を嬉しく思う。


「一応言っておくけど、あいつらに対して可哀想だとかそんな雰囲気は出すなよ。あくまでも普通に遊んでくれればいいから」


 そう言うと、愛梨たちははっと何かに気付いたような表情になった。


 言っておいて良かったかもしれない。彼らが同情するのは分かるが、それを子供達に感じさせるのは良くないだろう。


「わかった! 普通に接するよ」

「そっスね」


 愛梨と和也がそう言って微笑む。理解してくれたようで良かった。

 


 西倉科駅に着いた。


 ところどころで立ち止まっていたため、行きより少し時間が掛かった。


 改札を抜け、全員で元来た学校方面への電車に乗った。


 電車は五人が座れる程度には空いており、幸介たちは並んで座った。


 数分程電車に揺られ、一駅先である倉科駅に着く直前になって、亮太が尋ねてきた。


「あ、幸介。そう言えばお前んちって沙也加さんちの隣だったって言ってたよな? そんな家あったっけ?」


 亮太が斜め上を見ながら尋ねてきた。施設の外観を思い返しているのだろう。


 彼の頭に浮かぶ風景の中には、当然幸介の家などない。


「ああ、もうないよ。今は空き地だから」

「え、そうなの? つーか、お前ってどこに住んでんの?」

「ん、もうちょい学校の近くにな」

「ふーん」


 

 電車が止まり、倉科駅に着いた。


「じゃあ私はここだから」

「うん。じゃあ夕菜、またね!」


 夕菜は「はーい」と、軽く愛梨に返事をして電車を降りた。


「俺もここだ」

「あ、幸介さん。お疲れっス」

「幸介、またな」


 和也も亮太たちと帰る方向が同じらしく、そのまま電車に残るらしい。


 幸介は「じゃあな」と言って、夕菜の後に続いて電車を降りた。


 扉が閉まり、電車は走っていった。


 


「夕菜」

「は、はい」


 先に降りていた夕菜を呼ぶと、彼女は何か考え事をしていたのか戸惑った。


「家まで送るよ」

「……うん。ありがと」


 すでに日は落ちて辺りは暗くなっているが、倉科駅付近は居酒屋やコンビニなどの灯りが多く、人通りも多い。駅から近い夕菜の家までは、徒歩でも特に危険はないだろう。


 仮に一人で帰らせたとしても、美優にメールでもして夕菜が帰宅するまで監視をさせておけば、とりあえず安全は確認出来る。


 しかし、何となく彼女が不安を感じないようにしようと思った。



※※※



 駅の西口を出ると、二人は佐原家へ向かって歩く。

 

「ねえ。あんたってさ、何者なの?」

「何だその質問」


 夕菜が突拍子もないことを尋ねたので、幸介は少し呆れたような表情になった。


「だってあんた、他のみんなと違い過ぎるもん」


 彼の言動や剣が異常に強いこともそうだが、今日彼に付いて行き、施設や子供たちのことを知って、よりそう思った。


「そう? めちゃくちゃ普通じゃん?」

「いや、全然普通じゃないから。細かく言うとそのノリも普通じゃないから」

「え、マジ? 何かショックなんだけど」


 幸介は目をこすり、ぐすんと泣くフリをし始めた。


「っていうかあんたってほんと何考えてんのか分かんないわ」

「何故分からない!? こんなに世界平和について考えてるのに!」

「何それ」


 現在の彼はごまかしモードだ。彼は真面目に話すときとノリで話すときでは雰囲気が全然違う。ノリで話しているときは、何となく壁を作っていることが多いと思う。


 先日、彼が部屋に来たときにそのことを尋ねた。しかし、彼は僅かに本音を話してくれたもののすぐにはぐらかされたし、結局今も夕菜に対する態度は相変わらずだ。



 彼は沙也加や秋人には、こんな壁は作っていないのだと思う。それに多分、幸介が同じような冗談を言ったとしても、彼らは壁として捉えない。


 夕菜としては本音で話して欲しいし、彼のことをもっと知りたい。そう思う程度には、幸介のことが気になっていた。


 しかし今はこれ以上彼のことを訊いても同じようにはぐらかされるだろう。


「ま、あとは玲菜のことくらいかな」


 幸介は笑顔でそう付け加えた。


 この男の玲菜への思いは本気なのではないかとたまに思う。


 対する玲菜も彼に好意を持っているようで、つい二日程前に出会ったばかりだとはとても思えない。


 しかし妹はまだ八歳の小学生。彼が本気だとしたら幼女好きの危険人物に認定しなければならない。


 幸介は日常的に冗談ばかり言う性格であるし、これも冗談で片付けるのが普通だろう。もちろん彼に問い詰めても、いつも冗談だと言われてしまう。


 夕菜は「はあ」と溜め息をついた。


「そう言えば、玲菜がまたあんたに会いたがってたわよ」


 仕方ながないので、そのまま話題を変えた。


 内容は不本意だが、妹が彼に会いたがっていたことは事実なので、会わせてあげたいとは思う。


「おー、マジ? 俺も会いたいよーって伝えといてくれ」

「……」


 やはり本気のように思えて、思わず彼に疑いの目を向けた。


 こういう伝言一つにしても、何故かいちいち両想いの恋人同士のように感じる。そして同時に妹のことを羨ましく思ってしまう。


 しかし先程、彼が唯に対しても同じような態度であったことを思い出す。


 全て納得したわけではないが、小さい女の子に対する優しさの延長なのだろうと思うことにした。



 しばらく歩くと、夕菜の家の前に着いた。


「ねえ、ちょっと上がっていく?」

「え、マジ? まだ抱かれる心の準備が出来てないんだけど」

「だ、誰がそこまで言ったのよ!?」


 幸介は左右の手のひらを胸の辺りまで上げ、「冗談だって」と笑顔を作る。


(やっぱり冗談よね……じゃなくて! 何で私は少し残念とか思ってんの!?)


 何とか気持ちを落ち着かせる。


「……いや、玲菜もあんたに会いたがってるって言ったじゃん。ちょっとだけでもどうかなって」

「んー……玲菜に会いたいのは山々だけど、今日はもう帰るよ。美優がご飯作って待ってるし」

「……そっか。分かった」


 彼の返答は意外でもあり、少し残念だった。


 しかしそれよりも、彼の発言を聞いてある可能性が頭をよぎった。


 彼の弁当は美優が作っていると聞いたことがあるし、彼女は夕飯も作ると言う。先日、彼が夕菜の家から帰宅する際にもそんなことを言っていた。


 もしかすると、彼らには母親が居ないのではないか?


 そう考えると、彼が見せた涙の理由も何となくわかる。


「じゃあまたな」


 彼は手を振り、背を向けた。


 倉科駅から西へ歩いてきたのだが、彼が向かおうとしているのはさらに西。先程訪れていた施設『虹色園』がある方向だ。


「ちょっと待って。あんたってどこに住んでるの?」


 思わず尋ねた。

 彼は振り返って言う。


「ん? ああ、このまま十分くらい歩いたところだよ」

「え……」


 このまま二十分ほど歩けば西倉科駅に着く。


「……ねえ、もしかしてあんた、さっきのとこから歩いて帰ったほうが早かったんじゃないの?」

「ああ。でもまあ、お前がいたからな」


 その一言を聞いて、夕菜の胸に熱いものが込み上げてきた。


(何それ!? 優し過ぎる……!)



 辺りはすでに暗い。


 先日、夕菜が不良たちに絡まれ、暴行されそうになった。


 幸介が助けてくれ、不安そうにしている自分を気遣い、家まで送ってくれた。


 そのことがあったから、今日も自分のことを心配し、わざわざ帰り道を合わせてくれたのだ。


「あの……ありがとね」


 頬が熱い。


「気にすんな。早く家に入れ」

「はーい」


 思わず口元が緩んだ。

 彼の微妙に素っ気ない言い方も、とても暖かく感じる。


「じゃあな」

「うん」


 最後にそう言葉を交わし、幸介は帰って行った。


 夕菜は扉を開け、自宅へと入った。

 

 そのまま二階へ上がり、自室に入ると、いつものようにベッドに飛び込んだ。


 そしてバタバタと足を動かして悶える。



 彼の優しさはさり気なく、それでいて分かりやすい。


 しかしその優しさの中には下心は全く感じられない。夕菜が逆に残念だと思ってしまうくらいに。


 何故彼からは下心を感じないのか?

 それは、みんなに優しいから。


 彼から向けられる優しさは、自分に対してだけのものではない。美優や沙也加にも、子供たちにも、留美にも、出会ったばかりの和也にも優しい。


 もしかすると、普通の女子は自分だけに優しい男子を好むのかもしれない。


 しかし、誰に対しても優しい彼が、夕菜にはとても好ましく思えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る