プレゼント

 幸介は少しだけ料理とケーキを食べると、「今日は美優がご飯作るって言ってたんだった!」と言って早々と帰ってしまった。



 幸介が帰ってからも、夕菜は彼のことが気になっていた。


「あいつ、何で泣いてたんだろ」


 ぽつりと呟く。

 彼の涙が頭から離れないのだ。


「私もびっくりしたけど、幸介君にも色々あるんでしょうね」

「……うん」


 母の言葉を聞いて、夕菜はさらに気になってしまう。


 彼は目にゴミが入ったと言っていたが、それはいつものように誤魔化すための適当な嘘だと分かる。


「あ、幸介君に貰ったDVDでも見てみよっか」

「そうね。何のDVDか気になるわね」


 母親の提案に同意し、夕菜は幸介が置いていったDVDを持ってリビングへと移動する。


 それをテレビの下にあるデッキに挿入し、再生ボタンを押した。


 玲菜と母親もリビングへ来ると、並んでソファに腰を下ろした。


 そして何が再生されるのだろうと期待しながら映像の開始を待つ。


 画面に現れたのは、女優、平峰沙也加だった。


「えっ……?」

「あ、さやかちゃんだ」


 母親は目を丸くし、玲菜は笑顔を見せた。


 沙也加はどこかの待機室のようなところで、テーブルの向かいの席に一人腰かけている。


 マネージャーか誰かが撮影したのだろう。


『どうもー。初めまして。平峰沙也加です』


 画面の中の沙也加はこちらに手を振りながら、にこにこと笑顔で言う。


『玲菜ちゃんのお母さん、お誕生日おめでとうございます』


 母親が「えぇ!? 何これ? うそ!?」と騒ぎ始めた。


『今日は玲菜ちゃんのお母さんの誕生日だって聞いたので、ささやかですけど私からもお祝いです。あと、いつも応援してくださってるみたいで、ありがとうございます。これからも応援してくださいねー』


「ちょ、ちょっと夕菜!?」

「……」


 母親が狼狽えながら夕菜の袖の辺りをくいっと引っ張ってきたが、とりあえず放って置く。


『あ、今度幸介と一緒に玲菜ちゃんのうちに遊びに行きますねー。それじゃあ』


 沙也加はまた笑顔で手を振る。


「えぇぇ!?」


 その後はドラマ『戦乱のラブレター』の撮影風景やNGシーンが五分程流れて映像は終了した。


「……何なの、これ?」

「えーっと……言い忘れてたけど、幸介君って沙也加さんと幼馴染みなんだって」

「え!? そうなの!?」

「……うん。だから沙也加さんに頼んでくれたんだと思う」


 母親が突然声を上げて訊き返すので、夕菜は引き気味に答えた。


「じゃ、じゃあ、幸介君、沙也加ちゃんと仲が良いの?」

「あー、実はこの前一緒にお弁当食べたんだけど、幸介君、沙也加さんと超仲良かったわよ。っていうか沙也加さんにお弁当作って貰ってたし」


 母親が唖然となった。


「……ほんとに? まさか沙也加ちゃんの恋人とかじゃ……」

「いや、恋人ではないって言ってたけど」

「そ、そうよね……というか、あんた、何でそれを早く言わないのよ!?」

「いやー、ちょっと別のことに気を取られて忘れてたというか……」


 頭を掻きながら言う。


 今まで沙也加のことを母親に話すのをすっかり忘れていた。幸介のことを色々と考えたり、彼の言動に振り回されていたせいだ。


「えーん。話したいこといっぱいあったのにー!」

「お母さん。さやかちゃん、遊びに来るって」


 泣きそうになっている母親に、玲菜が嬉しそうに言う。


「そ、そうね。まさかほんとに来るのかな」

「さあ。わかんないけど……多分、幸介君と一緒なら来るんじゃない? DVDでもそう言ってたし」

「これは思いのほか凄いプレゼントだったわ……」


 夕菜もまさかこんな内容のDVDだとは思わなかった。沙也加の大ファンである母親は、本当に嬉しかったのだと思う。沙也加に頼んでくれた幸介にも感謝した。


「お母さん。玲菜、お姉ちゃんの学校でさやかちゃんに会ったんだよ」

「え、ほんとに!?」

「うん。それでね、さやかちゃんがプレゼントあげるねって言ってた」


 玲菜がにこにこと笑顔で言う。


 母親は理解出来ないというような視線を向けてきた。


 そう言えば、彼を家へ連れてきた経緯も話していなかった。


 自分が話すのを忘れていたというのもあるが、母親が何も訊いてこなかったせいもあると思う。


「えーと、実はね……」


 夕菜は今更ながら、剣道部との試合を観に行ったことや、彼がその試合をすることになった理由も含め、母親に事情を説明した。


「へ〜! 凄いね。沙也加ちゃん、本当に強かったんだ」

「うん。びっくりするくらいにね」


 感激する母を見ると、この土産話もいい誕生日プレゼントになったのではないかと思う。


「それに、幸介君も強いのね」

「うん」

「強くて、正義感があって、優しいんだ」


 母親がそう言って微笑む。

 彼女が言ったのは、幸介が剣道部の一年生を助けたことに対してだ。


 母親には言っていないが、夕菜は幸介に危ないところを救われたことがあるので、それ以上に分かる。


「うん。でも……」

「でも本当は、弱くて、繊細な子なのかもね」

「うん」


 夕菜も母親が言ったのと同じような印象を受けていた。


 彼の涙が今日に限ったものではなく、今までも数多く流してきたのだとしたら?


 彼は決して内面的には強くはなく、泣いた理由は、多分彼が漏らした僅かな本音と関係しているのだと思う。


 彼が部屋に来たとき、夕菜はいつも気になっていたことを訊いた。


 普段は他人のことをあまり聞こうとは思わないが、彼のことは聞きたくなった。


 しかし、彼があんな一言を呟いた理由は分からないまま、すぐにいつも通り適当にごまかされた。


 彼は誰にでも素直に愛情を伝え、誰にでも適当な嘘や冗談でごまかす。


 何が本当で彼が何を考えているのか分からなくなるが、多分、幼馴染みだという彼女たちは、彼の全てを理解しているのだと思う。そのことは、少し悔しい。


 彼の愛情表現と、嘘や冗談、適当なノリだけのトーク。そして周りが騒ぎたてるであろう沙也加たちとの関係をあっさりと公にした違和感の正体も、何となくわかってきた。


 彼はどこか投げやりなのだ。


「玲菜、もっかい見よう」

「うん!」


 母親はリモコンを操作しながら、真剣な表情をテレビの画面に向ける。


 その後、母親はその映像を、飽きるのではないかと思うくらい何度も繰り返し見ていた。



※※※



 幸介が帰宅したのは、すでに夕刻になってからだった。

 公園のベンチに座ってしばらくぼーっとしていたため、帰宅するのが遅くなってしまった。


「ただいま」

「あ、お兄ちゃん。お帰りなさい」

「ああ」


 玄関へ出迎えに来た美優が、目の前で立ち尽くした。


「……あの、何かあったんですか?」


 自分の様子がどこかおかしかったのだろう。雰囲気や表情で美優が察するのも当然かもしれない。


「ん? いや、何もないよ」


 そう言って微笑む。


「そうですか。ご飯作ってあるので、食べますか?」

「ああ」


 幸介は力なく返事をして、美優の後に付いてリビングへ入った。


 沙也加はまだ仕事から帰って来ていなかった。


「おー、美味そう。さすが美優」


 ダイニングのテーブルに置かれた料理を見て、感嘆の声を上げる。


 美優と向かい合って座り、料理を食べ始めた。


「試合、長瀬君も勝ったそうですね。メールが来ました」

「おう。あいつも頑張ってたぞ」


 和也も副将の池上に勝ったので、一応褒めておく。


「そうですか。今後どうなりそうですか?」

「まあ、多分大丈夫だ。後のことも考えてあるし」

「それは良かったです。そう言えば、玲菜ちゃんって夕菜さんの妹だったんですね。お兄ちゃんのクラスメイトの」

「ああ」

「随分楽しそうでしたよね」

「覗いてたのか」


 能力で自分の視界を見ていたのだろう。

 玲菜とくっついている時間も多かったので、そのことを言っているのだ。


「はい。まあ、ときどきですけど。お母さん、綺麗な人でしたね」

「ああ。美人だし、優しいお母さんだったよ」


 美優は「そうですか」と言って俯いた。

 幸介は食べるのを一旦中断して言う。


「美優、夕菜たちの視界を多めに確認して、父親が現れたら教えてくれ」

「え? 父親? 何か良からぬ人物なのですか?」

「いや、そうじゃないけど……とりあえず顔を確認したいんだ」

「……了解です」


 玲菜から父親が刑事だという答えを聞いたとき、幸介は一瞬思考停止になった。


 刑事だという夕菜と玲菜の父親。そして夕菜の苗字は「佐原」。


 一人の人物が頭に浮かんだ。


 昔、知り合いだった刑事の名前だ。


「あとは定期的に玲菜の様子を見といてくれ。何も問題ないならそれでいい」

「わかりました」


 食事を終えた幸介は、キッチンに食器を運ぼうと立ち上がる。


 そんな幸介を目で追いながら、美優が「今日はどうしますか?」と尋ねてきた。


 幸介と美優がほぼ毎日の日課としている作業のことだ。


「……今日はいいよ。ちょっと疲れた」

「わかりました」



※※※



 その日の深夜。


 ベッドで横になったまま、幸介は眠れなかった。


 隣にはいつものように美優が眠っている。


 幸介は美優がぐっすりと眠っていることを確認すると、そっとベッドから抜け出し、部屋を出た。


 廊下に出ると、すぐ隣の部屋の扉を開ける。


 扉を開けた先では、部屋の奥にあるベッドで、沙也加が眠っていた。


 気配を感じたのか、沙也加は目を覚まし、ゆっくりと体を起こす。


 開かれた扉のそばに幸介が立っているのを確認すると、沙也加は静かに口を開いた。


「眠れないの?」

「……ああ」


 月明かりが照らしているので、自分の頬にうっすらと流れる涙に彼女は気付いているだろう。


「おいで」


 沙也加が右手を伸ばす。


 幸介はゆっくりと彼女に近付いていった。


 沙也加の伸ばした腕に吸い込まれるように近づき、膝を落とす。


 沙也加は幸介の首の後ろに腕を回し、優しく抱きしめてきた。


 力なく抱きしめ返すと、沙也加は幸介の頭を優しくゆっくりとなでる。


 涙が静かに頬を流れる。流れた涙は、沙也加の膝に落ちた。


 しばらくの時間が過ぎた後、幸介はゆっくりと立ち上がり、沙也加と共にベッドに倒れ込んだ。


 そのまま、幸介は沙也加に抱きしめられながら眠りについた。

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