ビビっときたんだよ

 夕菜がダイニングを出て行った後、幸介は玲菜と一緒にリビングのソファに座り、楽しくお喋りをしながら過ごしていた。


「幸介君、夕菜を呼びに行って来てくれない? 玲菜もケーキを食べたいだろうし。二階の奥があの子の部屋だから」


 母親はにこにこと笑顔を向けてきた。


「わかりました」


 普通なら玲菜に行かせるのではないのだろうかと思いつつ、幸介はリビングを出て階段を上がる。


 二階に着くと、奥にある部屋へ向かった。


 トントンと扉を叩くと、「はーい」と聞こえたので、扉を開けて中へ入る。


 中は割とピンク色のものが多く、沙也加や美優の部屋と比べて女の子らしいと思える部屋だ。


 ベッドで制服のままうつ伏せになって寝転んでいた夕菜は、振り返って幸介の姿を確認すると、驚いたようにガバッと体を起こした。


「えっ? 何であんたが来るの?」

「お母さんに頼まれたんだよ。玲菜もケーキを食べたいだろうからって」

「そう」

「つーかこういう時は着替え中で下着姿なのが普通なんじゃないの? お約束的に」

「な、何言ってんの!? 何よお約束って!?」


 夕菜は頬を赤らめて訊き返す。


「このお約束も知らないとは……やれやれ、しっかりしろよ」

「は!?」


 かぶりを振る幸介を見て夕菜は顔を顰めていたが、冗談だと分かると再び寝転んで枕に顔を埋めた。


 夕菜がすぐに起き上がる気がないことを察し、幸介は彼女のいるベッドとは反対側の壁際に腰を下ろした。


 夕菜は寝転んだまま顔を上げ、無言で座っている幸介を見る。


「ねえ、幸介君」

「ん?」

「沙也加さんと二人で温泉行くの?」


 試合のときの沙也加への声援を聞いていたのだろう。


「いや、どうかな。美優も行きたいって言いそうだし?」

「ふーん」

「何? 一緒に行きたいの?」

「そういうわけじゃないけど……」

「え? 二人で泊まりで行きたいって?」

「だ、誰もそんなこと言ってないわよ!」


 幸介が訊き返すと、夕菜はまた体を起こし、顔を赤く染めながら否定した。


「なーんだ。残念」


 そう言って微笑む。


 夕菜は何か不服そうな表情になり、こちらに正面を向けて座り直す。


「ねえ」

「ん?」

「あんたってさ、あまり人と深く関わらないようにしてない?」

「え……?」


 夕菜の言葉には、少し驚いた。


 見られているとすれば、普段教室で過ごしている姿だ。


 確かに幸介は教室では自席からあまり離れず、ぼーっとしたり眠って過ごすことが多い。


 しかし亮太や清水たちが声を掛けてくると愛想良く応えているし、クラスメイトとあまり話さない生徒なら他にも多くいる。


 だから自分がそんなことを言われる程の印象を与えているとは思わなかった。


「……何で?」

「そういう風に見えるの。その、無駄にノリがいいところとか。あんたが演技してるというか、そういうので壁を作ってるように見えるの」

「……」

「私たちにはもちろん、亮太君とかにも本音で話してないんじゃないかって。それに、あんたってノリは良くても実際には遊ばないじゃん」


 幸介はまた驚いていた。それは彼女の言葉が的を射ていたから。


 しかしすぐに笑顔を取り繕う。


「さすがだな。お前は鋭い! 名探偵夕菜と呼ぼう」

「また……すぐそうやって適当に誤魔化すじゃん。何で?」


 笑って冗談っぽく切り抜けようとしたが、夕菜が聞き流してくれず、無言で彼女を見る。


 夕菜は澄ました目でこちらを見ている。

 彼女は思慮深く、意外と観察しているのだと思う。


 幸介は俯きながら静かに口を開く。


「……俺は、大切なものを守れないから」


 それは、一言の本音。

 大切な人達を守れなかった。


 だから買い物に行く途中、玲菜の問いかけにも答えるのを躊躇った。


「えっと……どういう意味?」


 どういう意味で言っているのか、当然彼女には分からない。そして詳しく訊かれたとしても、説明なんかできない。


「いや……ていうか、冗談だよ。普通にいっぱい友達が欲しいに決まってるだろ」

「ちゃんと本音で話して」


 夕菜が静かに見つめてくる。


 もう撤退する作戦に変更だ。

 幸介はゆっくりと立ち上がって言う。


「そろそろ戻ろうぜ。お母さんに、『夕菜を襲っちゃ駄目よ』とかって釘さされてるし?」

「は!? そ、そんなつもりで部屋に来たの!?」


 突然顔を真っ赤に染めながら、両腕で胸を隠す仕草をする夕菜。


 もちろん話題を変えて部屋から撤退するための適当な嘘だったのだが、予想以上の彼女の反応に驚いた。


「ぷっ。そうそう。だからそんなことになってお母さんに怒られる前に戻るぞ」

「……わかったわよ。とりあえず先に戻ってて。着替えてから戻るから」


 また冗談だとわかったらしく、夕菜は不満げな表情になった。


「へいへい。じゃあ玲菜にでも相手してもらおーっと」

「ちょっと。玲菜に変なことしないでよね!」

「さあな。気になるならさっさと降りて来い」


 幸介は夕菜の部屋を後にした。


 階段をゆっくりと降り、リビングへ戻る。


 飛びついてきた玲菜を抱えてソファに座った。


「こうすけ、お姉ちゃんは?」

「ああ。お姉ちゃんならもうすぐ来るよ」


 玲菜が「そっか」とまた抱きついてきた。


 頭を撫でてやると、彼女はにっこりと笑顔を見せた。




 しばらくすると、普段着に着替えた夕菜が、拗ねたような顔をしながら戻ってきた。


「……」


 夕菜はリビングに入ってきた途端、こちらにジト目を向けた。


「ちょっとあんたら、いちゃつき過ぎじゃない?」

「いや、めちゃくちゃ普通だよなー、玲菜」

「うん」

「……」


 冷たい視線を感じる。


「夕菜、手伝って」

「……はーい」


 母親に呼ばれ、夕菜は不満げな返事をしてキッチンへ向かう。


「玲菜も手伝うよ。こうすけもいこ」


 玲菜は幸介の手を引いてダイニングへ行き、テーブル席の一つの椅子を引いて座らせる。そして母親を手伝いにいった。




 幸介は玲菜が引いた椅子に腰を下ろすと、何げなく彼女たちを眺めていた。


 そこにあったのは、母親と娘二人、和気あいあいとした家族の光景だった。


 夕菜が母親の料理を手伝い、玲菜が食器を並べる。一人前用に切ったケーキを、玲菜が目の前に置いてくれた。そしてたたたっと母親のところへ戻っていく。


 幸介は静かにその光景を眺め、微笑ましく感じていた。


 母親を囲んだ彼女たちの笑顔は、とても眩しいものに思えた。


 ほんの数秒程の間だったと思う。


 目の前の光景に見とれてしまっていた幸介は、ふと三人が自分の方を見て固まっていることに気付いた。


「こうすけ……何で泣いてるの?」

「え……?」


 玲菜に言われ、頬に手を当てる。

 流れた涙に気付き、服の袖で拭う。


「あんた、どうしたの?」


 夕菜も驚いたように尋ねる。

 母親は何も言わずにこちらを見ている。


「あれ……?」


 笑顔を作りながら、再び涙を拭う。


「おかしいなあ……あ、ちょっと目にゴミが入ったかも」

「こうすけ、大丈夫?」

「大丈夫だよ。もう取れたから」

「そう……」


 幸介は近付いてきた玲菜に微笑みかけるが、玲菜は不安げな表情のままこちらを見ている。


 夕菜と母親も変わらず心配そうな表情のままだ。


 幸介は話題を変えようと思考をめぐらせ、沙也加から受け取ったプレゼントのことを思い出した。


「あ、そうそう。そう言えば、もう一つお母さんにプレゼントがあるんですよ」


 笑顔を作る幸介の思惑は、夕菜たちには一目瞭然かもしれない。


「まあ。もう十分に頂いたのに」


 母親は少し申し訳なさそうに言いながら近付いてきた。


 幸介はパーカーのポケットに入れていた茶色の紙袋から、一枚のDVDを取り出す。


「どうぞ。後で見てください」

「まあ。何かしら?」

「何のDVD?」


 夕菜も不思議そうにDVDに目を落とす。


「まあ、そんな大したものじゃないですけど、見てのお楽しみです」

「何か分からないけどありがとう。楽しみにしておくわ」


 母親は笑顔でDVDを受け取った。



※※※



 テーブルを囲み、談笑が続いた。


 夕菜は彼の涙が気になっていた。


 彼はすぐにいつもの笑顔に戻り、今も楽しそうにお喋りしている。


 そんな彼の目の前に、不意に一口サイズのケーキが現れた。


 ケーキの先には、彼の隣からフォークを突き出す玲菜が屈託のない笑顔を見せている。


「はい、あーん」

「ん? おう」


 彼は差し出されたケーキをぱくっと頬張る。

 

「美味しい?」


 玲菜がにこっと笑顔で尋ねると、彼はケーキを飲み込み、「美味い! サンキュー玲菜」と、彼女の頭を撫でる。


「えへへ〜。よかったー」


 玲菜は頬を赤く染めてにっこりと笑った。


 まるで恋人同士がいちゃついているようにしか見えない。


 それを見ていた母親は、「あらあら」と微笑んでいる。


「ねえ、こうすけ。今度は玲菜と二人でデートしよ」


 また玲菜がにこにこと笑顔で言う。


 何て可愛くて積極的な妹なのだろうと思う。自分はあんなに素直に言えない。


 先程の自室での会話を思い出しながらそう思った。


「おう。いつでもオッケー」

「ほんと? わーい。お母さん、いいよね!?」

「あら〜。幸介君とならいいわよー」


 いつの間にか、彼は母親にも信頼されているようだ。


 玲菜は「やったー」と嬉しそうに幸介に抱きつく。幸せそうな笑顔だ。


「ねえ。あんたらさ、何でそんなにラブラブなわけ?」


 幸介に冷たい視線を向ける。

 正直、少し妹が羨ましい。


「んー、何つーか直感? ビビっと来たんだよ。な、玲菜」

「うん」


 幸介が玲菜の頭を撫でながら言うと、また玲菜が頬を赤く染めて微笑む。


 八歳の妹とまるで本当の恋人のように愛を語り合うクラスメイトの男。


 不安ではあるが、恐らくいつもの適当なノリなのだろうと思うことにした。


 彼の適当なノリはいつものことなので、もう放って置けばいいのだろう。


 問題なのは妹がまだ子供とは言え、冗談ではなく彼に好意を持っているということだ。


 しかし彼が妹を見る優しい目を、夕菜は嫌いではなかった。


「まずいわよ、夕菜。幸介君を玲菜に取られてしまうわ」

「……そんなんじゃないから」


 母親が冷やかしにきたが、先程のようにムキになる気力がもうない。


 今日は幸介の言動のせいなどで声を荒げることが多く、少し疲れてしまっている。



「ねえ、お母さん。お父さん、今日も遅いの?」


 不意に玲菜が尋ねた。


 彼女は自分の席に座り直し、またケーキを食べ始めている。


「そうね。今日も遅いんじゃないかしら」

「ふーん。そっか」


 母の答えを聞き、玲菜は少しがっかりした様子だ。


「仕方ないでしょ? お父さん、仕事が忙しいんだから」

「わかってるよ」


 夕菜が宥めると、また玲菜が寂しそうにそう言った。


「お父さんって、何の仕事をしてるの?」


 幸介がケーキを食べながら尋ねた。

 彼も何となく気になったのだろう。


「お父さん、刑事さんだよ」


 玲菜が口に入れていたケーキを飲み込んで答える。


「……刑事?」

「うん」


 気のせいかもしれないが、玲菜の答えを聞いた彼の表情が一瞬強張ったような気がする。


「……そっか。刑事って大変なんだろうね」


 彼はまた笑顔で言う。


「お父さんにはちゃんと料理を残しておくわ。だからいっぱい食べても大丈夫よ」


 そう言って微笑む母親に、玲菜は「はーい」と笑顔で返事をしていた。

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