そんなに気になるの?
学校に着くと校舎を素通りし、試合が行われる第一体育館へと向かう。
幸介の左手には玲菜の小さな手が握られており、右腕にはいつも通り美優がしっかりとしがみついている。
「玲菜、こっちだ」
「うん!」
玲菜は笑顔で答える。
学校へ来るまでに玲菜との距離は大分縮まっており、いつの間にか玲菜もかなり幸介に懐いている。
土曜とはいえ、部活動のために来ている生徒たちが少なからず目に入った。
彼らの視線が幸介たちに集まっているのは、玲菜が一緒にいるからだろう。小学生の女の子を連れて高校の敷地を歩いているのだ。珍しいのもわかる。
玲菜の歩幅に合わせてゆっくりと歩き、体育館に着いた。
体育館の玄関には来賓用のスリッパが置いてあるので、それに履き替え、玲菜にも履き替えさせた。
そして再び玲菜の手を引いて中へ入る。美優もその後に続く。
体育館には生徒たちが集まっていた。
剣道部が愛好会と試合をするという話が広まっているので、他の部活動の生徒たちが練習を中断して試合を見に来ているようだ。
体操着やジャージ姿の者が多いが、中には制服姿の者もいる。遊び半分の冷やかし程度だろうが、試合を見るためにわざわざ学校へ来たのかもしれない。
上を見ると、ギャラリーにも生徒たちが集まっている。
倉科学園の体育館は観戦者用にギャラリーが広めに作られており、固定の長椅子なども設置されている。
体育館とギャラリー共に、集まっている生徒は女子の割合が多く、「きゃーきゃー」と黄色い声が聞こえる。彼が試合に出るという噂が広まっているからだろう。女子の間で彼の噂はすぐに広まる。
学校の敷地内には剣道場もあるのだが、観客が多くなることが予想出来たので、ギャラリーからも試合を見ることが出来る体育館を試合をする場所として指定した。
体育館内の奥の方には剣道部の部員たちが集まっており、部長の堂本が何やら話している。
予想通り、どうやら部活動の一環として部員たちにも試合を見学させるようだ。
男子だけでなく、女子部の部員たちも集まっている。
「あ、幸介さん、おはようございます」
「おう」
すでに体育館で待っていた和也が幸介たちに気付いて近付いてきた。
近くには女子の観客を集めた張本人である秋人もいて、二人ともすでに道着に袴姿だ。
「秋人さん、おはようございます」
「ああ、美優ちゃん、おはよ」
「美優さん、見に来たんスね」
「うん。結果も気になるし、私がお兄ちゃんに頼んだわけだしね」
和也は何故か同級生である美優にも敬語を使う。幸介と知り合ってかららしい。美優を名前で呼ぶのも、苗字で呼ぶとややこしいからだそうだ。
「……で、その子は?」
幸介が手を引いている小学生の女の子を見て、秋人が尋ねる。
「この子は玲菜だ。家族思いのいい子だ」
「いや、そういうことを訊いてるんじゃないんだけど」
玲菜は幸介の左手をしっかりと握り、少し後ろに隠れている。
「ここに来る途中に知り合ったんだよ。試合を見に来るっていうから連れて来た」
「なんだそりゃ」
「……それって大丈夫なんスか?」
秋人は幸介の回答に対して呆れたような表情になり、和也は犯罪を疑われるのではないかと心配した。
「大丈夫だよ。な、玲菜」
「うん。お姉ちゃんの学校だし大丈夫」
「ふーん。お姉ちゃんね」
玲菜の言葉を聞き、秋人は何かを察したように呟いた。
※※※
「夕菜、ちょっと待ってよ!」
「早く行かないと始まっちゃうわよ」
後ろを歩く愛梨を残し、夕菜は足早に体育館へと歩を進める。
愛梨がたたっと小走りで追いついて来た。
「何? そんなに幸介君のことが気になるの?」
「そ、そんなんじゃないわよ」
愛梨がにやにやしながら尋ねてきたので、思わず否定する。
夕菜が愛梨と二人で向かっているのは、倉科学園の体育館。
休日にも拘わらず制服を着て学校へ来ているのは、剣道部と愛好会の試合を見るためだ。
「そんなに急いでて違うって言われてもね」
「う……まあそうだけど」
愛梨の指摘はもっともだ。思わず否定してしまったが、実際には気になっている。
突然行われることになったこのよくわからない試合も、正直かなり見たい。
「っていうか、幸介君が作った愛好会が剣道部と試合って、何でそんなことになってんの? そもそもそんな愛好会があったなんてことも知らないし」
「さあ。あいつほんとに何考えてるのかわかんないから」
普段の言動を見ていても思うが、本当に彼の考えていることがわからなさ過ぎる。
「でもこの学校の剣道部ってマジで強いのよ? そんなのと試合なんかしてどうするんだろね」
愛梨の言う通り、この学校の剣道部と試合なんかしても勝てるとは思えない。勝負にすらならないかもしれない。
「でもあいつ色々と訳わかんないし、実は剣道出来るのかも」
「幸介君が? まさかー」
愛梨はけらけらと笑う。
彼女がそんな反応になるのもわかるが、夕菜には思い当たることがある。
夕菜が不良に絡まれたとき、幸介が現れて助けてくれた。彼は数秒の間に三人の不良たちを倒してしまったのだ。
「っていうか、そう言えば秋人君が『幸介は多分出ない』とかって言ってたような……」
「え、マジ?」
愛梨が顎に人差し指を乗せて思い出したように言うのを聞いて、夕菜は思わず立ち止まった。
「うん。今まで忘れてた」
「……」
愛梨が笑顔でごまかすのを見て、若干呆れてしまう。
試合に出るメンバーの一人は多分秋人なのだろう。
しかし幸介が作った愛好会だと聞いていたので、試合には当然彼も出るものだと思っていた。
彼の試合を見に来た身としては、少しがっかりしてしまう。
愛梨も肝心なことを先に言って欲しいと思うが、彼女にはよくあることなので仕方がないとすぐに思い直した。
それに、どっちにしても試合のことは気になる。
「っていうか、秋人君も剣道出来るのかって感じなんだけどね」
「だよね。あの人サッカー部でしょ?」
「そうそう。サッカー部のエースだよ」
「ほんとにわけわかんないわね」
剣道の試合にそんな人間を引っ張り出してどうするのだろう。本当に何を考えているのかわからない。
「ていうか何も考えてないんじゃない? 幸介君バカそうだし」
「めちゃくちゃありえるわね」
「ぷっ。とりあえず行ってみればいいか。行けば分かるし」
「そうね。じゃあ早く行くわよ」
そんな会話をしながら急ぎ足で歩き、体育館へ辿り着いた。
玄関から入ると、先程校舎の下駄箱から持ってきた上履きに履き替える。そして、玄関のすぐ側にある階段を登り、直接ギャラリーへと向かった。
ギャラリーにはすでに多くの生徒が集まっていた。
「えっ、何!? 何でこんなに集まってるの?」
「何か意外と注目されてるわね。まあ女子が多いし、集まってる理由も想像がつくけど」
驚く愛梨に、夕菜はそう答えた。
女子の観客が集まっているのは、秋人が試合に出るからに違いない。
多くの生徒たちの中、ギャラリーの通路を歩いて行く。
前方に茶髪にピアスの男が目に入った。彼は手すりに腕を乗せ、体育館を見下ろしている。
夕菜たちが近付いていくと、亮太がこちらに気付いた。
「おう。お前らちょうどいいところに来たな! もうすぐ始まるぞ」
「あんた来るの早いわね」
普段よりやる気を見せる亮太を見て、愛梨は呆れながら言う。
「いや、だって気になるし。剣道の試合なんてあいつ何考えてんだ?」
「さあ。それがわかんないから見に来たんだし」
二人の会話を他所に、夕菜は黙って体育館を上から覗き、幸介の姿を探す。
「っていうか見てみろよ。幸介のやつ、何か小さい女の子を連れて来てるんだよ」
「まじ? どんな子?」
愛梨も亮太の隣に並んで手すりに腕を乗せ、体育館を見下ろす。
「あれあれ」
「あ、ほんとだ! ……えっ? あの子ってまさか……」
何かに気付いた愛梨が夕菜に視線を移す。
夕菜も幸介を発見するのと同時に、彼が手を引いている女の子の姿が目に入った。
ピンクがかった髪の、小学生くらいの女の子だ。
「えっ、玲菜!?」
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