人気女優の先輩と完璧人間(1)

 夕菜は愛梨と並んで幸介の向かいに座り、弁当を広げた。


 そして今にも食べはじめようとしていると、ガラガラと教室後方の扉が開いた。


「えっと……あ、いたいた。幸介ー、お弁当持ってきたよー」


 クラスメイトたちが声が聞こえた方に振り向く。


「「「はあぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」」」


 多くの驚愕の声が重なった。


 教室の入り口には、一人の女子生徒がにこにこと笑顔で小さく手を振っていた。


 この学園の三年生で現役女子高生女優、平峰沙也加だ。


 彼女はこの一年間あまり学校へ来ておらず、現在の二年生たちのほとんどは実物を目にするのは初めてだ。


 そのため同じ学校の先輩であるはずの彼女は、二年生たちからすればほぼただの芸能人だ。


 クラスメイトたちは呆然と彼女に視線を向けていた。


 特に男子たちは、口を開けたままピクリとも動かない者や、箸からおかずをぽろっと落とすが気付かない者、中には呼吸すらしていない者もいる。


 沙也加は教室中から浴びせられる視線を気にすることなく、窓際の席までゆっくりと歩いてきた。


「おお! まじ? っていうかお前学校来てたの?」

「うん。途中から来たの。今日は仕事がお休みだったから」

「そりゃよかった」

「騒がしいクラスだね」


 近付いてきた沙也加は、周りを見回しながら言う。


「……いつもは普通だよ」


 幸介は腑に落ちないといった様子で答えた。


 教室が騒がしいのは彼女のせいなのだ。


「ふーん。はい、お弁当」

「おう。サンキュー」


 幸介は笑顔でお礼を言って、沙也加が差し出した弁当の包みを受け取った。


 どう見ても、二人は慣れ親しんだ間柄だ。


「ちょ、ちょっと……奥山君! 平峰沙也加さんじゃない……!」

「奥山君、知り合いなの!?」


 夕菜が戸惑いながら言うと、愛梨もそれに続いて尋ねた。


「ああ、そうそう。二人とも知ってるの?」

「あ、当たり前じゃん! 知らない人なんていないって」


 幸介が尋ねると、愛梨はくってかかるように返した。


「そうなの? いやー、お前も出世したな」

「でしょ? もっと褒めて」

「えらいえらい。さすが沙也加」

「やったー」


 幸介に褒められ、手を後ろに組んだ沙也加はにこにこと笑顔で喜ぶ。


「いや、奥山君、そんなほのぼのと話してる場合じゃないんだけど!? みんなの視線気付いてる!?」


 呑気に会話を続ける二人に、愛梨が割って入った。


 周りを見ると、クラスメイトたちは未だに唖然となっている。


「あ、やっぱり? 見ないようにしてたんだけど」


 幸介はとぼけたようにそう言った。


 その直後。


「お……」


 やっとのことで一人の男子(清水)が声を発した。


「奥山あぁぁぁぁぁ! 貴様あぁぁぁ!」


 清水が叫ぶと、他の男子たちもせきを切るように幸介を取り囲んで詰め寄った。


「これはいったいどういうことなんだ!?」

「お前! 平峰沙也加さんと何で知り合いなんだよ!」

「しかも仲良さそうに! マジでふざけんな!」

「どういうことか説明しろ!」

「あ、僕、伊藤っていいます。いつも見てます」

「てめー、伊藤! 何抜け駆けしようとしてんだコラぁ! あ、初めまして。清水です。めちゃくちゃ好きです!」

「てめーもだろうが! 何いきなり好きとか言ってんだ! っていうか、俺、西野っていいます! 奥山がいつもお世話になってます!」

「お前こそ、いきなり奥山と仲良いフリしてんじゃねえ!」

「なめんな! 俺と奥山は昔からのマブなんだよ!」

「お前は最近同じクラスになって知り合ったばっかだろうが! 俺は昔からの親友で!」

「お前ほとんど奥山と話したことねーだろうが!」


 先程、夕菜が幸介に弁当をあげようとしたときの倍以上の人数が集まっている。彼らの勢いも比較にならない程だ。


 結局男子たちの言い争いに発展しており、彼の親友だと嘘をつく者も出始めている。


 中には普段目立たないように本を読んで過ごすような男子も混じっている。このときばかりは自分を抑えきれなかったらしい。


 女子たちも気になってはいるようだが、男子たちのあまりの剣幕に怖くて近付けないという様子。


 そして、誰が何を言ってるのかわからないくらいの混戦になってきたところで、やはり愛梨が立ち上がった。


「うるさい! 全員席に戻れ!」


 一瞬でその場が静まり返った。


「い、いや、でも……」

「何? 何か文句あんの!?」

「……いえ、ないです」


 清水が一度粘ろうとしたが、すぐに愛梨が黙らせた。


「ならさっさとどっか行って」

「「……」」


 少しの沈黙が流れた後、男子たちはすごすごと背中を向けて離れていった。


 中には未練がましい様子でちらちらとこちらを振り返る者もいたが、愛梨には逆らえないのか、大人しく元居た席に戻っていった。


 幸介と沙也加は唖然となっていた。


 男子たちのあまりの凄まじい勢いや、彼らを一瞬で黙らせた愛梨に驚いたのだと思う。


 愛梨は「ふう」と息を吐いて再び腰を下ろした。


「あー、びっくりしたー」

「……沙也加、お前いつの間にそんなに人気者になったの?」


 ほっと胸を撫で下ろす沙也加に、幸介が意外そうに尋ねた。


「めちゃくちゃ人気女優だっての。今まであんまり学校来てなかったから特に騒ぎになってなかったけど」


 愛梨が呆れたように答えた。


「私のお母さんもめちゃくちゃ好きって言ってたわよ」


 激しい状況についていけずに呆然と過ごしていた夕菜も、昨日の母親との会話を思い出しながら口を開く。


「ほんと? お母さんによろしく言っといてね」

「まじか。お母さん世代にも好感度があるなんて、お前どうしたんだ?」

「何よその言い方。っていうか私もここで一緒にお弁当食べてもいい? お腹空いてきちゃったし」

「ほんとですか? いいですよ。一緒に食べましょう」


 沙也加が笑顔で尋ねると、愛梨が愛想良く答えた。


「ありがとー。本当は幸介とどっかで食べようと思ってたんだけどね」

「そうか。まあ、今日はここでいいだろ。せっかくこの子たちもいるし」

「うん、そうだね」


 沙也加は軽く返事をしながら、机の上に広げられた弁当に視線を落とした。


「っていうか、もしかして幸介、お弁当いらなかった?」

「いや、そんなことないよ。これはもともとこの子たちのお昼ご飯だし、超必要だった」

「ほんとにー? この子のお弁当食べたかったんじゃないの?」

「いや、まあな。ていうかお前とにかく座れよ」


 幸介が促すと、沙也加は「うん」と笑顔で返事をして彼の隣に腰を下ろした。


 その光景を見ていたらしく、男子たちの方から「まじかよ」という声が聞こえた。


 しかし愛梨が怖いのかそれ以上騒ぎになることもなく、近付いても来ない。


「あのー、まさかとは思うんだけど、奥山君と沙也加さんは付き合ってるわけじゃないよね?」


 愛梨がそう考えてしまうのも当然だろう。

 クラスメイトたちも同じような疑惑を持ったと思う。


 沙也加が幸介の弁当を作って来たこと、彼女の幸介に対する態度、二人のあまりに慣れ親しんだやりとりは、周りから見れば恋人同士のように見えても不思議ではない。


 沙也加は頬杖をつき、にこにこと笑顔を幸介に向ける。


「バレたんじゃしょうがないよねー。ダーリン」

「「「な、なにぃぃぃぃぃ!?」」」


 沙也加の肯定したような発言を聞いて、男子たちが再び騒ぎ出した。


 愛梨も「まじ!?」と目を丸くして驚いている。


「おい、嘘をつくな」


 幸介は沙也加を半眼で見ながら恋人疑惑を否定した。


「わ、私がいつ嘘をついたっていうの……?」


 沙也加は幸介を見つめ、目を潤ませながら尋ねる。


「バカめ。あの殺気だった男達が見えないのか?」


 周囲には険しい表情でこちらを見る男子たちの姿があった。


「はいはい、嘘だよー。こんなどうしようもない男と恋人なわけないよねー」

「いや、そこまで言わなくてもいいんだけど」


 本気の涙目からけろっと笑顔に戻る沙也加を、幸介はげんなりとした様子で見る。


 彼女は演技派女優なので、涙を流すのも簡単だろう。


 再び騒がしくなりそうだった雰囲気が鎮まった。


 夕菜もほっと胸を撫で下ろした。


 直後、教室後方の入り口の方から男子生徒の声が聞こえた。

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