兄妹の日課

 幸介と美優が住むマンションは学校から十五分ほど歩いたところにある。


 幸介は帰路をゆっくりと歩いていた。


 右腕には美優がしがみついていて若干歩きにくいが、昔からこうなのでもう慣れている。


 もちろん可愛い妹なので悪い気はしないし、むしろ柔らかな胸が常に当たっているのでお得だ。


「あの、お兄ちゃん、相談があるんですけど」

「ん? どうした?」


 不意に美優がこちらを見上げながら言うので訊き返す。


「あのですね、私のクラスメイトでたまに話す男の子がいるんですけど、最近悩んでるみたいなんです。悪い子じゃないと思うので助けてあげたいんですけど……」

「そうか。何で悩んでるのかは分かってるのか?」

「多分なんですが、恐喝のようなことをされてるのが原因じゃないかと。相手は部活の先輩っぽいです」

「覗いたのか」

「はい。複数の男子に囲まれてお金を取られたり、何か買いに行かされてるのが視えました」

「学校でカツアゲか。今どき居るんだな」

「お兄ちゃん、助けてあげてくれませんか?」

「ああ。お前の頼みなら聞かないわけにはいかないし、何よりそんな行為は許せない」

「さすがお兄ちゃんです」


 美優は嬉しそうに笑顔を向け、さらに強くしがみついてきた。


「いや、まあな。明日にでもどいつか教えてくれ。話を聞いてみる」

「はい、お願いします。あ、そこのスーパー寄っていいですか?」

「ああ」


 美優の視線の先には、行きつけのスーパーがあった。


 家事は大体美優がやっており、学校の帰りにスーパーで買い物というのもほぼ日課となっている。


「お兄ちゃん、今日のご飯は何がいいですか?」

「んー……お前が作るんだよな?」


 幸介は少し不安になりながら尋ねる。


「そうですよー。今日も夕飯は二人きりみたいです」

「そっか。じゃあ何でもいいよ。お前の料理なら何でも美味いからな」

「えへへ~。そうですか」


 美優の料理は美味いので夕飯のメニューは何でもいい。


 幸介が確認したかったのは、作るのがもう一人の家族ではないかということ。


 美優がほとんどの家事をするのだが、たまにもう一人の家族が張り切るのだ。


 と言っても、最近は彼女の料理も上手くなっているので問題はないのだが、何となく昔を思い出して警戒してしまう。


 美優の照れたような笑顔を見て幸介は微笑ましくなったが、その表情は真剣なものに変わった。


「美優」

「はい?」

「今日も頼むよ」


 それは、二人が日課としていることについて。


「わかってます」


 幸介の言葉に、美優は笑顔で答えた。


 

※※※



 夕食の後、幸介は自室のベッドにだらだらともたれながら、美優が来るのを待っていた。


 そこへ、コンコンとノックする音が鳴った。


「お兄ちゃん、入りますよ」

「ああ」


 美優が扉を開けて入ってきた。


 彼女は幸介に近付いてくると、目の前で後ろ向きにちょこんと座った。かなり密着している。


「なあ、お前、そのカッコ寒くない?」


 美優は白のタンクトップにショートパンツ姿。先程夕食を食べたときと比べてかなり薄着になっている。


 もう五月とはいえ夜はまだ肌寒い。


 長袖のスウェットを上下着ている幸介から見ると、彼女の格好は寒そうに思えた。


「いえ、大丈夫ですよ? お兄ちゃんが抱きしめてくれれば」

「そ、そうか」

「はい」


 直後、美優は「くしゅん」と小さなくしゃみをした。


「いや、くしゃみしてるじゃん」

「大丈夫です。さ、早く抱きしめてください」


 両腕を抱えるようにして急かしてくる美優。やはり若干寒そうだ。


「前は手をつなぐだけだったよな」


 美優の首に手を回し、抱き寄せながら言う。

 振り返った彼女の頬は赤く染まっている。


「……いいじゃないですか。後ろから抱きしめられながらのほうが気持ちい……じゃなくて、能力を使ってもあまり疲れないんですよ」

「今何か言い直さなかった?」

「そこは聞き流してくれればいいんです」


 美優は頬を膨らませ、拗ねたような表情になった。


「ほんと可愛いやつだなあ。よしよし」

「そ、そうですか……?」


 幸介が頭をなでると、美優はまた頬を赤く染めて俯く。


「じゃあ、始めてくれ」


 幸介は真剣な表情でそう言うと、右手を美優の右手に絡めた。


「……えっと、じゃ、じゃあ……始めますね」


 美優は幸介の右手をしっかりと握りしめ、目を瞑った。



『視覚同調』


 他人の眼と自分の眼を同調し、その人物が見ている景色を覗き見ることが出来る。


 眼を同調出来るのは顔を見たことがある人物のみだが、他人の眼を通して顔を見た人物もそれに含まれる。


 自分と対象の人物との距離は関係なく眼を同調することが可能。


 さらに第三者の眼も同調させ、覗き見ている景色をその人物に見せることも出来る。


 それが美優の能力だ。



『いつものように適当に人物を切り替えてくれ』

『了解です』


 美優はその能力で他人の視界をランダムに覗き見ていく。そして同じ景色を幸介にも見せる。


 他人の見ている景色が、二人の頭の中に映し出される。


 スーパーで買い物中の主婦、夜の公園を散歩しているカップル、コンビニ前にたむろしている若者。


 美優は眼を同調する人物を片っ端から切り替え、視界を覗いていく。


 その都度、目に映る人物の顔が自動的に頭にインプットされる。


 そうして一時間ほど経った頃、その光景が二人の頭の中に映し出された。


『お兄ちゃん!』

『ああ。やばいな』



※※※



 ある単身者向けマンションの一室。


 キッチンからリビングへと逃げ惑う若い女を、包丁を持った男が恐ろしい形相で追いかけていた。


 男の目は狂気に満ちており、完全に理性を失っている。


 女は逃げながら近くにあった物を次々に投げつける。


 しかし男は意に介さずそれをなぎ払い、ゆっくりと女に迫っていく。


 逃げ道を塞がれた女は床に腰を落とし、後ずさりする。その顔は恐怖で引きつり、涙が溢れた。


「……お願いだから、やめて……」


 必死に絞り出した声で命乞いをした。


 そんな女を壁際に追い詰め、男は包丁を振り上げた。


 女はその男の狂気に満ちた目を見て絶望した。


 直後、男は意識を失い、握りしめていた包丁を手から落としてその場に倒れた。


 包丁は投げ出され、床に倒れた男はそのままピクリとも動かなくなった。


 女は目の前で起こった事態を理解出来ず、しばらくの間、床に倒れ伏す男から目を離すことが出来なかった。


 顔は恐怖で引きつったまま、その瞳から溢れる涙が止まらない。体を動かすことも出来ない。


 倒れたまま動かない男を、女は震えながら眺めていた。


 その後男が動かないことを頭で少しずつ理解するにつれて、女は次第に安堵の表情を見せ始めた。



『記憶消去』


 眼を合わせた人間の記憶を消すことが出来る。


 美優の能力で他人の眼と同調している間は、その人物の眼を見た人間の記憶も消すことが出来る。


 それが幸介の能力だ。

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