同じクラスの少年
新学期が始まってから一か月が過ぎ、五月の連休中のとある夜。
夕菜は夜風を浴びながら、一人ゆっくりと帰路を歩いていた。友人たちと遊びに行って解散した後、自宅まで歩ける距離だったので、歩いて帰ることにしたのだ。
辺りはすっかり暗く、街灯だけが夜道を照らしている。
そんな人通りの少ない街路を住宅地へと向かって歩いていると、不意に声を掛けられた。
「ねーねー、ちょっと俺達と遊ばねえ?」
声の方を見る。
道路の向かい側の暗がりで、いかにも悪そうな風貌の男が三人、煙草を吹かしながら、だらだらとたむろっている。
「結構です」
不安を抑えつつ、足早に彼らの前を通り過ぎる。ああいう連中とは関わりたくない。
「いやいや、ちょっと待ってよ」
夕菜はそれには答えず、歩く速度を上げる。一度断ったにも拘らずしつこく呼び止めてきたのが怖い。それにこれ以上絡まれると面倒だ。走って逃げた方がいいだろうか。でもそれが逆に刺激することにもなりかねない。
「いいじゃん、ちょっとくらいさぁ」
「っ……!」
いつの間にかそばまで来ていた男に腕を掴まれ、思わず振り返る。
そこには下卑た男の笑みがあった。恐怖が押し寄せ、全身に寒気が走る。
「ちょっと! 離して!」
掴まれた腕を振り払おうとするが、男の力が強く、振りほどけない。
さらに仲間の二人もにたにたと笑みを浮かべながら近付いて来て、あっという間に三人に囲まれてしまった。
「へへ。いいから待てって」
「離してって言ってるでしょ!」
精一杯の力で振り解こうとするが、やはり男の手から逃れることが出来ない。
誰か……!
辺りを見回すが、暗がりの中、歩く人の姿は見当たらない。
右腕も後から来た男に掴まれてしまい、無理矢理引きずられてしまう。
近くにあった街灯が夕菜の顔を照らした。
「おい、この子めちゃ可愛くね?」
「マジマジ? うお、本当だ。上玉じゃん?」
「やべえ、マジラッキー」
恐怖で体が竦む。興奮する男たちの下卑た視線が気持ち悪くて仕方がない。
「とりあえず車に乗せようぜ」
「オッケー」
「離して!」
必死の抵抗も虚しく、男たちに両腕を掴まれたまま、さらに人気のない路地を引きずられていく。
(怖い…………! 私、一体どうなるの……?)
車なんかに乗せられてしまったら終わりだ。何をされるかわからない。
力では敵わない。助けも来ない。周りに人も居ない。
本当に絶体絶命だと思った。
そのときだ。
「ちょっと待った」
こんなに安堵を覚えたことはない。本当に天の助けかと思えた。自分はまだ神様に見捨てられてはいなかったのだ。
振り向くと、そこにいたのは一人の少年だった。黒のパーカーを着ており、頭にはフードを被り、両手をポケットに突っ込んでいる。細身で背はあまり高くない。暗がりの中なので、顔ははっきりとは見えない。
「その子、俺の連れなんだよね」
彼は自分を助けようとしてくれているらしい。しかし、そんなことを主張した程度で、この男たちが大人しく引いてくれるのだろうか。
「あ? 男連れかよ」
「嘘じゃね? こいつたまたま現れた感じじゃん」
「つーかどっちみち関係ねえだろ。どうせ連れてくんだし」
やはり男たちは少年が現れたことなどお構いなしに自分を連れて行くつもりらしい。先程感じた安堵感が弱まり、再び不安が募る。
相手はいかにも悪そうな不良が三人だ。少年一人が助けに現れたところで、この状況を乗り切るのは困難に思えた。
「女の子一人を三人掛かりで無理矢理? まともな人間のやることじゃないだろ」
少年は鋭い眼差しで不良たちを睨み、不愉快そうに言った。
「あ? 知ったことかよ」
「まあこいつの言う通りじゃん? 俺ら鬼畜だし」
「だな。なあ、この子は俺らと遊ぶみたいだからお前は帰れよ」
一人がへらへらと笑いながら、威圧するように少年に迫る。
「帰るよ。その子を連れて」
少年の声音が段々と変わってきている。目つきはさらに鋭くなり、苛ついているのがわかる。
「あ? 一人で帰れっつってんだよ」
「いいんじゃね? もうこいつやっちまって連れていけば」
「そうするか。大人しく消えねーからしょうがねえし」
一人は怒りを露わにし、残りの二人はにたにたと笑っている。彼らが暴力によって少年を排除しようとしているのは明白だ。
さらに不安が押し寄せる。彼がやられれば、自分はこのまま連れて行かれてしまう。
「クズ共が。お前らは許さん」
思いもよらない冷たい声が響いた。少年の声には、明らかに怒りが入り交じっていた。
彼が放つ威圧感と殺気に背筋が凍る。
「は? 何だこいつ……」
「おい、もうさっさとやっちまおうぜ。人が来ると面倒だしよ」
「あーあ、痛い目みないうちに早く帰っとけばよかったのによ」
男の一人が少年に近付き、拳を振り上げる。
「オラァ!」
「きゃあぁぁぁ!」
夕菜は悲鳴を上げ、顔を背けてしまった。
……
……
およそ十秒くらいだろうか。いつの間にか、自分の腕を掴む力がなくなっていた。
恐る恐る目を開く。
夕菜の周りには、三人の不良たちが倒れていた。どうやら意識を完全に失っているようで、三人ともピクリとも動かない。
少年の方はというと、何事もなかったかのように、ポケットに両手を突っ込んだまま立っている。
(えっ……何これ……? こいつがやったの……?)
顔を背けていたため見ていなかったが、状況的にそれしかない。それしかないはずなのだが、信じられない。
何が起きたのか理解出来ない。今だに不安と恐怖が拭えず、頭が回らない。
手足を上手く動かすことも出来ず、しばらくの間、その場を動けずにいた。
「大丈夫?」
少年はゆっくりとこちらへ近付いてきた。
夕菜はやっとのことで反応する。
「えっ…………あ……はい……」
「人が多いところまで送るよ」
「は、はい……あの、本当にありがとうございます……」
夕菜は差し伸べられた少年の手を取り、その距離で彼の顔を見上げて気付いた。
少し長めの黒髪に黒い瞳。細身で整った顔の草食系の少年。
(こいつ、同じクラスの──!)
それは、いつも窓際でぼーっと過ごしているクラスメイトの男子だった。
信じられない気持ちでいっぱいだが、彼が助けてくれたことには変わりはない。
(本当に、怖かった……)
彼はそのまま夕菜の手を引いて歩きはじめた。
握られた自分の手を見ると、その手が震えていることに気付いた。恐怖からか安堵からか、目には涙が溢れている。
まだ心臓はばくばくと緊張したままだ。体は重く、両足はしっかりと歩けている実感もないくらいに震えている。
彼はこのことに気づいているのだろうか。
少年は黙ったまま歩いている。夕菜も手を引かれながら、黙って彼の後についていった。
静かな夜道を二人はゆっくりと歩く。彼は自分の歩幅に合わせてくれているのだろう。
そうやってしばらく歩くと、手の震えも止まり、夕菜は段々と落ち着きを取り戻していた。
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