第26話 平成31年4月26日(金)「日野さんのいない教室」

「本当に、あんなに元気な人が……」


 一昨日の通夜の席で、皆がお祖母ちゃんの思い出を語っていた。病気知らずで、明るく、世話好き。誰とでもすぐに仲良くなれる人で、陽稲はお祖母ちゃんとよく似てると言ってくれる。100歳まで生きると思っていたよと口々に語っていた。事故がなければ、あと数十年生きることができたはずだった。


「孫たちはみんな別嬪さんだから、楽しみだったろうに……」


 お祖母ちゃんを惜しむ声を聞きながら、わたしは死の恐怖に打ち震えていた。お父さんもお母さんもお姉ちゃんも元気で、大きなケガや病気にもあわず日々暮らしている。それが当たり前だった。交通事故は昔より減ったというが、それでも年間に何千人もの人が亡くなっている。交通事故以外の事件事故もあるし、毎年自然災害でも多くの人が命を落としている。それが自分や自分の家族に降りかからないという保証はない。


 自分が死ぬこと以上に、自分の身近な人が死ぬことが怖かった。それは自分の家族だけでなく、友だちや知り合いでも言えることだ。今まで漠然とした存在だった「死」が、初めてリアルなものとしてわたしの前に現れた。わたしよりも遥かに「死」を自分のものとして考えているであろう日野さんは、どうやってこの恐怖を乗り越えているんだろう。


 翌日の告別式は寒さの中で行われた。身体だけでなく心まで冷え切った一日。出棺の際に小学六年生の香波ちゃんか大声で泣き叫んだ。これまでも涙を見せることはあったけど、こんなに全身で自分の気持ちを表したのは初めてだった。香波ちゃんにつられて妹の桂夏ちゃんも声を上げて泣き出し、ふたりが宣子叔母さんに抱きかかえられている姿は今も脳裏に焼き付いている。


 わたしは火葬場でずっとお姉ちゃんの隣にいた。お姉ちゃんも辛かったと思うけど、ずっと側でわたしを守るように居てくれた。夕方、わたしとお父さん、お姉ちゃんの3人は札幌を発った。お母さんはもう1泊して、今日帰ってくる。お父さんとふたりで話し合って決めたそうだ。わたしたちのお母さんとしてではなく、お祖母ちゃんの娘として過ごす時間が必要なんだよとお父さんは言った。


 家に着いたのは深夜に近く、倒れ込むようにベッドで眠った。目覚めたのは朝の7時半過ぎで、まだ身も心も疲労が残っていたけど、急いで登校の準備をした。明日からはゴールデンウィーク。今年は10連休なので、今日はさすがに休めない。


 かろうじて遅刻せずに済んだ。純ちゃんはちゃんと登校していた。中1の時はほぼ毎日わたしが家まで起こしに行っていた。朝のジョギングを一緒にするためだったけど、朝に弱い純ちゃんを起こすことも目的だった。わたしが札幌に向かった後、お父さんが純ちゃんの家に連絡をしてくれた。ちゃんと自分で起きられるようになったのか、純ちゃんのお母さんが毎朝頑張っているのかは聞いてみないと分からないけど。


 一方、わたしの目の前の席は空席だった。日野さん、休みなんだと残念に思う。話したいことはいっぱいあるのに、連休に入ってしまう。授業はついて行けなかった。ほぼ2週間休んでいた訳だから当然だ。月曜日に日野さんにもらったノートのコピーも自宅に置いたままだったし、勉強どころではなかった。


 1時間目の後、高木さんが来て日野さんのノートを渡してくれた。「明日は休む可能性が高い」と言って、このノートを高木さんに預けたそうだ。コピーではなくノートそのものをわたしに貸してしまって、日野さんは自分の勉強は大丈夫なのかと心配になってしまう。


 それからの授業中はそのノートを読んでいた。昼休みには副担任の藤原先生が来て、欠席していた分の勉強について相談した。連休中に補習をするかどうかという話になる。当初から一家揃って休むのは難しかったけど、今回の札幌行きで両親共に仕事が溜まっている。そこで、わたしとお姉ちゃんは北関東の”じいじ”の家で一週間ほど過ごすことになった。子ども扱いされるのは嫌だけど、心配を掛けたくはないので、わたしは両親の希望を受け入れた。


 わたしはそういった家族の事情を説明する。そして、お姉ちゃんに勉強を見てもらうこと、日野さんのノートを貸してもらえたことを伝えた。藤原先生は日野さんのノートを見て声を上げて驚いた。すごく丁寧で分かりやすいノートだけど、そこまで驚くほどなのかとわたしも驚いた。


 日野さんのノートの話に気付いた近くの男子が「凄いよなあ、さすが学級委員」などと言っている。「ノート見たの?」と聞くと、昨日の放課後のことを話してくれた。居合わせたクラスの半数ほどの生徒がこのノートのコピーをもらい、更に居なかった子たちも後で知って欲しがって、今やクラスの大半は持っているらしい。他のクラスの子にまでコピーが出回っているとも聞いた。教科書や参考書以上に分かりやすいノートであることは確かだ。見ると、藤原先生がそれを聞いて頭を抱えていた。

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