第22話 平成31年4月22日(月)「不用意な一言」

 桜も散り、季節は着実に前に進んでいる。私の暮らすマンションから見える景色も新緑が目立つようになった。冬の間、休みがちだった私も、ここ最近は体調が安定し、身体もよく動く。このくらいの気候がずっと続いてくれればいいのに、とよく思う。


 月曜日を憂鬱と感じるほど学校を嫌いなわけじゃない。しかし、待ち遠しいと思うほど好きでもない。そんな私が今日という日を待ちわびていた。学校へ向かう準備をしながら、思わず鼻歌が出てしまうほどだ。


 一週間以上休んでいた日々木さんが週明けには来れるだろうと小野田先生から聞いている。話したいことはたくさんある。でも、何を言おう。そんなことを考えながら、いつもよりほんの少し早く家を出た。


「久しぶり~」


 まだ教室にはポツポツとしか生徒は来ていないのに、日々木さんは既に登校していた。普段はこんなに早く来ないので、彼女も学校が待ち遠しかったのだろう。笑顔満面で私に駆け寄ってきた。


「うん、久しぶり、日々木さん。元気になって良かったね」


 こういう時に気の利いたことが言えなくて残念に思う。


「ありがとー。日野さんとは話したいことがいっぱいあったんだよー」


 そう言って、身振り手振りを交えて、休んでいた間のことを教えてくれる。十日近いブランクが一瞬で消えてしまったかのように、日々木さんはうち解けて話してくれる。私が感じていた漠然とした不安は、彼女の前ではなんの意味もなかった。


 登校してきた生徒たちが次々と日々木さんに声を掛けるために近付いてくる。すぐに彼女の周りに輪ができ、始業のチャイムが鳴るまでそれが途切れることはなかった。休み時間には他のクラスの友人たちも駆けつけ、いかに彼女が慕われているか実感した。


 日々木さんは普段安藤さんを除いて特定のグループと一緒にいることはない。誰とでも分け隔てなく公平に接している。まるで誰にも独占できない太陽のような存在だった。


 ……私は、この太陽を独占せずにいられるだろうか。


 5限の後の休み時間、さすがに日々木詣でも終わり、ふたりだけで話ができた。


「とにかく退屈だったよ。動けない時は仕方ないけど、動けるようになっても外に出られないとストレス溜まるよねー」


「そうだね。私は読書が趣味だから、そこまでストレスは溜めないけど」


「すごいなあ。わたしはファッション誌くらいしか読まないから、すぐに読み終わっちゃって……。もっと本読んだ方がいいんだろうけど」


「でも、無理して読むのは辛いから。好きなものの方が良いよ」


「そうだよね! わたしはファッション以外だと、映画が好き。映画って、ファッションの勉強になるし! ……って、やっぱりファッション絡みだ」


 そう言って笑う。彼女の感情豊かな表情を眺めているだけで幸せになってくる。


「私はストーリーばかり追いかけちゃうな、映画だと」


「普通はそうじゃない?」


「役者に興味がないのは普通じゃないかも」


「あー。わたしも特定の役者やアイドルのファンって感じじゃないなあ。でも、ファッションは着る人とセットだから、そういう目で見てるっていうか」


 日々木さんは有名な洋画の主演女優が着ていた衣装の話を熱を入れて語ってくれた。


「本当に好きなんだね」


 日々木さんにつられるように私も笑顔になる。彼女にはそんなパワーがある。


「うん。好き。わたしはファッションでみんなを笑顔にしたい。できれば、デザイナーになりたいと思ってる。それがダメでも、将来はファッション関連の仕事に就きたい」


「応援するよ」


 自然とそう口にする。「ありがとう」と言って喜んでくれているのを見ると、彼女のためになんでもしてあげたくなってしまう。


「日野さんは、将来の夢とかあるの? 日野さんなら何にでもなれそうだけど」


「うーん……」


 将来の夢、か。


「あんまり考えたことないかな」


「え? そうなの?」


「生きていられれば十分、みたいな感じだったし」


 日々木さんが息を呑むのが見えた。しまった。私は一度目を閉じ、頭の中を整理する。彼女にこんな顔をさせるつもりはなかった。


「ごめん……」


 私にしては珍しく思考がまとまらない。何と言えばいい。口籠もる私を見て、日々木さんは机の上に置いていた私の手を取った。


「ごめん、なんて言わせちゃって、ごめん」


 それは、こっちのセリフだ。私より遥かに小さな手が私の手を包み込む。その温もりが私に言葉を紡がせた。日々木さんに嘘は言いたくない。私の思いを知って欲しい。


「確率の問題だと思ってるの」


 日々木さんは私の目を見つめ、頷いた。


「私は他の人より死ぬ確率が高いのは確か。これまでもそう言われてきたし、これからもそれは変わらないと思ってる」


 私の言葉を聞いて日々木さんの手に力が入るのを感じた。


「少しずつ丈夫になって、こうして普通に暮らすことができるようになった。だから、私は自分の境遇を不幸だと思ってない」


 いったん言葉を句切る。


「不幸比べなんてしたら、私より不幸な人はいっぱいいる。私は経済的に恵まれているし、勉強も運動も人並み以上にできると思ってる」


 私を見つめる日々木さんの目は真剣だ。


「確率の問題。誰だって重い病気に罹る可能性はある。事故や災害に遭う可能性だってある。私のリスクがほんのちょっと高いのは事実だけど、このクラスで私が一番長生きする可能性だってあるのよ」


 私は微笑む。少しは安心させられただろうか。


「聞いてくれてありがとう。こんなこと話したの、初めて」


 そう、親にも言ったことがない。


「話してくれてありがとう。わたしにできることがあるなら言ってね」


 普段の明るいだけの笑顔ではなく、慈愛に満ちた笑顔だった。その聖女のような眼差しが私の心に突き刺さる。私の不用意な一言は、日々木さんを独占するための無意識の策略だったと気付く。ごめんね。でも、欲しいもののために何でもしてしまうのも、きっと私だ。日々木さんの手の温もりに包まれながら、私はそう思った。

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