第16話 平成31年4月16日(火)「昨日の出来事」

「うっせえんだよ!」


 昨日の朝、そう言って飛び出すように家を出た。それを追いかけるように母親の金切り声が聞こえる。ただでさえ月曜はかったるいのに。くそっ! 怒りが収まらない。


 学校をサボろうかと思ったが、ひとりじゃ退屈だ。1年の時からツルんでいる恵に電話する。「遊ばね?」「えー」「いいじゃん?」「やめとくー」と、男ができてから、つきあいが悪い。一回〆た方がいいかもしれない。


「じゃあさ、今夜泊めてよ。親とケンカして帰る気ないから」


「たか良も男作れば良いじゃん」


「ヤらせろヤらせろって、うるさいじゃんか。そういう気分じゃねーっての」


「わかった、わかった。急いでるから切るよ」


 舌打ちする。気がそがれた。しゃーねーか、と頭をかく。学校に向けて歩き出した。


 2年になって、1年の時の遊び仲間はバラバラのクラスに分けられた。狙ってのことだろう。特にワタシのいる1組は男子も含めて真面目そうな奴ばかりで、話の合う奴がいない。クソつまんねークラスだ。


 ワタシの噂は他のクラスにも広まっていたので、のこのこ近付いてくる奴はいない。昼休みは、獲物を探すハンターのような気分で教室の中を見ていた。ワタシの視線に気付くと、みんな怯えたように目を逸らす。クソみたいな学校での唯一の愉しみだ。その時、ひとりの女子が目にとまった。


 そいつは、ワタシの視線に対して特に気にする素振りを見せない。名前は知らないが、確か転校生だったはずだ。そうか。ワタシを知らないのか。そいつが立ち上がって、こちらに歩いて来る。普通にワタシを見る。あえて目を合わせず、彼女が教室から出て行くのを見送った。


 ワタシは彼女の机の上に出してあった教科書を取ると教室を出る。整った顔立ちの彼女が泣く姿を想像すると、思わず暗い笑みがこぼれた。


 放課後になった。教科書がないことに気付いてすぐにこちらを見ていたから、ワタシが取ったことは確信しているだろう。しかし、何も言ってこない。教師に泣きつくかと思ったが、席に座ったまま顔を伏せてじっとしている。教室から人が減り、やがて彼女とワタシだけになった。


 さっさと帰っていればいいのに、バカな奴だ。ワタシは笑いながらゆっくりと近付いていく。ワタシが横に立つと、そいつも立ち上がった。泣いているのかと思ったが、表情から感情はうかがえない。


「麓さん」


「あ?」


 顔をしかめて、思い切りドスの利いた声を出す。向こうの方が少し背が高く、下から睨みつけるが、表情は変わらない。


「教科書を返してくれますか」


 ワタシはそいつの机を思い切り蹴飛ばす。教室に大きな音が響いた。


「バカか、てめえ」


 胸ぐらを掴もうと手を伸ばす。その手が払いのけられた。殴りかかる。避けられる。足を蹴る。これも避けられる。頭に血が上った。手近にあった机をつかみ、振り回す。相手が避けたタイミングで、その机を投げつける。一瞬でも足が止まったらタックルして組み付くつもりだった。


 ガシャン!


 彼女は投げつけられた机を空中で掴み、横に投げ飛ばした。こいつ、相当運動神経が良い。相手をじっと見つめる。どうやって追い詰める?


「わかった。悪かった。返す。ちゃんと返す」


 ワタシは両手を挙げ、降参のポーズをしながら自分の机に向かう。そして、机の中からボロボロになった教科書を取り出した。それを見て彼女は顔をしかめている。ワタシは教科書を彼女に見せるように手に持って近付いていく。


 彼女の顔に向けて、教科書を投げつけた。そして、渾身のタックル。その時、頭に大きな衝撃を受け、ワタシは床に崩れ落ちた。


「ごめんなさい。教科書を払いのけるつもりが当たってしまったみたい」


 嘘だ。頭はクラクラするが、それが嘘だということは分かる。明らかにワタシの行動は読まれていた。いや、誘われていたのかも。


 起き上がろうとした手を払われて、また床に転ばされる。


「頭を打っていると心配だから、寝ていた方がいいよ」


 逃げるように、這いつくばって距離を取る。制服は埃にまみれて真っ白だ。


「くそっ!」


 余裕をかましていられるのも今のうちだ。ワタシはスカートのポケットからスマホを取り出す。誰か呼ばないと。しかし、それもまた彼女の予想の範囲内だった。一気に距離を詰め、ワタシの手からスマホを取り上げる。


「返せ!」


 手を伸ばすが、届かない。慌てて立ち上がる。また転ばされる。


「学校内への持ち込みは校則違反だよね」


 口調は淡々としている。ワタシは息が上がっているが、向こうは平然としたものだ。


「職員室に持って行くね」


「返せ!」


 足下にしがみつこうとした。だが、机の向こう側に回り込まれる。ワタシは這いつくばって右へ左へ行こうとするが、机を盾にされて近付けない。


「頼むっ! 返してっ」


 1年の時に何度か注意され、今度持ち込みが見つかれば没収と言われている。親の許可も取ったらしい。さすがにシャレにならない。


「悪かった! 謝るから!」


 ほとんど土下座だった。プライドよりもスマホが大切だ。


「私、暴力は嫌いなので、この程度にしておくけど・・・・・・」


 そして、ワタシを見てにっこりと笑った。


「次は容赦しませんよ」


 寒気がした。なに者なんだ。これまで色々な修羅場を経験したが、ここまでヤバいと思ったのはアニキくらいだ。アニキも相当ヤバい奴で、普段は良いけど、切れた時は本当に怖いし強い。絶対に怒らせてはいけない相手。そのアニキと同じものを感じた。


「・・・・・・わかった」


「じゃあ、教科書を出して」


「え?」


 教室は机がバラバラになっていて、いくつかは倒れている。そこから落ちた教科書や文具なども床に散らばっている。その中にはボロボロになった英語の教科書もあった。そう、彼女の教科書だ。


「持ってるよね、英語の教科書」


 彼女の顔を見る。視線でワタシの机を見るように促された。そこでようやく理解した。ワタシはようやく立ち上がり、自分の机から英語の教科書を出した。開いたこともないような新品同然の教科書。


「新年度早々で良かった」


 ワタシの手から教科書を取る。ボロボロの教科書を拾い、そこに貼ってある名前の書かれたシールを剥がし、ワタシの教科書に貼り付けた。そして、ボロボロの教科書をワタシに渡す。


「これも返して良いのかな」


 彼女はワタシのスマホを右手に持っている。手を伸ばせば取り返せそうな位置だ。でも、これが罠であることは間違いない。


「・・・・・・お願いします」


 1対1で勝てるとはとても思えない。今はスマホを返してもらうこと。そのためならなんでもする。


「はい」


 ワタシに向かってふわっと投げられた。落とさないように気をつけて受け取った。ようやく一安心だ。ワタシがホッとしてる間に、彼女は床に落ちた教科者や文具などを拾っている。


「麓さんは机を並べて」


 スマホをポケットにしまうと、言われた通りに机を動かす。この借りは返す。そう思わないとやってられない。そんなワタシを横目に、彼女は「じゃあね」と言って教室を出て行った。

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