第6話 【改訂版】平成31年4月6日(土)「新しいクラス」日々木陽稲

 すっかり暖かくなった。

 春爛漫、公園の桜は満開だ。

 どうして桜の花を見ると、こんなに心が浮き立つのだろう。

 わたしは桜並木の中を、純ちゃんとふたりでゆっくりと走る。


 中学校の桜も満開だった。

 昨日の始業式の帰りに、純ちゃんと見て回った。

 春生まれだからという訳ではないが、わたしは春が好き。

 桜だけでなく様々な花が咲き誇る花の季節。

 学校の花壇はわたしのお気に入りの場所だった。

 まるで花の妖精になったような気分に浸ることができる。


 毎朝ジョギングをしているこの公園も、桜だけではなく様々な木々がある。

 一年間ジョギングを続けたことで、季節ごとの花々を堪能することができた。


 昨日はクラス替えの発表があった。

 今年も純ちゃんと同じクラスになった。

 これで8年連続だ。


「同じクラスで良かったね」と微笑みかけると、純ちゃんは「うん」と頷いた。


 純ちゃんは競泳のこと以外には無関心で、他人とのコミュニケーションを満足に取ろうとしない。

 わたしが世話を焼きすぎるせいかもしれないと反省することもある。


 彼女が毎朝ジョギングに付き合ってくれるのはボディガード役だからだ。

 わたしが世話を焼く代わりに、彼女はわたしを守ってくれる。

 守られているだけのお姫様でいたいとは思わないが、現実として小柄で非力なのでひとりでは危険だと常々家族から言われている。

 出掛ける時は必ず誰か――たいていは純ちゃんかお姉ちゃん――と一緒じゃなきゃいけない。

 そういう約束をわたしもしっかり守ることにしている。

 余計な心配は掛けたくないからね。


 1年生の間はわたしが通う中学校にお姉ちゃんもいたが、3月に卒業した。

 これからは純ちゃんの負担が大きくなるかもしれないと心配している。

 それに、わたしと純ちゃんは高校は別のところに行くことになると思う。

 だから、こうして一緒にいられるのもあと2年ということだ。

 別れの季節でもある春は、そんな感傷に浸ってしまう時期でもあった。


 いつもの距離を走り切った。

 息が切れるほどではないが、わたしにはちょっとした疲労感があった。

 一方、アスリートの純ちゃんにとってはウォーミングアップにもなっていない感じがする。

 彼女はこのあとスイミングスクールに行く。

 わたしは"じいじ"の家に行ってサボっていた自宅の掃除を頑張るつもりだ。


 昨日の始業式ではとても印象に残る人を見掛けた。

 1年の三学期に転校してきた子で、美人という噂を聞いていた。

 スタイルが良いとかモデルみたいだとか言われていて、わたしも何度か彼女がいるはずの教室を覗きに行った。

 しかし、一度として見ることができなかった。

 同じような体験をした生徒の間では、いつしかレアキャラだの隠れキャラだのと呼ばれるようになっていた。


 その転校生がわたしの目の前の席にいた。

 噂通り、整った顔立ちと抜群のスタイルを誇っていた。

 教室の席は男女別に出席番号順になっていて、わたしは列のいちばん後ろだった。

 それもラッキーだったが、わたしの一つ前が彼女の席だった。

 わたしは背が低いので、何度も決められた座席を先生に変更されてしまう経験をした。

 わたしは天に祈り、転校生の背中に隠れて、担任教師の目から逃れることに成功した。


 純ちゃんほどではないが、彼女も背が高い。

 姿勢が良くて、そのため座高はかなりのものだ。

 彼女は振り向いて「黒板見える?」と気遣ってくれた。

 わたしは最後列の席を死守するために「平気」と答えたが、しばらくは黒板を見るのに苦労しそうだ。


 わたしはその彼女に他の子にはない独特のものを感じた。

 それが何かはまだ分からない。

 浮ついた感じはなく、おどおどしたところもない。

 大人びた印象だが、周りを見下すという態度でもなかった。

 強いて言えば、超然としたたたずまいがあると思った。


 わたしはコミュニケーションには自信がある。

 誰とでも仲良くなりたいと思うし、実際に仲良くなれると思っている。

 最初からわたしに敵意や下心があると感じたら避けるけど、そうでない子とはすぐに仲良くなっている。

 ただ、基本的には広く浅い人間関係を築いている。

 純ちゃんだけが特別で、他の子とは仲が良くてもいつも一緒という感じにはならない。

 中学生になると女子は特定のグループで行動するようになるが、わたしはひとつのグループに所属するのを好まない。

 あまりベタベタと近付いてくる子とは距離を置いてしまう。

 みんなと仲良くとは、誰とでも一定の距離を保つことの裏返しだ。


 そんなわたしが興味を惹きつけられた。

 美形だとか、モデルっぽいだとか、そんな外見の問題ではない。

 この人の持つ"何か"にわたしは反応した。

 昨日は話す時間がほとんどなかったこともあって、わたしにしては珍しく慎重な接し方で終わってしまった。


 わたしは同じ中学生なら少し話しただけで、その人がどんな人なのかだいたい掴める。

 言葉だけでなく、表情、仕草、雰囲気、声音、視線、その他様々なものを読み取って判断できる。

 それなのに彼女――日野さんからは十分に読み解くことができなかった。

 相手の人となりが分かれば、少々会話の選択肢を間違えても挽回は容易だ。

 しかし、彼女に対してはそれができず、失敗することを恐れてしまった。

 彼女のことを知りたいと思う一方で、嫌われたくないという心情が生まれ、いつものような踏み込んだ会話ができなくなっていた。


 始業式のあとのホームルームが終わってすぐに、日野さんは担任の小野田先生に呼ばれて出て行った。

 もっと彼女とお喋りがしたい。

 こんな気持ちになるのは生まれて初めてかもしれない。

 それほどわたしにとって捉えどころのない存在だったのだ。


 今日と明日、学校が休みなのがもどかしく感じてしまう。

 そんな思いを抱いていたわたしは、純ちゃんに日野さんについて聞いてみた。


「純ちゃんは日野さんのことをどう思った?」


 純ちゃんは小首を傾げる。

 日野さんが誰のことか分からないようだ。


「わたしの前の席の女の子」


 そう説明すると、純ちゃんは少し考えてからポツリと呟いた。


「……強そう」


 わたしは予想外の回答にびっくりした。

 日野さんに強そうという印象は特になかったからだ。

 でも、純ちゃんの野性の勘は侮れないものがあった。

 わたしはどの辺りが強そうなのか必死で聞き出そうとしたが、純ちゃんの説明は要領を得ず、ただ日野さんを知りたいという気持ちが更に強まることとなった。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・2年1組。その類い希な容姿のため子どもの頃から外を歩くと見知らぬ人からよく声を掛けられた。とにかく目立つ存在だったので、自分の身を守るためにもコミュニケーション能力を磨くことは重要だった。


安藤純・・・2年1組。そんな陽稲を守る存在。特に身体が大きくなってからは、側にいるだけで十分に護衛役として機能した。


日野可恋・・・2年1組。自分の身体や感情を制御することを課題として生きてきたので、自分の気持ちや思考を態度に表さないようにするのは朝飯前。

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