第4話 【改訂版】平成31年4月4日(木)「帰宅」

 今日は仕事がお休みだったお母さんが、北関東にある"じいじ"の家まで車で迎えに来てくれた。

 神奈川の自宅に帰るわたしに"じいじ"は10連休となるゴールデンウィークも遊びにおいでと言った。

 たまには違うところに家族旅行をしたいところだが、お母さんは連休中もお仕事なのでなかなか難しそうだ。


 お母さんは横浜のデパートで働いている。

 長くファッション売り場にいたので商品知識は豊富だ。

 いまは責任者の立場になり、部下の指導や顧客管理などがメインなので、最新ファッションの情報がなかなか更新できないと嘆いている。

 わたしのファッションに関する知識の基礎はお母さんから学んだものだ。

 中学生になり、インターネットを使って情報を収集するようになってからも、お母さんから得た知識はとても参考になっている。

 玉石混交な情報が飛び交うインターネットでは基礎知識の有無が重要になるからだ。

 いまではそうして手に入れた情報をお母さんに教えて感謝されることもある。


 帰途の車中はそうした情報交換であっという間に時間が過ぎていった。

 気が付けばもう自宅である。

 およそ1週間ぶりとなる我が家に帰り着き、着替えや手洗いを済ませて居間に顔を出す。

 荷物の片付けも大事だが、その前にお姉ちゃんに帰宅の挨拶だ。


「ただいま」とテレビを見ているお姉ちゃんに声を掛ける。


「おかえり」とお姉ちゃんはこちらを見ずに返事をした。


 仲が悪い訳ではない。

 普通によく喋るし、ふざけ合うことだってある。

 ただ本当に仲が良いかは、わたしには分からない。

 わたしが"じいじ"から特別扱いされている影響はないとは言えない。


 2歳違いの姉妹なら、姉からのお下がりの服を着ることなんて普通だと思う。

 でも、わたしにはその記憶がない。

 発育の違いもあるが、わたしは常に新品の服を"じいじ"に買ってもらっていたからだ。


 アクセサリーなどの小物はむしろわたしが貸すことの方が多い。

 わたしはお姉ちゃんに似合うものがあれば、これを着けてみてと気軽に渡すが、お姉ちゃんがそれをどう思っているのかはよく分からない。

 特別扱いされているせいで、いとこたちからは敵視されることもある。

 お姉ちゃんはそんな時には必ずわたしを守ってくれる。

 だから、お姉ちゃんはきっとわたしを好きでいてくれると信じている。


 しかし、相手の感情を読み取ることに長けているわたしでも長年一緒に暮らすお姉ちゃんの真意までは読み取ることができなかった。

 壁のようなものがふたりの間にあるみたいだ。

 それは、わたしが作ったものなのか、お姉ちゃんが作ったものなのか。

 いまのわたしには分からなかった。


「入学式は月曜だよね」と尋ねると、「ん」とお姉ちゃんは生返事で肯定した。


 お姉ちゃんはもうすぐ高校生になる。

 公立の、本人曰く「並」の高校に入学する。

 実際のところは、平均より少し上で、この辺りの中学生にとって人気の高校だ。


「友だち、いっぱいできるといいね」


 わたしは冗談めかして言った。


「ヒナの力を借りたいな」


 お姉ちゃんは初めてこちらを見て答えた。

 お姉ちゃんの名誉のために言うと、決して友だちが少ない訳ではない。

 誰とでもすぐに仲良くなれるわたしが特殊なのだ。


「わたしのパワーをあげるね」とわたしは笑いながら両の手のひらをお姉ちゃんに向けて突き出す。


 真剣に念を飛ばしていると、その様子を見たお姉ちゃんが笑ってくれた。


「華菜、買い物どうするの?」と居間に入ってきたお母さんがお姉ちゃんに聞いた。


 うちでは普段夕食はお父さんとお姉ちゃんが担当する。

 今日はお母さんの仕事がお休みなので、お姉ちゃんと一緒に作ってくれるそうだ。

 わたしは料理は得意ではない。

 背が低く力が弱いのが最大の理由だけど、両親もお姉ちゃんも料理好きなのでわたしの出番がないのも理由のひとつだ。

 なお、わたしの担当の家事は掃除で、細かな作業を得意にしている。


 ふたりが今夜の夕食の相談を始めたので、ヒマになったわたしは友だちの純ちゃんに電話を掛ける。

 純ちゃんは同級生で、幼なじみだ。

 メールやLINEだと滅多に気付いてもらえないので、いつも電話にしている。

 それでも電話に出るまで掛け続ける根気が必要だったりする。


「無事に帰って来たよ。純ちゃんはどうしてるの?」と聞くと、ぶっきらぼうに「家」とだけ答えた。


 彼女はいつもこんな調子だ。


「今から行くね」


「うん」


 明日は始業式だ。

 学校へ行く準備ができているのか心配で見に行くことにした。


「純ちゃん、行ってくるね」


「夕食までには帰りなさいよ」とお母さんに言われ、「分かっているよ」と返事をしてから家を出る。


 純ちゃんの家は我が家のすぐ近くで、目と鼻の距離だ。

 狭い路地に入口がある長屋の一角で、玄関はいつも鍵が掛かっておらず、わたしは一声掛けると引き戸を開けて中に入った。

 純ちゃんの名前を呼んでも出て来ないので、遠慮なく靴を脱いで家に上がる。

 いちばん奥の子ども部屋に大柄な純ちゃんと小柄な彼女の小学生の妹がいた。


「こんにちは」と挨拶をすると、マンガを読んでいた妹のしょうちゃんが顔を上げて会釈をした。


 純ちゃんは部屋にある古い小型の液晶テレビをじっと見ていた。

 そこに映っていたのは競泳のレースだ。

 全日本選手権があると純ちゃんから聞いていた。

 この日本の最高峰の大会に中学生の選手が何人か出ているらしい。

 純ちゃんは惜しくも出場を逃した。

 彼女は競泳選手でこの世代のトップスイマーだ。


「どう?」と漠然とした質問をレースが終わったタイミングでしてみた。


 純ちゃんはこちらを見て、首を傾げる。

 それでも「一昨日と昨日は見に行った」と教えてくれた。

 彼女に悔しそうな素振りはない。

 純ちゃんは無口で、態度に感情を出すこともない。

 いつも通りに淡々とした雰囲気でテレビの画面を眺めている。

 彼女の心の奥底にどんな感情があるのかまで見通すことはできない。


 純ちゃんがスイミングスクールに通うきっかけは、わたしだった。

 わたしは小さい頃にいろいろな習い事をしていて、スイミングスクールはそのひとつだった。

 純ちゃんの家は裕福ではないので一緒に習い事をすることはなかったのだけど、そのスクールは月謝が安く、本人が珍しくやりたがったので、わたしと同時に始めたのだ。

 わたしは浮くのが精一杯だった。

 だから、すぐに辞めてしまった。

 一方、純ちゃんはみるみるうちに上達し、その才能を見込まれより大きなスイミングスクラブへと移籍した。


 小学生並の身長のままのわたしと違い、純ちゃんはいまや170 cm台半ばと女子では飛び抜けて高い身長となった。

 上体の筋肉もがっしりとついていて、短髪だから男子と間違われることも多い。

 わたしと並ぶと大人と子どもに見られてしまう。


 わたしは水泳以外には興味を示さない純ちゃんの世話を焼くことを日課にしている。

 パリ五輪を狙える逸材だなんて言われる彼女だが、日々の生活に関してはまったく何もできない。

 朝起こすことから始まり、学校の準備など甲斐甲斐しくやってあげている。

 その代わり、彼女はわたしの護衛役としていつも守ってくれている。


「明日の朝は大丈夫?」と聞くと、純ちゃんは頷いた。


 毎朝のジョギングにも彼女は付き合ってくれる。

 わたしの超遅い走るペースにも嫌な顔ひとつせずに。

 歩いた方が速いんじゃないのと言われるわたしのペースにつき合ってくれるだけで、どれほどありがたいことか。


「じゃあ、明日の朝、起こしに来るね」と言ったあと、わたしは笑顔で「いつもありがとう、純ちゃん」と口にした。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・4月から中学2年生。将来の夢はファッションデザイナー。ロシア系美少女。


日々木華菜・・・4月から高校1年生。陽稲の姉。料理好き。


安藤純・・・4月から中学2年生。身体に恵まれ、練習熱心なところも高く評価されている競泳選手。期待の若手として注目されている。


安藤しょう・・・4月から小学6年生。純の妹。身体は姉と違って平均的。無口だが姉ほどではない。

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