転生? いいえ悪霊です

@fujisouju

第1話 吾輩は悪霊である



『吾輩は悪霊である。名前はもうない』


 そう誰に聞こえることもない言葉を紡ぐのも、もう何年目だろうか。

 たしか十年は経っていないはずだ。でも、もう自分がどこの誰だったかすら思い出せない。

 学生だったおぼえはある。でも中学生だったか高校生だったか、はたまた大学生や院生だったのかは思い出せない。

 漫画やアニメの知識はある。友達が少なかった気もする。しかし記憶と言うより記録だけが残り、特に個人情報に繋がる部分は全滅に近い。

 どうしてこんなおかしな具合になっているのやら。おぼろげな記憶をたどると最期に『グチャ』という己の身体が壊れる音を聞いた気がするので、そのときに脳みそを少しばかりやられたのかもしれない。

 完全に肉体から解放された霊魂になってまで死亡直前の肉体の状態に縛られ続けるというのもおかしな話だが、えてして亡霊というのは死に際の姿で描かれることが多いわけだし、ありえないというほどでもない気はする。


 あるいは、これが死ぬということなのかもしれない。


 よいも悪いもひっくるめて、生前の縁、未練からの解放。

 もはや灰になっているであろう脳みそに原因を求めるよりは、ずっとしっくりくる解答だ。

 あのおぞましい受験勉強の記憶すらあやふやになるのだから、死と言うのは生前思っていた以上に非常に強力なものなのだろう。

 はて? 受験の味を知っているということは少なくともぼくは高校生だったのだろうか。

 あるいは私立のお受験組だったという可能性もあるか。まあいい、有名な歌にもある。

 お化けとなった今となっては、試験も何にもないのだ。こんな素晴らしい話はない。



 四丁目交差点の『事故多発地域により、スピードおとせ』の看板の上。

 そこがぼくの定位置である。何もないときはここに座って足をぶらぶらさせている(幽霊だけど足はちゃんとあった)。

 よくありがちな学校だとか、人里離れたトンネルだとか、そういう人気のない心霊スポットではない。しかしぼくはたしかにここの地脈に縛られていて、地縛霊をやっていた。

 ここで死んだのだろうか? 死因は交通事故? あるいは他所から流れてきたのか。さっぱり思い出せないし、どうでもいいことだった。

 重要なのは人口密集地帯の中、人通りがほどよく途切れない立地がぼくの生活拠点ならぬ死活拠点ということだ。


 ちょっかいをかける相手には事欠かないということである。


 携帯電話やスマホを乗っ取って霊障を起こしてみる。いたずら電話をかけてみたり、勝手にアダルトサイトに登録してみたり。

 ポルターガイストで歩き煙草をしている輩が落とした、500度を超える灰をてめぇのズボンの隙間から足首にシュートしてやったり。

 どす黒い隈をつくり青い顔をして歩いているサラリーマンからさらにエナジードレインして昏倒させて、救急車を呼ばせてやったり。

 携帯電話で事情を説明しているのに『救急車で会社まで来い』発言には笑ったなぁ。すぐさま電話を乗っ取ってラップ音と共に『きざまらをのろいごろじでやるぅ』とデスボイスで言ってやったら受話器の向こうでひっくり返った騒音がしてさらに笑えた。


 善行? やだなぁ、いいことがしたいのならもう少し賢くやりますよ。そこまでバカのつもりはないです。

 自分が楽しいと思うことを他人をオモチャにしてまで実行しているだけだ。


 それでもいちおう最低限、守るものはある。

 ぼくは悪党であり悪霊ではあるが、そこを越えたら外道に落ちる一線がある。

 命を弄ばない。約束は破らない。人間は食べない(人を食ったようなやつだという自覚はあるが)。


 誰かに咎められもするなら少しは控えることもあるだろうが、あいにくご同類には出会ったことがない。美少女の陰陽師やエクソシストとお知り合いになるなんて素敵な経験もいまだ無い。

 結果的に誰もぼくに気づけない中、知る人ぞ知る街中の心霊スポットの主としてぼくは毎日ゆかいに遊び暮らしているのだった。




 さて、そんなある日のことである。

 事故多発地帯の看板は伊達ではない。この日も交通事故が発生した。


 公園で遊んでいたのだろうか、ボールを追いかけて交差点に飛び込んだ小さな子供と、そこに迫るトラックはお約束のように運転手がうつらうつらとしている。

 ブラック労働のあおりはここにも影響を及ぼしているのかと悲しい気分になりながらポルターガイストでクラクションを連打してやった。がくりと飛び起きる運転手と硬直する子供。あいにく、ぼくのポルターガイストに四トントラックを急停止させるようなアグレッシブさはない。


 ハンドルを切れば子供は避けられるかもしれない。でもこの位置関係でそれをやるとたぶん、電柱が運転席に突き刺さって運転手の方が死ぬ。

 偉そうに命の取捨選択をしてまでどちらかを助ける気にはなれなかった。居眠り運転をしたトラック運転手の自業自得というのなら、同じようにボールを追いかけて交差点に飛び込んだ子供にも咎はある。


 あーあ、せめてボールがクッションとかになって軽傷になりますように。それが無理なら化けて出てくれ。お友達になろう。

 そんなことを考えながらじっくり成り行きを観察していると、クラクションに気づいたと思しき第三者が介入してきた。

 学ランを着ていたので中高生、ボタンに刻まれた『高』を見るに高校生だ。中肉中背でぼさっとした伸び放題の髪型も、服の上から見て取れる体格も、運動部のそれには思えない。子供を抱えて逃げられるとは思えない。

 実際、勝算があってというより、とっさの行動だったのだろう。飛び込んだ少年は子供をトラックの射線上から突き飛ばすことに成功したが、代わりに自分が電柱とトラックの間でミートサンドイッチになった。


 あらら、残念でした。

 若い身空でかぁわいそうにねぇ。トラック運転手もこれ失業者の仲間入りだな。そのまえに犯罪者か。この就職氷河期に刑務所で強制的に加算された年齢と前科者のダブルコンボを履歴書に刻みながら再就職するのは非常に困難な道のりだと思うが、まあ頑張ってくれ。

 生きてりゃきっといいことあるさ。死んだぼくが言うんだから間違いない。うん。

 なんて鉄と血肉と悲鳴が交差する中、呑気に構えていられたのもそこまでだった。


 ぱっくりと。


 空間に真っ白な光が空いた。

 初めて見る現象で、そうとしか表現のしようがなかった。

 なんだこれと思う暇もあっただろうか。真っ白な光の穴は高校生の残骸から立ち昇るモヤモヤした白いものと、ついでとばかりにぼくをしゅるんと吸い込んだ。

 ぶつりと何がとりかえしのつかないものが千切れる感覚があった。


 え、なにそれ魂ひとのものはじめて見たわというかなにこれなにこれあばばばば。


 ひさしく感じていなかった重力と慣性を思い出す。ぐちゃぐちゃにかき回される視界と、相応に乱暴な起動で投げ出されるぼくの肉体の無い身体。

 視界の中心が水晶にいれたように透明で、外側になるほどドロドロの灰色にとけるその光景からかなりの距離をかなりの高速で飛ばされたのだとわかる。霊体になっても変わったところもあれば、こういう生前に近い感覚が健在な部分もある。


 なんて感慨にひたる間もない。どうやらぼくはまっしろくてあたたかなどこかに吸引され、そこを素通りしてカタパルトから発射されたように勢いをつけたまま、また外に発射されたらしい。

 木々の緑を貫通し、崖に衝突して石と岩をすり抜け、ひんやり冷たく感じなくもない湖に突っ込んでようやく止まった。


 ふー、死んでてよかった。生きていたら三回死んでもお釣りがくるところだった。

 やれやれと肩をすくめながらほの暗い水の底で目を空けて。


 目が合った。

 あ、おじゃましてまーす。




 ……ふー、また死ぬかと思った。

 なんだあれ? ネッシー? ここネス湖なの? パスポート持ってないんだけどどうしよう。英語も喋れないんだけどいや英語圏だっけあそこ。


 若干混乱しながら宙に飛び立ち、湖を後にする。混乱させることはあっても混乱するのは久しぶりの体験だった。

 さいわいだったのは相手が敵対的ではなかったことだろう。明らかにこちらを認識しておきながら、無粋な闖入者に対してどうでもよさげに目を閉じて見逃してくれた。ひさしぶりに誠心誠意ペコペコした甲斐があったというものである。


 それにしても見られたのは久しぶりだった。こっちの事情が片付いたらもう一度ここに来たいものだ。

 目下に広がるのは人工の香りがしない大自然。マジでどこだここ。


 致命的なのが、一刻一刻と自分の中のエネルギーがすり減っていくのを感じることだった。

 幽霊とはいえその活動は無から生じているわけではなかったらしい。地縛霊だったときは地脈だとか霊脈だとかいう何かに接続されていたのだろう。本来生物が自身の肉体で生み出す生命力の代用を、そこから供給されていた。

 それが途切れてしまっていた。くわしい理屈が合っているかさだかでないが、体感的にそう理解できた。


 このままでは消えてしまう。早急に新たな供給ポイントを探さなくては。

 理想で言えば恒常的にエネルギーが補給できる霊脈がいいのだが初めての土地に当てがあるわけもなし。そもそもどうやって自分が四丁目交差点に居座ったのか憶えていないので、霊脈を見つけたとしてもすぐに接続できるかわからない。

 最悪、接続に必要なエネルギーが補いきれずに消滅などというオチもありえるかもしれない。

 致し方なし。当座はエナジードレインで糊口を凌ぐとしよう。対象は生物であれば何でもいけるが、もともと人間だったせいか人間が一番効率がいい。

 そうと決まれば話は早かった。人口密集地の当てがあるわけでもないが、もともと人は水と切っては切れないものだ。

 この付近に人間がいるのなら、この湖の下っていけばどこかしら街なりなんなり生活の跡は見つけることができるだろう。

 もしも人間が立ち寄らない秘境とかだったら…………そのときまた考えよう。

 このときはまだ、この土地の人間はぼくを見ることができるやつがいるかもしれないと、期待に胸を膨らませる余裕があった。


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