第4話

あらすじ

友だち作戦によって村の人々からの信用を得て交流を結んでいた葵だったが、とうとう鬼であることが判明してしまう。このままではモモまでが信用を失い殺戮の対象となってしまうことを恐れた葵は、自らが鬼として人々を襲い、モモがそれを討伐するという筋書きによってせめてモモの命と名誉だけでも守ろうとする。


・23話

葵が握り拳を握るとぶるっと全身が震える。

「ーーっ!」

やがて骨が軋み肉が歪む音がして次第に人間としての形を失っていく。身の丈が優に3メートルを超す。肌が浅黒い青に変わる。手足が丸太のように太くなる。背中から翼のように3本目、4本目の腕が生えてくる。眼光鋭く光り、歯だったものは凶悪な牙に変わり、そこにはもはやかつての葵の面影をとどめるものは何一つなかった。

「アオ、イ・・・?」

そこにいるのはもはや一体の鬼でしかなかった。その鬼が月に向かって地の底から響いてくるような咆哮をあげる。威嚇を受けて咄嗟に背中の岩剣に手を伸ばそうとするが

「ーーーーー」

岩剣も脇差も、身につける習慣をなくしてしまっていた。

「これが私の本当の姿。孤独に塗れた哀れな人間の末路」

目の前の鬼がモモに向かって語りかける。その姿形は、まったくモモが知らないものであるはずなのに

「アオイ・・・どうして?」

鬼の口から零れてくるのは、毎日ずっと誰よりも近くで耳にしてきた声だった。朝自分を起こす声を、食事をともにしてきた声を、一緒にお風呂にはいり、同じ布団で絵本を読み聞かせてくれたその声を、味わったことのない気持ちをたくさん教えてくれた「だいすきな」その声を忘れられようはずがない。

「私はこれから村の人たちを襲いに行く。・・・そんな鬼を見つけたら、どうすればいいか分かっているでしょう?」

青い鬼はおどろおどろしげに話す。わざと怖い人のふりをしているみたいに。

「そんなことしなくてもいい。アオイはそんなことのぞんでない」

「ーー!」

そのとき鬼の目に動揺がよぎった。見透かされていたのだ、と葵は思い知った。この子は自分のことを分かってくれている。それほどまでに慕ってくれている。それなのに、これから自分は一番酷いことをさせようとしている。ならば、ならばせめてーー

「葵という女など最初からいないわ」

モモが私を殺すとき、悲しみなど味わわなくてすむように。

「それに、私はあなたのことを道具としか見てこなかったの」

嫌われることが、私のせめてもの愛情だ。

胸の締め付けられる想いを無理矢理ねじふせ、身の避けるほどつらい別れをすませ、青い鬼は夜の闇の中へと跳んだ。モモも慌てて家の中に入り、武装を整えて後を追った。


・24話

夜の闇の中、村の成人男性からなる急ごしらえの討伐隊が葵邸を目指して進軍していた。村の衛兵の経験者もいるにはいたが、ほとんどが戦闘訓練はおろかまともに武器をもったこともない者がほとんどだった。

「なあ、ほんとうに俺らたちだけで殺せるのか?」

「なにを言ってる。相手はたった1人だぞ」

「そうだ。それに見るからに弱そうな鬼だっただろ」

「おいちょっと待てよ。敵は2人だ。鬼斬のガキもいただろ」

「ああ、そういやいたな」

「でもあれだって年端もいかない子どもだしなんとかなるだろ」

「おいお前ら。姿に騙されるな。どんな見た目や年齢だろうと鬼は鬼だ。死ぬ気で殺しにいけ」

これから命の奪い合いをするとは思われないほど緊張感に欠けた空気だった。隊員のほとんどが殺し合うとはどういうことをさすのか、相手を仕留め損ねたとき自分たちがどうなるかということについてまったく想像力をもっていなかった。裏返せば、その無知を矯正する必要がないほど平和に恵まれた村であったということを意味する。ただ、そうは言うもののその平和は鍛錬や努力によって勝ち取り、築き上げたものではなくてたまたま運命の気まぐれが村に血の雨を降らせなかったというだけのことにすぎなかった。

ところが、

「おい、今の聞いたか」

「なんだあの声」

暗闇を貫いて鬼の咆哮が鼓膜を震わす。この瞬間、半ば空想上の生き物にすぎなかった鬼という生き物が初めて隊員たちにとって現実味を帯びた脅威となった。無知は人々から正しく脅威を推定する機能を奪う。ゆえに本当は恐れるべきものを恐れずに挑める蛮勇へと駆り立てることもあるが、その逆の事態を招くこともあるのだ。

つまり、このとき討伐隊は初めて相対することになる鬼というものに必要以上の恐怖を抱き、その恐怖に呑まれようとしていた。

「ほ、ほんとにいたんだな鬼って」

「どど、どんな姿してんだろうな」

今まで旅の者や行商から聞いたあらゆる鬼の噂が脳内を駆け巡る。その中には根も葉もないものもあっただろうし、眉唾と馬鹿にしてきたものもあるだろう。誇張され尾ひれがついたものがほとんどだと彼らも平生笑いものにしてきた。けれどどれだけ理屈をこね回したところで実際のことなど自分の身で経験しなければ確かめようがない。そしてそれらを経験し、その上で生き延びて語り継げる人間の方がまれなのだ。

自分たちも、と討伐隊は焦る。その噂に出てくるような怪物に今まさに挑もうとしているのだという緊張感がここにきて過剰に吹き出す。いや、自分たちは挑んでいるつもりだけれど、向こうからすれば今から自分たちの方こそ狩られる立場なのかもしれない。

「おい静かにしろ。隊列を乱すな。今のを聞いただろう。いつどこからやつらが現れてくるか分からんのだ。気を引き締めてかかれ」

数少ない正常な戦闘感覚の持ち主が指揮を務めていることだけがこの討伐隊の唯一の幸運だった。しかし

「よし、これからはもう少し急いでむかーー」

その指揮官の身体がボールか何かのように弾け飛んだ。

「なーー!!」

見ると浅黒い肌、4本の腕を持つ鬼の巨体がすぐそこにあった。

「うわああああああああ」

たちまち隊員たちの間に動揺が走る。腰を抜かして動けなくなるもの、血走った目で息を荒くしているもの、中には仲間を見捨てて逃げ出すものまでいる始末。そこへ鬼のだめ押しが加わる。さきほど遠くから聞こえた、あの大地を揺るがすような咆哮。遠くから聞いてさえ恐怖を心に生じさせたあの異形の雄叫びが、今度は息さえ感じられそうなほどの至近距離で発せられるのだ。鼓膜が破けそうなほどの声量、鳥肌が立ち全身の毛が逆立つほどの恐怖。常人であれば正気を保つのも困難なほどの圧倒的な威圧感。

「く、殺せ殺せえ!!」

「行くぞ!」

それでも何人かは無謀にも果敢に挑む。けれどあっさり4本の腕に撥ねのけられる。よしんばそれらをくぐり抜けて槍先や剣先が鬼に届き、皮膚を破ったとしても、およそ致命傷たりうるものではないのは明らかだった。

幸い相手が素手であるため討伐隊にも死者は出ていない。激しく木の幹や地面に叩きつけられ、あるいはあの巨腕で殴り飛ばされ骨折や脳震盪を起こしたものはいるらしいが、最悪の惨状とはほど遠い有様だった。もっとも、そのことをきちんと把握できる隊員が何名いたのかは疑問だけれど。

とはいえ、戦闘可能な討伐隊員は次第に減少していく。ほとんどの者が戦意喪失か負傷により戦闘困難の状況に追いやられていた。このままでは全滅してしまうかもしれない、そういった懸念が討伐隊の間に色濃く浸透しようとしたとき

「アオイ!!」

月から聞こえてきたかと思うほど涼しい声が降ってきた。

見上げると、自身の身の丈よりも巨大な岩剣を背負った少女が、いったいなんの異能の力か、軽々しく宙を跳んでこちらへやってくるのだった。

鬼どもの血に濡れたボロ布を纏い左手に鬼印を刻んだその姿。

鬼殺しのためだけに生きるもう1人の異形、鬼斬の少女だった。

モモは青い鬼に向かって語りかける。

「アオイ、はなしをきいて」

この劣勢の中、もう一人の敵まで登場してしまったと討伐隊は戦々恐々としていたが、どうやら勝手が違うらしかった。

「あれ・・・あのガキ俺たちを襲ってこないぞ」

「仲間割れでもしてんのか」

だったらチャンス、とばかり武器を構えたが、

「・・・・・・」

ルビーのように赤い瞳が無言で威圧してくる。言葉に出さずとも、命のやりとりに討伐隊の誰よりも慣れた冷酷な瞳が「邪魔したら殺す」と告げているのだった。

モモを見つけた青い鬼の注意もそちらに向いた。

討伐隊を襲うのをやめ自分の天敵である鬼斬のもとへ歩を進める。

鬼斬は一歩も後退しない。まっすぐに目を見たまま相手の動きを待っている。

そこへ。

鬼が屈強な腕を振り上げモモに一撃を見舞う。

「ーーーー」

モモ、背中の岩剣を盾のように構え、その拳を受ける。直撃は避けたものの、ものすごい力で吹っ飛ばされる。吹っ飛ばされながら器用に空中で体勢を整え、踵をブレーキのように使い減速を試みる。ようやく静止したそのとき、

「ーー!」

顔を上げると鬼が腕を振り上げたまま飛びかかってくる。上から振り下ろされる強烈な一撃。鬼の体重と重力との掛け合わされたその拳も、同じように岩剣で受け止める。

「ーーく」

しかし今度は地面へ足がめり込むのではないかという重圧。足下の地面に亀裂が入る。

「アオ、イ。こころがつうじないの・・・?」

「ーーーー!!」

その小さな身体を押しつぶそうとする凄まじい力に耐えながら、あくまでモモは葵に話しかける。自分とアオイはずっとお喋りをしてきたのだ。心が通じているはずなのだ。

鬼は三度咆哮する。

そうして、1本の腕で圧力をかけながら、もう2本の腕で華奢な身体を守る岩剣をがしっと掴む。引き剥がし、ガラ空きになったところへ直接剛拳を叩き込む。

「ーーがはっ」

今度ばかりはまともに食らう。木の幹に叩きつけられ、なすすべなく地面に倒れ落ちる。

「・・・なんで」

口から血を吐きながら、それでもなおも立ち上がる。

その瞳に映るのは、浅黒い肌の異形ではなく、いつも帽子を被っていた優しいお姉さんの姿だった。

「なんで・・・なきながらたたかってるの」

その答えをモモは知っている。それがアオイの願いではないからだ。こんなことを望むような人ではないからだ。

「わたしはしってる。アオイは・・・鬼なんかじゃない」

本性を剥き出しにされても、威嚇され、殴り飛ばされてもなお、少女はアオイのことを信じた。目に映る異形の姿ではなく、自分の心に触れた、そして焼き付いたアオイの心を信じた。

「もうやめて。きょうはまだごはんたべてない」

重ねてきた幸せは村の人からすればありふれた取るに足らないものだったかもしれない。けれど、片子の少女と人の姿をした鬼にとっては、なによりもかけがえのない大切な時間だった。初めて出会った大切な「ともだち」だったのだ。だからーー

「おなか、すいた」

モモは微笑むのだった。アオイと出会ってから知った、アオイに教えてもらった笑い方で。アオイのために微笑むのだった。

「モモ・・・・・・」

鬼の目から涙がこぼれ落ちる。それは宝石のように月の下で輝いた。まぎれもない人としての美しい心の証明だった。

葵は、帰りたいと思った。正直に言えば、こんな風に自分の醜さも受け入れて信じてくれるモモとすごす平穏な日々にもう一度帰りたいと心から願ってやまなかった。

けれど、鬼の身でありながら鬼としての道を踏み外してしまった葵にはもう引き返す道など残されていない。このまま逃げることだってできるけれど、噂はどこまでも二人を追いかけてくるだろう。人間だけでなく、顔に泥を塗られた鬼斬たちまで自らの無実を証明するために二人の命をつけ狙うかもしれない。もうどうしたってあの日々に戻ることなど出来ないのだ。

鬼は鬼らしく、最初から人間と関わりのない世界で生きるべきだったのだ。

「・・・・・・」

どのみち、二人とも生きて幸せになる未来などありえないのだ。

青い鬼は無言で討伐隊から奪った槍や剣を4本の腕に構える。

その悲壮な姿はこう告げていた。

『私かあなた、ここでどちらかが必ず死ぬ』

鬼が地を蹴ってモモに接近する。まず槍を一突き。躱される、が、それを見越して着地点に剣を振り下ろす。これも脇差で弾かれる。そこへまた別の剣が襲いかかる。跳躍してそれを避ける。圧倒的手数の鬼に対して、けれどモモはまるで劣勢を感じさせなかった。

ひとつは身体が小さいので巨大な体躯をもつ鬼からすれば的として小さすぎるために狙いにくいこと。そして二つ目は野性的な生活において会得した身軽で柔軟な身のこなしの先が読めないこと。これらがモモがどう見ても自分よりも強い鬼相手にうまく立ち回ることの出来る大きな理由であった。

「く、ちょこまかと!」

巧みに鬼の攻撃をかわしながら懐に潜り込むモモ。それを待っていたとばかりに槍先が稲妻のような速度で襲い来るが、それをこそ狙っていたとばかりに避ける。そして鬼の腕を両手で掴みーー

「なーーーーー」

思い切り背負い投げを食らわせた。鬼の巨体は呆気にとられるほど見事に宙を舞って、やがてずしんと地鳴りのような重苦しい低音と震動が起こった。

先に挙げた2つがモモの強さの大きな理由とのべはした。けれども、最大の理由はーー

「くそ。なんて速さなの・・・」

岩剣を手放したときの、圧倒的な速度だった。

もちろん岩剣はただの重しではない。脇差のように錆びたり刃こぼれすることがない良質な武器だし、盾として使うことも出来る。一撃一撃が必殺といってよいほど強力であり、いかに強大な鬼の首であれ腕であれ刎ねとばすのに二撃目が必要になった例しがない。

とはいえ、あまりの重量が時に足枷となるのも事実だった。そしてその制約から解放されたとき、モモは鬼に負けるとも劣らない腕力に加え、鬼にも獣にもまさる圧倒的な速度を得る。

どんな強力な一撃も、当たらなければどうということはない。それどころか、全身全霊の一撃は大きな隙をうむ。相手が空振りしたあとに脇差や奪い取った武器で強烈なカウンターを見舞うのがモモの必勝の策のひとつだった。まして人を襲ったことのない鬼と、鬼を殺し慣れた鬼斬との間に戦闘センスの差が生まれないわけがないのだ。

4本も腕があり4つも武器を所持しているにもかかわらず、そんな相手を素手で軽々と投げ飛ばす鬼斬。その姿に討伐隊は自分たちの勝機を感じ始めていた。

「これはもしかしたらいけるんじゃねえか」

「ああ、今やつらは仲間割れしてやがるから俺たちの動きには気づかねえ」

「どっちを先に殺す?」

「決まってんだろ、あのデカブツの方からだ」

まだ戦意もあり怪我も少ない討伐隊員が息を合わせる。

あの鬼は背負い投げを食らって、今まさに起き上がろうとしているところ。

やつを仕留めるにはまたとない好機だった。

「いくぞ!!」

かけ声とともに一斉になだれ込む。おのおの手にした武器で力任せに斬りつけ、刺し貫く。

「やったぞ、効いてる!」

たまらず鬼も苦悶の悲鳴をあげる。それを聞き狂喜する討伐隊。迸る血。まだ致命傷には至らないが、このまま押し切れば時間の問題だろう。

「アオイ!」

その光景を見たモモもまた、悲痛な声を上げる。人間が鬼を襲うその姿は、友だちが一方的に虐げられているようにしか見えなかった。たまらず駆け寄ろうとしたが、

「ぐ、このっ!!」

不意を打たれたものの、鬼はすぐに持ち直す。自分を囲む手勢を4本の腕を巧みに駆使してなぎ払う。隊員を掴み、投げ、殴り飛ばす。またたくまに包囲を突破して再びモモに飛びかかってくる。

「ーーなんで」

なぜアオイは自分にばかり攻撃してくるのか。わけがわからない。わからなくとも、なんとか凌がなくてやられてしまう。

「くっ・・・・・・」

手負いのはずなのに、攻撃の手は弱まるどころか苛烈さを極めている。いや、むしろ手負いだからこそ凶暴性が目覚めてしまったのかもしれない。繰り返される連撃。執拗な追撃。それらを器用に弾く。いなす。躱す。しかしーー

「あっ」

何かに躓いて身体がよろめく。足下にあったのは気絶した人間の身体だった。その無防備な態勢のモモへ向けて容赦ない一太刀が振り下ろされる。だからーー

「ーーーー!」

つい、モモは鬼の腕を1本斬り落としてしまった。

鬼が悲痛な叫びをあげる。おびただしい量のどす黒い血がすごい勢いで吹き出す。

アオイのことを傷つけたくはなかったのに、そんなつもりなど全くなかったのに、ずっと殺し合いを繰り返してきた中で磨き抜いてきた生存本能が思うより早く身体を動かした。反射的に自分が生き延びるための最適解を実行したのだった。

「まって!ちがう、いまのは・・・」

もはや向こうは聞く耳などまるでもたない。またしても咆哮。今までのどれよりもずっと凶悪で、追い詰められた獣のそれを思い起こさせた。そして攻撃。追い詰められれば追い詰められるほど攻撃のキレが増していく。その殺意に満ちた太刀筋が、なによりも雄弁に語っていた。

ーーアオイは、ほんとうにわたしを殺すつもりなんだ。

どうしてなのかは分からない。今だってあんなに涙を流しながら戦っている。きっと本意ではないのだ。けれど攻撃に容赦がないのも事実。まぎれもなく命がけで自分の命を取り来てる。やらねばやられる。そんなのは今まで何度も経験してきたことだった。ずっとくぐり抜けてきた状況だった。けれど、けれどこんなのってーー。

「ーーっ!!」

そう考える間も槍が頬をかすめる。この繰り広げられる槍と剣との応酬は迷う暇さえ与えてくれない。そうして追い詰められていくほどキレていくのは葵だけではなかった。モモもまた死地へと追いやられるほどに、1匹の獣として鬼を屠り続けてきた本能が目の前の鬼に対する殺意を高めていく。頭が拒んでも身体が、本能が殺せと絶え間なく命じてくるのだ。

これ以上、予断を許す状況ではなくなっていた。

一撃。一撃だけ食らわせよう。なにも命まで取らずともいい。ひとまず身動きができなくなるほどの一太刀を浴びせてこの戦いを終わらせよう。そう決めてしまえば、行動に移すのはあっという間だった。

巨大な体躯を操る鬼の最大の弱点は言うまでも無く懐である。そこへ辿りつくためには相手の間合いのなかへ入らなければならないが、一度入ってしまえばその瞬間に勝負は決まる。問題は、どのタイミングで飛び込むか。

「・・・・・・」

感覚を研ぎ澄ませて相手の動きを読む。呼吸を読む。視線を読む。次に繰り出そうとする行動の意図を読む。力は強くとも敏捷さは自分に劣る。道ばたに転がっている人間に躓くなどというイレギュラーさえなければ避けること自体は造作ないのだ。

華麗なステップと上体の動きで攻撃を躱しながら、あえて一度大きな隙を作る。そこへ相手の大ぶりの攻撃を誘う。思い通り相手が釣れる。

ーーもらった。

「ーーーー!!」

たった一歩の跳躍で完全に懐に潜り込む。鬼の目に恐怖が一瞬よぎる。だがもう遅い。何か月明かりに閃いたと思ったころには、守りのないガラ空きの土手っ腹をもう脇差が貫いていた。深く深く、鍔が触れるまでどっぷり刺さっている。

「・・・ごめん、アオイ」

モモの目からも涙が零れる。冷たく頬を伝う。こうするしかなかった。こうするしかできなかったのだ。鬼を殺すしか取り柄のない、獣のような自分には。

脇差を引き抜くと、鬼の巨体がゆらりと傾く。さっきまであんなに動けていたのが嘘みたいに、崩れ落ちるように力なく倒れる。さきほど腕を切り落とした失血のせいもあるのだろう。命の限界は思ったよりも近そうだった。

「ごめん、なさい」

倒れた鬼の傍らに膝をつくモモの涙が、鬼の顔に零れる。

「ううん、いいのよ、これで。あなたは正しいことをしたの」

そうモモに語りかける表情は、もはや鬼のものではなかった。モモがよく知ってる、葵の優しい表情。あの目元、口元、微笑み。

「謝らなきゃいけないのは私の方。なにも知らないあなたを巻き込み、苦しめた。一番悪いのは私なの。・・・ごめんなさい」

「いい。あやまらなくて、いい。だから・・・かえろう?」

何度も何度も鬼を殺してきたからよく分かる。きっとこの怪我で長くはもたない。もし助かっても、また元気になるまでには付きっきりで手当てをして、栄養のあるご飯をたくさん食べさせて、それから、それからーー。

そんなこと、できるわけがなかった。

異常な自然治癒力を誇るモモには治療のノウハウなどないし、料理を作ることもできない。担いで運ぶことくらいならできるだろうけれど、追っ手を振り切りながら、人目を避けながら一体どこまでいけるというのか。

「もう・・・かえろう」

わかっていても、虚しい願いが言葉となって漏れ出る。駄々をこねる子どものように、モモは必死に冷たくなっていく葵の手をとって強く握りしめる。そこへーー

「ーーーー?」

とすん、という音。

見ると、自分の胸から剣が飛び出している。その切っ先は血に濡れて光っていて、服も赤く染まっていく。

「・・・・・・」

剣が引き抜かれる。振り返ると、討伐隊の一人が血濡れの剣を手にモモのことを見下ろしていた。ああ、刺されたのか。このときようやく、他人事のようにそのことに気づいた。

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