第9話
少女は青い鬼に向かって語りかける。
「アオイ、はなしをきいて」
この劣勢の中、もう一人の敵まで登場してしまったと討伐隊は顔面蒼白となった。
誰もが後ずさり、青い鬼と赤い目の鬼斬とを交互に見やる。
一体どちらが仕掛けてくるのか、自分たちはどちらに先に戦いを挑むべきか。
……が。どうやら状況は討伐隊が思っているのとは違うらしかった。
「あれ……あのガキ俺たちを襲ってこないぞ」
「仲間割れでもしてんのか」
少女は鬼を真っ直ぐに見つめ、鬼もそれを見つめ返しているだけで両者ともいっこうにこちらを襲ってくる気配がない。
理由は知らないが、これはチャンス――とばかり武器を構えたが、
「…………」
その気配に感づいた赤い瞳が無言で討伐隊を威圧してくる。
わざわざ声に出さずとも少女のいわんとしていることは分かった。
討伐隊の誰よりも命のやりとりに慣れた冷酷な瞳が「邪魔したら殺す」と告げているのだった。そこに込められた殺気。日常生活のなかではおよそ誰も目にしたことのない相手を射すくめるような眼光が、こともあろうに自分たちの半分ほども生きていなさそうな処女か発されているのだ。
討伐隊員たちは、ただ黙って状況を見守るしかなくなった。
そして、モモの到着に気づいた青い鬼の注意も先ほどからそちらへ向いている。
討伐隊を襲うのすらをやめ、自分の天敵である鬼斬のもとへ歩を進める。
何も知らない者たちが見れば数多の同胞が鬼斬によって殺害されているため、村の者より鬼斬に抱く恨みの方が大きいのだろうと考える。
その威圧を受けてもなお鬼斬の少女は、一歩も後退しない。
まっすぐに目を見たまま相手の動きを待っている。
――そこへ。
「――……!」
鬼が一声叫ぶんだかと思うと、屈強な腕を振り上げ、少女に一撃を見舞う。
「――――」
少女は背中の大剣を盾のように構え、その拳を受ける。
直撃は避けたものの、ものすごい力で吹っ飛ばされる。
吹っ飛ばされながら器用に空中で体勢を整え、踵をブレーキとして使い減速を試みる。
土煙をあげながら後方へと滑り、そうして静止してから顔を上げると、
「――!」
すぐ目の前に、鬼が腕を振り上げたまま飛びかかってきている。
回避する間も与えず上から振り下ろされる強烈な一撃。
鬼の体重と重力との掛け合わされたその拳も、同じように大剣で受け止める。
「――く」
しかし今度は地面へ足がめり込むのではないかという重圧。
足下の地面に亀裂が入る。
それでも。それだけの攻撃を浴びせかけられてもなお。
その小さな身体を押しつぶそうとする凄まじい力に耐えながら、あくまでモモは返事をしてくれない葵に話しかける。
「アオ、イ。こころがつうじないの……?」
「――――!!」
その真っ直ぐな瞳が、迷う葵の両目を見つめている。
揺らぐことのない信頼がその目つきには現れている。
自分とアオイはずっとお喋りをしてきたのだ。心が通じているはずなのだ。
これまでだって、それを疑ったことはただの一度たりともない。
「――……!」
その迷いを振り払うかのように鬼は三度目の咆哮する。
そうして、一本の腕で圧力をかけ逃げられないよう身動きを封じながら、もう二本の腕で華奢な身体を守る大剣をがしっと掴み、引き剥がし、ガラ空きになったところへ直接剛拳を叩き込む。
さきほど洋館にぶち込まれたときよりも、さらに大きな殺意を伴った一撃に、いくら片子といえどもさすがに痛手を負ってしまう。
「――がはっ」
今度ばかりは、まともに食らった。
吹っ飛ばされ、木の幹に叩きつけられ、なすすべなく地面に倒れ落ちる。
「……なんで」
口から血を吐きながら、それでもなおも立ち上がる。
その瞳に映るのは、浅黒い肌の異形ではなく、いつも帽子を被っていた優しいお姉さんの姿だった。
だって、そうだろう。
そうとしか考えられなかった。
「なんで……なきながらたたかってるの」
なぜなら目の前の青い鬼は、涙を流しながら、どうしようもなく辛そうに戦っているのだから。
そんな鬼を、これまで一度たりともモモは見たことがないし、きっとこれからもないだろう。そんな風に人を傷つけることに心の痛みを覚えるものを、決して「鬼」と呼ぶはずがない。だから、あれは鬼ではない。鬼でも人でもなく、そんなちゃちな枠組みで線引きできるようなものではなく、モモの大好きな「アオイ」なのだ。
そのアオイが、泣きながら戦っている。
――なぜ涙を流すのか。
その答えをモモは知っている。
それが、アオイの願いではないからだ。
こんなことを望むような人ではないからだ。
「わたしはしってる。アオイは……鬼なんかじゃない」
本性を剥き出しにされても、威嚇され、殴り飛ばされてもなお。
少女はアオイのことを信じた。
目に映る異形の姿ではなく。
自分の心に触れた、そして焼き付いたアオイの心を信じたのだ。
これまでともに過ごしてきた愛おしい思い出たちが、モモの心に勇気を与えた。
それらを胸に抱きながら、モモは説得を続ける。
「もうやめて。きょうは、まだごはんたべてない」
重ねてきた幸せは村人からすればありふれた取るに足らないものだったかもしれない。
けれど、片子の少女と人の姿をした鬼にとっては、そのありふれたささやかなものこそがなによりもかけがえのない大切な時間だった。
初めて出会った大切な「ともだち」だったのだ。
だから――
「おなか、すいた」
モモは微笑むのだった。
アオイと出会ってから知った、アオイに教えてもらった笑い方で。
アオイのために微笑むのだった。
泣きながら戦わずともよい、と。自分はアオイのことを信じているから、と。
「モモ…………」
およそ人の心などもちえないはずの鬼の目から、透明な涙がこぼれ落ちる。
それは宝石のように月の下で輝いた。
まぎれもない人としての美しい心の証明だった。
「………………」
正直なことを打ち明けるのなら。
葵はこのとき、帰りたいと思った。
それが弱さだと知っていながらも、こんな風に自分の醜さも受け入れて信じてくれるモモとすごす平穏な日々にもう一度帰りたいと心から願ってやまなかった。そのためならば自分がどんな苦しみにあったとて構わなかった。
――けれど、そんな願いは叶わない。
鬼の身でありながら鬼としての道を踏み外してしまった葵には、もうどこにも引き返す道など残されていないのだから。
このまま逃げることだってできるけれど、噂はどこまでも二人を追いかけてくるだろう。
人間だけでなく、顔に泥を塗られた鬼斬たちまで自らの潔白を証明するために二人の命をつけ狙うかもしれない。大和が放つ忍者や陰陽師連中も、昼夜自分たちのことを追い詰めにかかるだろう。そしてそれらからいつまでも逃げ延びられるとは考えられなかった。
もう、どうしたってあの日々に戻ることなど出来ないのだ。
あの日々は、子どもの見る夢のようにあまりに非現実的で、頼りなく浮かび漂うシャボン玉のように、美しくはあったけれども脆く、壊れやすいものだった。
鬼は鬼らしく、最初から人間と関わりのない世界で生きるべきだったのだ。
それを履き違えて身の丈に合わない願いを抱いたことが、葵の最大の過ちだった。
「…………」
どのみち、二人とも生きて幸せになる未来などありえない。
それならばせめて、葵はモモにだけは生きていて欲しかった。
辛くても苦しくても、あまりに世の中が酷たらしく醜いものに思えたとしても。こんなにもモモを想う自分が、このままモモの愛を信頼とも裏切った見下げ果てた怪物だと、もし仮にいつの日か思われる時が来てしまったとしても。
それでもやっぱり、どうしても生きていて欲しかった。
当たり前だろう。
心から愛する人に、本当にたまらないほど好きな人に、死んで欲しいと思う人などいない。どんな未来が待ち受けていようと、きっとモモならば乗りこえていける。そうして、それこそが葵の抱く最後のワガママだった。
「…………」
青い鬼は無言で、それらの想いを胸の中に秘め、討伐隊から奪った槍や刀を四本の腕にそれぞれ構える。
その悲壮な姿はこう告げていた。
『あたしかあなた、どちらかが必ずここで死ぬ』
それはもう、どうあっても避けられない結末だった。
痛ましい目つきで睨みつけてから、鬼が地を蹴ってモモに接近する。
まず槍を一突き。俊敏な動きで危なげなくかわされる。
が、それを見越して別の腕で着地点に刀を振り下ろす。けれども、これすらも脇差で弾かれて対処された。
そこへまた別の刀が襲いかかる。モモ、跳躍してそれを避ける。
圧倒的手数の鬼に対して、けれどモモはまるで劣勢を感じさせなかった。
モモの小さな身体と、野性的な生活において会得した敏捷さはここでも功を奏した。
次々に襲い来る猛攻を踊るような軽やかなステップでかわし続ける。
「――く、ちょこまかと!」
巧みに鬼の攻撃をかわしながら懐に潜り込むモモ。
それを狙い撃ちにしてやるとばかりに、鬼の繰り出す槍先が稲妻のような速度で迫り来る。しかし、その攻撃は読めているとばかりにモモが避けた。
そして鬼の腕を両手で掴み――
「な――――」
その光景には傍観していた討伐隊もさすがに呆気にとられた。
なんと、小柄な少女は鬼の腕を掴んだまま、思い切り背負い投げを食らわせたのである。
鬼の巨体は信じられないほど見事に宙を舞って、やがて地面に叩きつけられるとずしんと地鳴りのような重苦しい低音と震動が起こした。
モモの強さの秘訣として、鬼に優るとも劣らない怪力と、相手にとっては狙いのつけにくく、しかも小回りのきく小さな身体をすでにあげた。
けれども、最大の理由は――
「くっ。あの子なんて速さなの…………」
大剣を手放したときの、圧倒的な速度だった。
人間を遥かに凌駕した圧倒的な身体能力。そして、野生によって研ぎ澄まされた鋭い直観。それらが人にも鬼にも決して真似することのできない恐ろしいまでの素早さを実現させるのだ。
もちろん大剣はただの重しではない。
脇差のように錆びたり刃こぼれすることがない良質な武器だし、盾としても鈍器としても使うことが可能である。
なにより一撃一撃が必殺といってよいほど強力であり、いかに強大な鬼の首であれ腕であれ刎ねとばすのに二撃目が必要になった例しがない。
とはいえ、その巨大な重量が時に足枷となるのも事実だった。
そしてその制約から解放されたとき、モモは鬼に肩を並べる腕力に加え、鬼にも獣にもまさる圧倒的な速度を得る。
どんな強力な一撃も、当たらなければどうということはない。
それどころか、全身全霊の一撃は大きな隙を生んでしまう。
相手が空振りしたあとに脇差や奪い取った武器で強烈なカウンターを見舞うのがモモの必勝の策のひとつだった。まして人を襲ったことのない鬼と、鬼を殺し慣れた鬼斬との間に戦闘感覚の差が生まれないわけがないのだ。
四本も腕があり四つも武器を装備しているにもかかわらず、そんな相手を素手で軽々と投げ飛ばす鬼斬。
その姿に、討伐隊は自分たちの勝機を感じ始めていた。
「これはもしかしたらいけるんじゃねえか」
「ああ、今やつらは仲間割れしてやがるから俺たちの動きには気づかねえ」
つまりは漁夫の利を狙っているのである。
「どっちを先に殺す?」
「決まってんだろ、あのデカブツの方からだ」
正面から戦ったところで叶うはずがないのだから、合理的といえば合理的な判断ではある。そして、そうと決まればあとは早かった。
まだ戦意もあり怪我も少ない討伐隊員が目で合図をし、息を合わせる。
鬼は背負い投げを食らって、今まさに起き上がろうとしているところ。
――仕留めるにはまたとない好機だった。
「いくぞ!」
かけ声とともに一斉になだれ込む。
多勢でもって囲い込むと、おのおの手にした武器で力任せに斬りつけ、刺し貫く。
「やったぞ、効いてる!」
たまらず鬼も苦悶の悲鳴をあげる。それを聞き狂喜する討伐隊。
流れ迸り、大地を赤く染める鬼の血。
まだ致命傷には至らないが、このまま押し切れば時間の問題だろう。
「アオイ!」
その光景を見たモモもまた、悲痛な声を上げる。
人間が鬼を襲うその姿は、友だちが一方的に虐げられているようにしか見えなかった。
そしてそれを見逃すわけにもいかなかった。たまらず駆け寄ろうとしたが、
「ぐ、このっ!!」
不意を打たれはしたものの、モモの手を借りずとも鬼はすぐに持ち直す。
自分を囲む手勢を四本の腕を巧みに駆使してなぎ払う。
隊員を掴み、投げ、殴り飛ばす。
またたくまに包囲を突破し、再び敵意をこめて飛びかかった相手は、やはりモモだった。
「――なんで」
なぜアオイは自分にばかり攻撃してくるのか。わけがわからない。
モモはほとほと混乱してしまった。ショックでもあり、また、やるせない悲しさもあった。
それでも、わからなくとも、悲しくとも、なんとか凌がなくてやられてしまう。
「くっ…………」
手負いのはずなのに、攻撃の手は弱まるどころか苛烈さを極めている。
いや、むしろ手負いだからこそ凶暴性が目覚めてしまったのかもしれない。
繰り返される連撃。執拗な追撃。それらを器用に弾く。いなす。かわす。
しかし――
「あっ」
それもいつまでもは続かなかった。
何かに躓いて身体がよろめく。
足下にあったのは、気絶した人間の身体だった。
その無防備な態勢のモモへ向けて容赦ない一太刀が振り下ろされる。
瞬間、モモは命の危機を悟った。このままでは殺されると直観が告げていた。
だから――
「――――!」
つい、鬼の腕を一本斬り落としてしまった。
鬼が悲痛な叫びをあげる。おびただしい量のどす黒い血がすごい勢いで吹き出す。
それを見て、当のモモも慌てふためく。
そんなはずじゃなかった。わざとやったわけではなかった。
アオイのことを傷つけたくはなかったのに、そんなつもりなど全くなかったのに。
ずっと殺し合いを繰り返してきた中で磨き抜いてきた生存本能が、思うより早く身体を動かした。
反射的に自分が生き延びるための最適解を実行したのだった。
「まって! ちがう、いまのは……」
呼びかける声も虚しく、もはや向こうは聞く耳などまるでもたない。
おぞましい咆哮。またしても襲い来る無慈悲な連撃。
今までのどれよりもずっと凶悪で、追い詰められた獣のそれを思い起こさせた。
そして攻撃。追い詰められれば追い詰められるほど攻撃のキレが増していく。
その殺意に満ちた太刀筋が、なによりも雄弁に語っていた。
――アオイは、ほんとうにわたしを殺すつもりなんだ。
どうしてなのかは分からない。
今だってあんなに涙を流しながら戦っている。
きっと本意ではないのだ。けれど、攻撃に容赦がないのも事実。
まぎれもなく命がけで自分の命を取り来てる。
やらねばやられる。
そんなのは今まで何度も経験してきたことだった。
ずっとくぐり抜けてきた状況だった。
けれど、けれどこんなのは、こんなのって――。
「――っ!」
そう考える間も槍が頬をかすめる。
この繰り広げられる槍と剣との応酬は迷う暇さえ与えてくれない。
そうして追い詰められていくほどキレていくのは葵だけではなかった。
モモもまた死地へと追いやられるほどに、一匹の獣として鬼を屠り続けてきた本能が目の前の鬼に対する殺意を高めていく。脳が貪欲に目の前の獲物を仕留めることだけを計算しはじめる。
頭が拒んでも身体が、本能が殺せと絶え間なく命じてくるのだ。
これ以上、予断を許す状況ではなくなっていた。
……一撃。
だから、モモはひとつだけ妥協をすることにした。
一撃だけアオイに食らわせよう。
なにも命まで取らずともいい。
ひとまず身動きができなくなるほどの一太刀を浴びせてこの戦いを終わらせよう。
そうでなければ、どのみち自分が殺されるか、ついアオイを殺してしまうかだ。
頭で方針をたてさえすれば、あとは衝動に身を委ねるだけでよかった。
「…………」
モモはじっと鬼を見つめる。
巨大な体躯を操る鬼の最大の弱点は、言うまでもなく懐である。
そこへ辿りつくためには相手の間合いのなかへ入らなければならないが、一度入ってしまえばその瞬間に勝負は決まる。
問題は、どのタイミングで飛び込むか。
「……」
再び鬼から繰り出される圧倒的な手数の攻撃。
それをよけながら、絶好の機会を窺う。
感覚を研ぎ澄ませて相手の動きを読む。呼吸を読む。視線を読む。
次に繰り出そうとする行動の意図を読む。力は強くとも敏捷さは自分に劣る。
道ばたに転がっている人間に躓くなどというイレギュラーさえなければ避けること自体は造作ないのだ。
華麗なステップと上体の動きで攻撃をかわしながら、ある瞬間にモモはあえて一度大きな隙を作る。
それを見た鬼は、ここぞとばかりに大ぶりの攻撃を見舞う。
――が。
それはモモのしかけて陽動だった。相手の大ぶりの攻撃を誘うための罠だった。
そして鬼はモモの思い通りに釣られてしまったのだった。
――もらった。
「――――!」
たった一歩の跳躍で完全に懐に潜り込む。
事態を察した鬼の目に恐怖が一瞬よぎる。
だがもう遅い。
何か月明かりに閃いたと思ったころには、守りのないガラ空きの土手っ腹を、もう脇差が貫いていた。
深く深く、鍔が触れるまでどっぷり刺さっている。
「……ごめん、アオイ」
モモの目からも涙が零れる。一筋の流れが冷たく頬を伝う。
こうするしかなかった。こうするしかできなかったのだ。
鬼を殺すしか取り柄のない、獣のような自分には。
脇差を引き抜くと、鬼の巨体がゆらりと傾く。
さっきまであんなに動けていたのが嘘みたいに、崩れ落ちるように力なく倒れる。
さきほど腕を切り落とした失血のせいもあるのだろう。
命の限界は思ったよりも近そうだった。
殺すことしか考えてこなかったモモは、相手を生かすための計算をいくらか間違えてしまったらしかった。
「ごめん、なさい」
倒れた鬼の傍らに膝をつくモモの涙が、鬼の顔に零れ落ちる。
すると倒れた鬼は、自分の血に濡れたごつごつした指でモモの涙をぬぐった。
「ううん、いいのよ、これで。あなたは……正しいことをしたの」
そうモモに語りかける表情は、もはや鬼のそれではなかった。
モモがよく知ってる、葵の優しい表情。あの目元、口元、微笑み。
死に近いことを感じさせる弱々しい声で、それでも葵は言葉を紡ぐ。
「謝らなきゃいけないのは私の方。なにも知らないあなたを巻き込み、苦しめた。一番悪いのは私なの。……ごめんなさい」
「いい。あやまらなくて、いい。だから……かえろう?」
モモは年相応の子どもが駄々をこねるように、必死に目の前の現実を拒もうとする。なんとか、アオイとともに帰ろうとする。もうあの洋館とて、住むことのできないほど大きな穴が開いてしまったというのに。
自分たちには、もう帰ることのできる場所など、どこにも残されていないというのに。
何度も何度も鬼を殺してきたからこそ、モモにはアオイの状態がよく分かった。
きっとこの怪我で長くはもたない。
もし助かっても、また元気になるまでには付きっきりで手当てをして、栄養のあるご飯をたくさん食べさせて、それから、それから――。
そんなこと、できるわけがなかった。
異常な自然治癒力を誇るモモはこれまで治療らしい治療を必要としてきたことがなかった。ゆえに、だからこそ誰かを治療するだけのノウハウなどを学んだこともなかった。
料理を作ることもできない。
担いで運ぶことくらいならできるだろうけれど、追っ手を振り切りながら、人目を避けながら一体どこまでいけるというのか。
「もう……かえろう」
わかっていても、虚しい願いが言葉となって漏れ出る。
強情を張る子どものように、現実を受け止めきれないモモは必死に冷たくなっていく葵の手をとって強く握りしめる。そのぬくもりを手放したくなかった。それがだんだんと冷たくなっていってしまうのが、なによりも嫌だった。
そこへ――
「――――?」
とすん、という音がした。
おや、と思ってモモが見ると、自分の胸から刀の先が飛び出している。
その切っ先は血に濡れて光っていて、服も赤く染まっていく。
「…………」
剣が引き抜かれる。
振り返ると、討伐隊の一人が血濡れの剣を手にモモのことを見下ろしていた。
その恐怖と興奮と歪んだ快感のまじった笑み。
穢賊がどうとか、鬼斬がどうとか言っているのが遠いもののように聞こえる。
……ああ、自分は刺されたのか。
モモはこのときようやく、他人事のようにそのことに気づいた。
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