第7話


 たとえば。

 男の子にサッカーに誘われたときのことである。

「な! 抜かれた――!」

「まずい! 守りを固めろ!」

 ある一人の男の子が見事なドリブルで相手を抜き去り、敵陣深くへと切り込む。

 しかし相手も一筋縄ではネットを揺らさせはしない。

 たちまち鉄壁の防衛が築かれた。

「ち、こいつらリカバリー早いぜ!」

 ドリブルをする男の子の目に焦りが生まれる。

「よし、そのまま囲んで奪っちまえ!」

 驚くべき早さでディフェンスに包囲されてしまう。

 このままではシュートはおろか、パスを出すことさえ難しい。

「く――!」

 今、自軍は総力を挙げて敵を攻め落としにきている。

 このままカウンターを決められれば失点は免れないだろう。

 しかし――そのとき。

「そうだ!」

 男の子はある名案を閃いた。

「いっけえ!」

 すると、あろうことか。

 思い切りてんででたらめな方向へ向けてボールを蹴り飛ばしたのだ。

「な――、おいケンタお前どこ蹴ってんだよ!」

 その意図を理解できない味方からも非難があがる。

「へへ、追い詰められて気でも触れたらしいな」

 敵はケンタの錯乱を見て余裕の表情。

「ふ、そいつはどうかな?」

 なのに。

 ケンタは、ケンタだけは余裕の表情を見せていた。

「俺たちにはまだ残っていたのさ! とびきりの切り札がな!!」

 自信満々に言い放つ、その目線の先には――

「…………」

 猛烈な俊足で爆走する一人の少女。

 その姿、さながら紅い彗星。

「な、あれは!」

 紅い彗星はたちまちボールへと追いつく。

 不測の事態に敵陣は動揺の渦に叩き落とされる。動揺しながら、それでも、まだ勝負はついていないと必死に自分に言い聞かせる。

「だ、だが無理だ。いくら足が速くったって、あの高さには届くめえ!」

「そうだ! どうせあのままラインを割っちまうに決まってやがるぜ!!」

 信じられない思いで、いや、信じたくない思いで敵陣もその動静を見守っていた。

 本当は分かっているのだ。

 このあとどんな悲劇が自分たちを襲うのか。

「モモっ! 跳んじまえぇぇっ!」

「…………」

 ケンタのかけ声が引き金となって、弾かれたように跳躍する少女。

 人智を越えた身体能力。ありえない跳躍距離。その姿が踊るように軽やかに宙を舞う。

 そして、体操選手のごとく身体をしなやかに回転させる。

「ま、まさかあれは!」

 地上三メートルの高さ。

 少女の白く細い足が彼方へと飛び去ろうとしていたボールを捉える。

「「ム、ムーンサルト・オーバヘッドキック!」」

 敵だけでなく味方までもが戦慄する。

 ありえない。あんな、あんな高さからまさかシュートが繰り出されるなんて。

「うおおおおお!」

 すさまじい轟音を伴いながら。

 超高度から発射された弾丸は流星のごとき速度、落雷のごとき恐怖を伴って落ちる。

「へん。てめえのシュートなんざ、と、とめてや――」

 本当に自分たちがやっているのはサッカーなのかと疑いたくなる光景。

 それを目の前にしたキーパーは。

「とめてやれるわけねええええぇぇぇ!!」

 たまらず逃げ出してしまうのだった。

 ズシュウウン!

 ボールはゴールネットを突き破り、そのままバウンドし。

「…………」

 そのまま遠くの山の中へと消えていった。

「す、すげええ!」

「やったなモモ!」

「お前ならやってくれると信じてたぜ!!」

 大きな声援が英雄を包み、祝福する。

 それを見ながら。

「……サッカーって、なんだっけ?」

 一人残されたキーパーは呟くのだった。


 あるいは。

「ねえモモちゃん。今度はわたしたちと一緒に遊びましょ?」

「うん。なにするの?」

「えへへ。おままごとしよう!」

「おままごと?」

 すると女の子が人形を両手でもってお辞儀させながら、

「こんにちは!」

 と声色を変えてしゃべる。

「…………?」

 モモは不思議そうに女の子と人形を交互に見る。

「あたし、ジョセフィーヌ!」

 高い声が聞こえる。

 それでもモモが困惑していると、

「あのね。さっきのはこの子がしゃべってるの」

 と解説してくれた。

「そう」

 なるほど。そういうことだったのかと納得する。

「こんちは」

 モモも「ジョセフィーヌ」に向かって挨拶を返す。

 するとジョセフィーヌが

「ねえねえ。そのお友達なんていう名前なの?」

 そう言って傍にあるの黒い人形を指さす。

「知らない」

「もう、そうじゃなくて!」

 と、今度は女の子がこんどは喋る。

「ごっこあそびっていうのはね、お人形さんにになりきって遊ぶものなの。ほら、他の女の子も色々やってるでしょ?あっちは新婚期がおわって倦怠期に入った奥さんがお隣の旦那さんとフリンしてるとこなの」

「けんたっき……?ぷりん?」

「まあ、でも。最初は簡単なのからのやりましょ。まずはその子の名前をつけてあげて」

「なまえ……」

「そ。なんでも好きなのつけていいんだよ」

「…………」

 するとモモはじっと人形を見つめたあと。

「――ですごっど」

 と呟いた。

「なんか……思いもよらないベクトルの名前ね……」


 はたまた。

「いやいや! 今のはずりいって!」

「そうだよ、モモ仲間にしたら勝ちとか勝負になんねえよ!!」

「そーだそーだ!」

 そういう猛抗議があがったため、サッカーをやめて野球にすることになった。

「いけえ!」

「ショーイチ! 頼んだぞ!」

「へへへ、今度という今度は目に物みせてやるよ……」

 さきほどのキーパー、ショーイチが不敵に微笑む。

「確かにモモの力は鬼ヤベエ。――が、当たらなけりゃあ金棒のない鬼さ」

「…………」

 自信満々のピッチャーには目もくれず、無言でバッターボックスに入るモモ。

「気負わなくていいぞ、あいつたくさん隠し球もってやがるんだ」

 そのモモへ向かってケンタがベンチからアドバイスを飛ばす。

「…………」

 無言で頷いてバットを構える。

 あの様子から察するに、おそらく何らかの必勝法があるのだろう。

 だが、関係ない。

 今の自分の役割はバッター。どんな球でも打ち返してみせるまでだ。

「しょうぶ」

「へへ、威勢だけは一丁前だなあ! だが、それもいつまで続くかな――!?」

 繰り出される剛速球。

「……」

 たしかに少年野球にしては速い部類ではある。

 世が世であるならドラフト指名だって受けることができたかもしれない。

 ――けれど。

「……」

 この程度の生ぬるい速さ。どうして打ち返せないというのだろう。

「……ふん」

 ――が。

 モモがバットを渾身の力で振り抜こうとしたとき。

「――!?」

 突然白球が手元で軌道を変える。

 がくん、と落ちるスライダー。

 咄嗟に対処しようとするが間に合わず――。

 スパァン!

 直後に快音をともなってキャッチャーミットに吸い込まれる白球。

「いま、のは……?」

 呆然とした目でモモが見つめる先。

「へへへ、どうだったかな? 俺の必殺技の味は?」

 ピッチャーが得意げな顔で笑っているのが見えた。

「まさか……さいきくらい?」

 災鬼喰らいとは、大厄災以降全国で観測されるようになった超常現象であり、鬼や鬼の血を引く片子のなかには災鬼喰らいを意図的に引き起こすことができる能力者もいる。

 経験豊富なモモでさえ自然界で見たことのない、超常的なボールの軌道。

 それはもはや災鬼喰らいであると考えなければ不自然なほどの事象だった。

「そうさ! ショーイチのスライダーはもはや災鬼喰らいレベルの威力さ!」

「さすが『魔球・エリコちゃんにフラれたショック』!落ち込み方がパネぇぜ!」

「へへへ、立ち直るのに三ヶ月以上かかったからな。その時間全てをこの魔球を生み出すのに費やした……。今思えばあれも、新しい自分へと成長するための産みの痛みだったってことだな…………」


 またまた。

「ていうかモモちゃん、英語知ってたんだ……」

「えいご……?」

「ま、まあ、いいや。えと、じゃあデスゴッドちゃんはどんな女の子なの?」

 モモ、デスゴッドの両手を空へ向かってあげさせる。

 そして厳かに告げる。

「わがなはですごっっど。ふうじられしやみのちからで、まおうとたたかう」

「モモちゃんそれおままごとじゃないロールプレイだよ……」

 女の子は、しかし博識であった。

「それってゲーム……キャラクター操作するほうのロールプレイだよね」

「きゃらくたーそうさ?」

「そういう物が昔流行ってたんだって」

「ぶんめいが、さかえてたころ?」

「うん。パパもはまりすぎて『厨二病』って病気にかかっちゃったそうなの」

「びょーきはこわい」

「だよね?そのときのパパは、わけもなく右腕が突然疼きだしたって言ってた」

「……まだいたくはなってない」

 自分の右腕を確かめながらモモがいう。

「腕だけじゃないよ。眼帯をしなきゃいけない重症になってたお友達もいたらしいの」

「め……?」

「病気が進行すると『邪眼』っていうのになっちゃうとか」

「……わたしもきをつける」


 また別の時には。

「なあ、モモ。ヤバかったらバントしてもいいんだぜ?」

 ケンタが再びバッターボックスに立つモモに話しかける。

「ばんと?」

「そ、バットをこう構えてさ。とりあえず球に当ててみるやり方さ」

「……ひつようない」

 ケンタからの助言に、四番を背負うモモは静かにかぶりを降った。

 超大物打者には、他の者には理解できない矜恃があるとでもいうのか。

「気持ちは分かるけどよ。でも、あの球打てるのか?」

 魔球に対する打開策はまだ編み出せていないのだ。

 このままでは先ほどの二の舞になるのは目に見えている。

「もんだいない」

 だというのに。

 構えたバットの先は貫くようにバックグラウンドを指し示している。

 ホームラン宣言である。

「あのまきゅうは、わたしがすたんどまではこんでみせる」

 それを見たピッチャーが、唇を歪める。

「へへ、口だけ達者になったってよ、打てねえのは打てねえのさ」

「それはさっきのはなし」

「人間、そう簡単に変われるもんじゃねえんだよ!」

 そういってまたも繰り出される『魔球・エリコちゃんに(以下略)』。

 うなるような剛速球。

 そしてそれが再びえぐるように、万感の悲しみを纏い失意の底へと沈み――。

「――ふん」

 沈み込むよりも一瞬早くモモがバットを振り抜く。

「な――!」

 つまり。

 モモが行ったのは、圧倒的空振り。

「へへへ! とうとう血迷ったか!!」

 ピッチャーが興奮と狂喜の声を上げる。敵の守備陣営もにわかに沸き立つ。

 誰もがモモの敗北を確信した。

 しかし。

「おい、あれを見ろ!」

 一人がボールの動向に注目した。

「人間離れしたスイングが引き起こした風圧に押し返されて、あの剛速球が動きをとめてやがるぜ!」

「な、なんだってー!」

「……お前らどんな動体視力してんだよ」

 その通り。そしてこれこそがモモの編み出した必勝法だったのだ。

「――――」

 その一回目のスイングによって生み出した回転する力を生かしたまま、ワンステップで流れるように二回転目に突入する。

 ショーイチは言った。

 どんなに力があろうと、当てられなければ意味がないと。

 まったくもって同感である。しかし、それはピッチャーとて同じことなのだ。

 どんな変化球であろうと、動かなければ意味がない――。

「どっせい!」

 リベンジの意志を込めて、ありったけの力をもってボールを打ち返す。

「――!?」

 打ち返されたボールはアーチを描くどころではない。

 重力に逆らってどこまでもどこまでも空高く真っ直ぐにとび。

 やがて大気圏を抜けて新しい星になるのではないか。

 そんな期待を抱いてしまうほどの特大ホームランだったのだ。


 またある時にには。

「はあ、はあ……デスゴッドちゃん!」

 封じられし闇の力を操るデスゴッドの元へ、ジョセフィーヌが駆け込んでくる。

「たいへん! ブリタニカ王国のクリスティーナ王女が政略結婚に嫌気が差して靴職人をしてる恋人のアランソンと駆け落ちしようとしたけど、実はアランソンは町娘のジュリエットとも付き合ってたの!」

「なんと……」

 デスゴッドちゃんは厳かに憂いのため息をついてみせるが、実はよく分かってない。

「それで、そのごどうなったのだ」

「そのことを知って怒ったクリスティーナが権力を乱用して町を滅ぼそうとしてるの!」

「なんと……」

「王国騎士団はもうすぐそこまで来てるわ! 頼りになるのはあなただけなの。デスゴッドちゃん、闇の力でわたしたちのことを守って!」

「うむ。まかされた」

 一方その頃。

「アランソン、もうお終いよ。早くここを逃げましょう」

 ジュリエットが泣きながらアランソンにすがりつく。

「いいや、これはボクが原因で起こった戦いなんだ。ボクが逃げるわけにはいかないよ」

「でも……でも、アランソン!」

「大丈夫。どんなことがあってもボクが君を守るよ、クリスティーナ」

 ――すると。

「クリスティーナはあたし」

 突然、武装した王女が割って入ってきて訂正する。

「あ、間違えちゃった。ボクが君を守るよ、ジュリエット」

「サキちゃん、役の名前くらい覚えてよ」

「だって名前多くてカタカナばっかりだから忘れちゃうんだもん」

「アランソン、本当はあたしのこと愛してないの!?」

「ほら、ミナミちゃんはすごいよ? 完全になりきってるよ。行く末は宝塚だよ」

 ともかく、そういうなんやかんやがあったのち。

 そうして戦いの火蓋が切って落とされるのであった。

「われにまかせよ。じょせひーぬ」

 デスゴッドが、クリスティーナ率いる王国騎士団を一掃する。

「く、さすが闇の力を操るデスゴッド! 一筋縄ではいかないわね。しかしこっちには光の戦士だっているのよ。なんとかして――あれは!!」

 そのときクリスティーナが見つけたのは物陰で出陣の前のねっとりとしたお別れをする、にっくき二人の姿だった。

「アランソン! それにジュリエット! おのれえええぇぇぇ!!」

 恋の戦争もまた、泥沼の様相を呈しているのであった。


 そしてまたある日には。

「この前のアレ、『二段階回転打法』さすがに卑怯だからもうナシな」

「もう名前つけられたのかよ」

「さすがに一振り目が思いっきり空振りだからね。仕方ないね」

「へへへ、別に使われたってかまいやしねえ。俺の編み出した必殺技は『魔球・エリコ(以下略)』以外にもあるんだからな!」

 そうして。

 打者も投手も、互いのとっておきを封印したのち、新たに迎えた三度目の対戦。

 一体お次はどんな魔球がやってくるというのか。

「…………」

 あくまで冷静に待ち構えるモモ。

「へへへ…………」

 対照的に、ニヤニヤと不敵に笑うショーイチ。

 それを固唾を呑んで見守る取り巻き。

 やがてどこからか吹いてきた風が、一枚の枯葉を運んできて、それが二人の間を通り抜けようという、その一瞬――。

「いくぜ、モモ!」

 突然ショーイチが勢いよく啖呵を切った。

「しょうぶ!」

 モモも負けじと威勢良く応じる。

 そうしてピッチャーの手から解き放たれる白球。

 そのスピードは『魔球・エ(以下略)』よりかは劣る。

 しかし、そうかといって楽観できるわけがない。

 それはすでに二度にわたる先の対戦で重々教わったことだった。

「――――」

 今度の球は、捻るように打者から見て左に曲がる。

「く――」

 必死にスイングするが、空振り。

 左バッターボックスに立つモモは内角を攻められて対応に失敗したのだ。

 ズパァォン!

 ボールを収めるキャッチャーミットが勝利の快音をあげる。

「決まったぁ!『魔球・母ちゃんに怒られたときの腹いせ』!」

「へそ曲がりに捻くれたショーイチの凄まじく歪んだ根性が見事にボールの軌道として表現されているぜ!!」

「お前ら褒めてんのか貶してんのか分からねえな、もう」

 一球目は打者の空振りに終わり、そうして次の第二球……だったのだが。

「…………」

 ズパァゥン!

 あろうことか、モモはスイングすらせずに見送った。

 絶望のあまり勝負を捨てたと早合点した敵陣が歓声に沸き立つ。

「見てみなよ、あのビギナーのザマをよぉ!」

「ああ。こいつぁ痛快だ!」

「やっこさん、ビビっちまって手も足も出なくなったとみえるぜ!」

「ションベンの方は出ちまってるかもしんねえがなぁ!HAHAHAHAHA!!」

 なすすべないモモの姿に、これまで苦渋を嘗めさせられてきた敵陣は喜びのあまり踊り出す始末であった。

「おい、ケンタどうするよ?このままじゃ……」

 仲間も思わず司令塔の顔色を窺う。

 しかし、ケンタ少年、歴戦の猛者のように動じない。

 その目つきはいくつものチームを栄光へと導いてきた監督のそれだった。

「信じるんだ、モモを。あいつにはきっと何か考えがある」

 そのケンタの想いが通じたのか。

「へへへ、今度はどんな奇天烈なプレーを見せてくれるんだあ?」

 なんとモモ選手、第三球目を迎えるにあたり、なんと右のバッターボックスに移動した。

 その佇まい、さながら剣豪宮本武蔵のようであった。

 悠然と立ち、そのまま右手にだらりとバットをぶらさげている姿は、一見隙だらけのように見えてしかし一部の隙とて見当たらない。

 その構えを見て猛烈に怒りくるったのは、長年の宿敵であるピッチャーだった。

「てめえ嘗めてんのか!? 試合放棄なんざ俺は認めねえからな!」

 いつもの余裕の笑みが消え、正々堂々戦えと迫る。

 ――それは。

 相手を唯一無二のライバルと認めているがゆえの、敬意から生まれる怒りだった。

 それに対してモモは。

「いつでもなげていい」

 あっさりと言ってのける。

 どこからでも投げこんでこい、と。

 こちらにはそれを打ち返してみせるだけの用意があるのだ、と。

「そんな油断しきった体勢でかよ?」

「それでも、わたしはうてる。あなたのたまを」

「へ……へへへ。俺ぁ馬鹿にされてこんなにカチンと来たのは久しぶりだぜぇ。こいつぁまた新しい魔球が生まれちまうかもしんねえなぁ……」

 そうしてピッチャーも構える。

 もはやこれ以上の会話など必要ない。男なら、球児ならば、真に必要な対話を真剣に交える一戦によって行うのが筋なのだから。

「だがいいぜ。打ってみやがれ! 打てるもんならなあぁっ!」

 豪胆な気勢とともに放たれる白球。

 その名は『魔球・母ちゃん(以下略)』。 

 先の二球とも、まるで手も足もでなかった、その剛球。

 それに対し――。

「――――」

 モモが動いたのは、球がピッチャーの手を離れた瞬間だった。

 右手にぶらりとさせていたバットを、まるで刀を差しているかのように左腰に据える。

「ま、まさか!」

 そうして足を肩幅より大きく開き、ぐっと腰を落とす。

「あの構えは――」

 その右手は、刀の柄へ手をかけるようにバットのグリップに添えられている。

「「居合斬抜刀打法!!」」

「打つ前から名前つけんのかよ」

 球はバッターの目前に迫り、こじらせた角度でへそ曲がりにカーブする。

 近所でも有名な肝っ玉母ちゃんですらも手を焼かされた少年が生み出した、誰の対処も追いつかないはずの、その魔球。

 それを。

「――きる」

 素早い一閃。

 その抜刀は誰の目にも捉えられなかった。

 カキイィィン!

 ただ、一瞬遅れて響いたバッティング音だけが、何が起こったかを物語っていた。

「まさか、またホームランか!?」

 誰もがその白球の行方を捜す。

「いいや、スタンド側には飛んじゃいねえぜ!」

「じゃあ、一体――」

「おい、見ろ、あそこだ!」

 指さしたさきは、ホームベースの真上。

 モモの放った一撃は、キャッチャーフライだったのだ。

「へへ、やっぱり俺の勝ちだったなぁ!」

 一瞬冷や汗をかかされたショーイチが、改めて勝利の快哉を叫ぶ。

 ――しかし。

「そいつはどうかな!?」

 そう叫んだのは、二塁ランナーのケンタだった。

「お前ほんとそのセリフ好きな」

「まあ見てなよ!」

 ケンタは言い残すと、地面を蹴って走り出す。

「馬鹿な! あいつピッチャーフライの場面で生還目指して突っ込んだぞ!」

「俺が馬鹿かどうかはじきに分かることさ!」

 ランナー、たちまち三塁を蹴っていよいよホームベースへの直線にさしかかる。

 誰がどう見ても蛮行。およそ勝機のない無謀とすら呼べない愚行。

 しかし。

 キャッチャーの目には焦りがあった。

 その行動に言いしれぬ不吉な予感を感じた。そして、あることに気づいた。

「お、おかしい……!」

「なにがだよ!」

 ピッチャーがたまらず怒りの声を上げる。その声はかすかに震えていた。

「落ちて……こないんだ」

「はあ?」

「ボールが高く舞い上がりすぎて、落ちてこないんだよぉ!」

 それはほとんど、助けを求めるような悲痛な叫びだった。

「そうさ! これでお前らもようやくわかったみてえだな!」

 ランナーはもうホームベースを目と鼻の先に捉えていた。

「モモのフライはただの凡打なんかじゃねえ! あの鬼ヤベエ馬鹿力から生み出された超弩級の犠牲フライは、俺たちが勝利の希望を掴むのに十分な時間を与えてくれるのさ!」

 ズザザァァァ!!

 土煙をあげながらランナーが生還し、歓声があがる。

「なん……だと……」

 呆然と立ち尽くすのはピッチャーだった。

 勝負には勝った。勝ったはずなのだ。

 やつの成績はただの犠牲フライ。

 それなのに――。

「なんだ……この敗北感は?」

 それは最強投手であったがゆえに感じたことのない屈辱の苦みだった。

「へ、へへへ……へへへへへ」

 しかし、その苦みも野球の醍醐味を知る者にとっては美味となる。

 少女は思い出させてくれたのだ。

 宿敵と切磋琢磨し合いながらさらなる高みを目指すことの、高揚感を。

「モモ。あんたの名前、しかとこの胸に刻みつけたぜ」

「…………」

「俺は今ここに宣言する。いつの日か、いつの日か必ず――お前にも、他のどんな奴にも絶対に打てないようなマジ超すごくて鬼強い魔球を生み出してみせる」

「…………」

「お前は俺がこの手で、ひねり潰してやる」

 そういうとショーイチは帽子で目元を隠して。

「へへへ……だから、その日まで俺以外の誰にも負けるんじゃねえぞ」

 やはり、不敵に笑うのだった。


 そしてまたある時には。

「…………ふふふ、ふはははははは!」

 新しく主となった城の玉座で、高らかに笑うクリスティーナ。 

 あの戦争の結果。

 軍はデスゴッドに破れ、恋はジュリエットに敗北したクリスティーナは、心の底から湧き上がる悲しみの波動と憎しみの衝動によって闇の力に目覚めたのだった。

 そうしてその闇の力をもってして先代魔王に挑み、これを打ち倒した。

 それによって、超絶覇王となったかつての王女は†クリスティーナ†と名乗った。

 †クリスティーナ†は超絶イケメンな四天王――

 『眼鏡がよく似合うイケボ』の異名をとるフェルディナンド。

 『イケメンで料理上手でよくあーんしてくる』ヴァレンティーン。

 『甘えん坊な後輩だけどよく相談に乗ってくれる』メリウェザー。

 『ストイックに部活に打ち込む姿がよく似合うけど恋には初心な』ジークフリード。

 これら四人に加えてそしてそれらを束ねる最強幹部にして最強執事――

 『なんでも言うことを聞いてくれるけれど、ときどきサドなイタズラをして困らせてくる中性的な魅力のある』セバスチャン。

 以上、五人の闇のエリートを従えていた。

 しかし、この†クリスティーナ†の魔王統治もいつまでも安泰ではなかった。

「魔王†クリスティーナ†よ、貴様も今日で年貢の納め時だ!」

 威勢良いかけ声と共に開かれる玉座の間の扉。

 ――そこに現れたのは。

 ジュリエットを守るため、愛によって光の力に目覚めたアランソン。

 アランソンの親友にして幼馴染みのレオナルド。

 レオナルドの婚約者であるシャルロット。

 闇の力を人々のために使う謎(未設定)多き魔術師デスゴッド。

 地位と名誉のために勇者となったキャロライン。

 同性でありながらキャロラインに恋するパトリシア。

 これら六人の戦士たちがたちが魔王の前に立ちふさがり――。

「ふはははは、待っていたぞ、穢れし光の戦士アランソン!!」

 今ここに。

 長きにわたる因縁と、光と闇の争いに、終止符が打たれようとしていた――。


 以上にあげたいくつかのエピソードは、モモと子どもたちの交流を示した、ごくほんのわずかな一例にすぎない。

 他にも、親の許可を得た子どもたちが葵邸に宿泊することもあった。

 葵シェフの手による贅を尽くした料理にほっぺたを落とし。

 信じられないほど大きな大浴場に感動の声を上げながら泳ぎ。

 寝室にあるキングサイズのベッドの柔らかさに興奮しては飽きずボヨンボヨン飛び跳ねて、とるに足りない他愛ないことに笑い転げては、話疲れるまでずっと起きていた。

 といっても。

 たいてい昼間にさんざん遊んだせいであっという間に眠ってしまうのだけれど。

「もういっそここで暮らしちゃおうかな」

 そんなことを言う子どもも少なくなかった。

 けれど、

「そんなことを言うと、お父さんやお母さんが悲しむわ」

 それが葵の決まった答えだった。

「でも、遊びに来るというのなら大歓迎よ。モモも喜ぶし、いつでも好きなときに遊びにいらっしゃい」

 そうやって村はずれに住む余所者二人は、子どもたちとの間に確かな繋がりを築き上げていった。

 腕力の並外れて強いモモは、どうしても他の子どもたちとまったく同じように遊ぶことはできない。

 けれど、それはそれとして子どもたちなりに規格外の力を楽しんでいるようだった。

 モモはこの村に来て「ともだち」というものがたくさんできた。

 ……もっとも、ひとつだけ皮肉なこともあったのだけれど。

 鬼斬であるモモによって人間だと証言された葵と違い、まず疑いなく片子であり穢賊であるモモに対する大人たちの扱いは、いっこう改善されることがなかったのだ。

 それでも子どもたちの中には、人を守るために怪物と戦うモモを英雄視するものもいくらかあった。それは葵から受けた影響でもあった。

 そういうことがありながら、なんだかんだで穏やかな日々を笑顔に囲まれて過ごした。

 モモは珍しく鬼を一体も殺さない日々を送っていた。

 最初こそ初めてお風呂で身体を洗ってもらったときのような、むずがゆいような、こそばゆいような気持ちがして落ち着かなかった。

 けれど、慣れてくるにつれてなんだか悪くないような気もしはじめていた。

 武器を家に置いたまま外へ出歩くことも増えた。

 葵も今まで以上に趣味に奔走した。紙芝居、料理、裁縫、それから、お喋り。 

 鬼になってからというもの、人間とこれほどまでに仲良くできたのは初めてだった。 

 葵はこの幸せなひとときに言葉では言い表せない充実感を覚えていた。

 こんな時間がずっと続くと良い、心からそう感じていた。

 ――ところが。

 そんなつかの間の平穏さえ長くは続かなかった。

 葵もモモも知るよしもなかった。

 破滅の予兆は、いつも日常の些細なところに隠れているのだということを。

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