第4話
とはいえ、ここに住んでいると言われた以上は訪ねてみないわけにもいかない。
家というものは玄関から入らなければならないことも、一応は知っている。
「…………」
ただ、どれが玄関なのかわからない。
分かるのは壁に囲まれたもののうえに屋根がのっている、というところまでだった。
少女もまた野生動物と変わらない生活をしていたため、いわゆる文明的な建物や人里の暮らしというものについて比喩ではなく、無知だった。
どこか入れる場所はないかを探し、ぐるぐるぐるぐる周囲を回る。
「…………」
何度も何度も何度も何度も。
「…………」
けれどもどこが「げんかん」なのか見当もつかない。
「……しかたない。こわそう」
そう思って大剣を振り上げると、
「ちょっと待った!」
洋館の中から「人」の声がした。
見ると、透明な板だった場所が開いてそこから声が聞こえてくる。
あそこが「玄関」だろうか。でもなんであんな地面から高いところに。
しかも、玄関らしきその場所の向こうには大きな布が揺れてもいる。
「……?」
それらは不思議なことだけれど、他に明らかに「おかしい」こともあった。
鬼はふつう言葉を話さないはずなのだ。となると、中にいるのは人間だろうか。鬼がいると聞いてやってきてみたら鬼が住みそうもない洋館があるし、入り口は分からないし、あろうことか鬼がいるはずの場所から人の声まで聞こえてきた。
……何が何だか分からないけれど、ともかく尋ねてみるしかない。
「鬼はどこ?」
ひとまず姿の見えない住人に質問してみる。
すると。
「お、鬼ですって? そそそ、そんなものここにいないわよ」
ギクっと図星を刺される音が聞こえそうなほどの声色の変化。そして明らかな動揺。誰がどう見たって不審でしかないのだけれど、感情の機微にうとい少女はそれだけ分かりやすくても気づかない。あるいは突き抜けて素直とでも言うべきか。
「でもいるってきいた」
「ま、間違いじゃないかしら。ただの噂話でしょう?」
「なにかしらない?」
「いえ、べ、別にあたしは」
少女は鼻をすんすんさせて周囲の匂いを確かめる。
こういう状況においては自分の直観と五感が最も頼りになる。少なくともこれまではそうだった。
……が。少女の鼻孔をくすぐるのは、人でも獣でもない匂い。あるいは、そのどちらでもある匂い。鬼……のようでもあるが、でも嗅いだことのない種類のもの。人間に近いかも知れない。
「……?」
ますますわからない。奇妙なことばかり起こるものだ。首をかしげていると、
「お、お嬢ちゃんは今ひとりなの?」
洋館の主が尋ねてくる。
「いつもひとり」
「本当ね、他には誰もいないのね?」
姿の見えない不安そうな声は、やたら念入りに釘を刺してくる。
「そういってる」
「ほ、よかった。じゃあ、よかったらうちにあがらない?」
「鬼を殺さないと」
「そ、そそ、それに関わる大事な話もあるのよ」
「…………」
鬼に関わるというなら話を聞かねばなるまい。
「でも、どこがいりぐち?」
「え?」
「どこからはいればいいかわからない」
「あ、ああ。そういうことね。こっちよ、こっちからいらっしゃい」
声がそう告げると、壁のひとつがガチャリと開き、その中から若い女の人がでてきた。
藤納戸色の紬を品良く身に纏い、しゃれ袋帯を締めている。
ただ、その上からフードのついた羽織を重ねていてそのフードを目深にかぶっているので髪型や細かな表情までは見えにくい。
「おお……」
ただ、その目をみはるばかり鮮やかな着物よりも。それを纏う女の人よりも。
「そういうふうにうごくのか」
壁が開いて入り口が現れたことのほうが少女にとっては驚きだった。
どうやらあそこが「げんかん」らしい。なんだかすごい仕掛けである。
心得た少女は招き入れられるまま洋館に足を踏み入れ――ようとして。
「…………?」
がん、と大剣が入り口にひっかかる。
「ちょっと!いきなり入り口壊さないでちょうだいね?」
「……」
いったん肩から下ろして、ボードを運ぶサーファーのように抱えて入る。
それを室内からしげしげと眺めていた女が感心そうに呟く。
「それにしても、そんなもの担げるなんて大した怪力」
「そうでもない」
そうして、少女が無事に洋館の中に入ると、女は他に誰もいないことを念入りに確認し、注意深く外の様子を窺ってからドアを閉めた。
くわえて施錠もきっかりすまし、それから少女に向き直る。
「単刀直入に聞くけど――お嬢ちゃんは鬼斬なのよね?」
「そう」
少女は左手の甲に刻み込まれた鬼印を見せる。
それは、鬼の血を受け継ぎ、鬼を殺すことを宿命づけられた者の証。
「鬼を殺しにきた」
担当直入な問いに対して、この快刀乱麻で一刀両断な答えである。
その「鬼」という言葉に女がビクリと反応する。緊張が高まったような、警戒を強めたような様子。人の心の機微や嘘についてはほとんど何も知らない少女ではあったけれど、こと、緊張や警戒といった闘争本能に関わる部分に関しては優れて研ぎ澄まされた直観をもっていた。
なので、途端に緊張しだした女の様子に、そもそもの疑問を思い出した少女は自分の感覚を頼りに真相を確かめることにした。
女にぐっと近寄って、その匂いを注意深く嗅ぐ。
「……すんすん」
「ちょ……なにかしら」
「にんげん……?鬼……?」
「あ、あたしのことを疑っているの?」
女はもう、気が気でないといった様子。
不審物をもっているときに職質をかけられたよう振る舞いである。
「……へんなにおい」
「失礼しちゃうわ!――じゃないか。ええっと、あたしは鬼なんかじゃないわよ。鬼ってほら、もっと恐ろしいでしょ?」
「たしかに」
鬼は言葉を話さない。
家にも住まないし、もっと身体も大きくて濃い体色をしている。
この女は怪しいけれど、人間っぽいところがたくさんある。
でも、変な匂いもする。
情報が増えれば増えるほど、どういうわけが混乱が深まっていく。
「それとって」
少女は新たな手がかりを得るべく、フードを指さして顔を見せるよう頼む。
「取らなかったら、どうするの?」
女はそれにためらいがあるとみえて、怖々たずねてくる。
それに対して少女はあっけらかんと、
「……? どうもしない」
「ほっ。よかったわ『とらなかったら殺す』なんて言われなくて」
それを聞いて女はほっと胸をなで下ろす。
そうして、自分に言い聞かせるように呟いた。
「大丈夫よね、大丈夫。村の人たちより優しそうだし。見せるだけ、そう見せるだけ」
おまじないのような呟きを終えてから、女は緊張した面持ちでフードを取る。
震える手が女の秘密を守るベールを剥いていき――
あらわになった女の頭からは、なんと角が生えていた。
「つの……」
それは、小ぶりではあったけれど、まず間違いなく角だった。
額の真ん中から牛のそれを思わせるものが一本たしかに生えている。
少女は考える。角の生えた人間なんて見たことがない。つまり――
「鬼……?」
腰の脇差に手を伸ばす。
「ちょちょちょ待って、ほらこれでどう!」
女は慌ててフードをかぶる。角が見えなくなる。
こうなるとごく普通の人間の女だ。少女は脇差から手を離す。
「ほ」
女、安堵する。
「それ、とって」
「はい」
女、再びフードをとる。
少女、ま再び脇差に手をかける。
「ちょ! 待って待って待ちなさいって!」
「でも、鬼、殺さないと」
「違うってば、あたしは鬼じゃないのよ!」
「じゃあ、にんげん?」
「そういうわけでもないけど……」
「じゃあ、鬼」
「だから違うってば!!」
「……?」
少女は首をかしげる。鬼でも人間でもない。
つまり、それは――――
「じゃあなに」
片子かもしれない、という発想も出てこなかった。
少女は自分が何者であるかも知らないのだ。
もっとも、この女の話が本当だとも限らないのだけれど。
「あたしは葵。葵っていうの」
「アオ、イ……?」
聞き慣れない言葉を、たどたどしく繰り返す。
「そ。私は人間でも、鬼でもなくて、葵という名前なの。分かってくれたかしら?」
「……うーん」
よく分からない。よく分からないけど、鬼ではないと言っているし、鬼ではないかもしれないところもある。
「ちょっと納得がいかないって感じね……」
釈然としない顔つきの少女の顔を不安そうに見つめていた女だが、ここで何か閃いた。
「――そうだ! お嬢ちゃんそういう恰好してるってことは、あんまり美味しいものとか食べてないでしょ。お風呂もあんまり入ってないみたいだし! どう? せっかくだからここでゆっくり寛いでみたら!」
やけにわざとらしいというか、必死というか、一生懸命に明るく振る舞っているのが見え透いてはいたけれど、そんなことが少女に分かるはずもない。
少女に分かるのは、ものすごく好意的なことを、やけに熱心に誘ってくれているということだけだ。
「たべものくれるの?」
「そうそう、あげちゃう!」
「おお……」
少女、甘美なお誘いに目を輝かせる。
鬼を殺すか鬼に殺されかけるかしか知らない少女にとって、数少ない、というより、唯一というべき楽しみが、たらふくご飯を食べることだった。
「じゃあ、もらう」
断る理由がないので、素直に申し出を受け入れる。
それに女はほっとした顔になり、そして、次の瞬間には面倒見のいい姉のような愛情深い面持ちになり、
「いいわよ。でもその前にまずはお風呂はいりましょうね」
優しく少女の手を引いて歩き出した。
「せっかく可愛い顔してるんだから綺麗にしてあげなくちゃね」
湯気で曇った浴室内に、女の声が反響する。
さすが洋館の外観をしているだけあって、こういうところも立派な造りをしている。
その、二人で使ってもありあまるほど広い浴室で、女が後ろからわしゃわしゃと少女を洗ってあげている。少女は大人しくされるがままになっている。
こうして見ると、まるで拾ってきた犬みたいだ。
ただお風呂に慣れていないせいか、ときどき落ち着かなさそうなな顔をする。
「……こそばゆい」
「でも冷たい川よりかは温かいお湯がいいでしょ?」
「……うん」
けれども身体を衛生的に保つことが、必ずしも鬼斬にとってプラスになるとは言いにくかった。
本当は泥やらなにやらに汚れていたほうが匂いで気取られにくいし、身体を洗っている「せっけん」とかいうすべすべした石の嗅ぎ慣れない匂いが染みつくと「しごと」に支障をきたす恐れもある。
でも、なんとなく良い匂いにも思えるのだった。
「あら、これ」
洗っているうち、葵は少女の身体が傷だらけなのに気づく。
こんな年端もいかない子どもが片子に生まれたと言うだけで、鬼斬として死と隣り合わせの過酷な戦闘に従事させられている……そんなこと、この大和に住むものであれば誰だって生まれたときから知っている。
あくまで、知識で分かる程度の他人事として。
けれど、生きた一人の「人間」の人生に及ぼす影響の大きさ、理不尽さとして、その事実の重みを感じたことのあるものがいったいどれほどいるというのだろう。
そして、当の少女ですら、そんな現状に疑問を持つことすらしない。
「…………」
葵は、自分の胸がちくりと痛み、ぎゅっと締め付けられた感じがした。
お風呂にはいっているはずなのにどうしてか身体の真ん中あたりが冷たくなった。
「……あなた、ずっと戦ってきたのね」
指先でそっと背中の傷をなぞる。
背中にある傷なんて、本人の目ではどうやったって見ることができない。
「あたりまえ。鬼斬だから」
少女はなんでもないことのように言った。
だから、葵も爽やかに笑って言う。
「……そうね、仕方ないわよね」
仕方がない……そう言い聞かせるしかなかったから。
けれどその目は、どこかもの悲しそうな色をしていた。
やがて二人は風呂から上がり、髪を乾かす。
せっかく身綺麗にしたのにまたあのボロ布を着せるのはあんまりなので、葵が持っている服の中からまだサイズの小さなものを貸した。少女にはちょっと大きすぎるけれど、これはこれで見ていて可愛らしいものがある。
「今度新しいお洋服も作ってあげなきゃいけないわね」
だぼだぼの服に着られているような少女を見つめながら葵がひとり呟く。
「……すんすん。いいにおい」
少女は自分の身体や服の匂いを嗅いでいる。
「でしょう?やっぱりあなた可愛いじゃない。髪もすっごくさらさらだし」
こうしていると瞳もまんまるくてお肌もすべすべでお人形さんみたいに愛らしい。
こんな子が、こんなにも純粋そうな子が――葵は、服で隠された傷を思い出す。
でもダメでしょ、そんなこと考えてもどうにもならないんだもの。
だから、それを振り払うように葵は明るく振る舞う。
「よし。じゃあ約束通りご飯をご馳走するわ」
大きなテーブルに、文明が崩壊し廃墟となった大和ではありえない贅沢な料理が並ぶ。
洋風な館の外観通り、それらはすべて洋食である。
焼きたてのパンに、とろとろのシチュー、美しい色合いのソースをまとったステーキ。
食材も調味料も料理の腕も、到底ではお目にかかれないほどの大盤振る舞いである。
少女は見慣れない品々に一瞬警戒を示したものの、食欲をそそる香りが鼻孔をくすぐるにつれて興味を示した。
ナイフやフォークといったものを使用したことがないので、直接指でつまんで匂いをたしかめてから、一口だけかじる。
「――んん!」
出会ってからずっと無表情だった少女の瞳に星が瞬く。
味の確認がすんだとあって、次から次へつまんではひょいひょい口の中に放り込んでいく。ぱくぱくと頬張ってごくりと飲み干し、かと思うと休むまもなくまた次の食べ物へとうつっていく。
見た目とは裏腹なものすごい食欲である。
……一体あの細い身体のどこに収まるというのだろう。
「まあまあ。そんなに慌てなくってもご飯は逃げたりしないわよ」
葵はそれをほほ笑ましく眺める。ふだんよっぽどお腹を空かせていたのだろうか。
けれどなんにせよ、こんなに美味しそうにもりもり食べてくれれば腕を振るった甲斐がある。料理人冥利に尽きるというものだ。
「どう? おいしい?」
少女は食べ物に夢中なあまり顔もあげずに、こくこく頷いて、
「おふぃひぃ」
口の中にたくさん頬張ったまま答える。
そして。
「ありふぁふ」
「え?」
葵が聞き取れなかったのを受けて、ようやく少女は口の中のものをごくりと飲み込む。
それから顔を上げ、改めて自分にご馳走を振る舞ってくれた洋館の主人を見つめて、
「ありがつ」
お礼を口にする。ぺこりと頭をさげて、おかっぱの前髪がさらりと揺れる。
やだ、なにこの可愛い生き物……!
葵はたまらなく嬉しくなった。ずっと、この洋館に一人で暮らしていたのもあって、こういう人とのふれ合いや温かい繋がりに飢えていたのだ。
「ふふふ、どういたしまして。ほら、デザートもあるわよ」
「だざーと……?」
「甘くて美味しいもののことよ」
葵はテーブルの中央の皿に盛られた桃をすすめる。
「――おお!」
少女はひとつ食べてたちまち気に入ったと見えて、次々に手を伸ばす。
それをほほ笑ましく見つめながら、葵はふとあることに気づいた。
「そういえばあなたの名前、聞いてなかったわね」
「おにぎり」
「それはお仕事でしょ?自分だけの名前とかはないの」
「……?みんなおにぎりってよぶ」
少女は思った。それにしても今日は名前を尋ねられることが多い。
普通、同業である他の鬼斬以外に自分の名を尋ねてくるものなどいはしないのに。
それくらい無頓着な少女とは対照的に、葵の顔色はいくらか曇って見えた。
「……自分の名前も、与えられてないのね」
身体のどこかを痛めてそうなその表情を、少女が不思議そうに見つめる。
ずっと一緒にいたから分かるけれど、どこもケガなんてしていないはずなのだ。
が。やがて葵はぱっと明るさを取り戻す。何か名案を思いついたらしい。
「じゃあさ、あたしがあなたの名前つけてもいい?」
すると、あっさり。
「かまわない」
と返ってきた。
食べ物のことにしか目に入らない少女は、二つ返事をしたのだ。
「よーし、それじゃ早速考えましょう。そうねえ、どんなのがいいかしら」
あたしが葵だから、茜とか?いやいや姉妹でもなんでもないんだし。
あ、でもこの子の目は紅くて綺麗よね。なんだか宝石みたい。
じゃあそこからとってアカメとか?……うーん、どんな漢字をあてるか悩むわね。
そうこう考えていると、美味しそうに桃を食べている姿がふと目にとまる。
「それ、美味しい?」
「うん」
それを見て葵は確信した。
やっぱりこの食いしん坊さん似合うのは、食べ物の名前が一番ね。
思いついてみたらなんてことはない、もうそれしか相応しくないくらいに思えた。
「決めた、あなたの名前はモモよ」
「モモ?」
「そう、私は葵で、あなたはモモ。どうかな気に入ってくれたかしら?」
漢字はあとから考えよう。そのまま「桃」でも、あるいは「百」とかでもいい。
「…………」
しかし、少女は反応にこまったように絶句する。
それを受けて葵はいくらか落ち込んだ。
あんまり喜んでもらえなかったみたい。
「あちゃあ……ほかの名前がよかったかな?」
芳しくない反応。葵は額に手を当てて、やらかしたような顔になる。
しかし。
「――そう、じゃない」
「え?」
「なんていえばいいかわからない。こんなきもち、しらないから」
沈黙の理由はそこにあった。名前が気にくわないわけではなかったのだ。
今日のできごとの何から何までが新鮮なことばかりで、少女は自分でもどんな言葉で自分の心を表せばいいのか分からないでいた。
少女は、少しだけ照れくさそうに頬を染めて、
「でも、ありがつ」
可愛らしく微笑んだ。
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