第2話


 山を覆う密林。

 少し離れたところにはひとつだけ神様が倍率を間違えたかのような、世界樹とでも呼びたい大木があり、その周辺を密集する木々がことごとく埋め尽くしている。

 その生い茂る葉と葉の間から身を屈めて歩く少女の姿が見える。

 少女は注意深く地面の様子を観察しているらしかった。

 人とも獣とも違う足跡を見つけ、どうやらそれを辿っているところであるらしい。そうして追跡を続けるうち、どんどん山の深くへと分け入っていく。

 すると、もう足跡に頼るまでもない。

 野性的な生活によって研ぎ澄まされた嗅覚だけで居所が判然とするほど「それ」が近くにいることが分かるのだ。

「すんすん……こっち」

 少女は林立する木の間から様子を窺う。

 その視線の先、約十メートルほど向こうに鬼の集団が見えた。

 鬼は、家を必要としない。

 ゆえにこうして人目から離れたところであればどこかれ構わずに暮らし始める。

 寿命もなく餓死することもないため眠ることや食べることは必要ないけれど、欲望なのか娯楽としてなのか眠ることがあるし食べることもある。そのあたりの生態については詳しく調べたことのある者がいないので、誰にとっても謎のままだ。

 ともかく、少女にの目には何体かの鬼と、それらによって慰みものにされている人間の姿が映っていた。

 それを見て、これは幸運だと少女は思った。鬼の注意が人間の女に集中しているおかげで奇襲がしかけやすい。

 好機を悟った少女は、手近な石を拾い上げると、茂みの中へ投げ込んだ。

「――…………!?」

 異変に気づいた鬼たちが、物音につられて誰もいない方を向く。

 その背中へ向けて大剣を投擲する。

 ものすごい風切り音を立てながら回転する大剣が鬼の首を切り落とす。いともたやすく一体仕留めて、しかし勢いとまらずそのまま向こう側の木の幹に突き刺さった。

 初手の石によるミスリード、次いで放たれる大剣による一撃。驚きのあまり鬼たちが同胞の首と、そこから噴水のように巻き上げられる血につい目を奪われているうちに、少女は姿を捉えられる前に身を屈め、茂みに隠れて移動する。

「――……!!」

 だが、少女の姿は見えずとも木に刺さった大剣から大まかな目星をつけられるだけの知能はあったらしい。どす黒い叫び声をあげると、鬼たちはさきほどまで少女のいた場所に金砕棒やら岩やらを投げつけ始めた。

 ――が。無論、そこにはもう誰もいない。

 そんなことも知らない鬼たちは、今の攻撃で獲物を仕留めることができたかどうかを確認するために不用意に茂みへと近づいていく。

 そこへ今度は側面から脇差が飛んでいった。そしてある鬼の喉に突き刺さった。

 姿を見せないまま二度の奇襲を成功させた刺客の存在に、鬼たちといえど、狼狽するものの姿もあった。あるいは地団駄をふんだり、近くの木に八つ当たりをかまし、隠れられそうな場所を手当たり次第に殴り散らしているものもある。

「――――」

 そこへ少女が敏捷な動きで飛び出してきた――と思うまもなく、現れるやいなや、少女はスライディングをしながらものの一瞬で鬼が投げ捨てた金砕棒を拾い上げた。

 草むらから飛び出して武器を獲得するまで、この間わずか一瞬。

 突然の出現に鬼たちが意表を突かれている間に、少女は無駄のないコンパクトな動きで大剣と同じように金砕棒を振り回し、近くにいた鬼の膝を砕く。

「――――……!」

 響き渡る苦悶の声。

 片足の支えを失い、転倒する鬼。その頭を少女の振り下ろした金砕棒が砕く。

 激烈な一撃によって、頭蓋が砕け、中から汁やら血やらがあたりに飛び散る。

 それを見た鬼たちは、ようやく敵の正体をその目に捉えた興奮にまかせ、武器を拾い上げもせずに素手のままで襲いかかる。

 少女のぶん回す金砕棒が次に砕いたのは、その、襲いかかってきた鬼の拳だった。

「――……!」 

 耳にこびりつく嫌な音がして手や腕から皮膚を破った骨が突き出す。血が飛び散る。

 少女はたまらず鬼が後ろにのけぞった、その隙に、今度は横薙ぎのフルスイングによって鬼の股間を酷たらしく砕く。

「――――――…………!」

 この世で最も哀れな断末魔をあげて絶命する鬼。

 ここまで少女が仕留めた鬼は四体。これで残る獲物は二体となった。

 ――しかし、どうやらことはこれまでのように容易く進みそうにない。

 というのも、その二体の鬼の両方ともがそれぞれ手に武器を携えている。

 この事実が表すことは、これらの鬼の用心深さだった。

 石による陽動、大剣と脇差しによる奇襲――これらにあっても不用意に自分たちの武器を手放さず、かつ、先ほどの少女の直接的な襲撃にあっても真っ先に狙われることのない場所に常に位置どっていたことになる。

「…………」

 少女は重たい金砕棒を捨てて、鬼の喉に刺さった脇差を引き抜く。

 より戦略の求められる対決においては、取り回しのきく武器をいかに有効に使えるかが勝敗を決する大きな要因となりうる。

 そして少女は血の滴るのにも構わずに、脇差が横一文字になるように口にくわえた。

 あの二体は、恐らくここの鬼の中で最も手だれている。

 それはさきほどの奇襲に対する反応から見て明らかだった。まともに相手をするのは分が悪いと判断した少女は直接戦う振りを避け、再び茂みの中で身を屈め走り出す。

 するとその進路を正確に狙った位置に大きな石が投擲される。

「――!」

 大剣も金砕棒ももたず防ぐ術のない少女は回避するために前方へ向け跳躍する。

 そのまま垂れ下がった蔓をつかみ、振り子の要領で木の枝の上に立つと、今度は枝と枝の間を器用に跳びながら移動する。

 自然界において身を隠してくれるものは足下の茂みだけではない。頭の上にある草葉もまた、狩りをするものにとっては恰好の隠れ蓑となる。

 少女の姿を見失ってしまった鬼は、それでも大方の見当をつけてまた投石を繰り返す。

 それをかわしながら少女は「ある場所」を目指して移動を続ける。

 そこに辿り着くことさえできれば、まだこちらにも勝機はあるのだ。

 しかし、この二体の鬼にも、やはり抜け目のないところがあった。

 少女の軌道から進路を予測し、そこへ先回りして迎え撃とうする動きを見せたのだ。

「……」

 鬼たちのほんのいくつかの動作、ごく短い時間でその意図を見抜いた少女は奥の手として取って置いた脇差しを投擲する。

 密林の中からにわかに飛び出し、鬼を狙う一振りの刃物。

 ――が。これは相手も読んでいたと見えて、たやすく避けられてしまう。

 ここにきて状況は一転。

 少女は自分だけが丸腰のまま武装した鬼二体を相手取らなければならなくなってしまったのだ。おまけにさきほどの投擲により少女の位置も割れてしまっている。

 圧倒的な少女の劣勢。利にさとい鬼もそれはよく分かると見えて、己の優位を認識したその表情にはすでに勝ち誇った歪んだ笑みが現れていた。

 ――しかし。

 ここでそう容易く片付けられる勝負ではなかった。

「――…………!?」

 なんと――あろうことか、密林の中から少女が空を飛んでやってきたのだ。

 ありえない。ありえるはずがない。

 いくら超人的な身体能力をもち、その跳躍力が助走なしの「けんけんぱ」の一足目で走り幅跳びの世界記録を更新できるほどだとしても――あそこまで跳べるはずがない。

 そう、少女は羽をつけて「飛んだ」わけでも、自分の力だけで「跳んだ」わけでもなかったのだ。

 少女が目をつけたのは、このあたりで最も背が高い大木だった。

 倍率を間違えたかのような、世界樹とでも呼びたい、その圧倒的なサイズの巨木――そして、その枝から伸びる蔓。

 その長大さを利用した振り子運動によって子どもたちがブランコでよくやる「誰が一番遠くまでとべるか」という遊びとまったく同じことをやってのけたのだ。それも、並大抵の人間にはできないスケールで。

 無論、そんなことは誰もやろうとも思わないし、仮にやろうと思ったところでできるはずがないのだ。なにせ着地した瞬間に即死するのが目に見えているのだから。

 ――もし少女が、鬼の血を受け継ぐものでなかったとしたならば。

 ごく平凡な人間はもちろん、そのごく平凡な人間たちしか襲ってきた経験のない鬼たちにもまた、少女のこと突飛な発想だけは見抜くことができなかった。

 少女の小さな身体は仰ぎ見るあっけにとられる鬼たちの頭を悠々と越え、最初に投擲した大剣の突き刺さっている木の真ん前に着地した。

 そして少女が先ほど投擲し、避けられた脇差も、ちょうどこの場所に落ちていた。

 あの脇差には牽制の意味ももちろんありはしたけれど、単に避けられたのではなく「別に避けられても構わない」ものだったのだ。

 着地の瞬間に受け身を決めた後、少女は失った二つの装備を取り戻す。

 そして、あの、憎たらしいほどに淡々とした無表情でこれから殺すべき二体の鬼の瞳を見据える。その様子からは、焦りも恐怖も不安も、驕りでさえも、ほんの欠片すらも見いだせなかった。

 形勢は再び拮抗――どころではない。

 他の鬼の討伐をすでにすませてしまっている分、戦闘開始時よりも少女の方に分があると言ってよかった。しかも、自分が勝ったと確信し、その鼻っ柱をたたき折られたために鬼たちは逆上し、唯一他の鬼よりも優れていた知性という武器さえも手放した。

「――……っ!」

 相手の思うように事態が運ばれていることに激昂した鬼が雄叫びをあげる。

 他の鬼たちがそうしたように、地団駄を踏み、手近なものを殴り、投げ飛ばし、なにかわけのわからないことを喚いている。

「…………」

 今こそ好機。

 あくまで冷静な少女はその隙をつこうと地を蹴り、そこへ突っ込み――

「……!」

 その瞬間、罠だと気づいた。

 少女の前方にいる二体の鬼が見計らったように二手に分かれたのだ。

 完璧に息の合った呼吸。少女の突撃を見越していた俊敏な動き。

 少女は、ここで思い知らされた。さきほどの逆上も冷静さを失った無様な失態も、すべては少女をおびき寄せるための演技に過ぎなかったのだ。

「――」

 狡猾さを持ち合わせた、その片方の鬼の金砕棒が少女に向かって迫り来る。

 少女は焦らず、すぐさま後方へ撤退しようかとほんのわずかに振り返り、

「――――!」

 そこで、この罠の周到さが牙を剥くのを見た。

 なんと、後方からは後方からで、もう片方の鬼が放つ一撃が繰り出されている――。

 しかもいやらしいことに、わざと一呼吸分遅らせているという念の入りよう。

 どちらかを大剣で防いだとて、もう片方の餌食となるのは目に見えている。ならば回避――いや、どこへどう避けようと読まれているに違いない。こんな計算ずくの仕掛けをする相手がそんな分かりやすい逃げ道を残しているとは思われない。

 ――ならば。

「…………」

 『攻撃』にうってでるしかあるまい。

 少女はおそろしい風圧を伴う、その当たれば即死の一撃――厳密には前後からの二撃――をぎりぎりまで引きつけたのち、上方へ素早く跳躍。

 最初に攻撃してきた鬼の顎に強烈な蹴りを食らわせる。たまらず鬼ものけぞる。

「――……!」

 そしてその勢いのままで後方宙返りをし、遅れてやってくるもう一体の金砕棒を空中で防ぐ。

 無論、防いだとてなすすべもなく吹っ飛ばされる。

 しかし吹っ飛ばされながらも空中で体勢を整え、着地後素早く反撃に打って出る。

 再び弾丸のように突進しさきほど蹴りを見舞った鬼が起き上がる前に仕留めにかかる。

 ここでは振りに時間がかかる大剣ではなく小回りのきく脇差を選ぶ。

 慣れた動きで鬼の首に一太刀浴びせるべく振り下ろすが――。

「――…………!」

 あろうことか鬼の腕に防がれてしまった。

 常ならば腕の1本くらい難なく切り落とせるはずなのだが、さきほどの村、直後にこの山と相次ぐ連戦によってすっかり切れ味が落ちてしまったらしい。粗雑で荒削りな大剣と違い、職人技によって生み出された脇差はその分整備にも気を配らねばならないのだった。

 しかも、そのうえ悪いことが起こった。

 半端に斬ってしまったために腕の中に脇差がはまってしまう始末。

 押すも引くもにっちもさっちもいかなくなり、抜き取るべく力を込めようとすると、今度はもう一体の鬼から攻撃がくる。

「……!」

 少女は脇差を諦めて咄嗟に回避する。

 そしてほとんど思考にもならない直観によって最適解を探し出す。

 時間を与えれば、隻腕の鬼に復帰する暇を与えてしまう。ならばここは短期決戦にもちこむべき――回避しながらそれだけの判断をくだした少女はそのまま攻勢に転じる。

 大剣をぶんまわしながら、果敢に責め立てると、必然的に鬼はも防戦一方になる。じわじわと鬼がたじろいで後ずさりする。それでよかった。少女の狙いはほかにあった。

「――……!?」

 ひたすら後退していた鬼が、ある瞬間「なにか」によろめいた。

 それは、これまで少女が倒してきた鬼の屍だった。

 少女はこうなるように、あえて無茶苦茶な攻め方をしてまで鬼をこの場所まで誘導してきたのだった。

 そしてその隙を、少女は決して見逃さない。

 少女はまたも大剣をぶん投げる――が、それはあえなく金砕棒に防がれる。

 たとえよろめいていたとして、死の間際に瀕していたとして、やはりなかなかに油断がならないものがある。

 それだけではない、これで少女は再び丸腰となったのだ。つまり、状況はまた圧倒的な劣勢――

 ――とは、ならなかった。

 少女はこの戦闘の途中で、自分がまだ武器を隠し持っていることに気づいたのだ。

 地を蹴り、鬼に向かって飛びかかる。

 何も知らない目の前の鬼は、少女の武器が尽きたと思いこんでいる鬼は、すでに勝利を確信し――それゆえの余裕、いや奢りがあった。

 そして今回ばかりは罠でも演技でも無かったのだ。それが命とりとなった。

「――」

 ほくそ笑む鬼の肩に乗った少女は、ボロ布の中から「あるもの」を取りだす。

 それは、先の鋭く尖ったもの。

 ――そう、ついさっき村で回収したばかりの鬼の角だった。

 それを鬼の目玉に突き刺し、深く深くえぐり込む。

「―――…………!」

 肺が破けるではないかというほどの悲鳴をあげてのたうち回る鬼。

 その隙にひょいと肩から降り、弾きとばされた大剣を拾い。

「…………」

 少女はなんの感情も示さない澄んだ瞳をして。

 自分が後ろに立っていることにも気づかないその鬼の首を容易く刎ねた。

「――――……」

 そうして一体だけ残った、腕に脇差の挟まったままの鬼の元へ歩く。

 もちろんすべての決着がつくまで油断することは許されないが、ここまでくれば勝敗はほとんどついたといってよかった。そして、他ならぬ鬼自身が痛いほどそのことを思い知っていた。

 鬼は最後の抵抗としてその脇差を抜き取り、少女に向かって投げつける。

「……」

 少女は目の色も変えずそれをかわす。

 負けを悟った鬼が歯ぎしりをしながら背を向けて逃げようとする。

 すると。

 その背中から胸を、肉をえぐりとるように大剣が貫いた。


 これで全ての鬼は屍と化した。

「……ふぅ」

 一仕事終えて少女は一息つく。さすがに連戦しただけあって少し疲れた。

 少女の顔には、やはり罪悪感も、達成感すらもあらわれない。

 その血まみれの少女に、囚われていた娘たちが虚ろな目を向ける。

「助けに、来てくれたの……?」

 誰もかなうはずのない鬼を倒した救世主。

 娘たちの目に少女がそういう風に映るのも無理のないことだった。

 しかし、鬼を殺し尽くした英雄は、あどけなく首をふり、ただ一言だけぽつりともらすのだった。

「ううん。鬼を殺しにきただけ」

 幼さを感じさせる少し舌っ足らずな話し方で物騒なことを平然と口にする。

 そうして娘たちなど眼中にないかのように、また鬼の角を落とし始めた。


 ややあって、少女が村に降りてきた。

 それを見た村人たちが一斉に少女のもとへと押し寄せる。

 ところが、期待とは裏腹に辺りに娘たちの姿は見えない。少女も血の池に浸かってきたみたいに頭からつま先まで真っ赤に濡れている。

 もしや――。一抹の不安が村人たちの間によぎる。

「な、なあ! 鬼たちはどうなった!?」

 まさか失敗したのだろうか。いや、でも少女はこうして生きている。村人たちが様々な葛藤を巡らせているのをよそに、しかし、少女はあっさりと答えた。

「ぜんぶ殺してきた」

 たまらず、食いつくように村人も質問を重ねる。

「じゃあ、村の女たちは?」

 そう尋ねられると首をかしげて、

「……? しらない」

 と臆面もなく答える。

 それを受けて村人が戸惑いと苛立ちの混じった声で言う。

「助けてきてくれって言っただろ」

 しかし、その抗議に対しても、

「わたしのしごとは、鬼を殺すこと」

 至極単純明快な返答をする。

 実際そうとしか頼まれてもいないのだ。『鬼の残党がいるはずだから、退治してきてくれ』と。

「――な!? じゃあ、鬼を殺して、娘たちもそのままそこに置いてきたってのか!?」

「だから、そういってる」

 まるで悪気のない様子に村人たちはただただ絶句する。

 そして、冷血とも言える少女の無垢を前にしてこう思うのだ。

 やはり鬼を殺すこと以外のなんの教育も受けていないのだ。

 だからこそ人間の思い通りに利用することができているのだけれど、そんなことに気づくほど利口な村人たちでもなかった。

 そしてなおさら、少女自身がそんなことに気づくわけもない。

 少女は村人がなぜこうも表情をころころ変えているのか、いや、そもそも表情を変えていることにすら思いが至らない。それゆえに一向に村人たちの様子に構わず、自分の脇差を抜いた。

 一騎当千の怪物のその動作に、たちまち村人たちが凍り付く。

「ま、待ってくれ! ぜぜ、ぜんぜんあんたを怒らせるつもりじゃなかったんだ!」

 娘たちを置き去りにしたことを責めたのが、少女の逆鱗に触れたとばかり思い込んだのだ。しかし、やはり、少女はなにを言っているのか分からないといった風に首をかしげる。

「……?」

 そして、純粋な頼み事をする。

「わからないけど――ぼろぼろになった。といで」

 少女の差し出した脇差は鬼の血と油とですっかり刃こぼれを起こしていた。さきほどの戦闘にいたっては、そのためにいくらか危険な目にも遭ってしまった。

「……は?」

「おいおい、こいつ何言ってるんだ?」

 そこで、村人たちになんとかしてもらうと考えたのだ。言われた通りに仕事をこなしたのだから、正当な報酬に含まれるだろうと思っていた。

 ところが。 

「――だれがそんな汚らわしいもん触るかよ。用がすんだらさっさと失せろ」

 村人たちの態度はさきほどまでの怯えたものとは打って変わったものになっていた。

 まるでとりつく島のない返答。鬼の脅威が消えたとなるやいなや手のひら返し。

 村人たちは薄々察し始めていたのだ。

 この少女が本当に心を持たないただの殺戮の化身だとするのならば、いくら侮辱しても罵倒しても自分たちに危険はない。

 なにせ「鬼を殺す」……それ以外のなんのプログラムもされていない機械のようなものなのだから。

「……?」

 そして少女も心を痛めた風ではなく、なぜこの人たちがこんな簡単な頼みも聞いてくれないのか不思議そうに目を丸くしている。

 その事実によって推測が確信に変わった村人は、卑しい笑みを浮かべる。

「はーあ……これだから穢賊は」

 やはり思った通り。

 こいつに感情など備わっていないのだ。ゆえに怒りも憎しみも感じない。

 そう確信をもったゆえに、主人の要望も察することのできない鈍磨な下僕に接するような態度で、わざとらしくため息をつく村人。強いものには媚びを売るのが彼らの流儀であったけれど、彼らの物差しで測ってみたところ、少女は知能の面において彼らよりも「弱」かったのだ。

「失せろって言ってんだろ!」

「…………」

 とうとう石まで投げられる。

 しかし少女は泣きもしなければ怒りもしない。

 どうやら自分の頼みは聞いてもらえないということだけは認識したらしく、言われるままに村を去って行く。

 血に染まった救世主の後ろ姿へと浴びせられる罵詈雑言と石のつぶて。

「…………」

 それを遠くから見ながら、女の子は思うのだった。

『いったい、どちらがほんとうの鬼なのだろう』――と。


 場面変わって、さきほど少女と鬼が一戦交えた森の中。

 帰還した少女から鬼全滅の知らせを受けた村人たちが、さらわれた娘たちを助けにきているのだった。

 けれども、やはり鬼に辱められたものたちの傷は深い。

 心が壊れたように放心する者。

 どうしようもなく咽び泣く者。

 そんな娘らひとりひとりに毛布をかけて丁重に馬車にのせる。

 そして、その中に頑として村に帰りたがらない者がいた。

「もう、いや……誰にも顔向けできない。あたしの人生はおしまいよ……」

 その女は繰り返し同じようなことを、ぶつぶつと呟いていた。

 その心中、男たちにはとうて計り知ることのできない失意と絶望、いや、到底言葉などでは言い表すことのできない気持ちなのだろう。

 これは説得に時間がかかりそうだと判断した男は、他の村人たちへ馬車とともに先に帰るよう促した。傍らにいた友人の肩を叩きながら、

「この子は俺とコイツで連れて帰るよ。きっと日が沈む前には戻る」

 そうして二人の男と一人の女が最後に残った。

 相方が女に向かって辛抱強く説得を試みる。

「なあ、確かに辛いだろうが、もう鬼はいなくなったんだ。だから大丈夫さ」

「でも、またいつか来るかも知れないじゃない……」

「そりゃあ、そうだけど……そんなのどこにいたってそうだろ?」

「あたし、村に連れ帰られてもすぐに死んでやるわ。だから放っておいてよ」

「おいおい、本気かよ……」

 俺にどうしろって言うんだよ。相方は面倒を覚えて空を仰ぐ。

 しかし鬱蒼とした木々に覆われて木漏れ日がわずかに届くばかりである。

 これは力任せにでも馬車に積んで連れ帰ったほうがいいのか? いや、つい昨日まで想像もできないほど酷たらしい目に遭っていたやつに、さすがにそんなマネは……。

 助けを求めるように男を見ると、ちょっと離れたところからちょいちょいと手招きしている。

「ん……?」

 わざわざこっちへ来いと言うことは、この女に聞かれたくない話なのだろうか。

相方が近くによると、男が耳打ちしてくる。

「ありゃ、村でも噂のメランコリーだ。鬼が来る前から『死にたい、死にたい』が口癖なんだとよ」

「マジかよ……」

「ああ。マジだ。だから時間かけるだけ無駄だ。構ってやるだけズルズルとあいつの思うつぼにはまる」

「じゃあどうしろって言うんだよ」

 途方にくれた相方が尋ねると、

「……俺に考えがある」

 そう囁く男の笑みは、卑しい欲望に歪んでいた。

「お前、本気じゃねえだろうな?」

 男の企みを見抜くのには、その表情だけで十分すぎるほどだった。

「まあ良く聞けって。今なら誰にもバレやしない。本人だって村に帰っても死ぬって言ってる。どの道もうすぐ死ぬのは変わんねえ。だったら最期に使ってやらねえともったいねえだろ」

「それはさすがに、頭いかれてるぜ」

 相方は目の前の男の発想に、言いしれぬ危険なものを感じた。

「そう言うなよ。そもそも、とっくに鬼のやつらに慰みものにされてんだ。俺たちが何したって鬼に比べりゃ些細なことさ。おまけだよ、おまけ。罰だって当たるめえ」

「つってもよ……」

「それとも……本当にこのままでいいのか?」

「え?」

「あいつの言うとおりさ。またいつの日か鬼は来るだろう。それがいつになるかなんて分からねえ。そんときもまた都合良く鬼斬どもが居合わせるだなんてこともあるめえよ。すると真っ先に死ぬのは俺たち衛士だ。今日だって3人も死んだ。明日は我が身さ」

 男は相方の目、その中で揺れる迷いにつけこもうと、のぞきこむ。

「……………」

「今日死ぬのだって、もしかしたら俺たちだったかもしんねえ。俺たちは毎日命がけで生きてんだ。だからよ、死にたがってる奴相手にちょっと楽しむくらい別に問題ねえよ。お前だって本当は楽しみたいんだろ?」

「……それ、は」

 男の誘惑に相方はごくりと生唾を飲み込む。

 いつ死ぬか分からない。

 男の言うとおりだ。コイツの言うことすべてに理があるとは思えないが、けれど心の隙間に滑り込んでくる魔性の声としてはあまりに大きな効力を持っていた。

 自分に言い訳をするための詭弁としてはあまりに的確すぎたのだ。

「誰にも……言うなよな」

 相方が念を押すと。

「当たり前さ。俺たちは共犯だからな」

 最初からこうなることを知っていたみたいに男は嗤った。


 また場面が変わり、今度は先ほどとはまた別の森の中。

 村を追われた少女が、次に殺すべき獲物を求めて歩いていた。

 すると突然近くから、かすかだが鬼の匂いが漂ってきた。

「……すんすん。……これは」

 敵の接近を受けて、少女は隠れて様子を窺うことにした。

 ほどなくして少女がさきほどいた場所に、二人組の男が現れる。男たちは間に裸の女を担いでいた。

「はあはあ。……ここまでくりゃあバレねえだろ」

 片方の男が呟く。

「捨てるか?よし。――いっせーの」

 どさっと粗大ゴミか何かのように女が捨てられる。それを見て男が笑う。

「へへ、まあそこそこ楽しませてもらったぜ。村に帰ってきたらどうなるか分かってんだろうな?」

 倒れている女を見下しながら、念入りに釘を刺す。

「もともとこじらせたお前の言うことなんざ誰も信じねえ。鬼にさらわれて余計に頭おかしくなったと思われて終わりさ」

 すると隣にいた相方が男に尋ねる。

「村の連中にはなんて説明するんだ?」

「必死に生きろと説得して連れ帰ろうとしていたが、気の触れたそいつが急に走り出して突然どっかに逃げ出しちまった。日も暮れて、昼間の鬼の一件もあるから捜索も断念して帰ってきた――まあだいたいこんなところだろ」

 相方は呆れた風に、あるいはへんに感心したような顔をして、

「お前、そういうところだけ頭回るよな」

 としか言わなかった。

 そうして男二人が去っていく。残された女はしくしく泣いている。

 もう誰もいないのを確認してから、少女が木の上から降りてくる。

「……?」

 去って行った男たちのいる方角と、倒れている女のことを交互に見る。

 なぜ人間がこんなところにいるのか。それも裸で。そしてなぜ泣いているのか。

 とりあえず少女は近づいて匂いを嗅いでみる。鬼の匂いの元はこの女らしい。

「…………」

 が、どうやら女は鬼ではなさそうだ。

 鬼の匂いの奥から、人間らしい匂いも伝わってくる。

 敵の襲来ではないと分かれば、もう女には興味がない。

 少女が踵を返して歩き出すと、

「待って!」

 後ろから必死な形相の女に追いすがられた。

「……なに?」

 少女はいつもそうするように首をかしげる。

「あたしを、殺して!」

 女は半狂乱に詰め寄る。いっそ死にたいと思っても自分で死ぬ勇気がなかったのだ。

 少女はしかし、無情なほど淡々と、

「あなたは鬼じゃない」

 それだけ言いのこすと、また去ろうと歩き始める。

 そこへ再び女は追いすがる。

「どういうことよ!鬼じゃなくったって殺すことくらい簡単でしょ!?」

「それはしごとじゃない」

 それでも少女はまったく取り合わない。

 そこで女は頭を働かせて、

「じゃあ――じゃあ、食べてもいわ。殺してくれたら、私の死体を食べてもいいから」

 発想をかえて相手を説得してみようとする。

 ――が。

「まずい。にんげんはおいしくない」

 それすらもあっさりと断られてしまう。

 無碍に突っぱねられて愕然と肩を落とす女。素知らぬ顔で去って行く少女。

「そう……それなら」

 はじめ絶望したようにうなだれていた女だが、やがて大きめの石を手にすると、背後から走り寄って、少女の後頭部めがけて振り下ろすが――

「――!」

 殺気に反応し、反射的にそれを脇差しで斬り伏せる少女。

「はっ……は――ぐ」 

 肩から胸にかけてばっさりやられ、狙い通りに斬られた女が地面へと倒れ込む。

 しかし、ひとつだけ計算違いがった。

 女には、まだ息があったのだ。

 どうやら刃こぼれのせいで人間の女一人殺すこともままならなかったらしい。

 女は死にかけて、死にきれず、苦しそうにかすれた声で、涙を流しながら、

「ころ……し、て……」

 ずりずりと這い寄ってくる。

 そうやって追いすがってくる姿には生きながらにして、悪霊になったようなおぞましさがあった。恐ろしいまでの妄念で、血を流しながら少女のほうへ這いずってくる。

 少女はそれを無感動に見下ろした後、脇差に目をやる。

「……また、ぼろぼろになった」

 その声色には、脇差の切れ味が落ちたことに対する落胆しか感じられなかった。

「……………」

 それから血の滴る脇差をじっと眺めて、なにか思いついた風な顔になると、おそるおそる脇差についた女の血をぺろりとなめる――が。

「う゛えぇ。まずい」

 苦虫を噛みつぶしたような渋い顔をする。

 口に含んだ血をぺっ、と吐き捨てて、あとはもう何事もなかったかのように去って行く。

「こ、ろ……して……」

 そうして最後に残されたのは、すぐさま死ぬことも生き延びることも叶わない、生ける屍のようにただただ苦しみながら死ぬのを待つだけの悲しい女の姿だった。

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