地を這う修羅と百鬼夜行

阿部慎二

第1話


第一章 鬼を殺す鬼


 崩壊した現代都市の名残が色濃い廃墟。

 そこで人々は村を築き、慎ましい自給自足の暮らしをしていた。

 贅沢が許されるほど豊かではないけれど窮乏にあえぐほど貧しくもない。ネットもコンビニもない代わりに飽和した倦怠感からも自由だった。

 自然と共に暮らす村の人々の生活は、ある意味では時計に追われ情報網に囚われたかつての暮らしよりも人間的なものとすら言えるかもしれない。

 ――まれに訪れる、鬼たちの襲撃さえなければ。

「鬼だ! 鬼が来たぞ!」

 見張りが大声で叫び、警報の鐘が激しく打ち鳴らされる。

 それを合図に衛士である村の男たちは大急ぎで戦の準備をし、女子どもは鬼のいぬ方へと逃げ惑う。またたくまに混乱と恐怖によって瓦解する穏やかな暮らし。

 そこへ、ぞろぞろと現れる巨大な鬼の群れ。

 身の丈はマンションの二階に届くほどもあり全身が血を塗り込んだように赤い。額からは二本の角が天を刺すように禍々しくそびえ立ち、その眼光は暗く凶暴な色をしていた。

 そしてほとんどの鬼たちの手には象さえも一振りで撲殺できそうな、桁違いの重量を誇る金砕棒が握られている。

 これらのうちのたった一体を相手取るだけでも、どれほどの衛士が必要になるだろう。

 一目見ただけでもそんな圧倒的な絶望感を覚えてしまうほどの異形が、こともあろうに十はあろうかという群れをなして襲いくる。

「撃てえっ!」

 その掛け声とともに一斉に矢が放たれる。

 この村だけでなく、弾薬を製造するノウハウのない多くの村において、防衛戦の主力となる遠隔武器はいかにも原始的な性能しか発揮することのできない弓矢だった。

 鬼が登場して間もないころは、当然人類も銃火器を含めたあらゆる兵器で鬼の脅威に対抗していた。その甲斐もあって、文字通り「川ができるほど」の血を鬼たちに流させることにも成功した。

 ところが、その優勢も長くは続かなかった。

 殺せども殺せども一向に鬼の数が減らなかったのだ。それどころか殺せば殺すほどに増えていくようにすら思われた。理不尽という概念をそのまま具現化したような人智を越えた現象を前に、人々は人員も、領土も、資源もなにもかもをことごとく失い、やがて電力に依存していた現代文明は瞬く間に崩壊、日本全土が廃墟と化し文明レベルは目も当てられないほどに後退した。

 それゆえに、枝切れの先に刃物の破片や削った石をつけたのと変わらないお粗末な武器を準備するのが村の者たちにできる精一杯のことだった。

 しかし言うまでもなく、たったそれだけで巨岩のように逞しい鬼の巨体を押しとどめることなど到底かなうはずもなかった。

 あっというまもなく、鬼たちは村の内部へとなだれこんでいく。

「突撃ぃっ!」

 もはやこれまで。

 村の衛士の分隊長は、とうとう特攻の指示を出した。

 銃火器もなく、弓矢とて用をなさないのであれば、その身を弾丸としてぶつけにいくほかどうしようもなかった。

 怯えに顔をひきつらせながら、それでも衛士の職につく村人たちは震えのとまらない手でそれぞれ刀や槍を握りしめ、そうして自分たちよりも二倍近くも大きな怪物へ虚しい攻撃を挑みに行き――。

「ぐあああぁ!」

 その度に赤子の手をひねるような容易さで撲殺さた。

 大勢で一体の鬼を囲み、必死に獲物を振り下ろすけれど、一体の鬼に気を取られている間に他の鬼から踏み潰されたり、噛み殺されたりするのがほとんどだった。

 争いとすら呼べない一方的な虐殺。圧倒的な劣勢。ただただ無為に増えていく屍。

 誰の目からも勝敗は明らかだった。

 そしてこともあろうに、挙げ句の果てには衛士の中からも戦いに背を向けて逃げ出す者が現れる始末だった。状況は最悪を極め、指揮系統は混乱士気は地を這い、大人数の集団による連携という人間が唯一鬼よりも優れているその強みさえも粉々に打ち砕かれてしまった。

 すると、

「――お父さん!」

 ある女の子が足をとめて叫ぶ。

 母に連れられて逃げながらも戦場から目を離せないでいたのだった。

「う、うあ…………」

 その女の子の目に一体何が映っていたかというと。

「うわああああ!」

 今まさに、振り上げられた金砕棒によって撲殺されようとする自らの父の姿だった。

「やめてえぇ!」

 悲痛な叫びも虚しく、その金棒が振り下ろされようとした、その瞬間――。

「――――っ!?」

 目にも留まらぬ速度で投擲された脇差。それが鬼の片目を貫いた。

 苦痛に悶絶する鬼。九死に一生を得て立ち上がり、逃げ延びた衛士。

 それを見てほっと胸をなで下ろすとともに、女の子は父の命を救ってくれた脇差の飛んできた方を振り返る。

 ――その目が捉えたのは、逃げ惑う人波に逆らってこちらに歩いてくる1人の少女。

 その服装は、ところどころ赤い染みのついたボロ布を身に纏うというもの。

 顔はフードに隠れて判然としないが前髪を切りそろえた黒髪がちらちら見える。

 背丈からしてまだまだ児童と呼ぶべき年齢にあるだろう。

 小さいけれど、左手の甲に何かの紋章のような焼き印が押されているのも見える。

 そして、まず間違いなく全ての人の関心を引くのが少女の背負った大剣だった。

 岩石から削りだしたかのような荒々しく巨大なその剣は少女の身の丈を優に超えており、繊細で華奢な少女の風貌と禍々しく頑強な大剣の生む奇妙な対比が見るものになんともいえない倒錯感をもたらすのだ。

 そしてこの大剣に強烈な印象を付与するのがその刃。

 鯱の牙のような凶悪な鋸刃がびっしりと並んでおり、まるで大剣がひとつの生き物であるかのような不気味な雰囲気が漂う。

「…………」

 常人であれば持ち上げることすら叶わない重量のそれを背に負って、少女は軽々とした歩みで近づいてくるのだ。自分がこれから向かうのが、今まさに人と鬼との壮絶な殺し合いの行われている戦場のまっただ中と知りながら。

 そのこの世ならぬ異様な光景に女の子が呆気にとられていると、目の前が急に薄暗くなった。背後に何者かが立ち、自分がその影のなかにいるからそうなったのだと気づいた女の子は、ぱっと顔を明るくして振り返る。

「お父さ――」

 しかし、そこに立っていたのは、父親ではなく。

「――…………」

 その逆で、すぐ後ろに、父親を殺しそこねたさきほどの鬼がいたのだ。

「――っ!」

 衝撃のあまり、女の子は言葉を失う。

 もう使い物にならない片目から血を流しながら、まだ開いているもう片方の目におぞましいまでの殺気を滾らせてたその鬼はおさえられない激情が肺からも漏れ出してしまうというように鼻息あらく肩をいからせ、手で触れることのできそうなほどの威圧的な視線で女の子のことを見下ろしている。

 はやく逃げなきゃ。

 頭のどこか端っこのほうでは他人事のようにそのことを分かっているのに、全身を覆い尽くす恐怖に支配された手足が、思うように言うことをきいてくれない。

「あ、あ――」

 ただもう、おさえられず瞳から伝う涙が頬を濡らし――しかし、この世の殺意を具現化させたようなこの鬼の前には、そんな光景すらなんの意味ももちえなかった。

「――……!」

 鬼は威嚇するように天に向かって咆哮すると、とうとう金砕棒を振り上げ――

「きゃああぁぁっ!」

 あらん限りの憎しみをこめて、その金砕棒を振り下ろす。

 ものすごい轟音を伴い、空気を歪めながら迫り来る狂気。

 女の子は、その瞬間に死を悟った。

「――!」

 うずくまり、必死にかたく、きつく目を閉じる――。

「――――」

 けれど、直後に聞こえたのは自分の頭蓋骨が砕け膿汁や肉片が飛び散る音ではなく、

鉄塊どうしがぶつかるような、腹のど真ん中にずしんと響く重低音だった。

「…………」

 一秒たっても自分が死なないことに気づいた女の子が、ふと不審に思いうずくまったまま瞼を開けてみる。……やっぱり、自分は生きている。そして視界の端には自分の少し前に、自分のと同じくらい細く白い足首が見える。

 まさか――

 はっとした女の子が恐る恐る顔を上げると、

「――――!」

 なんと、あの少女が大剣を盾にして守ってくれているのだ。

 それはどう見ても物理的に説明のつかない光景だった。

 女の子とそう変わらない年頃、体つきの少女が自分の身体の三倍か四倍はあろうかという巨大な鬼が繰り出す一撃――それも数百キロはあろう鈍器によるもの――を造作なく受け止めて、それどころか涼しい雰囲気さえ漂わせているのだ。極端な話、人間が象を持ち上げてこともなさげに運んでいれば、誰だってまず自分の目を疑うものだろう。

 女の子が呆気にとられて言葉を失っていると、

「どいて」

 その、象を背負える少女がひとこと呟いた。

「え?」

「そこにいると、じゃま」

 その言葉で、ようやく自分に向けられ発言と気づく。

 言われるまでもない、すぐにこんなところ逃げようと思ったけれど、女の子はふとあることを疑問に思う。

「でも……あなたは?」

 あなただってここにいると危ない。さすがにちょっとついていけない不思議なことが起こってはいるけれど、このまま置いていっていいとも思われなかった。

 ――が。少女はきわめて淡々と。

「しんぱいない」

 短くそれだけ言い捨てると、少女は曲げた腕をぐっと伸ばし、勢いよく鬼の金砕棒を押しのけた。

 下からの力に突き上げられた鬼が態勢を崩す。

 その短い時間で、少女は跳躍し、自分の身体ごと勢いよく回転させながら思い切り大剣を振り抜いた。遠心力を得た大剣に並ぶ無数の牙が、丸太のように太い鬼の腕を襲い――

「――――………!」

 あろうことか、たったの一撃で腕一本を切り落としてしまった。

 鬼のあげる、地獄の底から響きだしてくるようなおぞましい悲鳴。

 おびただしい量の血飛沫が吹き出し、雨のように少女と女の子を濡らす。そうして回転の余力でくるっと振り返る形になった少女の顔からフードが外れ、女の子はこのとき初めて少女の顔を正面から見ることができた。

「わたしも、鬼だから」

 そんな言葉を口にした少女の瞳は、血のように紅い色をしていた。


 ……それからの快進撃は見事というほかなかった。

 片目、片腕を失った鬼の首をあっさり刎ねた後、すぐさま落ちている脇差を拾うと、今度はそれをまた別のところで人を襲おうとしている鬼に向かって投擲した。

 今度は喉を貫きたったそれだけで鬼は絶命した。

 これにより完全に鬼たちの顰蹙を買った少女はたちまちに囲まれてしまうのだが、一向に劣勢へと追いやられない。

 というのも、鬼の攻撃が一度たりとも少女を捉えられないのだ。

 まず、鬼の巨体に対して少女の身体が小さすぎるというのがある。的が小さいため自然と命中しづらくなる。そして少女自身のすばしっこさもある。

 ジャングルから抜け出してきたばかりの野生の猿のように、身軽かつ器用にあらゆる攻撃を最小の動きだけでかわす。

 最後に、鬼が少女の周囲にだけ密集してしまっているということがある。

 成人男性の二倍はあろうかという巨体が小児ほどの背丈の少女を取り囲んでいるのだが、いかんせんお互いの手足が長く身体が大きいため思い切り腕を振れば他の鬼にあたってしまい、そこで仲間割れになることも多々あった。あるいは少女がその機敏さでもって攻撃をかわし、避けて、敵を翻弄し同士うちを誘い出すこともあった。

 その度に少女は鬼の足下を縫うように跳び回り、ときには股下をくぐりながら、丘のように大きな肩に乗りながら、あるいは鬼の腕を橋かなにかのように駆け上がりながら、一体一体を確実に葬っていく。

 とはいえ、鬼とてまったく無力だったわけではない。

 最後から数えて二体目を少女が倒したときのことだった。

 倒れる鬼の身体の陰から、別の鬼が飛び出してきたのだ。

 そう、ずっと仲間の陰から少女に一撃見舞う機会を窺っていたのである。

 これはさすがの少女も予期していなかったらしい。

 横薙ぎに襲い来る金砕棒を避けることができず大剣で受け止めはしたものの、勢いを殺しきれずにホームランボールのように遠くまで吹っ飛ばされた。

 だが、これが少女がこの戦において犯した唯一の失点である。

 少女はその後、村の人間が住居として利用していた廃屋の屋根の上にしっかり着地して、鬼からの追撃に備えた。無論、鬼はこの機とばかりに襲いくる。

 恐ろしい跳躍力で飛びかかってきたその鬼だった――が。

 大剣を携えて待ち構えていた少女の、例の身体ごとぶん回す一撃によって、あっさり胴を真っ二つにされてしまったのだ。

 かくして、鬼たちによる村の奇襲は鬼側の全滅に終わった。

 少女はたった1人で全ての鬼を討ち滅ぼしたのだった。村の男たちが束になっても叶わなかった大群相手に、形勢を逆転させるどころか完封勝利まで収めてしまったのである。

 けれど、村の空気に漂うのは勝利に対する喝采というよりも、幾体もの鬼の屍の山と血だまりをいとも容易く築き上げることのできる未知の存在への畏怖だった。

 とりわけ最初から最後まで感情などなにひとつもたないかのような少女の無表情が恐ろしかった。

 少女は、戦いの最中もまったく目の色を変えず淡々と鬼を殺していた。

 まるで何かの作業をするかのように。冷静に、合理的に。

 そうして戦いが終わった今も、勝利に酔いしれるではなく奪った命に祈りを捧げるでもなく、怪物と殺し合ったあとには似つかわしくないほど涼しい顔をしている。

 そのあまりに落ち着きすぎた容貌が得体の知れなさとなり村の者を怖がらせるのだ。 

「…………」

 だが当の本人はまったくそんな空気を意に介する様子がない。

 少女は人々の安否を問うでもなく、自分の身を気遣うでもない。

 片手で大剣を逆刃に構えると、大剣の背の方を息絶えた鬼の亡骸へ向けて軽く殴るように振り下ろした。

「おい、あいつ何やってんだ・・・・・・?」

 村人たちは気味悪く思いながら、眉をひそめながらも少女の動向を見守ることしかできない。

 どちゃっ、と肉が崩れる音がする。ごきっ、と骨が折れる音もする。

 それからころん、と何かが地面に転がる。

 それは鬼の角だった。

 今度は身体の反対側に回ってもう一度同じことを繰り返す。また鬼の角が転がる。

「角折って集めてるみてえだな」

「あたし聞いたことある。〈鬼斬〉って殺した鬼の角を集めて藩で換金するんだって」

「……へえ。にしてもえげつないことするもんだ」

 死体に対する冒涜ともとれる目の前のおぞましい光景に誰もが眉をひそめ、吐き気を催し、命の恩人に対する感謝の言葉も忘れた。

 それでも。少女は一体一体の角を同じように落としてはボロ布の中にしまっていく。

 それが数度繰り返されてから、たまりかねて、といった感じで槍を構えていた男が声をかける。

「なあ、世話になったな」

「…………」

 ところが少女は見向きもしない。自分のことだとは思っていないのだろう。

 男は前に進み出て、少女の近くに立ってからもう一度声を掛ける。

「おい、あんたのことだって」

 ここでようやく少女が振り返る。

「……?」

 あどけなく、年相応に首をかしげながら。

 それは、ある意味で当たり前といえば当たり前の光景でもあったのだけれど、先ほどの血で血を洗う戦いを見たあととあれば話は別だ。怪物じみた力をもつこの少女の、この無機質なまでに幼い振る舞いが、かえって何が起こるか分からないおぞましさを感じさせた。

 それでも、男は一度話しかけた以上、用件を続ける。

「鬼を倒してくれたこと、助けてくれたことは、感謝する」

 すると、やはり少女は不思議そうに、大きくてまんまるい瞳で男のことを真っ直ぐ見つめて、

「……べつに。あたりまえのこと」

 とだけ言い捨て、また除角作業に戻っていった。

 その無愛想な態度に不満をもたなかったわけではないが、しかし男も食い下がる。このあとの用件が重要なのだ。

「・・・・・・ところであんた、鬼斬だろ。実はさっきの鬼どもは前にもここにきたことがあるんだ。そのとき村の娘たちがさらわれてな。まだ残党がいるはずなんだ。ついでってわけじゃないんだが、その……そいつらのことも退治してきてくれないか」

 淡々と鬼の死体の額を殴っていく少女の小さな背中に話しかける。

「…………」

 少女は手を止め、振り向く。

「……わかった」

 そうして無言で頷いて、よし、これから鬼退治に向かってくれるのかと思いきや、また除角作業に戻ったのだった。

「なあおい、引き受けてくれるんじゃないのか」

 たまらず男がしつこく言い寄ると、少女は苛立たしいほど落ち着き払った動きで、急かす男を振り返ってから告げた。

「これがおわったら」

 それを見て村人たちは思うのだった。

 ああきっと、この怪物を殺す怪物には、人の心など分からないのだろう、と。

「…………ああ、そうかい」

 それ以上は誰も何も言えない。

 なぜなら今しがた見せつけられたばかりなのだから。

 村人全員が束になっても敵いっこない、絶望的な実力差を。

 やがて作業が終わった少女は自分に声をかけた男の方へ歩いてきて、

「どこ?」

 と聞く。

「あっちの山の小さい方に拠点があるみたいなんだ」

 男が遠くを指さしながら伝える。

「そう」

 必要なことを聞くと、用がすんだとばかり少女は無表情で退治に向かった。

 それは村人たちも同じだった。

 これから自分たちのために再び死地へと赴くいていく恩人に対し、感謝や声援を送るでもなくただただ冷たい無言で見送るだけなのだった。


「…………鬼斬ってのは、みんなああいう風なのか?」

 小さな背中が見えないほど遠くなったのを確認してから、槍を携えた男が気味悪そうに吐き捨てる。

「さあね。強いのは確かみたいだけど」

 その一言をきっかけに、村人たちも口々に汚い言葉をぶちまける。

「でもあれじゃただの殺戮マシーンよ」

「そういう風に育てられたんだろ」

「ったく、気味悪いったらないぜ」

「他の村のやつらが〈穢賊〉だなんて忌み嫌う理由がよくわかるな。ありゃ人間なんかじゃねえ。まさしく鬼そのものだよ」

 そうやって立ち止まって鬼斬談義に夢中になっていると、面倒見のいい姉御肌の住人が男どもの尻を蹴っ飛ばした。

「ちょっと、無駄話ばかりしてないでさ。どうするのよ、この鬼の死体」

 顎で示した先には、十を超える鬼の亡骸、それらが生み出した血の池……それから、ところどころに散らばった手足やらが転がっていた。

 もちろん、そこに横たわる死体は鬼のものばかりではない。彼らの同胞の遺体も少ないとはいえ目にすることができる。あるいは、ケガをした衛士の手当てをする者の姿もある。

  

 とはいえ、仲間も何人か死んでしまったというのに、一部の村人たちの話題の中心はもっぱら大剣を背負った少女が占めていた。それも、ほとんどが好意的でない語り口で。

「………………」

 子どもならではの視点から、大人たちの会話の様子を見上げていた女の子は、そのことを疑問に思った。

 命を助けてくれた恩人に、どうしてそこまで怒っているのだろう?

 礼儀を欠くと、たしなめたいのではない。道義的な振る舞いではない、と義憤が湧くのでもなく、単純に、純粋に気になったのだ。

「ねえ、お父さん。なんでみんな助けてくれた人の悪口いうの」

 傍らの父に尋ねると、

「あー……まあ、色々あってな」

 父親は答えを言い渋っている。

 言いたいことと言うべきことの間になにかズレがあるかのような、歯切れ悪い答えを返す。それが余計に好奇心を駆り立てる。

「色々ってなに?さっき言ってた『おにぎり』とか『えぞく』ってなに?」

 すると父は逃げるように娘を手で追い払うような仕草をして、

「ちょっと待ちなさい。今は家の修理だとか後片付けとかで手が離せないんだ。お前も危ないから母さんの傍にいたほうがいい」

 が、そんな忠告も無意味だった。

 女の子は自分と年の変わらない少女の謎に興味が尽きない。

「ねえ、あの子なんであんなに強いの?」「人間じゃないってどういうこと?」質問を矢継ぎ早に繰り出すけれど、それらの質問はことごとく父親に黙殺されてしまう。。

 ――ところが。

 女の子がある言葉を投げかけたとき、途端に目の色が変わったのだった。

 それは、次のような発言だった。

 ――「ねえ、お父さん。わたし、あの子と友だちになりたい」

「――!」

 それを耳にした父は娘が非行にでも走ったかのように激昂し、

「汚らわしいことを言うんじゃない!」

 あらん限りの大きな声で怒鳴り散らした。

 突然の怒声に、女の子は近くに雷が落ちたときのように怯え、小さく縮こまる。

 さすがに不審に思ったのだろう。父親の大声を受けて他の村人たちも怪訝そうにこちらを見てくる。

 その視線を気にしてなのか、父親はとうとう観念したようにため息をつく。

「……はあ。分かった、一からちゃんと説明しよう。ついてきなさい」

「え?ちょっと」

 父親は戸惑う女の子の腕を取ってずかずか歩いて家の中へ連れていく。

 そうして用心深く外を窺い、誰も話を聞いていないのを確認してから、あの少女――〈鬼斬〉について説明を始めた。


 ……十年前のことである。。

 大西洋にある文明の時計がとまったような島で、突然島民全員の病気やケガが全快するという超常現象が起こった。いまだ信仰心の篤い島民たちはこの超常現象を島に伝わる伝承になぞらえて〈災鬼喰らい〉と呼んだ。

 この噂は〈災鬼喰らい〉という言葉とともにネットを通じて世界中に伝わった。

 やがて各地からも科学では説明のつかない怪奇現象の報告が相次いだ。そしてついには、その災鬼喰らいの力を宿した怪人、あるいは災鬼喰らいによって産み落とされた怪物たちが世界中で混乱を引き起こす事態となった。

 それら、物理法則を覆し社会に混沌をもたらす怪物を日本では〈鬼〉と呼んだ。

 鬼は人間よりも強い力や超常的な異能を有していたため、現代的な兵器をもってしても太刀打ちできないことがあった。鬼の出現によって日本中が戦場となり、やがて荒れ果てた廃墟となりつつあった。

 それでも政府はなんとか壁を作り、資源や食料を独占したごく一部の選民がその中で暮らし始める。千葉県に造られた壁の中に新しい〈日本〉ができあがったが、ほとんどの人間は壁の外に取り残されいつ鬼に襲われるか分からない恐怖と隣り合わせの暮らしを強いられた。

 それら受難者は、壁の中に選民たちが日本を名乗るのに対して、壁の外にある自分たちの世界を〈大和〉と呼んだ。

 それから廃墟となった大和で人々は身を寄せ合い村をつくった。村が大きくなると県となり最終的には大和政府なるものも誕生した。政府の直轄となった県は藩とよばれ、大和政府はまたたくまに勢力を拡大していった。それでも日本と違い現代文明を失ってしまった大和には鬼に対抗する手段がなかったため、多くの村や県は鬼という根本的な脅威を解決することができないでいた。

 そんなとき、ある人間が鬼に対する対抗策を見つけ出す。

 それは〈片子〉と呼ばれる鬼と人との間にできた子どもだった。

 普通、鬼に慰み者にされた女は鬼の穢れが移った穢賊として村八分にされるか、あるいは自ら命を絶つことが多いため片子が生まれることはほとんどない。もし片子が生まれたとしても、そのほとんどは自分を迫害する人間に憎しみを抱き人間を殺すために鬼として生きる道を選ぶ者が多かった。

 ところが、鬼に孕まされたために自殺したある女の腹の中で、赤子が死なずに生きているのが発見された。その片子は生まれる前から歯が生え並び、母親の体を食い破りながら成長していた。人間とは比べものにならない成長速度だった。

 それを見た父親はこれは復讐に役立つと考えた。父親はその片子を連れて村を抜け出し、戦う術を叩き込み「お前は鬼を殺すためだけに産まれてきた特別な存在だ」と教え込んだ。やがてその教えの通り、その半人半鬼は村を襲った鬼の里をたった一人で滅ぼした。

 その噂は瞬く間に広がった。

 人よりも力があり、鬼よりも知能が優れた片子の有能さに誰もが目をつけた。

 それから幸いなことに生まれることを拒否される片子はいなくなった。しかし不幸なことに、それらは祝福された生誕でもなかった。生まれながらにしてすべての片子は鬼を殺すことだけを宿命づけられ、その証拠として左の手の甲に〈鬼印〉と呼ばれる焼き印を押され、あらゆる人間としての幸福を奪われるのだから。

 そしてそれらを生業にする穢賊のことを――人々は〈鬼斬〉とよんだ。


 すべてを語り終わると男は大きなため息をひとつだけついた。

 そして、まぎれもなく純粋な人間の血を引いた娘に対し、

「だから穢賊と友だちになろうなんて考えちゃいけない」

 と言った。

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