43話

 草の香りがした。

 それが何なのか、具体的にはわからない。けれども、どこかで嗅いだことのある香りだった。

 目を開けると、茶色かった。どこまでも広がる、細かい模様のある床。緑の長方形の線が入っている。

「コキノレミス、ステノ、いるか」

 返事はない。こんな広いところに、俺一人なんてことがあるだろうか。

「お、新しい人が来たね」

 どこからか声がした。澄んでいるが暗い、あまり人間っぽくない声だった。

「どこにいるんだ」

「もう、どこということもないね」

「えっ」

「もう、体も心もあやふやだ。長いことここにいたからね」

「ひょっとしてあんたは、魔族の王なのか?」

「そう呼ばれていたね」

「ここは、コンピュータの中じゃないのか」

「そう。君は誰だい。魔族ではないみたいだが」

「俺はフリソス。指導棋士だ」

「指導棋士」

 部屋全体に、漂っているものがあるのが感じられるようになってきた。

 コキノレミスの父親、ダスカロスは最初、何かにつながれていた。そして、じっと動かずにいた。あれはおそらく、心がどこかに飛んでいたのだ。今俺の体がどうなっているのかはわからないが、心だけがここにいる、とすれば納得できる。

「ほかに二人、もしくは三人いるんじゃないかと思うんだが」

「いるようだけど、この辺りではないね。もっと浅いところのようだ」

「浅い?」

「ここは一番深いところ。コンピュータの心臓の前にある鍵の場所だ。いきなりここに来るなんて、君は大したものだね」

「気づいたらいた。ダスカロスに飛ばされて」

「ああ、彼か。確かにさっきまでいたね。ここにつながる通路を広げていた」

「通路?」

「ここは本来、生命のたどり着けないところだ。僕の力で、通路を作った。けれどもそのせいで、とらわれてしまってね。コンピュータの動きを封じるとともに、僕も動けなくなってしまった。そして力の衰えとともに通路も閉じ始めた。もうすぐ、コンピュータは再起動してしまうだろうね」

「コンピュータを眠らせている、ということか」

「そうなるね。鍵は僕には解けなかった。だから、むりやり動きを止めているんだ」

「再起動したら?」

「このダンジョンは、地上を脅かす」

「なぜそんなことが?」

「なんだ、何も知らないんだな」

 あきれているような声の中に、笑顔が見えた気がした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る