15
「だあーってしょうがないじゃない!」
先程まで議長席だった上座では、ピンクのドレスを着てめかし込んだ
HKCは元の夢見がちな雰囲気に返っていた。ピンクに彩られた店内と、白黒ドットの店員、ビビッドで甘いスイーツの手にかかれば、今しがたの物騒な出来事をかき消すのは、造作もないことだった。
客たちの話題はもちろん、先程店内で暴れていた男のことなのだろうと、池脇は思っていた。だが、隣のテーブルでHKプレートをシェアする女子高生たちは、宮の城はもう飽きた、今は
メイリスが身につけている、ロイヤルブルーの、チェーンつきのショルダーバッグ。杏奈がそれを開くと、中からミニチュアサイズのコンパクト、ブラシ、スマートフォン、そして、一組の手錠が出てきた。
杏奈はそれらを観察してから、メイリスに持たせて遊びはじめた。池脇は頰杖を突きながら、子守りを担うには厳しすぎる目つきでそれを眺めていた。
奈緒子は慌ただしく話していた。
「由利子に事件の話を聞かされたばかりだっていうのに、朝から警察がうちのマンションに聞き込みなんかしに来て! それでそのあとお向かいの公園に行ったら、チンピラみたいな服着た男の子と、図体のでっかいヤクザみたいな顔した男の子がいて! 誰だって怪しいと思うじゃない! もう、だから春休みって怖いのよ!」
「やだー。言われてるー。はははー」
「はははー」
本村と杏奈が、揃って池脇を見た。
池脇は、頰杖を微動だにせず言った。「おめーもだよ、ハハハー」
「このパーティーの招待状渡しに行ったときもね、すごい勢いで逃げてったんだよ」本村は言った。
「だって、すっごいピンクだったのよ! 上から下まで、全部ピンク! そんな人が、あの、これ、って、何か差し出してくるのよ。由利子の名前出されなかったら、聞く耳持たなかったわよ!」奈緒子は勢いを止めることなく言った。
「犯人が捕まったのは、いいけど……」
綾子は晴れない表情を浮かべた。「なんか複雑。ママのことは誤解だって分かったけど、結局パパの方が不倫してたなんて。死んだ人のこと、もう、責められないじゃない」
「ああ。あれね。してないよ」
ミニュチュアの小道具をおもむろにテーブルの端に寄せ、杏奈の前を広く空けながら、本村は言った。
タイミングよく、HKプレートが杏奈のもとへ運ばれてきた。リップスティック、フレグランスボトル、サングラス、折りたたみ式の携帯電話を模した、色鮮やかなスイーツが盛られている。
だが、一同の視線はヒュプシュでカワイイそれではなく、本村の方へと向けられていた。
本村は流れるような手つきで子ども用のフォークとコップをプレートの両脇に並べ、杏奈からメイリスを受け取った。杏奈は整えられたテーブルで、優雅にケーキを食べ始めた。
「奈美恵さんの恋人が、奈美恵さんより年上の、『幸雄』さんって名前なのは本当。昨日、入学式のあと、池脇君の両親と食事したとき、僕がお願いして幸雄さんに会わせてもらった。それで、マーシワールの紙袋の話を聞いたんだ。鞠尾でバー経営してる背が高くてダンディなおじさまだったよ。裁縫はできないけど料理は得意って言ってた。成人したら遊びに来てねだって」
「じゃあ、冨樫の父さんが雛町に通ってた理由は?」池脇が聞いた。
「それはもちろん」
本村は意味深な笑みで綾子の方を見た。
「おじさんはおばさんだけじゃなく、綾子ちゃんのことも心配でしょうがなかったんだよ。だから綾子ちゃんが雛町で遊んでるところ、時々こっそり見に行ってたんだと思う。おじさんが今年から宮の城に通い始めた理由も、綾子ちゃんが雛町のビアンカじゃなく、新しくできた宮の城のイラストラに乗り替えたからでしょ?」
「じゃあパパは、その奈美恵さんって人とは、なんの関わりもないの?」綾子が聞いた。
「うん。『幸雄』って名前で、奈美恵さんより年上で、雛町に通っていて、奈美恵さんが殺されたのと同時期に、ぱったり雛町通いをやめたから、後藤さんは、自分の上司が奈美恵さんの恋人だったんじゃないかと疑ったんだと思う。それで例の火曜日、疑惑を確かめるために冨樫さんの家に行ったら————」
「ドールハウスか」
池脇は言った。
「そう。それで確信したんだ。後藤さんが奈美恵さんを殺したのが、事故だったのか、計画的なものだったのかは分からない。復縁を迫って揉み合ってるうちに過って転倒させたか、振られた腹いせに事故に見せかけて殺害したのかも。冨樫さんを殺害した動機は、冨樫さんが自分の住む宮の城に姿を見せるようになったのを、自分の犯行が疑われてると勘違いして、口封じのために殺したって線もあるけど、さっきの感じだと、おそらくただの嫉妬だね」
「その、奈美恵さんって方の、ドールハウスを引き取ったのは?」由利子が聞いた。
「それも綾子ちゃんのためです。この日の————綾子ちゃんの誕生日のために。この店を予約してたのも、おじさんなんですよ。あの日、綾子ちゃんから誕生日の話を聞いたあと、店に確認したら、『冨樫幸雄』の名前で予約が入ってた。カレンのドールハウスはピンクでしょ? だから、誕生日を祝う店は綾子ちゃんが通ってるイラストラじゃなく、この、HKCじゃなきゃだめだった。写真映えする、ピンク色の屋根の、カレンのドールハウスみたいにかわいい店。それで、僕が予約を引き継いだんだ」
「事件のあった日に、冴木を家に呼んだのは?」池脇が聞いた。
「多分、このパーティーの相談をするためだよ。冴木さん、イベント事の準備には慣れてるみたいだったし。だから、おばさんと綾子ちゃんがいなくなったあとで、冴木さんにパーティーの具体的なイメージを説明するために、リビングにドールハウスを用意した。冴木さんに見せたあとで、箱を飾るためのリボンも。ドールハウスは店で買ったのじゃないから、自分で包装しないといけないしね」
イスの背にもたれ、いまだ険しい顔を浮かべながら、池脇はアイスティーを飲んだ。杏奈が、携帯電話の生クリームをすくっている。池脇は背にもたれたまま、綾子に向かってぶっきらぼうに言った。
「食わねえの?」
「え?」
「この子、だめなのよ」
くすりと笑いながら、由利子が言った。「こういう、生クリームたっぷりのケーキ」
「ああ。だからヨーグルトタルトばっかり練習してたわけね?」
奈緒子が言った。
由利子は頷いた。それから、ティーカップを手に取り、透きとおった紅茶を見つめた。
「些細なことにも、気づく人だったわ。子どもの頃、ケーキも、お人形遊びも嫌いだったあなたが、ドールハウスを欲しがってると思い込んで、消化できなかった親心が燃えたのかもしれないわね」
由利子は、顔を上げて綾子を見た。「私がお菓子作りを始めたことだって、あの人、きっと気づいていたのよ。でも、何も言わなかった。あなたが思っているほど、パパは束縛しいな人じゃないわ。ただちょっと、心配性なだけなの。家族のことを、大切に思っているだけなのよ」
綾子は頷いていた。
本村は、してやったりな顔で池脇を見た。「ね、言ったでしょ。単純な家族愛の話だって」
「分かんねえ」
池脇はひそかに本村にたずねた。「これだと、俺の父さんと、冨樫の父さんの、初対面にしては不自然すぎる仲のよさの説明がつかねえだろ」
「それは————」
メイリスに脱げたロイヤルブルーのパンプスを履かせ直しながら、本村は言った。
「おじさんの、人柄のよさじゃないの」
本村は杏奈にメイリスを手渡した。
あら、メイリスさんも、お呼ばれしていたんでございますか? ええ、だって今日は、りょうこお姉ちゃんのお誕生日パーティーなんですもの。おいしいケーキが、ありますわよ。みんなで、お祝いしましょうね、と、杏奈はメイリスを揺らしながら、流暢に言った。
さらりと放たれた本村の言葉に、池脇は、無様に一突きにされたようだった。
自分とよく似た体型。顔だって、よくよく見れば、似通った部分があるのだ。最近は、特にそう思う。
けれど、自分にはない、表情、気遣い、選ぶ言葉。自分にくれなかったものを、あの人は、はてととぼけた顔で、その手にぶらさげ、持ち合わせている。
どうして一番近くにいる自分が、即座に否定できなかったのか。
心にやましさを抱えたまま、のうのうと読書をしていられるほど、あの人は、要領のいい生き物ではない。
「そういえば、細田響は江口の裏アカだったわけだろ?」池脇は言った。「『小和田にぶんのいち』は、後藤ってこと? 黒髪の、人形の方」
「え、池脇君、いったい何時代の話してるの?」
本村は『小和田にぶんのいち』とのチャット画面を開いた。
たった一ラリーの会話の日付は先週の火曜、ダイニング松で冴木と別れたあと、丁度相原の車で帰る頃の時刻になっていた。
『本村です。佐野さんですか?』
『てってれー。バレた?』
「は? なんで? あいつもコレクターだったわけ?」池脇は眉根を寄せた。
「ちがうちがう。犯人がカレンドールのコレクターだと推測して、おびき寄せるために佐野さんが即席で作ったアカウントだよ。載ってる画像も、全部ネットからの拾い物」
その瞬間、小和田にぶんのいちから、メッセージが届いた。
『この度は犯人逮捕にご協力感謝いたします。
が、武器を所持した犯人に対する挑発的な行為は大変危険ですので絶対にやめて頂きたく存じます。
又、犯人逮捕に繋がる有力な情報を保持している場合は住宅相談会などと称して個人で取り調べを行うのではなく、速やかに最寄りの警察署までご連絡して頂きたく』————
「相原さんだね」
本村は潔く画面を閉じた。
「そうだ、杏奈ちゃん。カレンが欲しいなら、このお兄ちゃんの家においでよ。僕、人形には手つけてないから、たくさんあるよ」
「ぶろんどの、カレン?」杏奈は悩ましげに言った。
「え?」
「ピンクの、お洋服の」
「ああ————。あれは、多分、いずれは江口さんから返ってくるだろうけど……」
本村は綾子の方を見た。
流れるように、綾子は由利子の方を見た。
「ドールハウスごと、譲ってもいいけど」
テーブルの向こうで微笑みながら、由利子は言った。
「曰くつき物件よ」
由利子は優雅に紅茶を飲んだ。それから、曰くつきのドールハウスを新しく開く店に飾れば、客寄せになるのではないかという提案を、堂々と奈緒子に持ちかけた。
「いわく?」
首をかしげて、杏奈はつぶやいた。
本村たちはドールハウスの中で、恐ろしい人形の微笑みを見た気がした。
そのすぐあと、春雨と呼ぶには荒々しい、激しく叩きつけるような雨が降り、桜はすっかり散ってなくなった。
短い春を楽しみましょうと誰かが言った。
ギター・ギャンのスニーカー。黄色い紐。
池脇は引き戸を開けた。
また新しい季節が、やって来るらしい。
愛しのメイリス殺人事件 @pkls
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