12

 翌日、本村と池脇は宮の城公園の山型遊具の上にいた。

 池脇は山の頂上にがら悪く座り込み、因縁でもつけるように正面のマンションを見据えていた。悪意などなかった。

 本村も隣に座り込み、間取り図作成アプリ『住むよお城』で、メイリスと暮らす邸宅の設計をしていた。大漁旗のイラストがでかでかと描かれたスウェットを身につけている。

 池脇は肩越しに後ろを見やった。

 前日、自分たちがいたアスレチック遊具の上に佐野の姿が、その下の柱には、手帳を見返す相原の姿があった。佐野は池脇に向かって手を振った。

「申し訳ねえな」

 すぐにマンションの方へ向き直り、池脇は言った。

「うん?」

 バスルームの位置を決めかねながら、本村は言った。

「ケーサツだよ。ケーサツ」

「ああ。だから」

 本村は言った。

「遊び半分じゃなく、全力でやりゃあいいんでしょ?」

 本村は鼻をすすった。この日、岩月市は、冬に帰ろうとしていた。

「佐野さんたちに頼るよりも、冴木さんの方が情報源としては有効かもね」本村は言った。

「冴木が? なんで」

「綾子ちゃんにもらった画像だけじゃ心許ないから、今、僕に媚び散らかしてる冴木さんに、後藤さんが写ってる数少ない画像送ってもらった」

「お前、サイテーだな」

 咎めるようすもなく、池脇はぼうっとマンションの方を見つめた。

 マンションから、一人の男が現れた。

 黒いTシャツにジーンズをはいた、冴木や江口同様、すらりとした長身の男だった。

「あれは?」

 にらみを利かせるように目を凝らし、池脇は言った。自分も、後藤の顔写真を確認しているとはいえ、記憶に自信がなかった。

「ああ、あれっぽい」

 顔を上げると、大事でもなさそうに本村は言った。

 本村はアスレチックの方を見た。一人踊り場に立つ佐野が、両腕を上げて『〇』のポーズを作っている。相原が、遊具の下から佐野に向かって何やら吠えた。

 肌寒いのか、後藤は足早になってすぐそばのミスター・オレンジに入っていった。

 本村たちもすぐさまあとに続いた。目玉焼きのせのナポリタンと、オムライスの大盛りを頼んだ。

 後藤は宮の城公園の見える二階の窓際席につき、チョリソー入りのナポリタンを食べていた。

 少し離れた席から、暫しそのようすを観察したあと、本村は立ち上がった。「あの、失礼ですが、モデルの本村莞治さんですか?」

 後藤秀徳は顔を上げた。凛々しく大きな瞳に、鼻筋が高く長く通った、ほとんど左右対称な、彫刻のように整った顔立ちの男だった。

「ちがいます」

 後藤はそっけなく返した。

「絶対雑誌で見たことある気がするんですよね。池脇徹也さん?」

「ちがいます」

「えっと、じゃあ————」

 本村は思い起こす顔をした。「後藤秀徳さん?」

 ほんの、少しの間があった。

 後藤はテーブルの上の呼び出しボタンに手を伸ばした。本村は慌てて言った。

「ごめんなさい、ごめんなさい、冗談です。僕ら、冴木さんの知り合いなんです」

 後藤は、また少し間を置いてから言った。

「……冴木さんの?」

「はい。もっと正確に言うと、冨樫幸雄さんの、娘の、綾子ちゃんと知り合いです。冨樫さんが殺された事件のことで、聞きたいことが————」

「俺飯食ってるんだけど」

「はい、僕らもです」

 本村ははきはきと言った。「だから、相席いいですか?」

「やだ」

 多くのエネルギーを使わずに、後藤は言った。

「じゃあ、僕ら隣のテーブルに移るんで、お話ししませんか?」

 後藤は伏し目がちで黙っていた。

 その、苛立った、美しい横顔を、本村も黙って見つめていた。

 重く息をつき、後藤は言った。「……分かったよ」

 本村と池脇は向かいの席に座った。

 本村は、窓からそっと宮の城公園を見下ろしてから言った。「早速なんですが————」

「その前に、なんでここにいるって分かったの」

 本村の質問を遮り、高圧的な口調で後藤は言った。

 本村はあっさりと答えた。「冴木さんがべらべら喋ってくれました」

「あの人……」

 後藤はナポリタンの鉄板を、フォークの先でカツカツとつついた。「で、何が聞きたいの」

「冨樫さんの家のリビングにあった、ドールハウスのことです。冨樫さんから、何か聞いたりしていませんか?」

「いや。でも俺、知ってるよ、その人形のこと」

「カレンドールですか?」

「うん。昔姉が持ってたから」

 ナポリタンを食べながら、後藤は話した。本村とは目も合わせなかった。

「なら話が早いです」

 本村は赤いナイロンバッグからメイリスを取り出した。白地に、パステルカラーのスクエア模様が点々と入ったワンピースを身につけている。「メイリスです」

「は?」

 後藤は顔を上げた。

「僕のカレンドールです。メイリスっていいます」

「ああ。疑似恋愛ってこと?」

「まあ、そんな感じです」

「へー。ご苦労さん」

 じゅうじゅうと音を立たせながら、目玉焼きのせのナポリタンと、大盛りのオムライスが運ばれてきた。

 ナポリタンを食べ始めると同時に、本村は質問を再開した。

「宮の城で、冨樫さんの車を目撃したことはありませんか?」

「いいや、ないけど。部長、この辺よく来てたの?」

「それは調査中です。『ラ・プティット・プペ』って知ってます?」

「部長が気になってるって言ってた雛町の洋菓子屋のこと? 事務所でみんなが話してたのは聞いたけど、よく知らない。雛町自体、仕事以外じゃ行かないし」

「冴木さんが、冨樫さんと何かトラブルがあったとか、聞いてませんか?」

「どうかな。聞いてないけど、あの人、上司の前では上手く立ち回る方だと思うよ。でも、情報通として周りから求められたいっていうの? 流行りものに強いのはご立派だけど、真偽問わず情報ばらまく人だから、俺みたいに迷惑してるやつもたくさんいるんじゃない?」

「ああ、すげえ分かります」

 オムライスをかきこみながら、池脇は頷いた。

「江口さんって、どんな人ですか?」本村はたずねた。

「江口さん? どんなって……『いい先輩』って感じ。俺みたいなやつのことも、気にかけてくれるし」

「プライベートのお付き合いは?」

「ないよ。江口さんだけじゃなく、俺、職場の人とほとんどプライベートの交流ないから。ああ、なんとかっていう靴が好きなのは知ってる」

「カシマのことですか?」

「そうなの? 俺、ブランドには疎いから」

「冴木さんはマーシワールが好きですよね」

「ああ、あの、派手な柄ででっかいシルバーのロゴのやつね。俺は嫌いだな」

「じゃあ、僕のこの服なんて大っ嫌いですよね」

「うん、まあ、どうだろう」

「後藤さんって正直ですね」

「ごめんね」

「後藤さんが、思ってたよりも気さくな人でよかったです」

「何、俺、どんな風に思われてるの?」

 少し笑って、後藤は言った。

「もっと冷たい感じの人かと思ってました」

「ああ、それは、はずれじゃないかもしれないけど————。聞かれたことについて話すくらいはできるよ。冴木さんみたいに気の利いたこととか、面白いことは言えないけど————」

 そんなことないですと返し、本村はナポリタンを食べ進めた。つややかな目玉焼きの黄身が、丸く、きれいに守られていた。

 本村の返事は嘘ではないのだろうと、池脇は思った。それから、テーブルに備え置きのケチャップを手に取り、食べかけのオムライスにかけ足した。

 まるで二匹の奇妙な生き物でも見るように、一瞬、光の点った後藤の瞳が、まっすぐ、左右対称に、自分たちの前で披露されたことに、本村と池脇は気づいていなかった。

 本村が、完璧に保管された黄身をフォークですくおうとした。

 光を閉ざし、後藤はたずねた。「不倫のことについては聞かないの?」

 くちゃり、と、呆気なく、不格好に、黄身はくずれて流れた。

「え。なんでですか?」

 少し動揺し、本村はたずね返した。

「なんでって、噂されてるの、知ってるし」

 後藤は空になった鉄板の上にフォークを寝かせると、ソファの背もたれに体を預けた。「その件で警察がうちのマンションの人たちに聞き込みしてたのも知ってる。冴木さんがべらべら喋ったなら、君らももう知ってるでしょ? 聞くなら聞けば? さっさと帰りたい」

「じゃあ、お言葉に甘えて聞きますけど」

 ナポリタンに黄身をまとわせながら、本村は言った。「冨樫さんの奥さんとは、不倫関係にあったんですか?」

「ないよ。この近所でばったり会っただけ」奇麗な顔をくずさずに、後藤は答えた。

「ばったり会って、どうしました?」

「どうもしないよ。普通にあいさつして、行き先がうちのマンションだって言うから少し一緒に歩いただけ。すげえ気まずかった。ああ————」

 よからぬことを思い出したという風に、後藤は視線をそらして考えた。

「なんですか?」

「言っていいのかな、これ」

「いいです。どんどん言っちゃってください」

 調子をつけて、本村は催促した。少し考えると、後藤は言った。

「……内緒にしてくれって、言われたんだよ。うちのマンションに通ってること」

「夫の、幸雄さんにってことですか?」

「そう。やだな。これじゃ俺、冴木さんと同類じゃん。すげえ口軽いやつみたい」

「そんなことないです。大事なことですから」

 すかさず本村は言った。

「……俺って、犯人扱いされてるんだよ、多分」

 不服そうに、後藤は話し出した。

「不倫なんてしてないし、部長とトラブルだって起こしてないのに。部下ってだけで、いい迷惑」

「ああ、すっげえ分かります」

 大きな体を揺さぶる勢いで、池脇は頷いた。

「引っ越しも考えてる。まあ、ここら辺、最近うるさくなってきたって思ってたとこだから、丁度いいけど」

「でも、すごくきれいな町ですよね、宮の城」本村は言った。「緑が多いだけじゃなく、ゴミ集積ボックスのデザインにまでこだわってて」

「ああ、あれね。自治体回収で、集積場所が公道に露出してるところは、あのタイプので統一なんだって。俺は別に捨てられるなら、バケツでもダンボールでもなんでもいんだけど。指定のゴミ袋もいくつかあってさ。同じ岩月市内なのに、宮の城だけは、緑、黄色、ピンクって、分別しなきゃならないんだよ。俺、本当面倒くさがりだから。家事とか、細かい作業とか、ほんと無理で————」

「ああ、自炊は一切しないんですよね」

「なんで知っ————ああ、冴木さんか」

「そうです」

 清々しく言って、本村はメイリスの肩を抱くようにつまんだ。「あの、僕、将来このメイリスのために、家を買ってあげたいと思ってるんです」

「へー。頑張れば?」

 まったく応援する素振りなど見せず、後藤は氷を鳴らしてグラスの水を飲んだ。

「はい、頑張ります。その時は、協力してもらえますか?」

「それは、いいけど」

 コト、と神妙な音を立て、後藤はグラスを置いた。「現実的なこともちゃんと考えた方がいいと思うよ。家って、財産だけど消耗品だから。所有するってだけでコストもかかるし、買ったときは最新でも、十年先、二十年先には、歴史的、建築的価値もない、中途半端に時代遅れの代物になってるかもしれない。そういう買い物をするんだっていう自覚と、維持していく覚悟があるのかって話。こっちも商売だよ。死ぬまで快適と満足を保証してくれる家なんて、ないんだから。最新の端末買うのとは訳がちがうんだよ」

 なぜだか、本村と池脇は背筋がぴんと伸びていた。本村は言った。

「後藤さんて、ほんとに営業の人ですか?」

「ほんとだよ。だから言うんだよ。周りはさ、俺が顔で仕事取ってきてると思ってるでしょ? まあ、きっかけだけでいったらそういうこともあるかもしれないけど————。よく考えなくても分かるでしょ。顔がいいだけの無能なやつに、自分の人生左右するような桁違いの買い物の担当なんて、誰も任せたりしないよ。土地や間取りなんかよりも先に、みんな神経質ってくらい、『人』を見てる。信頼の置ける人を求めてるんだよ。俺は冴木さんみたいな押し売りはしないし、江口さんみたいに顧客の希望に全部ハイハイって同調したりしない。現実をちゃんと伝えることにしてる。あんな大きな買い物して、後悔させたくないから。だから、買ったあとはみんな満足してくれるし、それが次に繋がってるって————あ、ごめん。仕事語り、うざいよね」

「あ、いいんです、全然」

 本村は言った。おのれの言動を悔いるように、後藤は押し黙った。

 気の利いたセリフも、面白いたとえ話も、本村は求めていなかった。ただ、冷たく整ったその顔の裏に、沸々とたぎるものを感じていた。後藤秀徳という男は、それを表に出すことを、『恥ずべきこと』としているようだった。

 本村は焦れったくナポリタンをフォークに巻きつけ、仮面がひっくり返されるのを待っていた。

 後藤は、いつまでも慎重居士であろうとした。

 時間をかけ、沸き立つものを落ち着かせてから、じっとりと、後藤は言った。

「……俺はさ、奥さんか娘さんを疑うべきだと思うよ」

「どうしてですか?」

 釣り上げたとばかりに、すぐさま本村はたずねた。

「どうしてって……こういうのって、身内が一番怪しいもんでしょ」

 恥じらい深く、気持ちを抑えながら、後藤は言った。

「そういうものですか。冨樫さん、奥さんや娘さんに殺される理由なんて、あるんですか?」

「それは分からないけど、こういう仕事してると、いろんな家族に会うんだよ。理想のマイホームや、理想の暮らしを夢見てる、幸せそうな家族。家を建てるって、すごく長くて、根気の要る作業だから、お客とはいえ、付き合いも長くなるわけで————。そうすると、その幸せそうな家族の裏側が、垣間見えたりすることもあるんだよ。そういう人たちに、家を売って、一仕事終えて、ああ、この人たち、この箱の中で、家族ごっこをして生きていくんだなって、たまに思う。ほんと、ドールハウスの世界と同じこともあるんだよ」

「はあ……」

 吐き出すように、本村は言った。本村にとって、ドールハウスの中での家族ごっこは、憐れまれるほど悪いものではなかった。

「まあ、よく考えな」

 後藤は立ち上がった。「事件のことだけじゃなく、その、家のこともさ」

 だらりとしたゆるめのボートネックをした、無地の黒いバスクシャツ。

 ストレートのライトブルーデニムと、紐なしのスニーカーが、彫刻の顔立ちと、すらりとした背丈を映えさせていた。

 そりゃあ、色も、柄も、でかでかとしたロゴも要らないだろうと、見上げながら池脇は思った。

 じゃーな、と、そっけない言葉を残して後藤は立ち去った。

 暖色で塗られたフロアに、涼しい後ろ姿が、くっきり浮かんで階下に消えた。

 本村は言った。

「あれ、モデルの後藤秀徳さんだよね」

 池脇は言った。

「もういいだろ。そういうことで」

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