11
【母さん】
『居間どこにいるの?』
『おーい』
『どこにいるの?』
『徹夜今どこ?』
『返事ください』
『大丈夫なぬ?』
『どこにいるのか分かりませんが徹也が無事ならそれでいいです。大変なときだけど、一番辛いのは徹也だと思います。力になれなくてごめんさい。でも、お父さんとお母さんは徹也の味方です。とにかく返事ください。お父さんも心肺しています』
「やば」
自身のスマホに入った膨大なメッセージと不在着信の数を見て、池脇はうろたえた。
「ご両親心配してたよ。息子が行方不明だって」
もう一人の刑事は
「家に連絡入れてなかったの? 池脇君。それはだめだよ」本村は言った。
「お前みてえなスマホ中毒じゃねえんだよ」
言いながら、池脇は送られてきた大量のメッセージに、『今帰る』と最短の文章を返した。
「弟君たちもぉ帰るのお?」
「そうそう。子どもに鞠尾の夜はまだ早いよー」
「バイバーイ」
店の外に出ると、テラスの方からパーティーの参加者たちが手を振り呼びかけた。
「料理、ごちそうさまでした」
本村が、共に店から出てきた冴木に向かって頭を下げた。
「結構食べたよね。ほんとなら会費取るんだよ? ほんとなら」
鞠尾の夜はすっかり冷えきっていた。尋問から解放された冴木は肩の力を抜き、スラックスのポケットに手を入れたまま、止まらない嫌味を放った。
冷たい夜風のせいか、それとも、こんな時でも律儀な態度の本村のせいか、池脇はすぐに平静を取り戻した。そして、その公平な目で見やれば、冴木遥介が、自分にとってどんなに不愉快な男であろうと、ただそこにだらしなく立ち呆けているだけで様になる風体だということを、認めざるを得なかった。
「あの、僕」
本村はメイリスの顔を冴木の方へ向け、胸の前で抱きしめた。「将来的には、メイリスに家を買ってあげたいと思ってるんです」
「あ?」夜風にこごえながら、冴木は言った。
「冴木さん、僕は本気ですよ」
本村の凛々しい瞳と、メイリスのつぶらな瞳が、揃って冴木の顔を見た。
気持ちの切り替えと共に、ころころ化ける冴木の表情が、少しの間定まらずにいた。
「マジで?」
「マジです。だから今のうちに僕に媚売っておいた方が、何かと得だと思いますよ」
「それならさ」
冴木は一瞬にして、多忙な営業マンの顔を作り上げた。
「将来と言わずに、今はどうなの? 今すぐにでも、その子に家を買って、一緒に暮らしてみたいとは思わない? 人生楽しんだもん勝ちだよ? 学生生活なんて、桜の見頃みたいにあっという間なんだから。フルスペやミスオレに入り浸って写真にも残せないような毎日送るくらいなら、理想の家に住んで、理想の暮らしをして、おもいっきり充実させたらいいじゃん。まだ学生だから無理とか決めつけるのはもったいないよ。ご両親に相談はしてみた? 君の、その————趣味とかファッションに、理解のあるご両親なわけでしょ? 君がどれだけ本気なのか、伝えてみたら? 俺も協力するから」
冴木はジャケットの内ポケットから薄い革のケースをすばやく取り出し、名刺を本村に差し出した。
ありがとうございます! と、本村は嬉しそうにそれを受け取った。
佐野たちに連れられ、本村と池脇はダイニング松を後にした。
「本村君、俺、本気だからね!」
店の前の路上から、冴木は最後の最後まで念を押して大きく手を振っていた。「連絡、待ってる!」
本村はぺこりと頭を下げた。池脇は冷えた頭を波打たせた。
家まで送ると佐野は言った。二人は、相原が運転する車に乗り込んだ。
「おー。鞠尾の夜は平日でもにぎやかだねえ」
歩道ではしゃぐ人々を助手席から眺めながら、さして焦がれるようすもなく佐野は言った。
「どうしてここが分かったんすか?」池脇は聞いた。「俺、ネットに位置情報とか上げてないすよ」
「大っぴらには言えないけど、君、一応、超重要参考人だし。監視的な?」窓にもたれながら、佐野は言った。
「は?」
「怒んないでよ。もしものときのためだから。でも、そっちの彼は気づいてたよ」
「あ、本村です」
本村は、助手席の後ろからひょっこり顔を出した。どうも、よろしくねと、お友だち作りに積極的でないようすで佐野は返した。
「なんで黙ってたんだよ」池脇は不服をあらわにした。
「言ったよ」
背筋を伸ばしてフロントガラスからの視界を眺めながら、本村は答えた。「『車に気をつけて』って」
「相原、あとでコンビニ寄って」
唐突に、佐野が言った。
「え? なんでですか?」バックミラーをチラリと確認しつつ、相原はたずねた。
「さっきの店でボンゴレ見てたら、腹減ってきた」
「だからさっき時間のあるときに済ませましょうって言ったじゃないですか」
「うん。すまんね」
本村たちが夜の歓楽街へ繰り出し、冴木に会いに行ったことを、二人の刑事は咎めなかった。それどころか、後部座席の自分たちを置き去りにして、緊張感のない雑談を繰り広げようとしている。
池脇は試されている気がした。
さて、お前らは、どのような顔でそこに座るつもりか————? と。
「あの、冨樫さんて、どんな風に殺されてたんですか?」
池脇の張った警戒網をそばから突き破り、スマホ片手に本村は言った。
池脇はほとんどしらけていた。
隣で、反省の色もなく鎮座している男。律儀的だが、欲しいものの前ではルールも遠慮も、自ら手放した風船のようなものだ。
「え、ああ。うつ伏せの状態で、背中をこう、こう————」
佐野は躊躇なく、右腕を何度も振り下ろす動作をした。
「滅多刺しってやつですね」
「そうそう」
「佐野さん、やめてください、捜査情報を」相原が言った。
「秘密にしたって無駄でしょ。池脇君、間近で見ちゃってるんだから。ねえ?」
「いや、どういう刺され方してたとかは、あんまり……」消極的に、池脇は答えた。
「嘘」
佐野は振り返り、シートの間からおもいきり顔を覗かせた。「よく思い返してみて」
「佐野さん」相原が言った。
「はいはい」佐野は助手席に引っ込んだ。
「警察はまだ、綾子ちゃんのこと疑ってるんですか?」本村はたずねた。
「うーん。まだ目は離せない感じかな。こないだ、カフェで激昂してるところも見ちゃったし」佐野は言った。
「ああ、イラストラのときですね。じゃあ、例の不倫の話もダダ漏れですね」
「そういうことだね」
「聞き込みはしたんですよね?」
「もちろん。それがさ————」
「佐野さん」
「はいはい」
「冨樫さんの家にあった、ドールハウスのことなんですけど」本村は迷わず質問を変えた。
「ああ、なんたっけ」
「カレンドールです」
「ああ、それそれ。君のも、そうでしょ?」
「メイリスのことですか?」
本村は膝の上の人形を抱き上げた。
「そうそれ。見せて」
本村はメイリスを差し出した。佐野はそれを片手でつかむと、頭上に持ち上げて眺めたり、鼻先まで引き寄せて顔の造りをまじまじと観察したりした。
「これ、カレンちゃんとはちがうの?」
「一緒です。でも、僕はメイリスって呼んでます」
「こういうの、集めて飾るんだ?」
「いいえ。僕はコレクターではないので、置いてるのはそのメイリスだけです」
「服は手作りなの?」
「既製品も着せますよ。あとは知り合いに頼んで作ってもらったり」
「へー。すごい知り合いがいるんだね」
「ドールハウスの箱の中って、確認したんですよね?」
「したよ。多少遊んだ」
「どこも変なところはなかったですか?」
「不審な点はなかったけど————」
佐野はメイリスの栗毛をくるくると指に巻きとり、引き抜いた。「それがこないだ君たちが冨樫さんの家に訪問したときにはどうなってた?」
「そこも見てたのかよ」池脇が言った。
「付属の人形がなくなってました」本村は答えた。
「あー」
佐野はスマホを取り出し、うめいた。「面倒くさいこと聞いちゃったな」
それから、続けてたずねた。「君たち、明日は後藤さんに会いに行くの?」
「そのつもりだったんですけど、今、手っ取り早く刑事さんたちが僕らに後藤さんについての情報を教えてくだされば、必要はなくなります」本村は言った。
「だってさ。相原」
「だめです」
「だそうです」
「残念です」
「君たち、遊び半分で警察ごっこみたいなことしてたらだめだよ」
真剣な顔つきでハンドルを握りながら、相原は言った。「いろいろ嗅ぎ回ってることが犯人に知れたら、今度は君たちが命を狙われるかもしれないよ」
「それって、池脇君は容疑者から除外されてるってことですか?」本村がたずねた。
「それは————まだ、なんとも言えないけど……」
相原は遠慮気味に答えた。運転席の後ろで、池脇は少しも痛くはないという顔をした。相原は急いて言った。「とにかく、危険だから事件に首を突っ込むのはだめってこと」
「突っ込むどころかもうずぶずぶに巻き込まれてるやつは?」
池脇は聞いた。声になってから、ずいぶん子どもじみたことを言っていると気がついた。
だが、この際いいだろう。
この世の中に、数ある被害者意識の中の、漏言の、一つくらい————。
「そこから抜け出して、早く元の生活に戻ること。冴木さんじゃないけれど、学生生活は短いんだから。君たちが危険な仕事に時間を割く必要はないんだよ」
ほとんど中学生の意地の悪い質問にも、相原は至って冷静に、真摯に言葉を返した。
邪険にしないことは評価するが、薄っぺらな答えだと、ひねくれた態度で池脇は受け取っていた。バックミラーを見もせずに、相原はそれを察知した。
「犯人が捕まらなくてやきもきする気持ちは、分かるよ」
相原は言った。佐野は我関せずといった顔で、人形と戯れていた。
「けど、事件のことは僕らに任せてほしい。関係者と接触して警察を翻弄していたら、後々嫌な思いをするのは、君の方だよ」
車は、とっくに鞠尾の歓楽街を抜けていた。
車内に、車のささやかな走行音と、沈黙が流れた。
「分かった?」
厳格な保護者のように、相原は強い口調で返答を求めた。
「へーい」
だらりとシートに沈み、不真面目に池脇は返した。
「本村君も」
「はい」
本村は両膝にぴっちりと手を置いて座り、運転席に座る相原の方をしっかりと見て言った。
「よく分かりました」
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