ここが一年前なら。

 宮の城は緑の街路樹が立ち並ぶ、清潔さだけが売りの平穏な町だった。

「にぎやかになったよね。宮の城って」

 満席のようすがうかがえるパンケーキ店の窓に張りつきながら、本村は言った。「おしゃれスポットにたかるハエだと思われてるんだろうね。僕らって」

『HKC』はハズレだった。

 カレンのドールハウスに似た、かわいらしいピンクの外観を写真に収められるシャッタースポットや、店内に飾られたピンクのオープンカー、白黒ドットのカップで受け取れるテイクアウトのコーナーは列を成していたが、どこにも冨樫綾子の姿は見えなかった。その次の、燃えるような真っ赤なハート型のケーキに金箔が添えられた、アーティスティックなデザートプレートが話題のカフェも、この、『ココナッツミルククリームパンケーキ』が一番人気の店も空振りだった。窓に張りつく本村を、わたあめのようなふわふわのむく毛をした店の看板犬『ココ』が、じっと見つめていた。

「それでさ、また新しい店ができてさ、こういう、今まで注目されてなかった場所に」再び歩き出しながら、本村は言った。「そこに寄り集まってさ、いいねいいねって。そしてまた新しい店ができてさ————」

 ふと、本村は一軒の店の前で足をとめた。落ち着いた照明の灯る小さな建物で、窓の外からは、ひっそりとした店の雰囲気とは相容れない、鮮やかな色づかいをした品々が額縁に入って飾られているのが見えた。

「画廊?」いちゃもんでもつけるように、池脇は肩を落として店の中をすくい見た。

「ちがう。服屋」

 本村は言った。棚やハンガーラックの方には、同じく鮮やかな色づかいをした洋服が、裸の状態で陳列されていた。

「うお。いいな。あれ」本村は、花火がひしめいたような絵柄のTシャツに目を奪われた。「デザインが秀麗」

「お前冨樫探しに来たんじゃねーのかよ」

「ああ、そだった」

 映えた店の映えた品揃えに、いいないいなと心躍らせながら、本村は歩き出した。

 横を歩くパステルピンクの高揚を受け流しながら、池脇は様変わりした宮の城の町並みを眺めていた。

 緑豊かな美しい町。それだけで、どこも悪くはなかった。なぜこんなことになったのか。ありもしない正義感を、見せびらかそうとしたのが悪いのか。柄にもなく、〝不自然なカラフル〟を選択したせいか。それなら、それで構わない。弁解するつもりなどさらさらない。だがこのまま、万引きを目撃し、死体までもを発見し、なおも大人しく居座り続けるというのは、確かに、具合が悪かった。

 二人はスマホが見い出した次の店にやって来た。『イラストラ』という名前のカフェで、広い窓ガラスからは、赤いカラーリングが施されたバイクが飾られているのが見えた。

「いた」ポケットに手を突っ込んだまま、少しの感動も表さずに池脇は言った。

「どれ? どこ?」

「あの、ショートのやつ」

 冨樫綾子は茶色いボブヘアをした、凛とした雰囲気の少女だった。大きなアーモンド型の瞳に彫りの深い顔立ちで、体格がよく、母親とはあまり似ていない。

 綾子は二人掛けの丸テーブルに座り、アイスティーを飲みながら、ぴんと姿勢よくスマホの画面を見つめていた。本村は初めからそこに同席していたかのように、何も言わず、自然な動きで綾子の向かいに座った。綾子は顔を上げて本村を見ると、その隣に立つ池脇の方を見上げた。そしてかすかに驚いた表情をしたあと、またすぐにスマホの画面に戻った。

「落ち着いてるね。もう少し慌ててもいいと思うんだけど」

 狭いテーブルの上に腕を組み、本村は言った。

「来るのが少し遅いんじゃない?」

 スマホを見つめたまま、突っぱねるように綾子は言った。

「どういう意味だよ」池脇が言った。

「〝アレ〟、警察にバレたの。別に隠してもいなかったけど。だから、全部白状した。パパは死んだし、家は終わってるし、私の高校の合格も、きっと取り消される。だからあのこと、親でも学校でも、北中のみんなでも、好きなだけ告げ口すれば? 今更何言われたって状況は変わらないから」

 池脇は押し黙った。本村が言った。

「僕たち、そんなつもりで来たんじゃ————」

「あんた誰?」綾子は本村をにらみ見た。

「あ、ごめん。本村っていいます」

「誰? 北中の人?」

 ご注文わぁ〜と、ライダースジャケットを着た店員がやって来て言った。頭に、フレームの片側が反り上がった奇抜なデザインのサングラスをのせている。

 本村は適当に飲み物を二つ頼んだ。池脇は、隣のテーブルに座った。本村は言った。

「ドールハウスの件、聞きたいんだけど」

 綾子は、本村を無視してスマホをいじり始めた。キラキラとした、シンセサウンドの古い洋楽が店内に流れていた。

 特に見映えのしない、平凡なグラスに入った平凡なオレンジジュースがやって来て、池脇のテーブルと、よほど恋人同士には見えない綾子と本村の間に置かれた。

「ごゆっくりどおぞ〜」

 本村はオレンジジュースを飲みながら、つんとすました綾子の顔をじっと見た。池脇は頰杖を突き、殺伐とした二人のテーブルを眺めていた。本村は言った。「僕、カレンのコネレベル99だよ」

 綾子の、スマホの上を滑る指がとまった。本村は言った。「今なら『口利き』してあげてもいいよ」

 綾子は大きな瞳をくるりと動かし、本村を見やった。本村は言った。「ドールハウスのこと、聞かせてくれない?」

 綾子はスマホの画面に向かった。本村も、スマホを操作しだした。何で、どう、綾子を釣り上げたのかは知れないが、餌はスマホ上で取り引きされるもののことらしいと、池脇は理解した。

 本村のスマホに、『レジデントカード』と書かれた画面が表示された。赤いつば広帽をかぶったアバター画像の横に、名前と誕生日が記載されている。

「冨樫さん、もうすぐ誕生日なんだね」

「早くしてよ」

「はいはい」

 池脇を置いて、二人は黙々とスマホの画面に向かっていた。しばらくすると綾子はスマホをテーブルに伏せ、大きく息をついた。「私、ほんとに知らなかったんだってば」

「うん」承知しているかのように、本村は答えた。

「私はただ、ゲームの話をしただけなの。あんな子どものおもちゃ、ねだるつもりなんてなかった」

「じゃあこの物件のこと、教えたのは、やっぱり冨樫さんなんだね?」

「待て待て。ゲームってなんの話だよ。『物件』って?」

 池脇は前のめりになって聞いた。

「池脇君、ゲームとかしないの?」スマホをいじりながら、本村は言った。

「するけど」池脇は小さく答えた。

「『カレン』『家』『人形』といえば?」

「だから、うちが冨樫の父さんにあげたドールハウスのことだろ?」

「じゃあ、『カレン』『家』『ゲーム』といえば?」

 本村は問いかけた。たった一語、単語をすり替えられただけで、池脇にはまったく答えの導きだせない難問となった。本村はスマホの画面を池脇に見せた。そこには、ピンク色の屋根をした豪邸のグラフィックが表示されていた。

「なんだよこれ」

「『トンプソン・ヒルズ』。今人気の箱庭ゲー。このゲームに、『カレン』っていう名前のキャラクターが出てくるんだ。おんなじ名前だけど、カレンドールとは一切関係ないよ。ブロンドのストレートヘアで、人形のカレンよりは、クールビューティーって感じ。そのカレンがゲームの中でデフォルトで住んでるのが、このピンクの大豪邸なんだけど、これね、ある条件を満たすと、カレンが家を売りに出して、プレイヤーがその物件を買うことができるんだ。でも、それがすげえ高額だから、すぐに手に入れたいときは、課金するか、ゲーム内のローンを組まなきゃならない。で、ローンを組むには、ランクの高い仕事に就かなきゃいけなくて、ランクの高い仕事に就くには、強力なコネを作らなきゃいけなくて、強力なコネを作るには————とにかく、結構小忙しいゲームなんだけど、冨樫さんのお父さんは冨樫さんとなんらかのやり取りをして、この物件のことを知ったと思われる」

 本村は綾子の方を見た。綾子は小さく頷いた。「うちのパパ、ハウスメーカーに勤めてたの。いつだったか、『家を売るのは大変なんだ』って、ぼやいてたことがあって……。それで私、カレンの物件の売値を見せて、冗談のつもりで、言ったの。『家を買う方だって大変なんだ』って」

「割と単純な家族愛の話だよ、池脇君」本村はあっけらかんと言った。

「は?」

「冨樫さんのお父さんが、ドールハウスを引き取った理由。冨樫さんがピンクの屋根のかわいい家を、本気で欲しがってると勘違いしたか、冨樫さんの冗談に応えるつもりだったのかは、今となっては分からないけど、それを手に入れて、冨樫さんの誕生日にプレゼントするつもりだったんだと思うよ。あの、ドールハウスのことを知ったとき、冨樫さんも薄々そう思ったんじゃない?」

 綾子はこくこくと頷いた。

「真っ先に、ゲームのことが浮かんで————。でも、それが分かったところでなんの解決にもならないでしょ? あのドールハウスと、パパが殺されたこととは、なんの関係もないんだから」

「関係ないって、どうして言い切れるの?」

 本村が言うと、綾子ははっとして口をつぐんだ。本村は、綾子に引けを取らない凛々しい瞳をそらさなかった。「お母さんのことが、嫌い?」

 綾子は顔をうつむけた。本村はオレンジジュースを飲んだ。

「万引きの、理由ってさ」

 本村は言った。「お金がないからっていうのもそうだけど、同じものを何度も盗むコレクタータイプって、それとはちがうと思うんだ」

 綾子は眉間にしわを寄せ、うつむいていた。憤りの中に、悲痛が走っているのが、池脇には分かった。

 綾子は真っ赤なバイクでもない、店員の奇抜なサングラスでもないどこかへ視線を向けると、言った。「あいつ、パパの部下と不倫してたの」

「お父さんの部下って、後藤って人?」本村は聞いた。

「なんで知ってるの……」

 綾子は驚きとともに顔をしかめた。うっとうしいハエと思われてしまうな、と、本村は気楽に思った。

「冨樫さんが後藤さんのこと嫌いだって、冨樫さんのお母さんが遠回しに言ってたよ。冨樫さんのお母さん、冨樫さんのこと、ちゃんと気にかけてるみたいだよ」

 本村は言った。綾子は根気よく恨めしそうな顔を作り直した。

「確かにパパは、束縛が激しかったかも。ママは、一日中、ずーっと家の中にいて、出かけるときはパパに前もって、何時に、誰と、どこへ行って何をするとか、事細かに説明しなきゃならない。後藤は顔はいい方だし、パパとちがってラフな感じの人だから、ママが惹かれる気持ちも、なんとなくは分かる気がする。けど、そんなの、不倫していい理由にならないじゃない」

「待ってよ。それって、冨樫さんの誤解ってことはないの?」

 本村が言うと、綾子は伏せていたスマホを操作して見せた。カシマのバッグをさげた綾子の母と、すらりとした背格好の男が、並んで歩く写真が映っていた。

「行き先は、宮の城みやのしろ公園こうえんの横のマンション。あとから、それが後藤の住むマンションだって知った。私、最近宮の城にはよく来るの。そのあとも何度も見た。ママが、後藤のマンションに入ってくとこ。ママか、後藤か、それか二人でパパを殺したに決まってる。でなきゃ、パパが殺される理由なんて、分からないもん。パパが死んで、次は私が邪魔者でしょ? もう、怖くていられないでしょ、あんな家」

 綾子は、気を落ち着かせるようにアイスティーを飲んでまばたきをした。

「事件のあった日、冨樫さんはずっと家にいなかったんだよね?」

「そう。あの日はパパが、午後から家で仕事の大事な打ち合わせをするからよそへ行ってくれって。私は最初からそのつもりだったから、朝早くに家を出たけど、ママがいつ出てったのかは、知らない。午後になって、ママから、すぐ家に帰るようにって連絡があって。しばらく無視してたけど、あまりにもしつこいから渋々帰った。そしたらパパが死んだって————」

「凶器のハサミは、冨樫さんが盗んだものなの?」

「ちがう。家にあったのでもない。警察にだって、そう言ったのに————」

 綾子は苛立ちを滲ませた。

「人形を持ち出したのは、冨樫さん?」

「え?」怪訝な顔で、綾子は本村を見た。

「ドールハウスと一緒に入ってた、付属の着せ替え人形。抜き取ったのは、冨樫さん?」

「ううん、私じゃない。入ってたことすら、知らなかった、けど……。それがなくなったの?」

「どうかな。手違いで、最初から入ってなかっただけかも」

「ふうん。ママが、どっかにやったんじゃないの?」

 綾子は、少しほうけたようすでアイスティーを飲んだ。本村は顔の筋肉を伸ばしたり、縮めたりしながら、考えをめぐらせ始めた。変顔の本村にかまわず、綾子は言った。

「うちのママって、かわいいの。お人形さんみたい。どこへ行ってもちやほやされて、パパが家に閉じ込めておきたかった気持ちも、なんとなく分かる気がする。私、かわいいママが好きだった。でももう無理なの。あいつが清楚な服を着て、部屋を綺麗に掃除して、見映えも完璧な料理を作って、可愛いお人形さんの顔で、私のことを慰めようとするたびに、イライラするの。なんなのこのぶりっ子。いつまでかわいくて完璧なママを演じてるの? さっさと本性出してあの男のところへ行けば? この人殺し————!って……」

 陽気なイラストラに、綾子の激しい嫌悪が響いた。

 客や、奇抜なサングラスの店員たちが、一斉に本村たちのテーブルの方を見た。綾子の大きな瞳は、涙をこぼすのをこらえていた。

 あざといほどに感情を盛り立てるキラキラのサウンドが、誰の気持ちも推し量らずに流れている。

「もういいだろ」

 隣のテーブルから、池脇は言った。

 本村は、次に口を開けば泣きじゃくってしまいそうな綾子を見つめた。

「うん。もういいよ、冨樫さん。ありがとう。ごめんなさい」

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