5
「どうぞ」
リビングのソファに、本村と池脇はメイリスを間にはさんで座った。花柄のガラスのテーブルに、綾子の母はブルーベリーののったヨーグルトタルトと、紅茶を用意した。
ティーカップを並べながら、綾子の母はメイリスを見て微笑んだ。
「二人は、綾子の中学のお友だちなのかしら?」ソファに腰かけ紅茶を口にすると、綾子の母はたずねた。
「いえ。僕らは
「そう。綾子に、五月中のお友だちがいたなんて」
「僕らの共通の友だちが、久留美の子なんですよ」さも快活そうに、本村は話した。「あの、このケーキって、おばさんの手作りですか?」
「ええ。やっぱり、分かるかしら?」少し不安げに、綾子の母は聞いた。
「あ、いえ、透明の紙がついてないから、そうかなって」
「お菓子作りなんて、したことなかったのよ。でも、今年から、ちょっと始めてみようかなって。今はそれがよかったと思ってるの。お菓子作りって、繊細な作業なのよ。やってると、気がまぎれるから————」
数日間の気疲れを打ち消すように、綾子の母はこくりと紅茶を飲んでまばたきをした。
「へえ。僕の妹も、一時期ハマってましたよ。レシピサイトとか見まくって。今はもう飽きちゃったみたいですけど」
「ふふ。私のはね、一応、オリジナルのレシピなのよ」いたずらっぽく、綾子の母は微笑んだ。「お口に合うかしら」
「おいしいです。でも僕は、もう少し固めの方が好きですね。甘さは丁度いいですけど、レモンの風味が強すぎるかなって思います。タルト生地はザクザクなのもいいですけど、もう少ししっとりしていてもいいかなって。あ、あくまで僕の好みですけど」
「ちょ、ちょっと待って」
綾子の母は慌ててキッチンへ向かうと、『KASHIMA』と書かれたキャンバス地のトートバッグを抱えて戻り、中からノートとペンを取り出した。それから、繰り返し本村が言うことを、事細かにそれに書き込んだ。
「あなたは?」
綾子の母は池脇を見て言った。
池脇はごくりとタルトを呑み込んだ。「あ、はい。うまいっす」
「カシマって、『洗えるレザー』で有名な革靴ブランドですよね?」本村はたずねた。「キャンバストートも売ってるんですね」
「そうなの。底とか、持ち手がね」
綾子の母はトートバッグを持ち上げた。「その、洗えるレザーでできてるのよ」
洗濯機で丸洗いしちゃうのよと、綾子の母は語った。
「あの、見させていただいたドールハウスのことなんですけど」ブルーベリーをフォークに刺し連ねながら、本村はたずねた。
「なあに?」紅茶を飲み、綾子の母は小さな顔を揺らした。
一粒のブルーベリーが、刺し損じられ、フォークが無作法な音を立てて、皿の上を突いた。「中の人形って、どうしたんですか?」
綾子の母はかしげた小首を固まらせた。本村は言った。
「あれ、結構レアなんで、一度でいいから見てみたいと思って。もう誰かにあげちゃったんですか? それとも、警察の人が持っていったとか?」
「ええ……どうだったかしら?」
綾子の母はティーカップを膝に置き、さすりだした。「警察の方が中を確認してたのは、知ってるんだけど……。私、あの時は動転していて、よく覚えていなくって……。でもあのおもちゃ、中古品らしいのよ。もしかしたら、最初からそのお人形も、入ってなかったのかもしれないわ」
「そうなんですか。すみません、いろいろと、思い出させて」
本村はそう言って、ブルーベリーを口にした。「綾子ちゃん、今日はどちらへ行かれたんですか? 会いたいんですけど、連絡がつかなくて」
「さあ。何も言っていかなかったから————」
綾子の母の、愛らしい人形の顔が、ふと陰りを見せた。
「佐藤君、鈴木君————」
「はい」
本村は答えた。池脇は、自分が『鈴木』だということを思い出し、顔を上げた。
「うちの綾子、何か悩みでもあるのかしら?」
二人は同時に、タルトをつつく手をとめた。
「もちろん、父親が死んでショックなのは、分かるんだけど————。それよりも前から、ちょっとようすがおかしくて。今日もいったい、誰と、どこにいるのか分からないし。私とほとんど口も利いてくれないのよ」
二人は、綾子が万引きしたハサミのことを思った。
「やっぱり、そうなんですか」
本村は言った。「綾子ちゃん、最近、元気がなくて。心配していた矢先に、事件が起きて。今日、僕らがここへ来たのは、そのことについておばさんに相談したかったからっていうのも、あるんです。何か力になれないかなって。綾子ちゃん、いつからそんなようすなんですか?」
「今年の初めは、元気だったのよ」うつうつと思い返しながら、綾子の母は言った。「宮の城にかわいいカフェがオープンしたって。今、おしゃれな子たちの間では、雛町より宮の城の方が人気なんだって、楽しそうに話してたわ。でもそのすぐあとね。なんだか、態度がそっけないっていうか。私のこと、露骨に無視してるときもあったわ。亡くなった主人の前では、いつも通りだったけど————」
「そうなった原因に、何か心当たりは?」
「いいえ。最初は、受験のストレスかしらって思ったんだけど。合格が決まってからも、相変わらずで————」
「そうですか。僕らも、おばさんに聞けば何か分かるかもって、思ったんですが————」
「おしゃれな子たちの間では、雛町より宮の城の方が人気なんだって。知ってた?」
住宅見学を終えて冨樫邸から出てくると、本村は門の前でスマホをいじりながら言った。
「知らね。おしゃれの定義も知らね」池脇はしゃがみ込み、疲れきったようすで言った。
「池脇君、亡くなった冨樫さんが話してたっていう、冨樫綾子がよく行く店の名前、覚えてる?」
「覚えてねえよ。んなもん」
「だよね」
本村はスマホに向かって唱えた。「ここ半年以内に岩月市宮の城にオープンしたおしゃれな子たちに人気のかわいいカフェ」
一瞬にして、スマホの画面に、幾件もの店の名前と画像が表示された。
「————今度は何見学だよ」池脇は倦怠感を吐き出しながら言った。
「なくなった人形のこと、冨樫綾子に聞けば、何か分かるんじゃないかと思って」
「あの人形がどれだけレアなのか知らねえけど、もういいだろ、どうでも。顔なんてどれも一緒なんだし————」
言ってすぐに、池脇は反論を模索した。本村なら、『一体ずつ微妙に睫毛の長さがちがう』だの、『付属品は通常バージョンと比べて身長が三ミリ高い』だのと、淡々と語りうることに気がついた。
「え? 僕は人形なんて別にいいよ、どうでも」
池脇は顔を上げ、険しい目つきをさらに白く細めて本村を見た。
「僕が見たいのは服だけだよ。カレンドール唯一の、『おうちのなかでもおしゃれなの』をテーマにしたラウンドネックのイージーセットアップ。池脇君の方こそ、自分が冨樫綾子に会って何か話すつもりだったんでしょ? まだ叶ってないんだから、会いに行けば?」
「あの時と今とじゃ、状況がちがうだろ」池脇はしゃがんだままうなだれた。
「空気読める人は最初から連絡先も知らない人の家にアポなしで訪問したりしないんだよ」
スマホを見つめたまま、頭高い姿勢で本村は言った。頭に咲いた花が、風にそよいでいる。
苛が立った。と同時に、隣に立つ男以上に自分の頭を掻き乱したいほど、池脇は羞恥におそわれた。
図星だった。その時は、何もかもが見えていた。自分だけが理解を示している気がしたのだ。
ただ、彼女のためという、浮かれきった善意があった。そこへ向かうプロセスは一手で、法も策も講じなかった。知りつくした住宅街を歩く姿は、さぞ軽快だったにちがいない。
下から見上げる池脇は、不服ながらも口を閉じていた。
本村はスマホの画面を池脇に向けた。
「まずは『
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます