第3話 名前はポカポカするんです

 少女が嫁(仮)になったところでちょうど料理が出来上がったので、一緒に夕飯を食べることになった。


「うわぁ…!いい匂いです!」


 野生のモンスターなうえに、今まで閉じ込められていたという彼女の事だ。きっと料理自体が初めてだったのだろう。その事を裏付けるように、少女の瞳はキラキラしていた。

 ドラゴン少女の歓迎会…と言うには料理が乏しいが、雰囲気だけはそのようなモノになっている。目の前にはトマトとチーズのスープと、安くて少し硬いパンが一人一個ずつ。

 涎を垂らしながらまだかまだかと待ち遠しく耐える彼女を見つつ、俺は食事の作法を教えるために両手を合わせて見せた。案の定、少女からは疑問の表情が伺えた。


「レイさん、それは?」

「これは食事の前の挨拶だよ。こうやって両手を合わせて『いただきます』って言うんだ」

「…面倒臭い作法ですね」


 さすが野生児。食材への感謝なんて微塵もありはしない。


「なんでそんな事するんですか?食べられてるって事は、弱肉強食の戦争に負けたって事ですよね?そんな奴にお祈りみたいな事はしないで、さっさと食べちゃいましょうよ」

「いや、うん…そう言っちゃうとそうなんだけどさ…。そうだな…例えばこのスープに使われているチーズ。これの主材料は牛の乳だ。元々その牛の子供にあげるものだった物を、人が奪ってしまった。どう?少し申し訳なくなったりは…」

「しません。そもそも、家畜って人から餌を貰っているじゃないですか。その時点で野生のプライドを捨てた下種です。牛の子供だって人の手で育てられていますし」

「うーん…手厳しい…」


 淡々と語る少女に、俺は頭を悩ませた。別視点から見れば今の状況も、人がドラゴンに餌を与えているように見えなくはない。細かい事は気にしない事にしよう。


「なんか良い例えはないかなー。…あっ、じゃあさ、君がもし俺を食べたらどんな気持ちになる?」

「そ、そんな事しません!」

「お、おう…分かったから落ち着いて…」


 その場で勢いよく立ち上がって叫んだ彼女を、俺は何とか宥める。

 落ち着きを取り戻した彼女は寂しげな口調で言ってきた。


「レイさんを殺すなんて絶対ありえません。仮にそれが生きるためだとしても、私には出来ません…」

「…うん、ありがと。食事前にする話じゃなかったね。でも、出来れば今は人の風習に合わせてくれると嬉しいかな。君には、人の事をたくさん知って欲しいから」

「…レイさんが言うなら」


 渋々と言った様子だが、彼女は受け入れてくれたようだ。

 少女は俺に合わせて手を合わせた後、『ぎゅるう〜』とお腹の音を一度鳴らした。


「じゃあ、いただきます」

「…いただきます」


 未だ理解が出来ていないのか、モヤっとした様子が残っている彼女だった。

 しかし、スープを一口飲んだ瞬間、そこら辺の事情が吹っ飛んだかの様に彼女の周りに花が咲く。

 どうやら彼女の口に合ったようだ。とても美味しそうに食べている。


「レイさん、凄く美味しいです!」

「それは良かった」


 休む暇など無いとでも言いたげに、少女はスープとパンを平らげていく。

 そんな彼女を見ていると、不意に料理の作りがいと言う言葉が頭を過ぎる。俺がこの町に来た頃、カンナが俺に料理を振舞ってくれては言っていた言葉だ。あの時は理解出来なかったが、今なら何となく分かる。

 料理は、人に食べて貰って初めてその楽しさを知ることが出来るのだ。それを彼女を通じて知ることが出来た。

 そんな大切なことを教えてくれた少女に、俺はお礼を言って…


「ありがとな─」


 名前を呼ぼうとしたが、今の彼女には名前が無い事を思い出す。


「…?レイさん、どうしたんですか?」


 いきなりお礼を言われて戸惑う彼女を見ながら、俺は頭を捻る。

 名付けなんてメーさん以来だ。白銀竜だから『しろ』か『ギン』とかは…。いや、これでは安直すぎだ。もっとこの少女らしい言葉で名前を付けたい。


「レイさーん…起きてますかー?おーい」


 俺の目の前で手の平をぶんぶんと振りながら、意識の有無を確認していた。しっかり起きていると言う事を伝えるため一度彼女の頭を撫でる。その表情はとても嬉しそうだった。

 ムニッとした柔らかそうで緩みきった笑顔が、俺の視界を支配する。やはり彼女の魅力は、なんと言ってもこの笑顔─


「…ああ、そっか」

「ふぇ?」


 この娘のトレードマークは笑顔だ。だったら、それを汲んで名前にすれば良い。だとしたら、どんな名前が良いだろうか。スマイルの『スー』か、緩んでるから『ゆう』か…


「…いっその事そのままムニでも…いや、無しだな。でも、響きはちょっと良い」

「あの、レイさん?さっきから何を悩んで…」


 ムニというワードに、先程の没案を織り交ぜてみる。『スー厶』に『ムウ』に『ニユ』…単純だけど、ひっくり返して『ニム』でも…『ニム』…でも─


「あ、良い…」


 体に雷が落ちたようだった。


「レイさん…一人納得してないで私にも…」


 話に入れず不機嫌そうにしている少女。そんな彼女に、先程決めた名を与える。


「─ニムだ」


 俺がそう言うと、「…へ?」と素っ頓狂な声を出しながら、少女はポカンとした。


「これからは君のこと、『ニム』って呼びたいんだけど…良いかな?」

「!」


 少女は驚いた様子で目を見開いた後、俯いてふるふると震え出す。もしかして名前が嫌だったのだろうか。

 なんて言う不安に駆られていると、突然少女が顔をあげる。その目にはいっぱいに溜まった涙が…


「な、泣くほど嫌だったか…その…ごめん…」

「違います…嬉しいんです…。今まで名前なんて無いのが当たり前だったのに…何故か、レイさんに名前を貰ったのが凄く嬉しいんです…。凄く…ポカポカするんです…」

「そ、そっか…良かった」


 大事な物を守るように、ニムは自分の胸の前でギュッと両手を抱きしめていた。そして、堪えきれかったのか、純水のように濁りない雫がニムの瞳から溢れ出る。

 そんなニムの頭をまた撫でて、俺は優しく微笑んだ。


「これからよろしくな。ニム」

「はい…レイさん」


 ドラゴン少女の名前が決まった。

 明日、カンナに紹介しよう。

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