第9話:知らぬがホトケ

「年頃の男女がいちゃつくのは構わん。だがせめて、娘の親の前で乳くりあうのはやめてくれ……。死にたくなるからな!?」


 医務室では説教がおこなわれていた。アキヅキ=シュレインとシャクマ=ノブモリは医務室の床の上で正座をさせられている。そのアキヅキは顔から火が噴きだしそうになるほどに顔を真っ赤に染めて、下を向いていた。


 しかしながら、シャクマは右手を後頭部に当てて、いやあ、姫が可愛くて可愛くて仕方なくて、あははっ! と笑うものだから、アキヅキの顔はゆでだこのようにますます赤くなっていく。


 そんな朗らかに笑うシャクマをどうしても憎み切れないカゲツ=シュレインであった。シャクマの懐の深さは相当なモノであった。見た目30歳前半だというのに、何故にここまでヒトとして出来上がっているのか? カゲツには不思議でたまらない。まるで自分よりも10歳以上、年上なのではないのだろうか? とさえ思えてくる。


「あー。自分から話の腰を折るようで悪いが。シャクマ殿はいったい、何歳なのだね?」


「うーーーん。S.N.O.Jが言うには齢30のニンゲンの身体を、俺のために用意してくれたって話なんだけどな? 実際のところはよくわからん」


 よくわからんと言われて、こっちのほうがわからんわ! とツッコミを入れたいカゲツであるが、いちいちツッコミを入れていてはらちが明かぬと判断し、話の続きをするのであった。


 シャクマが言うには、こちらの世界にやってくる前は50も半ばを過ぎた老人であったこと。まあ、老人と言ってもシャクマが元居た世界の基準である。ポメラニア帝国では短命種族であるニンゲン相手でも60を半ば越えた相手くらいにしか老人呼ばわりしない。


 種族により、老人と呼べる年齢はそれぞれ違うのだが、ニンゲン基準であれば、シャクマが見た目30代に見えるのに、まるで老練な男である理由が判明した形となる。


「なるほど。うちの娘が10も離れた青年に心奪われる理由が少しわかった気がする。自分の教育が間違っていたということだな」


 カゲツは娘の前ではいつでも威厳を保とうと努めてきた。その甲斐もあってか、娘は父親大好きエルフへと育ってくれた。しかし、それが仇になるなど、カゲツには想像もしなかったのである。


「お、お父さま。お言葉ですが、わたしはシャクマに対して、やましい気持ちはありませんっ!」


 アキヅキが慌てふためきながら、必死に父親に対して弁明する。しかしだ、返す刀でカゲツが娘にツッコミを入れていしまう。


「娘よ……。やましい気持ちが無い相手に、自分の唇を差し出すような真似はやめなさい……」


「ははっ! こりゃ1本取られたなっ!」


 朗らかに笑うシャクマにギロリッと鋭い視線を飛ばすカゲツである。だが、シャクマはそんなカゲツの脅しともとれるような視線も通用せず、まるでカエルの面に水が如くにケロリとした表情であった。


(ダメだ……。普通なら子爵である自分が睨みを利かせれば、ほとんどの者は委縮するというのに、この男にはまったく通用しないっ!!)


 カゲツは歯がみするが、顎に力を入れてしまったために、背中の傷がズキンッ! と、鋭くうずいてしまうことになる。ウギギッ! と声にならぬ悲鳴を上げて、カゲツはベッドにその身を預けてしまうことになる。


「はあはあ……。シャクマ殿。確かに娘のことを頼むと言ったが、娘をもらってほしいと言ったつもりは無いからな!?」


 カゲツは痛む背中のせいで油汗を額からだらだらと流しながらも、シャクマに釘を刺す。だが、刺した釘をそのまま飲み込んでしまいそうなシャクマの雰囲気に、カゲツはやきもきとしてしまう。


 あとでこっそりニコラス=ゲージにシャクマを闇討ちするように指令を出しておこうとさえ思うのであるが、逆にニコラスが返り討ちに会いそうなイメージしか思い浮かばないカゲツであった。


 カゲツは、はあああと深いため息をつく。そして、その後


「アキヅキ。惹かれ合う男女が唇をついばみ合うのは、眼を瞑ろう。だが、妊娠してしまったので結婚するしかありませんとかいう報告だけはやめてくれっ! シャクマ殿もそんなことにならないように自重してほしいっ。うぐっ!!」


 カゲツはそこまで言うと、背中を走る激痛により、気絶してしまう。アキヅキは慌てふためきながら


「ちょちょちょ、ちょっと!? いきなり何を言っているのお父さま!? って、なんできりよく気絶してるんです!?」


 と父親の身体を両手で揺さぶるのであるが、当の本人は彼女に反応することはなかったのであった。


 そんな医務室の騒動が終わり、夜は更けていく。釘を散々に刺されてしまったアキヅキとシャクマは、大人しくそれぞれの自室へと帰っていく。だが、シャクマが自室のドアを開け、部屋の中にあるベッドの上に飛び乗り、眠ろうとした時であった。


 彼の寝室のドアを控えめにコンコンッと叩く者が居た。シャクマは何だなんだとベッドの上から起き上がり、ドアの前に立ち、ガチャリとドアノブを回して、ドアを開く。


 そこにはフラン=パーンが寝巻姿で立っていた。そして、彼女はそのままの姿でシャクマに抱き着く。


「シャクマさまは、アキヅキちゃんのことが好きニャ? フランちゃんはシャクマのことが好きニャ! アキヅキちゃんには渡したくないニャ!」


 フランは医務室でのアキヅキとシャクマたちをこっそり覗き見していたのである。本当なら、フラン自身もアキヅキと共にシャクマの怪我の治療を行おうと思っていた。だが、アキヅキが相当に落ち込んでおり、さらにはシャクマがそのアキヅキにキスをしてしまった。


 茫然自失となってしまったフランは医務室の中に入ることが出来ず、一部始終を医務室の出入り口で見ていることしか出来なかったのである。


 シャクマの胸に顔を押し付けるフランの眼には涙が貯まっていた。自分の大事な親友が好きになったであろう男をフラン自身も好きになってしまった。それをアキヅキ本人には言えずじまいのフランであった。


 そして、医務室でのあの騒動だ。フランは悔しかった。フランの眼からはアキヅキは欲しいモノなら何でも手に入れることが出来る、恵まれた女性のように彼女の眼には映った。


 剣の才能を持ち、それが認められて騎士となった。そして、アキヅキを心底大事に思う両親が居る。飢えに心配することもない家柄だ。そんなアキヅキに対して、フランはシャクマと言う男を介して、嫉妬心が爆発したのであった。

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