第8話:嘆き

「シャクマ。すまない……。憎まれ役を買ってくれて……」


「ああ、良いってことよ。つつ……。あいつ、思いっきり殴り返してきやがったな」


 今、アキヅキ=シュレインとシャクマ=ノブモリは本丸の医務室にやってきていた。ニコラス=ゲージとシャクマはあのあと、取っ組み合いの大喧嘩となり、蹴るわ殴るわと、さらには今まで溜まっていた不満をニコラスがまるで子供のように喚き散らしたのであった。


 しかし、途中からシャクマはニコラスからの攻撃を受けるのみとなっていた。最終的にはニコラスの攻撃を捌くことすらやめて、一方的に殴られることになる、シャクマは。


 ニコラスは殴り疲れてきたところで、はっ! と気づくことになる。彼は段々と頭に昇っていた熱が冷めていき、ようやく自分が一方的にシャクマの身体に拳をめりこませていることに気付いたのであった。


「ニコラスは立ち上がれるのかな?」


「大丈夫だろ。お前さんが隊長代理として選んだ男だろ? 信じてやれ……。って、いてて!」


 消毒液がふんだんに含まれた脱脂綿をアキヅキはシャクマの腫れあがったほっぺたやおでこにお押し付けていた。シャクマは、いてて、いててと言いながら、手荒なアキヅキの治療を受けるのであった。


 そんな痛がるシャクマに対して、アキヅキはぼそりと


「ばか……」


「ん? 何か言ったか?」


「バカだって言ったのよ」


 アキヅキにはわかっていた。もし、奇襲が成功して、無事にニコラス隊の面々が戻ってきたところで、命令違反として彼らを罰しなければならなかった。そうなれば彼らは不満を大爆発させて、ゼーガン砦内で暴れ回ったであろう。


 こう言っては何だが、彼らの処罰をショウド国軍が代わりにおこなってくれた形となってしまった。アキヅキであれば、彼らの不満の声に押されて、無罪放免と言い出していたかもしれない。


 しかしながら、そもそもとして、ニコラスはアキヅキでは厳しい対処は出来ないだろうということで、ニコラス隊の面々が奇襲を訴えていたことをアキヅキには告げていなかったのだ。それが完全に裏目に出たことにより、ニコラスは自分をおおいに責めたのであった。


「ニコラスにもつらい判断をさせてしまったみたいね」


 アキヅキの治療の手がやがて止まってしまう。シャクマはそんなアキヅキを見て、ふむとひとつ息を吐き、次の瞬間にはアキヅキの唇を自分の唇で塞ぐ形となるのであった。


(ん!? んーーー!?)


 突然、キスをされたアキヅキは、自分の身に何が起きたか理解が遅れてしまう。アキヅキは眼を白黒させたまま、シャクマに自分の唇を良いように扱われてしまう。


(んーーー!? んんんーーー!?)


 1分後、ようやく唇の自由を返してもらったアキヅキはプハアハア! と大きく息を吸い込むことになる。


「ん? 接吻せっぷんは初めてだったのか? ずっと息を止めてたってか、はははっ」


「ちょちょちょ、ちょっと! いきなり何をするのよっ!」


 アキヅキが耳まで真っ赤に染めて、今まさに顔から火が噴かんとばかりになっていた。それでもだ、いきなり自分のファーストキスを奪った相手に猛然と抗議をするのであった。


 そもそもアキヅキが一番納得できないのは、シャクマがキスに慣れていることである。自分のファーストキスを奪っておきながら、余裕しゃくしゃくの眼の前の男を消毒液がタプタプと入っている金属製のボウルでぶん殴ってやりたい気持ちでいっぱいであったのだ。


「いたたっ! いたたっ! おい、何を怒ってやがんだっ!」


 アキヅキはプクウとほっぺたを膨らませたまま、せめてもの仕返しとばかりに、腫れあがったシャクマのほっぺたに脱脂綿をグリグリと押し付けるのであった。シャクマは相変わらず、苦虫を潰したような顔でアキヅキの猛攻を受け止めている。


 いつの間にか、アキヅキは怒りがどこかに吹き飛んでしまった。痛がるシャクマを見ていると、なんだかシャクマをいじめたくなってしまう気分のほうが勝ってきているのであった。


 えいえいとアキヅキがシャクマの顔に脱脂綿を押し付けていると、シャクマが尻を椅子からずらして、ベッドの上に落ち着け、さらにはベッドの上に背中側から倒れこんだのである。それを無意識に追いかけていたアキヅキは前のめりとなって、シャクマの広く分厚い胸に顔をうずめる形となる。


 慌てたアキヅキは急いで身体を起こそうと両腕に力を入れるが、時すでに遅し。シャクマはアキヅキの腰に両腕を回し、抱え込む形となったのである。そして、さらにシャクマの腕の中から逃げることが出来なくなり慌てふためくアキヅキの後頭部を右手でグイっと掴む。


 そして、再び、アキヅキの顔を自分の胸にうずめさせる。そして、右手でポンポンとアキヅキの頭を優しく叩き、よしよしとその柔らかい金髪を撫でる。


「もし、奇襲に向かった奴らが無事に戻ってきてた時は、俺が姫の補佐として、あいつらに処罰を下してたんだ。姫は気にするな」


 アキヅキは一瞬だけ眼を剥くが、こわばった身体の力を抜いて、自分の体重をシャクマに預ける。


「うん。ありがと……」


 アキヅキは何だか救われたような気がした。父親から司令官代理という責務を突然任せられて、それからずっと気が張り続けてきていた気がしていた。しかし、シャクマが自分の近くに居てくれている時だけは、なんだかいつも通りの自分でいられる気がしていたので、今まで耐えてこれた。


 アキヅキが少しだけ身をよじり、シャクマの顔に自分の顔を近づけて行く。そして、そっと眼を閉じ、顎を上げ、唇を突き出す形にしていく。


「ごほん、ごほん! あーあー! 背中が痛い、痛いなあ!?」


 突然、医務室の一角からシャクマ以外の男の声が聞こえたのである。アキヅキは『うひゃい!?』と声にならぬ声をあげることになる。


「あー。お父さん。娘が誰ともしれぬ男と乳くりあっているのを見せつけられるのは、死にたいくらいにつらいなぁあああ!?」


 そう悲痛な叫びを上げるのは、カゲツ=シュレインであった。カゲツはショウド国軍の最初の襲撃で蒼き虎に重傷を負わされた。それからずっと、この医務室のあるじと化してしまったのだ。


 そんな掻き毟るような背中の痛みに苦しむ中、やっと眠りにつけたと思った矢先に、娘と鎧武者モノノフが医務室やってきて、いちゃいちゃしだしたのであった。こんな生き地獄を味わうくらいなら、いっそ、蒼き虎に殺されていれば良かったとすら思ってしまうカゲツ=シュレインであった……。

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