第1話:燃えるゼーガン砦
風が焦げ付くような匂いを運んできていた。見慣れぬ甲冑姿の男はクンクンッと鼻を鳴らし、敏感にその匂いを察知したのである。アキヅキはその男の仕草を見て、こいつは何をしているのよ? と訝しむだけであった。
怪訝な表情のアキヅキを無視するかのように、甲冑姿の男はズカズカと歩いて、アキヅキに近づき、あろうことか、アキヅキがまるで羽のように軽いかのように、彼女をお姫様抱っこしてしまうのであった。
「ちょ、ちょっと!?」
抱え上げられたアキヅキは眼を白黒させてしまう。童話に出てくるお姫様よろしく、殿方にこんな風に扱われたことなど、アキヅキは生まれて初めての経験であった。ヒトの命など銅貨1枚の価値も無いとばかりに暴漢たちを殺し尽くした男が相手だとしても、恥ずかしさの余りにアキヅキは顔から火が出そうになる。
「や、やめてっ! おろしてっ!」
「おい、暴れるなってんだよっ!」
アキヅキが男の腕の中で暴れて、その拘束から逃げ出そうとした時であった。大きな轟音がゼーガン砦全体に鳴り響く。それだけでは無い。同時に砦内のところどころで火の手が上がったのだ。轟音と業火が瞬く間にゼーガン砦内に広がっていくのであった。
「あちゃーーー。間に合わなかったか……」
耳をつんざくような爆音にアキヅキは思わず、ひっ! と悲鳴を上げてしまう。そして、つい、両手で耳を塞ぐことになる。
「何やってやがんだ! 耳を塞ぐよりも俺の首に両腕を回しやがれっ! 振り落としちまうぞ!」
爆音に包まれる中、何故か、アキヅキには自分を抱え込む男の怒鳴り声がはっきりと聞こえるのであった。アキヅキは泣きそうになりながら、男に言われるままに彼の首に自分の両腕を回す。そして、アキヅキは眼を必死に閉じて、早くこの轟音が止むことを祈るばかりであった。
その後、甲冑姿の男は未だ火が回っていない区画にアキヅキを抱えたまま走っていくのであった……。
ゼーガン砦に火の手が上がってから1時間が経とうとしていた。その1時間はまさに生き地獄であった。
どこからともなく炎で出来た虎たちがゼーガン砦内に侵入し、布で出来たテント群はこの虎たちに襲われて、天を衝くような火柱と成り果て、瞬く間に灰と化していく。テント内で食料や武具の管理をしていた兵士たちは次々と火だるまになり、地面にその身を擦りつけて、必死に火を消そうとする。
次に砦内に現れたのは銀色の体毛を持つ虎の群れであった。その銀色の虎が目標にしたのは火だるまと化した兵士たちであった。獰猛にかつ俊敏に火だるまの兵士たちの喉笛に銀色の虎がその顎を大きく開いて、噛みついていく。
その凄惨な現場を見た兵士たちに恐怖が伝播していく。本来なら、自分たちに襲い掛かる赤と銀色の虎を果敢と追い払わなければならないはずなのに、兵士たちはただ慌てふためくだけで、さらには一斉に逃げ出したのである。
その逃げ惑う兵士たちに先回りして現れたのが、黒い体毛に覆われた虎の一群であった。逃げ場を失くした兵士たちはまさに【窮鼠、猫を噛む】が如くに各々が腰に佩いた
だが、
黒い虎はニヤリと不敵に笑う。そして、兵士たちが持つ鉄製の
武器を失った兵士たちは、これでは戦えぬと、またしても逃げ惑うことになる。あとは一方的な狩りの時間であった。赤、銀、黒の虎たちが縦横無尽にゼーガン砦内を暴れ回る。そして、砦内の混乱は一層に深まっていく……。
火に焼かれ塗炭の苦しみを味わう者。喉笛を喰い千切られ絶命する者。抵抗虚しく慈悲を乞い、頭から喰われる者。
誰しもがもはやこれまでかと諦めかけていた。抵抗らしい抵抗も出来ずに、ただただ、砦内で暴れる虎に喰われるのを待つ身であるのかと嘆こうとした。
だが、その時であった。砦内の中心部にある本丸から銅鑼の音が鳴り響く。その銅鑼の音と共に、本丸から飛び出す者たちがいた。
「カゲツ=シュレイン、ここに参上せりっ! この
砦の
カゲツ=シュレインが一振りするたびに、炎の虎の頭はかち割られ、銀の虎は
カゲツ=シュレインが先頭に立ち、猛然と
「サクヤ! 兵を率いて左翼に展開! アイスさまは右翼をお願いする! フラン! 負傷者の救助、並びに消火活動に当たれ!」
カゲツ=シュレインは矢継ぎ早に各人に指令を飛ばす。サクヤ=ニィキュー、フラン=パーン、アイス=ムラマサは砦内に異変が起きたと同時に指令室がある本丸へ手勢を率いて、集合していたのである。
「乾坤一擲! 日頃の訓練の成果を見せよっ!」
カゲツ=シュレインの号令と共に、ようやく反撃の
砦内で暴れていた虎たちは一匹づつ、確実にカゲツたちが直接率いる精鋭たちに仕留められていく。そして、勢いを失くした3色の虎たちは砦内の東方へと追いやられていく。
(ふぅ……。どうにか混乱はこれで収まりそうだ。しかし、これは誰の仕業なのだ? まさか、ショウド国が奇襲をしかけてきた?)
カゲツがまさかそんなことはあるまいと眼を閉じ、頭を左右に振った。まさにその一瞬の油断が彼の命取りとなる。
彼の後ろに新たな色をした虎が現出したのであった。その虎は蒼い体毛に覆われていたのであった。その蒼き虎はカゲツの後ろで、右手を大きく振り上げて、彼の右肩に向けて、鋭い爪を斜めに振り下ろす……。
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