第8話:抜き身のカタナ

「えっ? えっ? えーーー!? なんでアイス師匠がゼーガン砦に居るんです!?」


「ニャハハ……。アキヅキちゃんが驚くのも無理ないニャ。近頃、うちの兵士共がたるんでいるとかなんとかで、アキヅキちゃんのパパがアイス師匠を半年前にゼーガン砦に招いたニャ……。そのせいで、怠惰な日々とは無縁の生活をさせられているんだニャ……」


「そういうことだブヒッ! ほら、さっさと日課の【井戸からの水汲み百往復】を済ませてくるんだブヒッ!」


 アイス=ムラマサに喝を入れられたフラン=パーンとサクヤ=ニィキューは、うげえええとあからさまに嫌な顔をする。それもそうだろう。フランは御年20歳。サクヤは22歳。そろそろ良い相手を見つけて結婚しておかねば、行き遅れの烙印を押される年頃なのだ。


 出来ることなら、これ以上の筋肉を整った肢体に余分には付けたくないというのは、普通の感覚の女性なら誰しもが思うことであろう。ある程度の筋肉は体内に摂取した余分なエネルギーを消費するにはもってこいである。古今東西、プロポーションを保つためには、筋肉は必要不可欠なのだ。


 しかしだ。アイス=ムラマサが付けろと言っている筋肉は、プロポーションを保つためのモノではない。いくさのために必要な筋肉のことを指している。このいくさが無くなってから150年近く経っているポメラニア帝国において、年頃の女性にとっては、アイス=ムラマサの考えは異質そのものであった。


 しかし、師匠の言うことは絶対だと教え込まれてきた2人である。フランとサクヤはがっくりと肩を落として、力無くアキヅキ=シュレインに手を振ったあと、井戸のある方向にトボトボと歩いていくのであった。


「ははは……。相変わらず、フランとサクヤは訓練が嫌みたいね……」


「そりゃそうだブヒッ。喜んで、アタスの厳しい訓練をクソ真面目にこなしていたのは、アキヅキ、あんたさんくらいなんだブヒッ。風の噂で聞いたブヒッ。なんでも、シヴァ帝の前で剣舞を披露したと」


「あ、ああ……。アイス師匠の耳にも届いていたんですね……。お父さまが笑われているかと思って、つい頭に血が昇ったと言いますか……」


 アキヅキが顔から火が出るかのような気分であった。それほどまでに恥ずかしさの余りに、彼女の顔は真っ赤に染まっていたのであった。その表情がさぞ面白く感じたのか、アイス=ムラマサは笑いつつ、アキヅキ着込んでいる紅い鎧の左肩部分を右手でバンバン叩きながら


 「ブヒッヒッ! あんたさんらしいんだブヒッ。あんたさんの剣の腕前はヒトを魅了するには十分だという証左なんだブヒッ。あとは実際に斬ってみるだけになったブヒッ」


「実際に斬って……みる?」


 アキヅキは自分の師匠が何を言わんとしているのかがわからず、激しく心を揺さぶられることになる。怪訝な表情を浮かべるアキヅキに対して、アイス=ムラマサは顔を大空に向けて、眼を細めて言う。


「今から250年以上の昔。戦国の世センゴク・パラダイスと呼ばれた時代。ヒトは、同じヒトを喰う畜生以下に成り下がったんだブヒッ。そんな荒れ果てた時代に、刀匠たちが自分たちが作った武器の斬れ味を確かめることにやったこと……」


 アイス=ムラマサが淡々と語る畜生の所業といって差し支えの無い歴史的事実に思わず、アキヅキは両手で耳を塞ぐことになる。アキヅキ自身もわかっている。自分が剣の道を究めるために師匠から武術を教わったわけではない。そんなアキヅキの両手首をアイス=ムラマサは自分の手で掴み、強引に塞いだ耳に言葉が通るようにする。


「ヒトは簡単に畜生道へと身を落とすんだブヒッ! だが、これだけは覚えておくんだブヒッ。抜き身のカタナはヒトを傷つけることしか知らないんだブヒッ。それゆえにアキヅキ。お前は戦国の世センゴク・パラダイスの住人になる前に、お前自身を納める【鞘】を見つけることだブヒッ……」


 それだけ言うと、アイス=ムラマサはブッヒッヒ! と笑いながら、砦内のどこかへと消えていくのであった……。




 それから、アキヅキはどこをどう歩いたか記憶が定かではなかった。着込んでいる紅い鎧がやたらに重いと感じてしまう。耳を覆いたくなるほどの気分が悪くなる話をたっぷりとアキヅキはアイス=ムラマサに聞かされてしまい、精神的に疲れ切ってしまったアキヅキは布製のテントとテントの間を抜けて、路地裏とも呼ぶべきところにさまよい込んでしまったのであった。


「うひょおおお! こりゃまたベッピンさんがこんなところにやってきたんだぎゃ!」


 テントの裏では、切り株の上にボロボロのカードを並べて、賭け事に興じているナラズモノとも呼ぶべき一群がたむろしていたのである。


「ど、どうしたんだべ? ベッピンさんよ。まさか、わ、わてらと遊びたくなったんだべか?」


(うるさい連中……。ヒトが集まれば、そこには必ず堕落者が現れるって言うけど、お父さまが治めているゼーガン砦でも、それは変わりようがないのかしら……)


「おいっ。返事をするだぎゃっ! お人形さんみたいなキレイな顔をしているからといって、その侮蔑の眼差しには我慢できないんだぎゃっ!」


「お、おい、やめとくんだべ……。着ている鎧から察するに、このエルフ。騎士様だべ?」


 気の弱そうなニンゲン族の男が、気荒いこれまたニンゲン族の男を止めようとする。だが、気荒い男はさらに鼻息をフーンフーンッ! と鳴らし、周りのニンゲンたちを扇動し始めるのであった。


「けっ! 騎士様が何だって言うんだぎゃ! 裸にひんむいちまって、わいの鬼魔羅さまを突っ込みゃ、しまいにはひいひいよがるに決まっているんだべ!」


(五月蠅い……。不敬罪で斬ってしまっても良いわよね?)


 アキヅキは足を前後に開き、ゆっくりと腰を沈めていく。そして、右手を左の腰に佩いた長剣ロング・ソードに持っていこうとする。


 しかしだ。そこでアキヅキは斜め後方から腰に向かってタックルを喰らうことになる。急に後ろから衝撃を喰らってしまったために、アキヅキは態勢を大きく崩して、前のめりに倒れてしまったのであった。


「よおおおし! よくやっただぎゃ! ほら、お前ら! このお高く留まった女騎士様の鎧を剥がしてやるんだべ!!」


「くっ! やめろっ! わたしをカゲツ=シュレインの娘と知っての狼藉かっ!」


 この一言で一瞬ではあったが、ナラズモノたちの動きはぴたりと止まる。だが、それは本当にただの一瞬であった。彼らは互いの顔を見合ったあとに、コクリとひとつ頷き


「けっけっけ! あのいけ好かない子爵様の娘ってかっ! こりゃ、余計にたぎっちまうだぎゃなあああ! おら、もうびんびんになっちまっただぎゃ!」

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