ゴキブリプロポーズ

「本当に素敵なお店ね」


 彼女はシャンパングラスを持ちながら、レストランからの夜景にも負けないくらい明るい笑顔を浮かべる。


 いい雰囲気だ。少し奮発をして、高級レストランを予約した甲斐があった。


 彼女と大学で出会い3年。仕事も慣れてきて、裕福とは言えないが彼女を家庭に迎える準備がようやく出来た。


 今夜、私は彼女にプロポーズする。


 何度も作戦を練ったデートコースをつつがなく回り、最高のテンションでレストランまでたどり着いた。後はジャケットの内ポケットにしまってある紺色の指輪ケースを開いて見せるだけだ。


「き、今日は本当にありがとう!」


 つい上擦った声が出てしまい、彼女が目を丸くする。気持ちを落ち着けるため、胸に手を当て深呼吸する。


「……実は今日、君に渡したいものがあるんだ」

「それって……」


 彼女の顔に、驚きと期待が入り混じった顔になる。いける!私はジャケットの内ポケットに手を伸ばし……静止した。


 白いテーブルクロスの上に、何やら黒いもの。五センチほどのそれから髪の毛のような触覚が動いていた。


 ゴキブリ!?


「どうかしたの?」


 話しかけられてハッと彼女をみると不安な顔でコチラを見ていた。まだ気がつかれてない!このままでは1日が台無しになってしまう!何とかしなければ!!


ダァァン!!


「きゃ!?」


 手元にあった空のシャンパングラスを急いでゴキブリに振り下ろし、閉じ込める。さらに目につかないように羽織っていたジャケットを被せた。


 突然の行動に驚く彼女に、何か言わなければならないと脳みそが勢いよく回転する。


「テ、テーブルクロス引き!練習したから見てくれないか!?」


 私は一体何を言っているのだろうか。彼女も、周囲の客もポカーンとした目で私を見ている。


「ねぇ、何を……」

「見ていてくれ!」

「ちょっと、恥ずかしいわよ。お願いだから」


 こうなったら、一か八かだ。テーブルクロス引きなどしたことはないが、勢いでゴキブリの入ったグラスとジャケットを回収するしかない。


「お客様!?」

「ちょっとどうしたのよ!焦ったら話を聞かないの、あなたの悪い癖よ!」


 彼女の叫びもスタッフの止める声も聞こえない。誤魔化すにはこれしかない!


「ダーーッ!!」


 そして私は思いっきりテーブルクロスとジャケットを引っ張った!


 突然だが、練習を繰り返した後よりも最初の一回目の方がうまく行くことはないだろうか。その最上級が、今この瞬間起こった。


 手元には、ジャケットと白いテーブルクロス。無事ゴキブリを回収したらしく、手元からはカサカサとシャンパングラスを引っ掻く音が聞こえる。


 しかし、安堵と同時に自分の行動が狂人じみていたことに今更ながら気がつき、血の気が引く。周囲の状況を見るのが怖い。


 プロポーズの失敗。考えうる最悪の展開に、私は目の前が真っ暗になった。


「……うそでしょう?本当に?」


 だが、耳に入ってきたのは彼女の感嘆とした声。違和感を覚え、顔を上げて机を確認してみる。


 どんな奇跡だろうか。テーブルクロスを取られた黒いテーブルの上には、彼女のシャンパンと食器入れ。


 そして用意していた紺色の指輪ケース。


「あなた、サプライズとか苦手な人だと思ってた!!」


 涙を流す彼女、拍手を送ってくれる店内の方々に引きつった笑いを向けながら、ジャケットの中でカサつく昆虫に少しだけ感謝するのであった。




即興小説

お題:楽しい娘

必須要素:ゴキブリ

制限時間:1時間

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