短編集
わらしべ
未来から来た老人
「実は私、未来人なんだ」
カフェの野外座席。私の前に座る、身なりのいい老人がそう言った。4〜50代だと思っていたが、どうやら痴呆が入る歳らしい。
「大学で教鞭を取っていてね、たまにタイムスリップして当時の空気感なんかを生徒に伝えているのだよ」
「タイムスリップができるなら、歴史の授業なんて必要ないのでは?」
僕がそういうと老人は笑う。
「貧乏学生にタイムマシーンに乗る資金なんてないさ!」
からかっているのか、それともボケてるのか分からない。
突然声をかけられてカフェに連れてこられた時はその勢いに乗せられてしまったが、そもそもこの老人が何者なのかもよくわかってないのだ。
「はぁ、それでは今回のタイムスリップでは何をお探しで?それとも旅行ですか?」
旅行、と聞いたとき老人は少し遠い目をした。
「いや、私もこれで100を超える歳でね。新しいことにチャレンジする気力もなく、今までできなかったことを消化するだけの人生さ」
老人はカフェに面した通りに虚無的な目線を向けた。
私はこの老人は、タチの悪い冗談好きだと確信した。どう見ても100を超える年齢ではないし、ボケているにしては言動がはっきりしている。
そうとわかれば、長時間ここに止まっても仕方がない。
「それでは、ゆっくりとこの時代をお楽しみください。僕はこれで失礼しますね」
コーヒー代を机に置こうと財布を取り出したところ、老人は手で制してきた。
「お代は私が出しておくよ。その代わりと言ってはなんだが、どうか最後に私と握手をしてはくれないか?」
「はぁ、なぜ僕と?」
訝しげに睨むと老人はニヤリと笑う。
「先ほども言ったとおり、私はこう見えても老い先短い身でね。たとえ法で禁止されていても、やりたいことはやろうと思っているのだよ」
老人はテーブルから立ち上がり、私に右手を差し出してくる。
「偉人との会話、接触は今までしたくてもできなかったんだ。人生最後の思い出作りにはちょうどいいだろう?」
「偉人?私が?」
冗談としては悪い気分はしないが、老人の期待に満ちた目はそれがまるで真実のように思わせる。
「美大に落ちて、意気消沈したあげく怪しげな老人の昼食に付き合うような私が偉人?」
ゆっくりと頷く老人を見て、戸惑いながら私も立ち上がり、差し出された右手を握る。その瞬間、老人の表情は少年のように明るくなった。
「思い出をありがとう。アドルフ・ヒトラー」
即興小説
お題:運命の独裁者
必須要素:右手
制限時間:1時間
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