第10話

「へぇ、その子が噂のイヴちゃん?」


夕食の席、俺の隣には昨日同様イヴが座っているが、俺の向かいには昨日と違い、ひとりの女性が座っている。


まあ、既にお気付きの方もいるだろうし、これまでにも何度か話題には上がっているので、説明も簡単にするけど、俺の姉さんだ。名前は昏奈翠。


これで、俺ん家の名前の付け方がある程度予測できた方もいるだろう。俺たち兄妹は、色系の名前なのだ。まあ、某バスケ漫画のように、名前の色と髪の色が一致しているなどということはないが。むしろ、全員艶やかな黒だが。


「初めまして、イヴです」


「ん、よろしくね。あと、母さんも言ってたと思うけど、家族みたいなものだから、敬語じゃなくていいよ」


軽くウェーブのかかった髪を指でクルクルと弄りながら、それでも意識はイヴに向けている。


県下一位の高校に通ってはいるものの、やはり高校生だ。学校外に出ると、多少の化粧などはしている。髪に関しては学校も気にしないようなので、なんとも言えないが。


でも、勘違いはしないでほしい。姉さんは決してギャルではない。むしろ、異常なくらい真面目だ。まあ、所々抜けてるが。


でも、真面目にも色々種類がある。それは、全てにおいて正しいこともあれば、側から見れば正しいのに、自分の中では間違いなこともある。


姉さんは後者に上げた真面目であり、中学まで友達が出来ず、よく寂しそうにしていた。俺はそれを見ていて、何もすることは出来なかったが……


「それじゃあ、冷めちゃう前に食べよっか。今日はハンバーグだよ〜」


化粧のせいもあるだろうが、綺麗な顔をして姉さんはニコッと笑った。


噂程度に聞いたのだが、姉さんは中学の頃から何度も告られているらしい。しかし、一度も受けたことはないとか。まあ、それも真面目所以である。


多分、この笑顔も素でやってるのだろう。そりゃ、男どもが落ちるわけだ。俺だってたまにクラっとすることがあるのだから。


「いただきますっ」


イヴが言うのを聞いたあと、俺と姉さんも続いて「いただきます」と言い、食べ始めた。


料理も、正直言うと姉さんの方がうまい。


朱里は出来るのかって? あいつはお菓子専門なんだ、実は。包丁持つと手が震えて、昔手伝いした時にとんでもないことになったからな。


この姉さんの作ったハンバーグなのだが、市販のミンチ肉や玉ねぎなどを使っているにも拘わらず、切れば肉汁が皿いっぱいに溢れ、食べればホロリと崩れる。そのくせ中まで火が通ってるし、玉ねぎの甘みが口の中に広がって、肉の旨味と特製ソースとのマッチングが完璧なのだ。しかも、調味料は目分量だ。きっと、料理の加護とか付けられてるんだろう。


「美味しい、なにこれ、美味しい」


イヴが目を輝かせてハンバーグを口に運ぶ。ただ、そうなるのも分かると言うものだ。多分、ハンバーグ専門店ともいい勝負してるかも知れない。いや、最悪勝ってるんじゃないか?


「相変わらず美味いよな、これ……俺も何度も同じ具材と調味料、調理時間でやってるのに、ここまで上手くできた試しがねぇ……」


「当然だよ。私のには愛情が注がれてるからね」


ほら、すぐそう言うことを言う。


「愛情……すごい調味料……」


「でっしょー」


「なーにが愛情だか……」


などと言っているが、俺も正直実感せざるを得ない。なんせ、俺が作ったのとここまでも味が違うのだ。腕前以外にも、何か差がないとやり切れない。


朱里にも同じハンバーグをサイズダウンさせて持って行っている。きっと、この旨さに感動してることだろう。多分、メイビー、パーハップス、プロバブリー。


「旨かった、ごっそさん。先に風呂入るぞ」


「はーい、お粗末さんでした。ごゆっくりー」


さっきからイヴと姉さんは会話に花を咲かせている。俺が入るのは気が引けるので、こうして早く抜けたのだ。


「……なんだろ」


何故か、俺は妙な違和感を覚えていた。いや、本当を言うと、昨日の夜から僅かにこの違和感は感じていた。


三ヶ月間、一度も顔を見せなかった──いや、意思の交換すらしてこなかった朱里が、ああして姿を見せ、内容はあれだったが意思を伝えてきた。


三ヶ月間、一度も欠かさずログインしていた“アカリ”さんが、今日初めてログインしなかった。


飛び級制度のない日本だからこそ、ああして普通の高校生活を送っている姉さんも、その制度があれば今頃東大でも行ってただろう。でも、そのせいで周りから距離を置かれ、自分からも距離を置き、友達もほんの数人しかいない。高嶺の花のような存在なのだ、他から見れば。でも、イヴはそんなこと関係なく仲良くなった。


涼もそうだ。いつもはバカみたいに元気なのに、今日はどこか浮かない表情をしていた。あんな表情、十五年近く一緒にいるのに、ほとんど見たことがない。


「なんなんだろ……」


どうしてか、違和感だけが俺を満たした。いつもと変わらないはずなのに、いつもと違う。俺の中で、何かが崩れていく。固定概念が崩れていく。何か分からない、目に見えないものが崩れていく。


「……なんなんだよ、この感じ」


すごく、気味が悪かった。自分だけが、世界に取り残されるような……そんな気がした。



それからは、特に何事もなかった。本当に、何事もない日常を過ごした。俺が痛い目に遭うことも、朱里が姿を見せることも、“アカリ”さんがログインすることも、姉さんがかつてのように寂しそうな表情をすることも、涼が浮かない表情をすることもなかった。何もかも、通常運転だった。


週末を迎え、日曜の朝。


母さんにお金は出してあげるから、良さそうなの何着か買ってあげなさい。と五万ほど渡された。


せっかく遠出するので、涼も誘っておいた。まあ、他にも理由はあるのだが。


「今日は誘ってくれてありがとね。雪夏も誘ったんだけど、今日は塾があるって言ってて。部活は今日ないから、安心してね」


「総体前にそれでいいのか、部長さん」


「むしろ、休息は大事だからね。昨日一日練した分、今日は休まないとだから」


「じゃあ無理してこなくても良かったのに……」


「まあ、せっかくだから。こうしてそーくんと出かけるのもあまりないしね。そーくん、ひっきーだから」


ひっきーは引きこもりのことだ。たしかに俺は本当に必要だと思う用事でもなければ、休日はずっと家にいるけどさあ……


「言いようってもんがあるだろ……ほら、行くぞ」


俺ん家の周辺に大きな服屋はないので、電車を使って県内のショッピングモールに向かう。あそこなら色々店もあるし、気に入ったものが見つかるだろう。


そして、涼を呼んだもう一つの理由について話すことにする。


「涼」


「なぁに?」


「イヴの下着について、頼んだ」


「そーくんのエッチだなぁ。うん、分かった」


まあ、そういうことだ。男子である俺ではどうにもならないことだし、購入場面を見るのは、もう穿いてるのを見るのとほぼ同意なので、下着に関しては涼に任せ、その間に俺は服を見繕うつもりでいた。


「さて、早く終わらせて帰ってゲームしよ」


「明日からテスト期間だよー?」


思い出させないでくれよバカっ!

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