第9話

翌朝──


「ああぁぁ──……」


鼻濁音の付きそうな声で、イヴが机に突っ伏していた。まあ、それもそうだろう。一睡もしてないのだから。


「やあやあ、珍しく早いじゃないか昏奈君。そして死にかけだね、イヴちゃん」


「珍しくとは失礼な。これでもまだ遅刻したことは二度しかないんだぞ」


「ある方がおかしいよ」


「あぁ……涼、おはようございます」


「ん、おはよう。どしたの、目の下すんごい隈できてるよ。いきなり徹夜でもしたの?」


「そのまさかだよ。こいつに文字教えてたんだ」


「……そーちゃんが?」


「その呼び方やめろっつったよな?」


信じられないと言った表情で俺を見るな。俺だってやるときはやる男なんだよ。そのやるときが極端に少ないだけで。


「それで、イヴちゃんは文字読めるようになった?」


「んー……少しなら。平仮名に関しては、もう問題ないんですけど……漢字が難点です」


「まあそうだよね。私達ですら読めないのあるし」


分かる、と涼の言葉に返しておきながら、教室を見回す。


今日は六月も半ばの水曜日。朝礼もないし、朝練をしている部活もあるので人は疎らだ。


「そういえば、お前今日朝練ないのか? 部長だろ?」


「水曜は朝練しないってなってんの。三年間ずっと同じクラスなのに、そんなことも知らないのかね君は」


「興味ないからな、部活なんか……で、秋野は?」


雪夏さんだが、俺は心の中では下の名前で呼んでるのだが、表向きは苗字で呼んでいる。周囲から変に思われても困るしな。


「雪夏は朝練のない日は、いつも結構ギリギリに来るよ。まあ、そーくんよりは早いけど」


「へぇ……幹也は?」


「先生に聞いたけど、夏風邪で寝込んでるらしい」


どうせ、昨日イヴに負けたのを根に持って、一晩中ゲームでもしてたんだろう。その時にエアコン強くし過ぎたのだろう。


「バカな奴だ」


「それな」


まあ、俺も徹夜でイヴに文字を教えていたから、大差はないのだが。ただ、エアコンの強さに関してはちゃんと調節してたから、問題はない。


「今日はそーくん、眠くなさそうだね。徹夜したのに」


「徹夜って、二日目は案外眠くないもんなんだよ。まあ、多分もって昼までだろうけどな、俺の場合」


「ふーん」


イヴに関しては既に死にかけてるが。さっきから机に伏せたままだし、もう寝てるか?


「……そーくんってさ」


「ん?」


「ううん、やっぱりなんでもない」


「はあ? なんだよそれ」


「なんでもない。それじゃ、私席に戻るね」


不満の溜息を吐いたが、涼はそれを聞き入れず、席へと戻った。どこか浮かない表情だったが、何かあったのだろうか。


机から最近いつも読んでいるラノベを取り出す。イヴはもう寝息を立ててるし、最悪授業までに起こせば問題はないだろう。


「ラノベ、かぁ……」


突如現れた美少女、引きこもりの出来過ぎた妹、あまりにも距離の近すぎる幼馴染。一人に対してのキャラ設定が濃い気もするが、なんというか、ラノベ感が否めない状況だな。


「まあ、俺視点では現実だけどな……」


その後は、外部の音も聞き入れない程に読書に集中し、雪夏さんが来たことにも気付かずじまいだった。その後の授業も何事もなく終わっていった。



帰り道。午後の授業を寝て過ごした俺は、授業中一度も寝落ちしていないがために死にそうなイヴと共に、家へと向かっていた。涼は勿論部活である。


「アカリさん、流石に今日は入ってないかな……それに、来週からテスト期間だし、多少は勉強してないとまためんどいことになるからな……」


めんどいこととは、主にパソコンやゲームの没収である。父さんはそもそも家にいないが、母さんは教師ということもあって、勉強狂だ。勉強絶対主義とも言える。そのため、勉強でいい結果を残さないと、それを阻害するであろう物事を除外するのだ。滅ぶべし、勉強狂。


そもそもだ。勉強したからといって安定した未来が手に入るわけじゃない。たしかに、しないよりはマシかもしれないが、したからといってあるかも分からない未来を満喫できるかなど、誰に分かったものだろうか。


それなら、確かにある今をやりたいことに注ぎ込む方が正しいと俺は思う。


今を全力で生きろ。いつ死ぬか分からないのだから。などとよく言うが、その全力の意味は俺にしてみれば、自分が楽しいことだ。勉強や部活など、俺がしたくもないことに全力を注いで、一体なんになると言うのだ。それこそ時間の無駄遣いである。


「よし、今日は勉強しない」


「……私は帰って寝たい。夕食に起こしてね」


「……話し方変えた?」


「うん。涼と雪夏に、堅苦しいから敬語はやめてって言われた。だから、頑張ってこっちの話し方を慣れる」


イヴに後から聞いたのだが、こんなことがあったらしい。


-------


「ねえイヴ」


「なんですか?」


「なんでイヴって敬語で話すの?」


蒼が隣で寝息を立てる中、屈んで机に両腕を置き、それを顎置きにして涼がイヴに話しかけた。


「なんで、と言われましても……気付いたらこの話し方でした。蒼相手に何度か命令口調な話し方はしましたけど……」


「そうなんだ」


「私はもっと仲良くなりたいから、敬語じゃなくてタメ口で話してほしいなぁ」


雪夏が近付いてきて、涼の隣に立って言う。


「タメ口……?」


「こういう、ですとかますを付けない、私達がしてるみたいな話し方だよ」


「ですとかますを付けない……ええと、……私はイヴ、よろしくね……こんな感じ?」


「そうそう、そんな感じ」


「むぅ……努力する」


-------



家に帰宅し、手を洗ってから、イヴ→俺の順に俺の部屋で着替える。


今日は今の所、痛い目には遭っていない。実際のところ、これが普通なのだが……まあ、これから後にあるかもしれないので、注意はしておこう。


「蒼、夕飯とお風呂の後、今日もお願いしますね」


こう言い残して、イヴは俺の部屋へと消え、おそらく布団に倒れ込み、バタンキューだろう。


「……流石に一夜漬けはやり過ぎたか。今日は昨日の復習と三年のところまでにしておくか」


今日は姉さんも帰ってくるそうだから、夕飯を作る必要はない。


俺もイヴに続いて部屋に入り、パソコンの電源を付ける。


いつも“アカリ”さんと勝負をしているゲームを開く。最終ログインの近いプレイヤーの項目で確認すると、“アカリ”さんは昨日のログアウト以降、ログインしていなかった。


「……やっぱ、昨日のが効いたか」


初心者であるイヴとの勝負での敗北。俺も味わったことだが、才能があると自負する程に自信を持っていたゲームで負けたのだ。しかも、名も知れぬ謎のぽっと出少女に。


「アカリさんいないし、久々に野良るか……まあ、ある程度戦えるだろ」


野良る、というのは、俺がいつもしているように特定の相手に果たし状──対戦申し込みをするのではなく、ネットを介したマッチングで当たった相手と対戦することだ。


その後、姉さんが帰ってきたのも気付かず、十連戦した。ちょっと休憩とキーボードから手を離した時、ちょうど姉さんに晩飯ができたと呼ばれたので、一旦終わりにしてイヴを起こしてリビングへと向かった。


十連戦の結果は、全勝だった。

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