第3話

イヴはどうにも諦めそうになかったので、赤イヴから聞いたことを大まかに話し、イヴが理解したところで準備に取り掛かった。


「まずは制服か。姉さんのお下がりが確か朱里の部屋にあったはず」


しかし、朱里を呼んだとして、返答が返ってくるかは分からない。朱里とは三ヶ月間、家の誰も姿を見ていないのだ。存在証明は、毎日の食事だけ。風呂とかに入っているかも不明だ。


「……ものは試しだ。行くだけ行くか」


俺が部屋から出ると、イヴも後ろに付いてきた。ノーパンが気になるのか、時々脚を擦り合わせているが、聞いて変態などと言われるのはごめんなので、無視している。


そして、俺の部屋の隣の、朱里の部屋の前に立つ。そして、扉をノックする。この時間だ。起きているかも不明だが。


「朱里、起きてるなら返事してくれ」


一分待つが、返答はない。もう一度試す。


「おーい、起きてるんだろ、返事してくれ」


結果は同じ。ここはもう、率直に要件を伝えた方がいいかもしれない。


「朱里、お前の服貸して欲しいんだけど。あと、姉さんの制服のお下がりあったら、それも貸してくれないか」


すると、内開きの扉が開いて、三ヶ月ぶりに朱里が姿を見せた。三ヶ月の間に伸びた髪は、腰まで届いて、手入れはしているらしく、肌は綺麗だった。


「……兄さん、落ちぶれましたねこの変態。性欲を持て余して私の服であれやこれやをしようというのですか? 流石に引きますよ」


結局変態と言われる羽目になった。そして、大きな誤解をされている。


「ちょっと落ち着け。お前はとんでもない誤解をしているぞ。俺がお前に服を借りようとしたのは、こいつに貸すためだ」


親指でイヴを指すと、朱里の顔が青ざめた。青ざめた?


「……とうとう誘拐までですか。警察に通報するから、ちゃんと罪は償ってきて」


「ちげーよ。こいつは朝起きたら俺のベッドに居たんだよ」


「兄さん、妄言もいい加減にした方がいいですよ。あなたも、災難でしたね。すぐにお家に帰してあげるから」


誤解が深まっていく。イヴ、弁護してくれ。


「お願いします。私、自分の家がどこか分からないから」


お前も敵かよっ!


「誤解だって。本当にこいつは朝起きたらいただけで、俺は犯罪なんか犯してねえよ」


「はぁ……冗談です。朝早くからうるさくて目が覚めたから、仕返ししただけ。それで、服?」


「そう、服。中学の制服と、私服を何着か貸してほしい」


「ほしいが欲しいじゃないことを祈ります……その子の名前は?」


「イヴ」


俺が答える前に、イヴが自分で答えた。


「イヴ、中に入って。着替えさせるから」


イヴが頷いて部屋に入っていく。俺は間違いなく、蚊帳の外だろう。


「入ってきたら殺す」


目がマジですよ、朱里さん。


閉められた扉に耳を当てて、中の会話を聞き取る。行動としてはどうなんだ、と思うが、朱里に何言われるか分からない。誤解が解けていなければ、とんでもないことをイヴに、言い聞かせる可能性もある。


『何もされてませんか?』


『多分、何もされてない……ただ、裸は見られた』


『……後で制裁しておきます。後、服は兄さんに週末買ってもらって』


衣擦れの音の中、二人の会話が聞こえる。正直、この後俺の命が危険かもしれないということで、恐怖が俺を襲うが、逃げたら逃げたで、それも後が怖い。


そして、衣擦れの音が止んだ。着替え終わったらしい。


『ん、似合ってる。服は一応兄さんに渡しておきます。下着も入れておくので、使ってください』


『分かった。……胸がキツイ』


まあそうだわな。姉さんも中学時代は、言っちゃなんだがまな板だったし。イヴは、そこそこあるから、多少キツイかもしれない。


『……そこは我慢してください』


そして、足音が聞こえてきて、俺は慌てて扉から離れて、スマホを弄る。出てくるまでスマホを弄っていた、という風に装うためだ。


「着れました。どうです? 似合ってますか?」


アニメでもそうだが、金髪に制服は案外似合う。それに、イヴは人間離れして顔が整っているから、恐らく大抵の服は似合うと思う。


「に、似合ってるんじゃ、ないかな……」


言ってて少し恥ずかしくなり、尻すぼみながら言ったが、イヴはそれでも満足だったらしい。俺の学校は年中夏服でも、冬服でもいい学校なので、イヴは夏服、俺は冬服だ。


「兄さん、服貸しておくから、週末に買いに行ってあげて。イヴの居候のことは、私から母さんに言っておくから。絶対に買いに行ってあげてくださいね」


「え、やだ」


服買いに行くっつったって、この辺服屋なんてないから、電車乗って遠出しなきゃいけないし、もし知り合いに会ったら、なんて言い訳すればいいか分かんないし、店員話しかけてくるし──


「行ってくださいね」


「やだ」


「……次やだと言ったら、本気で殴ります。行ってくださいね」


「無理」


「……次やだか無理を言ったら、本気で殴ります。行ってくださいね」


「アイキャント」


「ふんっ」


「ふぐっ⁉︎」


鳩尾に入った。しかも、ニートのくせに、めちゃくちゃ痛い。殴られたところを両手で押さえ、床にうずくまる。しばらく唸っていると、頭に軽い衝撃が加わる。服を投げつけられたらしい。


「行け。いいな」


そして、扉が閉まった。なんだって朝からこんな目に……


その時、俺の目の前に一枚の小さな布が落ちてきた。白いそれは、どう考えても……


「──パンツ」


扉が開き、背中に鋭い痛みが迸った。



「……あの痛みは鞭だな。なんでそんなものがあの部屋に……」


痛む背中が気になるが、母さんが作っておいた朝食を、俺の分を二つに分けて食卓に運び、朱里のやつを恐る恐る部屋へと持っていった。


「……おいしぃ」


顔を綻ばせて簡易な朝食を食べるイヴを見て、なんとなく気分を癒した。こうやって朝食を誰かと食べるのは、結構久しぶりだ。朱里が引きこもって以来──かもしれない。


「七時か……イヴのこと先生に言いに行く時間も考えると、半には出ないとな」


これからの予定を考え、半熟の半分の目玉焼きを口に運ぶ。


学校に必要なものは、朱里に大体借りた。上靴も朱里のを借りて、教科書については、姉さんの部屋をこっそり漁って獲得しておいた。帰ったら急いで戻さねばならんな。


「美味しかった。蒼、遅い」


「遅くて悪かったな……もう食べ終わるから、トイレとか行ってこい。食器はやっておくから」


イヴが首を傾げた。


「トイレ?」


こいつ、トイレも知らねーのかよ。


かわや、お手洗い、排尿、排便。こんだけ言えば分かるだろ」


正直あまり口にしたい言葉ではないが、こうでも言わないと、伝わらない気がした。


「……どこでするんですか?」


知ってるわけねーか。


急いで食べ終え、イヴをトイレに誘導し、


「そこの白いとこの、穴の中にする。終わったらこのボタンを押す。汚れはこの紙で拭け」


俺ん家のトイレは、ボタン一つで流せる、電動式だ。俺は指差しながら説明を終えて、トイレから出た。二階で済ませるとしよう。


トイレを終え、顔を洗い歯を磨く。イヴにも同じことをさせておいた。歯ブラシをどうしたか? 買い足しがあったから、それを使った。


「よし、一通り準備は済んだな。じゃあ、とっとと行くか」


イヴも、目を輝かせて「おーっ!」と返事をする。案外ノリのいいやつかもしれないな。


そして、外に出て家の鍵を閉めたところで、ちょっとした問題に突き当たる。


「……歩きかぁ」


そう。俺は基本チャリ通なのだが、イヴのやつがないために、今日は歩きになる。自転車なら三分ほどの距離だが、歩きだと二倍ほどかかる。


「それに乗ってくれていい。私は走る」


「いやでも、これ案外速いぞ? お前、そんなに速く走れるのか?」


「分からない。でも、貴様には負けないと思う」


張り合う理由は、恐らく朝の全裸事件だろう。これで俺に勝って、ザマァしたいのかもしれない。


「はいはい……俺はスピード緩めないからな」


「好きにしてください」


鞄を自転車に括り付け、イヴはリュック型にしたやつを背負う。屈伸したりと、軽い運動をしているから、本気でやるらしい。まったくもってめんどくさい。


自転車のスタンドを上げ、跨る。


「じゃあ、よーいどんでスタートな」


「分かった」


こいつ、どこか俺を見下している節があるよなぁ……


「よーい、どん」


ゆるーく言って、立ち漕ぎを始める。しかし、イヴは既に姿が小さくなっていて──


「速っ⁉︎」


急いで加速し、イヴを追いかける。


「……あっ」


重大なことに気付いた。


イヴに学校の場所教えていない。

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