第2話

時間的に三時半寝たわけだが、今日はいつもと違う感覚にとらわれ、目覚ましも鳴ってないのに目が覚めた。


どんな感覚か──簡単に言うと、何かに抱きついているのだ。小学校中学年までは抱き枕を使っていたが、今は使っていない。だから、いつもと違う感覚なのだ。


しかし、俺が寝た時には抱き枕などなかった。確かに俺は抱きつくような姿勢で寝るが、もう六月だから、掛けているのはブランケットくらいだ。にも関わらず、俺が抱き締めているものは、それなりにサイズがある。そして、顔が何かとても柔らかいものに包まれている。


つまり、これは俺が寝ている間にベッドに入ってきたということになる。一瞬妹かと思ったが、まあそれはないだろう。それに、なんだかスベスベしてて、人肌みたいに体温があるような……


そっと目を開けて、腕を引き戻して、上半身を起こす。右腕が痺れたように痛むが、今は無視。


抱きついていたものを見ると、間違いなく事案的な状態だった。


──裸の少女が、俺の隣で寝ていた。


妹ではない。妹はこの少女に比べてもっと胸が小さいし、髪も黒い。逆に姉さんはもうちょい胸がある。あと髪黒い。


しかし、この子はというと──金髪なのだ。髪も、眉毛も、睫毛までもが金色なのだ。顔立ちもどこか日本人離れ……いや、人間離れしている。まるでゲームの中の、ポリゴンで作ったかのような整った顔立ちをしているのだ。


「誰だ、こいつ……」


寝起きの掠れた声で、そう呟いた。俺の知り合いに、こんな子はいないし、誰かが家に泊まっていた記憶もない。不法侵入か?


ここで姉さんや妹が来ては問題なので、少女を起こさぬよう、そっとベッドから降り、ブランケットをかけた。まじまじと全裸を見てしまったわけだが、バレなきゃ問題はない。バレたら命はないだろうが。


「……取り敢えず、気付かなかったことには……できないな。どうするか……」


本当に困ったことになった。既に抱きついていたわけだが、裸の少女に触れるのは躊躇う。なので、服を着せようにも着せられない。出来ないわけではないが、裸の見知らぬ少女に服を着せれる奴がいれば、お目にかかりたい。


一応、部屋にあるタンスから服を取り出し、勉強机の上に置いておき、ついでに制服も出して、ささっと着替える。


そして、再びこの子をどうするかという問題に突き当たるわけだ。寝不足も、こうも謎の問題が起こっては、ログアウトしてしまった。


「……んぅ」


俺の肩が軽く跳ねた。今の声は、間違いなく俺のではなく、この少女から出たものだから。つまり、この子が起きる──


ブランケットがずり落ちて、目測Cカップくらいの胸が露わになりながら、少女が上半身を起こした。


右手で擦っていた目を、ゆっくりと開ける。そして、視界が定まっていないのか、半目で俺の部屋を見回す。そして、俺に気付き──


「……だれ?」


薄いピンクの唇を開いて、微妙にドスの聞いた声で質問が投げかけられた。


「あ、ぅ、ぉ、俺、は……」


裸を見ないためという大義名分を元に、少女から目を逸らす。実際は、人見知りが発動しただけだが。そのため、質問にまともに答えれない。


「……ここ、どこ? 私は、誰?」


「ここは、俺の、部屋、だけど……ん?」


二つ目の質問に答えた直後、三つ目の質問に違和感を覚える。だって、「私は誰?」とこいつは言ったのだ。つまり、記憶喪失ということだろうか。


「オレノヘヤ? 変な国ですね……」


国の話かよ。そんな国があったら、ある意味驚くよ。


「あー……ここは日本って国だ」


「ニホン……そうですか……くしゅっ」


そして、少女が小さくクシャミをした。かと思えば、視線を自分の体に下ろし──自分が全裸であることに気付いた。というか、気付いてしまった。


一瞬で顔を真っ赤にし、左手で胸を、右手を柔らかそうな太腿に挟んで、秘部を隠す。俺は既に全部見たので、手遅れ今更だが。


「見たのか、貴様……」


睨みを効かせてこっちを見るものだから、思わず竦んでしまう。


「み……見て、ないれす……」


最後がおかしくなり、声も上ずってしまった。少女は、羞恥か怒りか見当は付かないが、耳や首筋まで赤くし、睨みを更に強める。もし隠すことをやめたら、俺は即座に事切れることだろう。


「お、おち、ついて。俺は、何も、見てないから……えと、俺、昏柰蒼」


落ち着くべきは俺なのだが、もう勢い任せに喋っておいた。気付いたら名乗っていたが。


「くれないそう……変な名前」


人の名前を変とは、こいつ、ふざけてるのか?


勿論、思っただけで、口には出さない。言う度胸があれば、今頃引きこもりたいなどと思っていないはずだ。


「そ、それで、あんたこそ、誰なんだよ……」


少しずつ声が小さくなりながらも、なんとか最後まで言い切る。


「私は……忘れた。とにかく、このような姿を見られた。貴様を生かすわけにはいかない」


俺は自分の身体を腕で抱いた。命の危険を感じた。少女は攻撃手段を模索しているようだが、まだ隠すのをやめて攻撃という方法は、頭に浮かんでいないようだ。俺はこの時、机の上の服のことは、完全に忘れていた。


そして遂にその考えに辿り着いたのか、脚を強く閉じたまま、右手をそこから抜き取った。一応、見えてはいない。


そして、胸は隠したまま、右腕を振りかぶる。このまま見えるの覚悟で飛び込んでくるつもりらしい。


「おおお、おち、落ち着けっ‼︎」


視線を逸らしながら、必死に止める。しかし、俺の死はこの子の中では決定事項らしく、止まらない。


こうなりゃ、骨折覚悟でこっちも受け止めるしかないだろう。


「死────」


その後に「ね」が続くものかと思えば、急にガクンと脱力した。隠していた胸も、露わになる。


「……え?」


勿論、度肝を抜かれた俺は、受け止める構えのまま固まった。


「すみません、うるさくして。殺しはしないので、安心してください」


そして、さっきまでのはなんだったのか、と思わせるほど、落ち着き切った声が聞こえた。そして、少女が体を隠すこともなく、ブランケットを落としながらベッドの上に立ち上がった。


この角度だと、丁度脚の間が見えるわけで──


「ふ、服着ろ服っ! 机の上あるからっ!」


目を閉じて顔を背けながら机の上を指した。丁度今、思い出したのである。


「……わかりました。そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」


「慌てるよっ!」


目を閉じているので分からないが、衣擦れの音が聞こえる。下着は流石に貸せないから、ノーパンノーブラなのだが、ここは我慢してもらおう。


「着ましたよ」


音が収まり、俺は安堵の息を吐いて、机の方に振り向く。一瞬、少女が着れていないことを期待──もとい、予想したが、ちゃんと着れていたようだ。


「はぁ……」


朝っぱらからどっと疲れた。もう今日学校行きたくない……いつもだけど。


「それで、あんたは誰なんだ」


疲れのせいか安堵のせいか、人見知りが発動せずに言葉を発せられた。しかし、今はそんなことにも気付かない。


「私はイヴ・カーリン・クリステリアといいます。あなたと同じ、十四です」


「はぁ……さっきまで記憶喪失っぽかったのに、急に落ち着くわ記憶戻るわで、なんか謎だなぁ……」


「そうですね。イヴという名前は、私のものではないですから」


「……は?」


「イヴというのは、さっきまでの私の名前です。私自身の名前は、忘れました」


「いや、いやいや、どういうことだよ。まるで、それじゃあ……二重人格じゃ……」


「そうですね。その表現が一番あっていると思います。ただ、さっきまでの私──つまりイヴですが、彼女はほとんど記憶がありません。私自身も、あるのは彼女のごく一部の個人情報くらいです。あと、見分け方は目の色です」


「目の色……?」


さっきはあまり注目しなかったが、イヴというさっきの少女は、確か碧眼だった。しかし、現在「ほら」と目を指しながら顔を近付けて見せてきている少女の瞳は、赤色だった。


「な、なるほど……?」


あまりの近さに、若干身を引きながら答えると、少女は引き下がった。なんか、いい匂いがした。よく分からないが、甘い香りだった。それに、何故かこの少女には見覚えがあるような気がして──


「名前等はあなたから教えてあげてください。私の時の記憶は、彼女にはありませんから」


「わ、わかった……」


色々疑問は残っているが、話はひと段落したらしい。どうも現実感の湧かない話である。


「はぁ……朝からマジで疲れた……これから学校とか、憂鬱通り越して鬱になりそうだ……」


「迷惑かけてごめんなさい。あと、しばらくこの家に滞在出来ません?」


「滞在って……一応母さんに掛け合ってみるよ。ただ、俺はこの家の中での優先順位は最下位だから、勝率は低いと思えよ」


優先順位が低いのは、事実である。俺の家は、どっちかというと、エリートだ。母さんは中学校の教師で、特に変わりはないが、父さんは医療機器の製造会社の社長らしく、現在単身赴任中だ。


それに、姉さんは高校生でありながら父さんの仕事を手伝うくらいに優秀だし、妹は英語と中国語ペラペラで、小学生でありながら、高二くらいの問題は楽勝らしい。ニートだが。


そして、俺なのだが──普通なのだ。テストでも全ての教科において平均七十前後。運動もそこまで得意じゃないし、クラス内で目立つ内容としては、ピアノを弾けることくらいだが、生憎あいにく俺より上手い奴がいる。


なので、家の中で一番バカな俺は、一番位が低いのだ。


「そうですか……ここ以外に行く先がないので、くれぐれもお願いしますね」


荷が重いよ……


「分かったよ……」


俺が呟いたところで、六時半に設定しておいたスマホの目覚ましが鳴った。


「もうそんな時間か……学校行かなきゃ」


今からゆっくり準備を始めて、丁度いいくらいなのだ。だから、いつもこの時間に起きる。


すると、赤イヴ(仮)が、さっきと同じように脱力した。そして、唐突に顔を振り上げ、


「学校ってなんですかっ⁉︎」


「え、えと……同じくらいの歳の子供が集まって、勉強する場所、かな……」


勢いに押されながらも、なんとか答える。そして、イヴが戻った碧眼を昼間に出た星のように光らせて、俺を見つめてきた。


「な、なんだよ……」


「学校、行きたいっ‼︎」


予想通りの言葉が来て、安堵とともに、まためんどくさいことになったという落胆が俺に襲い掛かった。

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